このエピソードを読む
2024年12月8日 01:04
武田は三国志の蜀と同じ。東西南北に強敵が。東は北條、西は斎藤、織田、南は今川、徳川、北は軍神。甲斐は貧しい土地のため、豊かな土地、海を求めて行かないといけなかった。座して死を待つより、出でて活路を求めないとならなかった。税制改革、産業開発、軍制改革をしていかないといけない。せめて、銅山があれば。
作者からの返信
度々の感想ありがとうございます。甲斐武田家が海の獲得を目指していなかったとは言うつもりはありません。ですが、人口の少なさをどうにかするために、北信や駿河を目指した。今話を執筆するに当たっての資料を調べていると、そんな感想を持ちました。想像以上に当時の甲斐は貧しかった模様です。読んで頂きありがとうございました。
2024年12月7日 22:28
( ˶>ᴗ<˶)楽しみ!
いつもありがとうございます。臨済宗の面白話でした。真面目に帳簿を付けていた寺程貧乏で苦労する。当時のパトロンの支援が無い寺はこんな感じだったそうです。坊主も人なので、酒を飲むな肉を食うなと言うつもりはない人ですが、そもそもそんな贅沢ができなかったという事で(笑)。読んで頂きありがとうございました。後、国虎へのレビューも誠にありがとうございます。
武田は三国志の蜀と同じ。
東西南北に強敵が。
東は北條、西は斎藤、織田、南は今川、徳川、北は軍神。
甲斐は貧しい土地のため、豊かな土地、海を求めて行かないといけなかった。
座して死を待つより、出でて活路を求めないとならなかった。
税制改革、産業開発、軍制改革をしていかないといけない。
せめて、銅山があれば。
作者からの返信
度々の感想ありがとうございます。
甲斐武田家が海の獲得を目指していなかったとは言うつもりはありません。
ですが、人口の少なさをどうにかするために、北信や駿河を目指した。
今話を執筆するに当たっての資料を調べていると、そんな感想を持ちました。
想像以上に当時の甲斐は貧しかった模様です。
読んで頂きありがとうございました。