第1話 集い

 大宮駅──。

 

 東京駅の次に様々な電車や新幹線が停車する首都圏の北の玄関口と呼ばれるその駅の西口。


 そこには令和という時代には必要無くなって久しい黒板の伝言板が設置されている。


 今やスマホを持っていない人間を探す方が難しく、一昔前だってガラケーや、それこそポケベルだって持っていれば、わざわざ駅の伝言板を使う必要なんて無い。


 ではこの伝言板の役割は何なのか。


 伝言板には電話番号とその横にNの文字。


「仕事だな」


 Nは俺の名前の頭文字だ。


 電話番号を打ち込んで、ショートメールを送る。


 電話を掛けないのは、相手がいつどこでどんなところに居るか分からないからだ。


 だから何時でも見返すことが出来て、仕事中だろうが買物中だろうが、家事の途中だろうがデート中だろうが、手が離せなくても後から見返せるショートメールを使っている。


 送る内容は店の名前と時間とYという一文字。


 それは相手へのYES──了承という意味での記号だ。


 西口から反対方向の東口へ向かい、階段を降りる。


 大宮銀座の南通りに入る。


 表通りは若者で賑わっている。


 カラオケボックスや大型商店、他にも飲食店が軒を連ねていて、サラリーマンやOL、学生やらやらでごった返している。


 そんな人混みから逸れて一本裏路地に入れば、昭和の雰囲気を漂わせる飲み屋が軒を連ね、そして中国や韓国、他にもロシアにフィリピン、タイとか多国籍な人間が居て、まぁ、それなりな人相の女が立っている。


 そうした女には目もくれずに歩いて行く、声を掛けられても無視だ。


 せめてもう少し流暢な日本語で話せ。


 とはいえ海外物を観れば解るが、やっぱり日本人は声という物にも興奮する変態人種だから、俺はわざわざ外人を買いたいとは思わんね。


 そしてまた路地を曲がると、今度は日本人の女が店の前に立っている。


「あらおつかれちゃん。今日も仕事?」


「まぁな。どうだ、儲かってるか?」


「ぼちぼち、って言いたいけど、まぁ、表のアッチに取られちゃって暇なのよねぇ。来るのは殆ど常連さんばっかり」


「ハッ、もったいねぇなぁ。こっちまでくりゃ、お手頃価格でかわいいネーちゃんが引く手あまたで相手してくれるってのによ」


「ねー、もったいないよねぇ。ま、アッチはお縄になる様なことばっかだから入れ替わり激しくて一見さんばっかり。そんでぼったくるから、おバカさんなお客はこっちまで来なくて、ちゃーんと下調べした上客さんが来てくれるから、ある意味Win-Winなんだけどね」


「ま、手の掛かる客を相手するのは辟易するからな。なんかトラブったら良いな。サービスで安く請け負うぜ?」


「まぁ、警察も結構目を光らせてるからよっぽどはないけど、その時は頼んじゃうかなぁ? あ、あとママがたまにはウチの店に飲みに来いって言ってたよ?」


「その内な。んじゃ、お仕事頑張れよ」


「もう、なんだかおじさんくさーい」


「三十路になりゃイヤでもおっさんになっちまうのさ」


 俺は軽い世間話しを切り上げて後ろ手に手を振りながらまた歩き出す。


「ねぇ、たまにはウチで飲んでいってよー。ママから見つけたら引っ張ってでも店に連れてこいって毎回言われてるんだよ?」


「その内な」


「それ毎回聞いてるよー」


「ねぇ、今夜ウチで飲んでかない? ママが安くサービスするって!」


「ありがてぇけど、悪いが仕事なんでな。また今度な」


「それ毎回言ってるよー?」


 行く先々の顔馴染みに声を掛けられる。


 仕事が無い時にちょっとしたお悩み相談とか受けていたら、いつの間にかあっちこっちから声を掛けられるようになっちまった。


 まぁ、15年以上関わっていれば色々とあるもんさ。


 そしてそんな歓楽街の軒先、左右はそうした風呂屋に挟まれてポツンとある居酒屋の戸を横へ開いて暖簾を潜る。


「おかえりなさい」


「ああ」


 カウンターに居るのは白い割烹着を着た、金髪碧眼の女性だ。


 欧州系の綺麗で整った容姿をしている。


 外人、特に西洋人は年齢を重ねると年齢以上に老けて見えるとか言われてるが、彼女はまだまだ若々しくて大学生でも通用するだろう。


 モデルとして売り出せば瞬く間に登り詰められそうな彼女はしかし、こうして小さな居酒屋の女将をしている。


 もう15年以上日本に居れば、日本語は達者にもなる。


「今日はどうだったの?」


「相変わらずさ。特に世は事もなし。と言っても、今夜は連れが来るけどな」


「あら。それじゃあ、駆けつけの一杯は止めておく?」


「や、いつもので頼む」


「ええ。いつもので」


 そう俺が注文すると彼女は柔らかく微笑んで用意したグラスに氷を入れ、そこに俺の好きなブラックニッカを注ぎ、マドラーでカラカラと10回ほどかき混ぜたら、サーバーから炭酸水を入れ、またマドラーで上下をかき混ぜた。


「はい、どうぞ」


「ああ」


 それをカウンター席に座る俺は受け取り、口へと流し込む。


 ロックやストレートはなんでか好きになれない俺は、こうしてハイボールにして飲むのを楽しむ。


 今ガキっぽいって思った奴は後で鼻に3つ目の穴を拵えてやるから覚えとけ。


 ガラガラガラと、店の戸が開く。


「あら、上場うえばさん、いらっしゃいませ」


「ああ。こんばんは女将」


 上場と呼ばれた長髪の男は店の入り口から歩いてくると、俺の隣の席に座った。


 スーツの内ポケットからタバコの箱とライターを取り出すと、箱から1本取り出して口に咥えて、火を点けた。


 カウンターの中の彼女が灰皿を出してきたので、俺はそれを受け取ってカウンターに置くと、俺もタバコを取り出して1本点ける。


 煙を吸い込んで、タバコを唇から離して紫煙を吐き出す。


「前回の仕事の最終報告書を上げておいた。後で確認して不備がなければ、依頼人クライアントに渡してくれ」


「ああ」


 その言葉を聞いて、俺たちはまた煙を吸い込む。


 今のやり取りで察せられるだろうが、俺たちは組んで仕事をしている。


 俺が肉体労働、アイツが頭脳労働。


 偏屈で少々喧嘩っ早いところはあるが、面倒見が良くお人好しでもあるので、中々どうして悪いやつではない。


 ただ、コイツがハンドルを握る車の助手席に座るのだけは止めた方が良い。


 前述した通り喧嘩っ早い、つまり煽られたら直ぐにカチンと来るからだ。


 だから車は専ら俺が運転している。


 目つきが悪いが、それはゲームのやり過ぎで悪くなった視力を裸眼で調節するから目つきが悪く見えてるだけだ。


 眼鏡とかコンタクトにすれば良いものの、面倒くさい、目の中に異物を入れるなんて真っ平ごめんだと屁理屈を捏ねる。


 まぁ、そういう偏屈な奴なのさ。


「はい、上場さん。どうぞ」


「ああ」


 グラスに入れられた赤ワインを彼女から受け取り、俺が掴み上げたグラスとチンッと軽く打ち合わせて一口含む。


「仕事終わりの一杯は格別だな」


「タバコもな」


 灰皿に灰を落として、次の一服を吸い込んで吹き出す。


「たまには他の所に顔を出せ。ここまで来るのに私まで声を掛けられるのは面倒だ」


「その内な」


「それは行かない人間のセリフだ。見た目通り純情だな」


「見た目は余計だ」


 また一服を吸い込んで紫煙を吹き出すと同時に、また店の戸が開いた。


「あら、松永さん、いらっしゃいませ」


「ああ」


 そして俺の隣にまた男が座った。


 両隣を男に囲まれるのはあまり嬉しくないが、飲み屋ならそういうこともある。


 まぁ、両隣の相手はまた関係が違うから別口だが。


「こんな時間に来るなんて、随分と珍しいじゃねぇか」


「今日明日を強制的に非番にされてな。散歩をしていたが、良いから休めと言われた。手持ち無沙汰となっては、行く場所が此処くらいしか思い浮かばなかった」


「休めと言われてんのに仕事するからだろ」


「別に仕事などしていない。ただ散歩をしていただけだ」


「散歩と言う名の見回りだろ? 上が休まねぇと下も休めねぇだろ」


「俺の事など気にする必要はない。充分な睡眠は取っている。それに、俺が休息を取っている間、犯罪者がのうのうと市民の安寧を脅かしているということの方が、俺には我慢ならん」


「相変わらずだな、お前は」


「立場がどうなろうと、俺は俺だ。今さらこの生き方は変えられん」


 そう言いながら、彼女に出されたグラスに入ったオレンジジュースを男は飲む。


 右隣の上場うえば 鐘景かねかけ


 左隣の松永まつなが 聡朗としろう


 この2人が、俺が組んでいる奴らだ。


「ただいま、ママ」


「おかえりなさい、サオリ」


 また戸が開いて入って来たのは、女子高生だ。


「あ、みんな揃ってる。今日は何かあった?」


「別になんもねぇよ」


 背中越しに掛かる言葉に、ハイボールを傾けて応じる。


「カネカケはともかく、トシローまで居るのになにもないはムリある」


「コイツは非番だ非番」


「ふーん」


 とは言いつつ、話をはぐらかしてるわけじゃない。


 ただ俺は、特段何か変わったことがないからそう言っているだけだ。


「それよりサオリ、オリンピックの金メダル、おめでとう」


「うん。ありがとうカネカケ」


 上場が横に一席ズレると、そこにサオリは座った。


 サオリは女将──イザベルの一人娘だ。


「ママ、コレも飾って」


「ええ」


 そう言ってサオリはイザベルに金メダルの入った箱を手渡した。


 店のカウンターから見える酒棚の上には、幾つもの金メダルやトロフィーが並んでいる。

 

 ちなみに銀や銅は無い、全て金メダルというのがサオリの腕を物語っているだろう。


 サオリの所にはグラスに入れられた俺と同じハイボール。


 イザベルもまたハイボールを作った。


 俺がグラスを上げると、チンッと、イザベルとサオリのグラスが合わさって打ち鳴る。


 そして各々が一杯を口に含む。


「ねぇ、久しぶりに手料理食べたい」


「は? 別に後で良いだろ」


「今、欲しいな」


「これから打ち合わせだ」


「ダメ?」


 ジーッと俺を見つめてくる娘っ子に、小さく息を吐いて席を立つ。


「厨房借りるぞ」


「ええ。その代わり、私にもお願い」


「親子揃って注文つけやがって。面倒だからだし巻き玉子だからな!」


「私にもくれ」


「は? なんでさ」


「迷惑料だ」


「俺にも頼む」


「お前らなぁ」


 2人前だろうが4人前だろうがそんなに焼く手間が変わらないとは言え、どいつもこいつも。


 とりあえず手早く長ネギを薄く輪切りにして、そして卵を5個割って、そして出汁はかつお出汁とあご出汁を混ぜて作る。


 卵焼き用の長方形の小さなフライパンを火にかけて、温まったらごま油を垂らす。


 ごま油の香りだけでも食欲を唆られる。


 そして油も温まればいよいよ卵をフライパンの上に垂らして焼いていく。


 ガラガラガラッ、バンッと、少々乱暴に店の戸が開かれた。


 そういう時は大概、厄介なのが来た時だ。





 

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