26 夕日を見たら大体帰りたくなる
「…………」
始めて一人で飛び出した外の世界は、自分が豆粒の様に感じる程広くて、静か過ぎた。
いつも吹いていたそよ風もなく、只々無音で、その無音が絶えず私を責めて来ている様に感じる。木々や灯篭、屋根でさえも、此方を観察してひそひそと噂をしている様に感じる。
悪い子がやってきたぞ、と……
「……」
振り返った先には誰もいない、前へ向き直っても一人だった。
それは当然の事だったのに、なんでか今更自覚した気になる。みんなと居る時の疎外感よりも、やっぱり一人で居る時の方が、強く一人を感じることに。
あの子はこんな不安の中何をしているのだろう。何も楽しい事はないのに。
「おやおや、不良が一匹いやがりますね」
「っッ」
咄嗟に駈け出した足が何もない所で躓いて、転げてしまった。
痛い、何処がとか特にないが全体的に前面が痛い。
そうして泣きそうになったのを堪えると口の中が砂利ついて、土の味で更に泣きたくなった。
序でに一拍遅れで額と鼻が特に痛かった事に気が付いた。
いや、膝もちょっと痛い。
「いえ、この場合は一振りと数えるべきですか」
「ぅ……ずず……」
近づいて来る足音が傍まで来て、思わず息を止めてしまう。
そうして隣を通り過ぎて行ったとびっきりに危険な変質者の足音が、そのまま遠退いて行った。
「……ずっ」
見逃された?
思わず肩の力が抜けてしまう。そうした後で肩に力が入っていた事に気が付いた。
かと思えば引き返して来る足音、再び息が止まって肩が強張った。
変質者が私の周りをぐるぐると回り始める。
「ふむ、お前は中々運が良いですね」
「…………」
「一度の冒険で賢者に遭遇する確率は108分の1、始めての冒険でこれを引き当てた貴方は、中々な冒険野郎の素質を持っていると言えるでしょう」
「………………」
「賢者イベントはちょっとした望みをちょっとした対価で叶える幸運イベント、折角です、このお賢者先生大明神閣下さまざまに何か望んでみますか?」
「……………………」
呼び方が難しくなっている……
「……ふむ、お賢者先生大明神閣下さまさまざまにお願いするのは畏れ多いですか。であれば参考までに、今までにあった願いの例をご紹介してやりましょう」
……既に誰かが、願っている……???
「とある風来坊の心刃が願いました、”ふぁっくってなに?”」
「…………」
ふぁっくってなんだろう……
「とある切れ者の心刃が願いました、”裏切り者の数と特徴”」
裏切り者???
「とある面倒見が良い心刃が願いました、”ふぁっくってなんすか”」
……特徴が、隠せていない。
「とある風来坊の心刃が願いました、”お前を倒す方法”」
「…………」
そう言うのでも良いんだ。
「とある臆病者の心刃が願いました、”裏切り者の正体を聞いた心刃の特徴”」
「え……」
思わず面を上げてしまった先に、此方をじっと見下ろす危ない人がいた。
人を真っ正面から見る事を欠片も躊躇しないその視線が、少し前に見た視線を思い出させる。だから直感した、この変質者には暴かれて困る所が何もないのかも知れないと、あくまで本人の中では。
「お前も何か願って行きますか?」
何とも答えられず視線を惑わせてしまう。でもこれだけは聞いておかないと、収まらない物もあった。
「……な、なんで、教えたんです、か」
「それは何に対する質問ですか? 尋ねた者の特徴を話したことに対してですか? その様な願いがあった事を明かしたことに対してですか?」
「……どっち、も」
「賢者は誰を差別することなく、知恵を公平に授ける存在ですので」
「…………」
嘘だ、この人は掻き乱して楽しむつもりしかないのだ。
だから敢えて争う様に仕向けているに違いない、とんでもないワルの者なのだ。
やっぱり嫌いで危険な人だ……
「此処に願いは叶えられました。ので、対価を支払う時間です」
「……!? っ!!! ね、願ってないッ です!!!」
「? 貴方は賢者に問い掛けましたね?」
「ぇ…………あ゙!!」
納得した風に”ふむ……”と言って頷いている危ない輩。
「此処に願いは叶えられました。ので、対価を支払う時間です」
咄嗟に逃げ出そうとした足が何故か動かない。何故か腰から下の感覚が完全に失われていた。
その脚元から這い上がって来た恐怖が一瞬で脳天まで突き抜けて、無意識に動き出していた腕が必死に這って逃れようとして行く。
結果、この世の物とは思えない、情けのない声が出た。
「ぁあッ あ゙ぁッぁあああっーーーッ ぅやらあああっ へっへぇあッんやぁああああああ!!!」
視界が滲んでどちらに進んでいるのか良く分からない。
しかし大きな存在が隣を通り過ぎて行った感覚だけはして、咄嗟に方向を転換しようとした時にはもう、頭を地面へ抑え付けられていた。
「むっーーーーッ んむ゙っーーーーーーッッ」
「頼る者の名がない悲鳴は味気ねーですね。お前の様な勘違い構ってちゃんの声を聞き届ける者は誰もいませんよ? 死にたくないなら、強くなる努力すら出来ないなら、周囲から分かって貰うのを期待するのではなく、周りを理解し加わる様努める必要がありました」
「ん゙ん゙ん゙ん゙ん゙ん゙ん゙ん゙ん゙!!!ッ」
「てめーの意思や心情にはゴミ程の価値もない、お前が綺麗な物だと勘違いしている根っこには、対価も支払わず欲しい物だけ得たがるきたねーきたねー配慮せびりの芽が出ています。生きる事とは争う事です。早くその事に気付かなければ、貴方も手遅れになりますよ」
”てめーが生きる事を放棄すれば、隣の誰かがてめーを生かす為に地獄を見るでしょう”等と、聞きたくもないし、分かる様で分からない言葉を上から浴びせて来る誰か。
藻掻く体は何処にも行けず、私は私の処遇さえ、自らの裁量で決められない様だった。
なぜ私の命なのに私の好きに振舞えないのだろう。
こんなのは絶対に可笑しい。
大人も、班長も、師匠も、不審者も、全員身勝手に振舞って、奪って、偉そうなことまで言って来る。
大嫌いだ。身勝手な人たちの所為で、この世界は歪んでいる。
「ぶぁッ っ……ごんな地獄に、うまれだぐながっだッ」
「奇遇ですね、私もです。でも怖くて死ねねーなら立ち向かう他ありません。幸運な事にお前たちは、抵抗が許される位置まで引き上げられました」
「嫌だッ 嫌だッ 痛いのも怖いのも嫌だッ 争いだい人だけ争えば良いッ 戦いだくなんてない……ただ生ぎるだけで、何でごんなに情げないッ づらい……ッ」
髪の毛を掴まれ引っ張り上げられる。
「何を言い出すかと思えば、命を奪わなければ命を繋げない世界で、辛くならない訳がねーでしょう。体も、精神も、絶えず代謝しなけば飢える命は、生まれた瞬間から奪い合いで苦しむ事が決まって居ます」
「ヴッ うぅ゙……」
頭が痛い、何も悪い事はしていない筈なのに痛い。
生きる事は痛い、生きる事は辛い、情けがない。
物心ついた頃からずっと情けない。
……でも本当は、言われなくても分かっていた気がする。
あの嘘つきの目で嘘を暴かれた頃から。
全ては全て、弱い自分が悪い為に。変わろうとするのではなく、強くなろうとしなかったから。
立ち上がる恐怖と辛さから目を反らす言い訳ばかりを考えていたから、
立ち向かえない事を、聞こえ良く正当化していたから
「贅沢ですね。誰よりも生きたい癖に、生かしてくれている者に砂を掛ける人生は。隣の者達が貴方を見なくなった時、きっと貴方は良い悲鳴を上げるのでしょう。さぁ、楽しい楽しい対価の徴収時間ですよ」
「や゙ら゙ぁ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙ッ ぁ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙ッ」
「ちょっとした対価、それは……ここ数分間に渡るてめーの記憶です」
頭の中に、何か大きな物が入って来た感覚を覚えた瞬間、意識が急激に遠退いて行く。
「眠りなさい、優しさを履き違えた子。お前に足りない物は闘争心です」
髪を放され頭を強く打った、しかし痛みよりも何よりもまず、眠気の様な意識の保ち辛さが脳裏を満たしていて、それ以外には意識が向かず。
「どれだけ立派な理屈を掲げようと、弱い文化は強い文化に奪われる宿命です』
懇々と続く嫌な言葉を聞かされながら、暗幕が降ろされた舞台の様に、視界が黒く染まって行った。
『お前が抱えた……は、強さが無ければ……ない事を知り……い――』
――夢をみた。
「…………」
白くて大きな獣に乗る夢を見た。
その背に乗って、空を自由に駆けて、駆け抜けた先から緑が紅葉して行く景色を見た。
争いはなく、風が心地よく、誰の手も届かない広い世界で、心の底から自由を感じた。
「……」
心地良かった……生まれて初めて、余計な事を考えずに済んだ。報われた想いだった……
でも、振り返った先に誰も居なかった。
争いのない完璧な世界を見た。
なのに何故だろうか、これじゃないと強く思ってしまった。何よりも寂しくて、私は誰かを求めている。
生きる為に命を食んで、心を満たす為に価値を求めて。
命を奪わなければ命を繋げない世界で、全ての者が満足出来る席は用意できない世の中で、他者を求めれば争いは避けられないのに、
なのに私は争いがある世界を求めている。
その中で争わない事を求めている。それが得られなけば可笑しいとでも言う様に……
気付いてみれば本当に、わがままな子供の様だった。
いいや、本当は気付かないフリをしていただけだ。争う場所があって、奪われる場所があって、穏やかな場所もきっとある。でもそれらは全て、力有る誰かが整えた環境であることを。
大きな存在の背で流されている私は今もまだ、自分で何処にも行ったことがない。
「…………」
振り返った先にあった紅葉した世界、その先で真っ赤に燃える陽の光が、とても寂しく見えてしまって……だからだろうか、帰りたいと思ってしまったのは。
気付けば、お屋敷まで戻って来ていた。
玄関に続く階段にあった影が伸びて、それが人の立った物だと気が付く。
大きさ的に仲間の人影じゃない、だからきっと、あの人は……
「お前の名前は、茜だ」
「………………はい」
重みを感じて見下げた先に、夕日を受けて茜色に染まった、私の心刀が握られていた。
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