14 賢者1

 ”ふむ……”と漏らした少女が振り返ったのは、彼女が野太刀を攫ってから二刻ほど経過した頃だった。


 深くて暗い青紫の瞳が、鬱蒼とした樹海の奥を見通して行く。


 等としていると彼女が担いでいた野太刀が騒ぎ出した。


「むー、むー……」


「むーむー、口を塞がれている訳でもないのにむーむー……口元を塞がれている様に訴える事で、暗に囚われている現状に対する不服を表した訳ですね?」


「一生の不覚、こんな訳の分からないちんちくりんに捕まるなんて、早く解放をしろ」


 ”放せ、放してー、今すぐ放せーっ”と、ふざけているとしか思えない声色で身を捩り暴れまくる野太刀、そんな心刃に揺さぶられる短髪の少女は只管に面倒臭そうに眼を据わらせていた。


 寧ろ瞼が据わり過ぎて眠たげですらあった。

 そうして我慢の限界が来たのか舌打ちをする紫掛かった黒髪の誘拐犯。


「ふぁっくです。ちょっとは静かにしやがれです。貴方の命運は私の指先一つに掛かっている事を忘れるんじゃあねぇですよ」


 ふとした様子で静かになった野太刀が”ふぁっくってなに?”と問い掛ける。


「ほぉ? てめーはこの世で一番気持ちが良い行為をご存知ではありませんか。宜しいならば注ぎ込みましょう、その無垢な耳に嫌と言う程に余計な性知識を」


「性知識……何故かは知らないが耳がぴくぴく動く緊張感を覚える言葉」


 黒髪の少女が感心した様子で”ほぉ?”と漏らした。


「どうやらお前は見所があるがきんちょの様です。耳を貸しなさい」


 野太刀は素直に耳を寄せた。

 何処と無く雰囲気が似た少女同士が、内緒話しをする様に頭を寄せる。


 突然けたたましい破音が轟いた。

 幾つものガラスが一斉に割れた様な破音は衝撃波を伴っており、突発的に巻き起こった突風で少女らの体が傾いで行く。


 かと思えば次の瞬間には、野太刀の視界に映る景色が切り替わっていた。


 切り替わった景色の先には、着流し姿をして、肩に羽織物を無造作に掛けた男が立っている。


 彼が見下ろす手の中には刀身が折れた柄、反対の腕には小脇に抱えられた心刃の姿があった。


「なんだよこれ、折れちまったじゃねぇか……彼是……もう思い出せない位一緒に旅をした相棒が……」


「刀……貴方は魔術師ではないのですか?」


「魔術師? 魔導士の間違いじゃないの?」


「同じ概念ですね。なるほど森人エルフでしたか、? その目は……アホ程魔力を貯め込んでいる野郎の面を拝んでみようと思えば、外の世界に興味を失った隠者ですか。何故今更外に出ようと思ったのですか?」


「何故外に出ようと思った? な、なんで仙境から出られなかったこと知ってるの? と言うか別に好き好んで閉じこもってた訳じゃない、此処の連中に意地悪されただけだ」


「…………」


 何か、噛み合わない歯車に気付いた様子で誘拐犯が黙り込んでしまう。


 そうして辺り一帯がしん……とした冷たい空気感に包まれて行く、その冷気は、森林の中にいる事だけが原因ではなさそうだった。


 誘拐犯の無気力に据わった瞳が男の手にある柄を見下ろす。


「その刀、魔術を行使した形跡が感じられませんが、どの様にして私の対物障壁を破ったのですか?」


「普通にお前を斬ろうとしただけだけど」


「…………」


「……その障壁は流石にせこい」


「……なるほど、貴方は化け物ですね」


 鞘だけになった得物を懐へ仕舞う男。


「初対面の人に対して化け物は失礼だろう、お前こそ何者だよ。と言うか野太刀返して下さい、お願いします」


 野太刀が男へ両手を伸ばしてわちゃわちゃしだす。


「師匠ー、救えぇ……」


「貴方は黙って居なさい。怪しい知識を教えてあげませんよ」


 野太刀をピシャリと叱って序でに頭も一発はたく誘拐犯。


 効果は抜群で野太刀はムッツリと黙ってしまう。


 するとヒノエが驚愕しわなわなとワナ付きだす。


「し、師匠……あれはどんな罰を受けても誰の指図も聞かなかった問題児っすよッ」


「あぁ……何かとんでもねー事があったに違いねぇ、己魔導士許すまじ……」


「ごきげんよう、西方教会より静謐の塔の管理を任されています。賢者フィクチャー・カチェーティアです」


「おいヒノエ、この状況で普通に自己紹介しやがったぞ。と、とんでもねぇ奴だ」


「真剣にして下さいっ 師匠が負けたら私たちはどうすれば良いんすか」


「……ごめん、正直手に負えそうもない。あんなに固い障壁は初めてだ、しかも障壁の魔力を全く感じなかった。相棒も折れたし、これは……」


 ヒノエが”師匠っ”と言って、彼女の手の中に突如と現れた刀の柄を男へ差し出す。


 男はその姿を見て固まった。


「私の心刀を使ってくださいっ」


「見ていただろう、心刀が折れたら流石にまずいんじゃないのか」


「折れても欠けても沢山ケアしてくれたら直った筈っすっ」


「心刃すげぇ!」


「誰が教えてくれなくたって気付いていました、何時か殺される命なんだって。正直今も何時か売られる予感しかしてないっす、だから、直らなくても良い、命の使い所は自分で決めたいっす」


「お前、だから付いて来たの?」


 ヒノエが心刀の鯉口を切る。


「未来に希望が持てる一日でした。此処でみんなの為に死ねたら、きっと私は最高に報われるんす」


「……やっぱり心刃は」


 男が丙の柄を握り、抜刀した。


「カッコいい種族だねぇッ」


 男の姿が景色から忽然と消え、落下したヒノエが土で身を打たれくぐもった悲鳴を漏らす。


 賢者がふとした様子で空を見上げ、辺りを見渡し始めた。


「気体を固定して足場に? いや……ふむ、魔力量がここまで多いと


「侠客が一刀……」


 賢者が振り返った瞬間、景色を上下で割断する線が輝いた。


 鼓膜を引き締める共振音が響き渡っていた。突発的に舞った土埃があった。気付けばヒノエの傍で跪いていた男が、掴み上げた鞘へ、血を払った刀身を静かに流し込んでいた。


「牙の巾斬り」


 切羽で打たれた鯉口から、金床を叩いた様に澄み渡った金属音が響き渡る。


 賢者は違和感を覚えた様子で自らの右腕を確かめ、男は癖の様な動きで鞘を腰元へ引く。


 確かめた腕は前腕の中ほどから先が失われていた。


「これは……」


 賢者の体が不自然な形へ傾ぎ、腰を境に体の上下が分かれ、上半身が地面へ落ちる


 残った下半身はたたらを踏む様に後退って、二歩目で地面を踏み損ね倒れてしまった。


 改めて膝立った男が両手で掲げた心刀を繁々と眺めて、一人納得した様子で頷く。


「やっぱり重心が切っ先に寄ってるだけあって刃の入りが良い、でも抜ける時妙に引っ掛かったな、なんでだろう?」


 突如として立て続けに響き渡った激しい破音。


 何もない空間から生じたその破裂音は、魔導士が自身の周りに展開していた幾つもの魔導障壁が壊れて行く音だった。


 その魔導障壁が失われた事で、何故か大気が乱れ、突風が巻き起こる。


 そうして男は心刀へ”良い刀だ”と声を掛けると、唖然としていたヒノエへ刀を返した。


「鋭くて強靭な心刀だ、その在り方に恥じない様強くなれ」


「……ヒノエはもう、師匠しか信じられなくなりそうです」


 震えるヒノエの頭に掌を乗せた男が”怖がるな”と言う。


「あと僕みたいな変人は信じるな」


「自覚はあったんすね」


「僕もそれなりに生きてるから。よし、さっさと帰ってみんなを一か所へ集めるか、話しを聞かないといけない奴も居るし」


「はい……やっぱりヒノエを連れて来て正解だったっす」


「……確かにッ」


 男が立ち上がり、藁束の様に小脇に抱えられたヒノエが”やっぱりこれなんすね?”とぼやく。


 そうして男は振り返ると、男と目が合っただけでわちゃわちゃと逃げ出して行った野太刀を捕まえて、ヒノエと同じ様に小脇へ抱えた。


「せめて担がれたい人生だった……」


「……あれ? 微妙に上手い事言ってる気がする……」


「さっきのどうやったの?」


「裏から兎に角全力で斬った」


「嘘付いた。もっと良く分からないぱわーを感じた」


「嘘じゃないんだよなぁ……やってる事は只の横薙、裏を取った方法は追々教えるよ」


「あ、私も知りたいっす」


「ふむ、では私も教えて貰いましょうか」


「……私が一番最初に聞いた。一番に教えて貰うのは私」


「とは言っても同じ練度で再現するには滅茶苦茶修行しないと行けないとは思うけど……ん?」


 男が疑問を覚えた様子で面を上げ、振り返った。するとその先に佇んでいた誘拐犯の五体満足な姿。


 今一やる気が感じられない眼差しと、不可解そうな憮然とした眼差しが、下と上から互いを見合い、後者の額に段々と冷汗が浮かんで行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る