第11話

 イベントから撤退して着替え終わった後、イベントスタッフに声をかけられた。


 この日は吉田城の鉄櫓が解放され、自由に見学ができるらしい。


 せっかくなので見学していこうと、キャリーケースを車に運び入れてから五人で階段を上がった。


 タイムスリップした時に鉄櫓は入らなかった。今思えば惜しいことをした。


 レイコは最後尾をゆっくり歩きながら各階のフロアをじっくり眺めた。


 中は吉田城の年表のパネル、敷地の模型などがあり博物館のようだ。再建前の櫓の写真や、富橋の伝統である手筒花火や鬼祭りのことも紹介されていた。


 ルカたちは”はえ~。知らなかった”と興味津々に江戸時代の地図を見たり、櫓からの景色を写真に収めている。


 レイコは一人、歴代の城主の名前が書かれたパネルを上から順に目で追った。


(あ、お殿様が言ってた初代城主……。お殿様の名前もある)


 宴の席では自らえびすくいという踊りを披露する、ひょうきんな忠次。吉高との永遠の別れも心が痛かったが、忠次になんの挨拶もできなかったことにも後悔が生まれた。


 彼の名前の横には1565年と書かれている。吉高が言っていた天正3年を検索したら、1582年と出た。レイコは今から約四百年前にタイムスリップしたらしい。


 忠次の名前が他にもないか探したら、あるパネルが目に留まった。それは1582年の10月に起きた襲撃について記されたものだった。


 町のゴロツキが金で雇われ、忠次が命を狙われた。しかし城の精鋭たちによってすぐに片がつき、襲撃の張本人をあぶりだそうとしたが見つからなかった……とのこと。


(お殿様たち、無事だったんだ。よかった……)


 経緯は史実とは異なるが、誰一人として命を落としていないことに安堵した。さらにその下には小さくコラムのようなものがあり、レイコは目を見張った。


『酒井忠次は福谷城(現在のみよし市)で少年を拾い、立派な剣士に育て上げたと言われています。彼は忠次の右腕となり、結婚することも忘れて尽くしました。近年の研究で見つかった存在で、数々の戦で活躍したようです。その後、駿府城の家康にスカウトされたとも言われています。残念ながらはっきりとした文献が残っていません』


 結婚することも忘れて、には笑ってしまった。同時に視界が度の合っていないレンズを通したようにぼやけてくる。


 これは吉高のことだろう。だが、彼ほどの人物の名前が後世に伝わっていないのは疑問だった。どうやら都市伝説のような存在になっているらしい。


 彼がどう生きたのか、どう過ごしたのかを知ることができないのは残念だ。彼のことだから戦で命を落とす、ということは考えられない。


 あの後、誰かと結婚したのだろうか。それとも。


「レイちゃーん、ご飯行こー」


「……うん」


 ルカが呼んでくれてよかった。そうしてくれなかったら、いつまでたってもここで立ち尽くしていただろう。


 レイコはパネルに背を向け、目尻を拭った。











 アフターは21時前にお開きとなり、レイコはいつも通り黒鷹の車で自宅へ向かった。


「レイさん、鉄櫓でやけに熱心だったね」


 カーラジオがかすかに流れる静かな車内。助手席でレイコはうたた寝していたが、黒鷹に話しかけられて意識が覚醒した。


「あー……うん。まぁちょっと」


「何かおもしろいものでもあった?」


 黒鷹のハンドルさばきに見惚れながら、レイコはつい”夢”のことを話してしまった。彼なら笑わずに聞いてくれる気がして。


「実はあたし……気絶している間に戦国時代にタイムスリップした夢を見たんだ。吉田城の本丸も櫓もたくさん残ってた頃だった。酒井忠次っていうお殿様にも会ったよ」


「ほう?」


「夢のわりにはかなりリアルだった。ご飯の匂いも感じたし、針で指を刺しちゃった時は痛かった。非日常を味わえて楽しかったな~……」


 レイコは腕を前に押し出して伸びをし、どうしようもない気持ちを吐き出す。話していくうちに悲しさとやるせなさで涙がこぼれそうになった。


「あーあ。夢の中で見た侍、めっちゃイケメンだったのにな。優しいし強いし。ちょっとワケありだったけど……。そのミステリアスさがさらに男を引き立てていたというか、うん。男前だったわ。もうその人で男運を使い切った気がする。これでさらに結婚とは縁遠くなったな~……」


 マンションが見え、黒鷹はすんなりと駐車場に停めた。


 終始無言だった彼はハンドブレーキをかけると、正面を向いたまま口を開いた。


「……なぁ。俺はその話は夢じゃないって言ったらどうする?」


「どうするって……。あんたが何を知ってんのよ」


 ふむ、と言った黒鷹は目を閉じた。


 この静かなうなずきを見たことがある。


 デジャブを感じずにはいられない行動に、レイコは口元を手で覆った。


「じゃあ……。俺がその侍だって言ったら? 黒木吉高だって言ったら?」


「ちょ……なんで吉高さんのこと……」


 指先が震える。それは次第に体全体に伝わり、声まで震えた。泣きそうな声になる。


 黒鷹はエンジンを切り、組んだ手をハンドルの上に載せた。


「俺は前世でレイさんに会っている。というかレイさんから来たのか。鉄櫓で見張りをしていたらつむじ風が起きてレイさんが現れた。菊光のコスをして」


「え……?」


「俺はレイさんが急に消えてからある人────いや、人じゃないな。二人の神と、ある一族の力でこの時代に生まれたのだ。レイコ」


 レイコ。


 彼の口は確かにそう動いた。


 だが、黒鷹はレイコの本名を知らないはず。


「本当に……吉高さんなの……?」


「あぁ。人間に生まれ変わったのだ。四百年ほど時を越えた」


 吉高を彷彿とさせる口調になっていく。


 レイコにほほえんだ表情が完全に重なった時、彼女の瞳から涙がこぼれた。


「待って……。まだついていけない……。人間に生まれ変わったってどういうこと!? 人間じゃなかったの!?」


「あの時見ただろう、血を流すと目の色が変わるところを。明らかに人間じゃないだろう」


「そ、そうかもだけど。それに二人の神って?」


「それは今から話そう────」










 レイコに背を向け、追っ手を切り伏せていく。屋敷の影で見えないが、忠次たちも果敢に応戦しているようだ。


 最後の一人が倒れ、吉高はレイコの方へ振り返った。


 いつしか彼女の声は聞こえなくなっていた。再び目を固く閉じ、耳を塞いでいるのだろうか。


「レイ……コ……?」


 姿がなかった。知らない間に逃げてしまったのだろうか。辺りを見渡すと吉高は刀を落とした。あれほど大切にし、手入れを欠かさない愛刀を。


 そういえばここはレイコが倒れていた場所だ。


 彼女が消えた理由はまさか。


「また時を越えたのか……?」


 彼女はこの時代の人間ではない、元の時代へ戻った方がいい。そう自分に言い聞かせていたはずだった。なのに。


 吉高はその場に崩れ落ち、膝をついた。


 いざ彼女を失うと心にぽっかりと穴が空く。


 本当はこの時代にいたらいい、共に駿府に来てくれと言いたかった。


 頬に冷たいものが流れる。雨でも降ってきたのか。空は雲が集まり、灰色に染まっている。


 空を見上げて呆然としていたら、雨がポツポツと降り出し、次第に土砂降りとなった。


「吉高殿! ゴロツキは片付きました!」


「旦那! 姉御は!?」


 家臣や玉彦の声が聴こえたが、吉高はうつむいて歯を食いしばった。


 己の意外なか弱さに苛立った。その反動で涙が流れてくるが、雨と一緒になってどちらがどちらだか分からなくなった。






 忠次たちが止めるのも聞かず、吉高は本丸を出た。


 本丸にはケガを負ったものが手当を受け、清潔な布団の上に寝かせられている。一番最初に被害に遭った門番もその一人だ。襲ってくるゴロツキたちを退かせながら本丸へ運び出した。幸い一命を取り留め、ゆっくり養生すれば問題ない、とのことだった。


 吉高は傘も差さずに門をくぐり、帰路へついた。雨を吸い込んだ地面は小さな川を作り、吉高よりも早く先へ進んでいく。彼はそれを追うようにぼんやりと足を動かし続けた。


 レイコがいなくなったと知ったら糸と永則はどう思うだろう。忠次たちは”未来に帰れたならいいが……寂しいものだな”と眉を下げていた。


「黒木吉高ね」


 自宅の手前で名前を呼ばれた。若い女の声にハッとして顔を上げると、白い傘を差した金髪碧眼の少女と目が合った。


 つなぎ目のない真っ白な布を円筒状にしたものを履き、レイコが着ていたマントのようなものを羽織っている。前を綴じ、襟は首を覆うように立っている。


 一瞬だけレイコかと期待したが違った。輝く髪色が似ているが、目の前の彼女は幼い顔立ちで玉彦よりも若そうだ。


「この時代に誤って飛んでしまった彼女と愛し合ったんでしょう? 禁断の恋に落ちたんでしょう? 報われなかったあなたの元へ、願いを叶えに来たのよ」


 彼女はない胸をそらし、少しだけ得意げな表情になった。吉高が困惑した表情で彼女のことを見つめていると、もう一つの声が聞こえてきた。


運命さだめさん。あまり端折って話すのはやめて下さい。ちゃんと事情を説明しないと」


 運命さだめと呼ばれた少女の影のように現れた男は、慶司と同じくらい上背があった。黒い傘は彼の髪色と同じくらい真っ黒。瞳は吉高よりも薄い水色だ。


 彼もまた不思議な服装だ。前で留められた黒い服の中には白い服。その中心に小さな丸が等間隔に並んでいる。白い服には、黒く細い帯のようなものが襟の下からぶら下がっていた。


「お主たちは一体……?」


 初めて会った時のレイコ以上に見慣れない服装をした男と少女を見比べた。すると、少女はため息をついて男を睨みあげた。


「あんたが話しておかないから一から話さなきゃいけないじゃない。こういうことは前持って本人に言っておきなさいよ」


 自分より幼い少女に怒られながらも、男は穏やかな笑みを崩さない。


「まぁまぁ。こんな天気ですし、場所を変えましょう」


 男に言われるまま、吉高は茶屋に向かった。


 そこでは慶司がいつものように営業しており、妙な格好をした二人のことを珍しがることなく招き入れた。吉高がのれんをくぐるとそれを外し、店の内側に立てかけた。


 慶司は熱いお茶を出し、自身は吉高の隣に腰かけた。自分も話に参加する、と言わんばかりに。


 ここでもレイコの淹れたお茶は飲めないことを思い出し、心が締め付けられるようだった。


「とりあえず。私たちの正体から話そうかしら。もちろん、この時代の者ではないし人間でもないわ」


「それはなんとなく分かる。それで……人間ではないとは」


 少女は湯呑みを両手で持ち、一口お茶をすすった。男が引き継ぐように口を開く。


「彼女は時の女神、運命さだめ。私は死神です────どうしました?」


 吉高は盛大に頬を引きつらせ、腰を浮かそうとした。


「死神ということは……俺の命を取りに来た、と? 人を殺め過ぎたから……とか」


 死神は声を上げて笑った。邪気のない態度に吉高は呆気に取られる。


「はは、よく間違われます。でも安心して下さい、命を頂く時は大鎌を持ってきてますから」


「ていうか"神"ってことには驚かないのね?」


「あぁ。時を越える人間がいるのなら、神がいてもおかしくないだろう」


「その二つ、だいぶかけ離れているけどね……。それはいいとして。実は彼女が時を超えたのは私のせいなのよ」


 再び話し始めた運命は、肩をすくめてみせた。


「彼女が転んだ場所にはかつて、私が作った祠があったのよ。私たちはそれを使って時を越えるんだけど、時が経つにつれほとんどが取り壊されたわ。もちろん吉田城にあったものも。どういうわけか祠の力が土地に残っていて、彼女が転んだことで力が発動した……って私は思ってる。そこから禁断の恋が生まれるなんて、さらに不思議な偶然よ」


「はぁ……」


 レイコが語る未来のことも信じられなかったが、二人の神が話す内容はさらに浮世離れしていた。


 死神は湯呑を手のひらの上に置くと、困ったような笑みを浮かべた。


「それと……もう言ってしまいますね。あまりややこしくしたくないので。あなたは人間ではありません」


「……だろうと思った」


 傷ができると生まれる人格、鬼神のような強さ、色が変わる瞳。今まで同じ人間に出会ったことはない。


 きっと人ではない何かだと思い続け、悩み苦しんだこともあったが初めて気が楽になった気がした。


「あなたは実は、とある一族の一人です。彼らは普段は力を抑えているんですが賢く、戦闘能力も高い。時を越えることもできる。隣の彼がそうです」


 死神は慶司に目を向けた。無言でお茶をすすっていた彼は吉高と目を合わせると、片頬を上げた。


「あぁ。俺は元人間だ。お前の様子見のために、この時代で茶屋を営んでいた」


「何故……」


「ある時、手放しに祝福できない男児が生まれた。それが吉高だ。迷った一族のお偉いさんたちが死神さんの元に相談に行ったんだよ。覚えてないか? お前の育ての親。二人はレイコちゃんと同じ未来の者だったが、一族入りを果たしたんだ。その初仕事がお前を育て、人間界に送り出すこと」


 吉高は自分にはないと思っていた幼い頃の記憶を探った。


 山の中をさまよって糸と永則に見つけてもらう前のこと。吉高はその地でのそれ以前の記憶はない。


 不意に運命さだめが立ち上がり、吉高の額を人差し指で突いた。その瞬間、脳裏に白い光景が広がった。


『元気でね』


 大粒の涙を流しながら吉高のことを抱きしめる、白髪はくはつの女。その後ろには同じく白髪の男がいて二人のことを腕で囲んだ。


『吉高は俺たちのことを覚えていないかもしれない。それでも、俺たちはいつまでもお前のことを思うよ』


 吉高のことを見つめる二人は、果実のような黄色い瞳を持っていた。


 彼らが最初の育ての親なのだろう。糸と永則と同じくらい愛情を注いでくれたのだと、その熱い涙から伝わった。


「”お偉いさん”はできるだけ力を取り上げて人間界で過ごさせて、もしもの時は"黒木吉高"の願いを叶えて欲しいと言っていました。生まれた赤子に罪はありませんからね。それが今なんです」


 慶司は無言で吉高の背中を叩き、ニヤッと笑ってみせた。比較的真面目な空間のはずが、彼のおかげで柔らかくなった気がする。


 何より、捨て子だと思っていた自分は様々な人や神によって生かされてきたことに感謝の気持ちがあふれた。


「俺に……思い出せてくれてありがとう」


 運命さだめにお礼を言うと、彼女はツーンとした態度で顔をそらした。うっすらと頬を染めた様子を慶司がからかっている。


 吉高はほほえむと、三人のことを見渡して口を開いた。

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