第10話

 秋晴れの空にタイムスリップした日のことは、昨日のことのように思い出せる。


 吉高に拾われ、忠次やとよに気に入られ、糸と永則にお世話になった。玉彦という友人もできた。


 吉高や忠次たちはまだ敵を切り伏せているのだろうか。レイコは濡れた目元を拭おうとして腕を動かした。


「レイちゃん!」


「……はっ!?」


 久しぶりに聞く呼び方に勢いよく体を起こすと、懐かしい友人と頭をぶつけそうになった。


「ルカ姉……? 戻った!?」


「大丈夫? 転んで気絶しちゃったから救急車呼ぼうか迷ってたんだよ」


 ルカが安堵の笑みを浮かべた。レイコのカメラを持ったいぬもろこしも。イベントスタッフもそばにいて、スマホでどこかへ連絡を取り始めた。


 後ろ手をついた手の平は芝生にふれている。むき出しの地面ではない。


 自分を見下ろすととよが選んだ着物ではなく、コスプレ衣装を着ていた。頭に手をやるとウィッグネットの締め付けを感じた。


「あたし……」


「大丈夫? 自分が誰だか分かる?」


「……桧山レイコ」


「本名言っちゃわなくていいから! 身体はなんともない? 脳震盪起こしてない?」


「びっくりするくらい平気」


「よかったよかった」


 隣でいぬもろこしにカメラを持たされた。転ぶ直前に彼に向かってぶん投げたカメラだ。我ながらエグい反射神経とコントロール力を持っていると思った。


「戻っちゃったんだ……」


「ん? 戻ったって?」


「ううん」


 背中についた芝の破片を払うルカに首を振る。


 周りの話によると、転んで気絶していたのは数十秒らしい。


 その間に見た夢としては濃密過ぎだ。戦国時代にタイムスリップしてイケメンの侍に拾われて恋をして、様々な人に関わった。怖い思いもしたが、楽しい思い出の方が多い。


(全部夢だったのかな……)


 懐に何気なく右手を入れたら、指に細長いものが引っかかった。するりと取り出し、その美しさにしばし見とれた。水色、黄緑、黄色。心の中で数えていたら、脳裏にとある光景がよみがえる。


 長身で広い背中。走るとさらりと舞う長い髪の毛。それをまとめていた赤い紐は────手元に無い。レイコは再び瞳を潤ませた。


(夢じゃなかったんだ……。バカじゃないの……。なんで人の物を身につけてんのよ……。未練たらたらなんじゃん……)


 その真意はなんとなく分かる。自分の都合のいい解釈かもしれないが。


 かすかに鼻をすすると、座ったレイコとルカに影が落ちた。


「────レイさん」


 突如かけられた声。レイコは顔を上げ、その風貌に目を見張った。


 いぬもろこしがそばでのんきに手を振っている。


「あ。黒鷹さんおはよー」


「おはよう」


 黒鷹だ。紺碧の着流しと黒い足袋、下駄。黒のロングウィッグは耳元で束ね、長い尾のように肩から胸元まで流れている。


 アニメで見たままの柘榴石のような切れ長の瞳。よく見ると芝生広場の周りにはちょっとした人だかりができていた。今話題のアニメの併せなので目立つらしい。首にカメラを掛け、大きなカートに三脚やレフ版を詰めたカメコも様子を伺っている。


「……レイさん? どうした。俺のメイク変?」


「吉高……さん……」


 レイコは一人、共に暮らした侍と面影を重ねていた。


 髪型のせいか着物のせいか、黒鷹は吉高に似ている。その逆をタイムスリップをした時に何度も思ったものだ。


 知らない男の名前が出てきて、いぬもろこしが黒鷹のことを見た。


「もしかして黒鷹さんの本名?」


「似てるけど違う」


 首を振った黒鷹はなんでもない顔をしつつ、レイコのことをじっと見ていた。






 レイコが目覚め、黒鷹も十愛も来たということで撮影が始まった。


 ピン写(一人の写真)から撮り、おふざけのまじったネタ写も撮影した。芝生の広場に征司の両親のコスプレをした夫婦が通りかかった時は全員で歓喜した。そこで母親に追っかけられる征司の動画を撮影し、全員で爆笑した。


 レイコが声をかけようとした市女笠の君に再会すると、先程は大丈夫だったかと心配された。レイコが気絶したことは噂で広まっているらしい。


 もちろん彼女を含めて全員で写真を撮らせてもらった。この輪に気づいた桜嵐オタクが殺到し、ちょっとした撮影会になったのは言うまでもない。


「倒れてたの!? 大丈夫!?」


「だ、大丈夫です……」


 初対面の十愛はぱっちりした瞳と色づいた頬が可愛らしい、グイグイとくるレイヤーだった。彼女にたじたじしながら、レイコはSNSを交換した。


 グレーの短髪を耳の上で編み込みをした、少女のような見た目の少年。杏色の振袖風の小袖に紅葉色の袴、茶色のブーツはアニメから飛び出したようだ。


 十愛も自作派レイヤーということで、レイコとウマが合いすぐに打ち解けた。撮影の順番待ちをしている間、二人はコスプレ関係の製作についてたっぷりと語り合った。


「レイちゃんのマント、超解釈一致~。金色のコードを三つ編みにしてるんだ?」


「そうそう。片方は縫い付けてこっちは安全ピンで留めてるの。縫い目とか見えないように裏地を縫い付けてみた。おしゃれな菊光ならこだわってそうだし」


「え、すご! 裏地に模様入ってる……。私も菊光やりたいと思ってたんだけど真似してもいい?」


「全然いいよ」


 その中で”今度は別作品の撮影もしようよ”、と併せのフラグが立った。


 彼女のおかげで現実を見なければ、今日のイベントも楽しもうという気が起きて心が晴れてくるのが分かった。


 昼食はイベントのキッチンカーで、各々好きなものを買ってきた。その後はカップリング撮影へ。


 小紅の想いに気づかない征司の鈍感さや、小紅のひたむきさをレイコたちは激写した。


 途中、ふざけたいぬもろこしが黒鷹に絡んで付近のオタク女子たちを発狂させたりもした。


 彼女たちは地雷服やフリッフリなデザインのワンピースを着て、痛バに推しの缶バッジを何十個もつけている。中にはコスプレ衣装のようななんちゃって着物をまとっていたり、ウィッグだけ被っている者もいた。


「じゃっ。次は京菊きょうきくね」


 京菊とは、今日の黒鷹が扮するキャラクター、京弥きょうやと、レイコの菊光のカップリング。


「BLじゃん。黒鷹がNG出すよ?」


 レイコはいつの日かのイベント帰りを思い出し、黒鷹のことを指差す。その時の会話がよみがえり、顔が熱くなってきたのをマントでごまかす。ファンデーションがつかないようにそっと持ち上げた。


 しかし、彼は涼しい顔でレイコのことを見下ろした。


「いや。いいよ」


「え? 何の心境変化が?」


「別に何も変わってないよ。もしかしてレイさん、昨日の見てない? 男装神主と口裂け女編」


 髪をなでつけながら話す様子に釘付けになる。綺麗な指が髪を梳かす様子は美しく、口を開けば変な声を発しそうになる。


 レイコは無言でうなずいた。


「そうか……。じゃあネタバレになるか……」


「そこまで言われると気になる。何があった?」


 ルカと十愛は手を握り合って隣で”きゃー!”と声を上げている。


 黒鷹は帯に差したスマホを手に取ると、見逃し配信のアプリを開いた。動画の下にあるシークバーを動かすとレイコに持たせる。


「見た方が早い。実は菊光が────」











 最近はユズカや小紅のことを見ると、捨てきれない憧れが浮かんでくるようになった。


 男に守ると言われたり、髪をめいっぱい伸ばしたり。綺麗な着物を見て素直に”着てみたい”と口にしたり。


 誰にも言ったことがない、否、言えない心の声。


 それを叶えるには元いた場所へ帰らなければいけない。


「……口裂け女の件が片付いたら君たちと別れようと思ってる」


「は? なんで」


 突然の宣言に、京弥もしゃがんだ。こちらを凝視しているのが分かる。だが、菊光は小川に揺れる満月を見つめていた。


「独り立ちしたいんだ……。ちゃんと」


 その時初めて、菊光は涙を流した。一人で旅を初めてから泣いたことはなかった。


 あふれ出す願望と涙は止まることを知らない。今まで我慢していた分を全て流すように。


 彼が頭に手をのせたがそれを払いのけた。誰にでも振りまく優しさなんか欲しくない。


「俺が簡単にうなずくと思ったか? 征司たちも許すと思うか?」


 珍しく京弥が焦ったような、中途半端な半笑いを浮かべた。


「……思ってない」


「だったらそんな寂しいことを言うな」


「でも……」


 力なくうなだれる菊光を、京弥は腕で抱き寄せた。それを押しのけようとした拍子に体重が前方に偏り、二人して小川へ落ちた。


 川は菊光の膝くらいの水位だが、尻もちをついているせいで胸の辺りまで浸かった。この季節、この時間の水温は低い。寝間着が冷たい水を吸い上げていくのが分かった。


 京弥が突拍子もないことをしたせいだ。菊光は風邪を引く前に腰を上げようとしたが、彼に腕を引っ張られた。


 張った弓が矢を飛ばす勢いのようだった。菊光は今度こそ京弥の胸の中に飛び込んでしまった。彼の胸に耳を押し当てる格好になり、目を見開く。引き締まった男らしい腕と、意外にもたくましい胸板に思わず身を委ねてしまった。


 水とは正反対の熱い体温が心地よい。


 夢見心地に意識がぼうっとしかけたが、菊光は体を四方に捻り始めた。


「はっ……離せ!」


「誰が離すか!」


 菊光はビクッと体を縮こませた。京弥が声を荒らげることはほとんどない。


 京弥は固まった菊光の首筋に顔を埋めた。髪の毛が当たってくすぐったい。 


「泣いてる女を放っておけるわけないだろ……」


 先ほどの声とは対照的な、優しいささやき。甘い声が耳にじんわりと響く。


 その言葉にときめいて何も言えなくなる。


 が、直後。菊光はめいっぱいの力で彼の胸を押し返し、口をわななかせた。


「お……女!? だ、だだ誰のことを言ってんだ!」


 京弥にあごをつかまれた。顔の位置を固定され、彼が近づいてくる。その表情はいつも以上に艶やかで甘い。しかし、細めた目からはどこか危険な香りもした。


 唇を薄く開くと、京弥はフッと笑った。


「俺がお前の正体に気づいてないとでも? 甘く見てもらっちゃ困るぜ、お姫様」


「……!」


 動きを止める呪文をかけられたように、菊光は固まった。


 彼が口にしたのは呪術の類ではない。しかし、菊光の動きを止めるのに十分だった。


 おとなしくなった菊光にほほえむと、京弥は菊光の横髪をすくった。


「お前は相良さがら家の長女、菊花きくか……菊姫きくひめだろ? 俺はお前を連れ戻すために雇われた。まさか男のフリしてるとは思わなかったぜ」


「貴様……」


 先ほどまでの少年のような振る舞いはいずこへ。高貴な娘らしい態度に、京弥はぞくぞくするのを感じた。


 小紅はもちろん、ユズカにもない空気をまとっている。


 表情も大人のように静かで凛々しいものに変わっていく。


「私は戻らないぞ。これからは一人で生きていく。決められた人生などごめんだ」


「あぁ……見合いを蹴って家出したんだってな。ご両親からいろいろ聞いたぞ」


「それで……私をどうするの?」


「決まってんだろ。これからも一緒にいるんだ。俺と……俺たちとな」











 いい写真、たくさん撮れたかな。


 レイコはお冷やのグラスを傾けた。


 時刻は午後18時過ぎ。イベントが終わり、車で移動してファミレスへ来た。バスで来たレイコはいつものように黒鷹に乗せてもらった。


 この中では最年少のレイコが成人してからはよく、居酒屋に行っていたがこの日は珍しくファミレス。黒鷹からのリクエストらしい。


「レイさん。今日はアルコール禁止ね」


「いいよ。呑む気分じゃないし」


 隣に座る黒鷹がメニューを広げた。いつもだったら"呑みすぎるな"が"呑むな"とは。


 言った通り、呑む気分ではない。あんなことがあった後では。


(あ。でも、失恋したからこそ呑むってのもアリか? 相手を忘れるために……)


 お冷のグラスを置くと、氷がカランと音を立てて揺れた。


 全員が注文をした後、料理を待っている間に話す事といえばもちろん今日のイベントのこと。


「富橋公園だと時代モノのコス多いよね~」


「刀の擬人化とかな。どこのイベント行っても必ずいるしな」


「桜嵐がたくさんいて楽しかったね! 征司の両親は参加表明出してて知ってたけど、市女笠の君とか蘭丸と蓮丸もいたのアツかった!」


「シェアハウスしてるボイスドラマのコスも多くなったよね~」


 好き勝手話していると、スマホを手にしたいぬもろこしが勢いよく立ち上がった。


「聞いて! 母ちゃんに追いかけられる征司がバズってんだけど……!」


「え、やば。えぐ。有名レイヤーもいいねしてんじゃん」


 いぬもろこしが見せたのは動画投稿アプリ。アニメのシーンをゆるく再現したものだが、コスプレのクオリティや征司の母の”まぁさぁしぃ~!!!”という怒声が本物過ぎるとコメントが寄せられている。


「でもさでもさ、今日一の収穫は京菊かな♪」


「あーそれ。あたし知らなかったよ、菊光が女だったって。ルカ姉たち知ってた?」


「もちろん。朝ごはん食べながら見たよ。今日は楽しみでしょうがなかったよ~」


 そう言って彼女は黒鷹とレイコに自分のスマホを見せる。


 のぞきこんだレイコは低い声で半眼になった。


「……ちょっと。何これ? なんで京菊の写真を壁紙にしてんの?」


「えーダメ?」


「ダメ!」


 レイコは赤い顔で腕でバツを作る。壁紙は今日撮ったばかりの写真だ。ルカはカメラだけでなく、スマホを持って走り回っていたのを思い出す。


「推しなのにぃ~……」


「それはあたしも……っていや! そんなキメ顔で言われても。肖像権の侵害! 待ち受けにする前に本人に聞きなさいよ!」


 その写真は菊光が甘えた表情で、腰かけた京弥の顔に手を添えているもの。京弥は愛おしげに目を細め、見切れているが彼女を膝にのせている。


 異性の膝の上になんて座ったことがない。この時、人生最大に心臓が暴れて全身の血が沸騰するかと思った。それでも完璧な表情を作れているのはレイヤー魂だろうか。


 対する黒鷹は涼しい顔でルカのリクエストを聞いていた。いくら”重たくて太ももの骨折れても知らないからね!?”と言ってもうなずくだけだった。


「黒鷹さんは? こういうのダメ?」


 断固拒否をしているレイコのことは置いておき、ルカは黒鷹に話を振った。


「いいよ。俺フリー素材だから」


「そんなことないから! とりましばらくコレにするね~」


「どうぞ」


「待て! あたしの意見は!?」


 不服そうなレイコを、いぬもろこしはスマホで自分の顔を半分覆って笑った。


「今日のレイレイ、めっちゃ照れてたね?」


「べ、別に!? 慣れてないだけですー」


「どうかな~? 黒鷹さんと絡めたからじゃないの?」


「違うから! 兄さんとか他の人とでもあぁなるから!」


「へー……」


 無表情にグラスを傾ける彼の二の腕に、レイコは拳を当てた。


「何よ?」


「別に。意外とレイさんは男慣れしてないんだな、って」


「意外とって。そんなの今さらでしょ? あたしに男がいたの、高校生以来って知ってるっしょ?」


「────後で話がある」


 黒鷹はそれには答えず、レイコにしか聞こえない声量でつぶやいた。


 ルカたちには聞こえない方がいい話なのだろうか。


 なんとなく察したレイコは無言でうなずき、黒鷹の横顔を見つめた。

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