第9話

 竹島一族の屋敷は他の家臣屋敷に比べると一回りも二回りも大きい。ここに暮らす人数が多いから、というのもあるが他にも理由があると思う。


 レイコは甲高い声を上げながらそこら中を走る子どもたちの姿を目で追った。


「皆元気ですね」


「そうだろ? 拾った時とは大違いだ」


 龍はレイコの横で大笑いした。


 そばで転んだ子どもを立ち上がらせ、あっという間に駆けていくのに目を細める。


『あんたが吉高様の嫁かい?』


『違いますけど……』


 吉高の部屋を出たレイコは再びとよに会いに行ったのだが、龍に腕を掴まれた。


 玉彦より小柄で力強い口調。明るい笑顔をたやさない彼女は、屋敷に帰ってくるなり子どもたちに囲まれていた。


「ここでは玉彦と私と、殿直属の飛脚と一部の子どもたちが暮らしてる。他の国に暮らしている飛脚の待機場所でもあるのさ。今は留守にしているけど、玉彦の両親やきょうだいもここに住んでる」


「へー~なんか似てそう!」


 レイコは彼らの顔を想像してほほえんだ。


 竹島一族は捨て子を拾うことが多いが、成長するにつれこのコミュニティで結婚して子どもをもうける者もいると聞いた。玉彦もその一人なのだろう。


 彼女はあぐらをかくと、膝に肘をついて笑った。


「あの子は小さい時からすばしこくて、それでいて他の子を放っておけない優しい子だった。それに引き換え、私はじゃじゃ馬でこんなに小さいだろ? 誰にも負けたくなくて一人で特訓を極めていた。そうしていたら誰とも話さなくなってしまって、いつしか玉彦だけがそばにいてくれるようになったんだよ」


「……聞いたことがあります。子どもの時からずっと好きだったんだーって」


「なんだいあの子はそんなことまで話してんのかい! やーね!」


「うっ!?」


 顔を赤らめた彼女に渾身の力で二の腕をはたかれた。飛脚としては引退しているが、有事の際には動けるように特訓を欠かさないだけあって力が強い。


 なんだかんだでラブラブらしい。二人の子どもは二人いると聞いた。”あの子たちだよ”と指をさす彼女の瞳は愛おしさが満ちていた。


「よかったらお方様のとこだけでなく、ここにもおいでよ。子どもたちも喜ぶ」


 龍がそう言うと、いつの間にかレイコの隣に現れた少女が袖を引っ張った。彼女は他の子どもたちのように走り回るだけでなく、人形ごっこがしたいのだと言う。彼女は布の切れ端をスカートのように人形に巻き付けていた。


「あ、よかったらミニチュア着物作ってあげる」


 ぬい活と称してぬいぐるみに服を作ったことがある。小さな着物はまだ作ったことはないが、糸の元で和裁を学んだのでなんとかできるだろう。


「みに……?」


 少女は聞き慣れない単語を繰り返そうとして首を傾げた。この時代の子どもには発音が難しかったらしい。


 龍に裁縫道具があるか聞こうとしたら、外から怒号が響いた。それに混ざって悲鳴のようなものも聞こえた気がした。


「子どもたち!」


 怒号の内容も聞こえていないのに、彼女は厳しい声を張り上げた。その瞬間に彼らは立ち止まり、大人の周りにわらわらと集まってくる。少女はレイコの肩にしがみつき、不安そうに眉を曇らせた。


「地下へ行くよ」


 そう言うと龍を先頭に屋敷の奥へ一斉に歩いていく。不安げな顔をした小さな子どもは、小学生くらいの少年少女が抱き上げた。


 レイコも少女を人形ごと抱き上げると彼らの後を追った。奥にある畳の部屋の一枚をお龍がめくりあげると、地下へつながる階段が現れた。中学生くらいの子どもが燭台を持ってきて、彼を先頭に階段を下りていく。


「この地下は吉田の外れにつながっている。そこにも竹島一族の屋敷があるのさ」


 彼女は子どもたちを順序よく並ばせて階段を下りさせる。レイコは少女を年長の子どもに預けた。


「子どもたちだけで大丈夫でしょうか……」


「もちろん。何度も行き来したことあるから。後で狼煙を上げてあちらに知らせる」


 子どもたちが全員階段を下りたのを見届け、龍は畳を元に戻した。


 彼女は後ろでくくった長い髪を翻し、レイコの背中を押した。


「本当はレイコさんも子どもたちと逃げてほしかったけど……。勝手に吉高様から離すわけにはいかないからね。本丸へ送るよ」


「あの……。一体何が起きているんですか?」


 レイコは押されるがまま玄関先へ小走りし、振り返った。


 その瞬間、引き戸の向こうで多くの怒号が漏れ聞こえてきた。


「敵襲のようだが……他国の者ではないみたいだね」


「どうして……」


「分からない。でも、私たちが生きているのはそういう時代なのさ」


 龍は草鞋の紐をサッと足に巻き付けた。レイコも玄関先に座って紐を結ぼうとするが、手が震えてうまくいかない。見かねた龍は膝をつくと素早く紐をくくった。


 一度座り込んだせいで足がすくみ、立ち上がれなくなってしまった。龍に”大丈夫”と手を引かれ、彼女がそっと引き戸を引いた。


「うっ……」


 小柄な龍越しに見た城の敷地は、先程来た時と一変していた。


 汚れた小袖を雑にまとった男たちが錆びた刀を振り回している。狂気じみた笑いを上げながら家臣屋敷や本丸を破壊し、縁側から上がり込んで障子を斬りつけている者もいた。


 それを阻止しようとするのは袴を履き、槍や太刀を握った男たち。レイコも見慣れた顔がいくつもある。彼らは顔や着物に傷を作りながら咆哮を上げている。


「お龍!」


「玉彦、一体何者だい?」


 二人の前に飛び込んだ彼によって、屋敷の中に押し戻された。


 彼は忍び装束のあちこちをほつれさせていた。両手に持っていたクナイを片手にまとめ、肩で息をした。乱暴に口元を拭うと、背中をちらっと見やった。


「最近町で問題になってるゴロツキ共だ……。奴ら、結託して旦那のお礼参りをしに来たらしい」


「もしかしてあの時の……!」


「うん。旦那はその前に絡んできた奴が仲間を引き連れてきたらしい、って言ってる」


 レイコは茶屋での一軒を思い出した。妙にしつこく絡んでくる大男だった。


 なぜここに吉高がいると知っているのだろう。後をけられていたのだろうか。


「ゴロツキの割には櫓の者を弓矢で射ったり、門番を奇襲して静かに侵入するとか妙に頭がいい……。もしかしたら敵国が絡んでいるかもしれない」


「まさか羽柴はしばの」


「前々から旦那の周りをうろついてる奴はいたが、こう出てくるとは……」


「よ、吉高さんは!?」


 それまで口を挟まなかったレイコは、狙われている男の存在を危惧した。


「旦那なら無事だ。本丸の地下にとよ様たちを避難させてゴロツキたちを……姉御!」


 玉彦が言い終わらない内にレイコは外へ飛び出した。


 先程までの震えは玄関に落ちたように。


(吉高さんの目の色が変わる前に……!)


 せっかく綺麗に着付けてもらった着物だが、裾がめくれるのも構わず駆けた。途中、レイコのことを知っている家臣たちが本丸に入るよう叫んだのが聞こえた。


「吉高さん!」


 彼の姿は見つからない。武器をぶつけ合うゴロツキや家臣たちから離れて叫んだ。


 軽装の忠次の姿を見つけた瞬間、思い切り髪を引っ張られた。


「おい、あの時の女だな」


「いったいなぁ!」


 背後から声がし、髪が引きちぎれたような痛みが走る。頭を振って強引な手から逃げると、錆びついた刀の切っ先が突き付けられた。


「あんたは……!」


 茶屋で絡んできた大男だった。あの時と同じように茶色い歯を見せ、まとった小袖はすりきれていた。


「おい、男はどこだ。ここにいるのは知ってるぞ」


「あたしだって知りたいよ!」


 じりじりと屋敷同士の隙間へ追い詰められる。レイコは時々振り返りながら草鞋を履いた足を滑らせた。


 大男は溶けた歯をむきだしにして笑うと、レイコの胸倉を掴んだ。体格に差がありすぎるせいで持ち上げられそうになる。


「お前を人質にしてあぶり出すか」


「さわるな!」


 日に焼けた真っ黒な腕を叩いてもうっとうしそうな顔をされるだけだ。爪で引っ搔いても足の甲を踏みつけても同じ反応を繰り返すだけ。


 レイコに気づいた家臣がこちらに向かってきてくれたが、それに気づいた他のゴロツキが邪魔に入る。後ろから斬りかかるという卑怯なやり口だが、家臣たちは後ろに目があるように素早く反応する。


「おい」


 刀がぶつかる音と怒号の中に、低く凄んだ声が響いた。その声の主を探ろうとした時、大男の手から解放された。


 彼は脇腹を押さえてうずくまっている。咳き込みながら顔を上げると、ニヒルな笑みを浮かべた。


「ようやくおでましだな……」


 大男の視線の先には長い髪を束ね、金色の瞳を持つ青年。峰打ちをくらわせたらしい彼は太刀を下ろした。


「吉高さん!」


 男の手から逃れたレイコは彼に駆け寄ると、無言で腕をつかまれて背中に隠された。


 乱暴な手つきだったが守る、と言われたようで嬉しかった。


「よう、侍風情の化け物さん」


 大男はゆっくりと立ち上がると、太刀を肩に担いだ。


 吉高は柄を握りしめ、腰を低く落とす。今から始まる残虐行為は、レイコには止められなかった。


 彼にとって刀を振るうのは誰かを守るためだから。誰かというより国というか。


 レイコの時代では人を殺すことは犯罪。だが、この時代では生きるため、守るための行為。


 それをやめて、と言うのは吉高自身を否定するように思えて口にできなかった。


 それなのに。


 こいつは吉高のことを化け物呼ばわりした。


 レイコは唇をかみしめると、口の中でつぶやいた。


「……知らないくせに」


「レイコ?」


 不意の彼女の声に吉高が振り向いた。大男も怪訝そうに小さく唸る。


「知らないくせに!」


 はっきりとした叫び。吉高は目を見開き、わずかに殺気をゆるめた。


「吉高さんが刀を持つ理由を知らないくせに、化け物呼ばわりすんなクソが! ここにいる人たちを襲ったあんたたちこそ人間じゃない!」


「なんだとクソアマ……」


 頭に来た大男は舌打ちをし、刀を振り下ろした。そして大声を張り上げる。


「おいおめーら! この化け物と女を片すぞ!」


「「「おー!!」」」


 散らばっていた男たちは目の前の相手に背を向け、こちらに向かってきた。皆一様に刀を振り上げている。


「吉高さん……!」


「案ずるな、もうレイコには指一本ふれさせない」


 吉高は安心させるようにレイコにほほえんで見せた。


 今のセリフ、めっちゃ乙女ゲームぽかった……と、余韻に浸っている場合ではないのが惜しい。


「レイコのことをクソアマ呼ばわりするとは、よほどの命知らずだな」


「なんだ、お前の女か」


 吉高はそれには答えず、男たちに向かっていった。


 男たちは二十人足らず。しかし、彼にとっては恐れる数ではないようだ。


 家臣たちに手出しさせることなく、的確に急所を突いていく。息を乱すこともない。


 レイコは男たちが殺られるのを見ていられず、目を固く閉ざして顔を背けた。






「た……助けてくれ! 命だけは……!」


 たった一人だけ残っている。腰を抜かして地面で命乞いをしている。リーダー格だったゴロツキは早々に殺られたらしい。


 思わぬ嘆願の声に、レイコは少しずつ目を開いた。


 何も言わない吉高はゆっくりと歩を進める。男は"ひぃっ"と喉を鳴らしてあとずさった。


 明らかに下っ端の男が握っているのは太刀ではなく打刀だった。


 その時────吉高が柄を握りしめて振り上げた。


「ダメ! 吉高さん!」


 レイコは彼の後ろから腕を回し、動きを止めた。


「もういいでしょ、こんな腰抜け。ほっとこ……。もう十分だよ」


 吉高は金色の瞳でレイコのことを見下ろす。頬は返り血で赤く染まっていた。


 彼はしばらくそのままで固まっていたが、息を吐くと納刀した。


 が、それが間違いだった。


 腰抜け男が突然背を向けた。


「皆! 好機だ!」


 声を震わせていたとは思えないほど、力強く張り上げた声。その瞬間、門の向こうから同じような格好をした男たちが現れた。咆哮を上げながらこちらへ一直線に向かってくる。


「どういうこと……?」


 レイコは吉高からゆっくり腕を離した。






 瞬間、吉高はレイコの手を取って駆け出した。


「くそっ……! 第二陣か!? ヤツら抜かりないな…!」


 走りながら悪態をつく。


 正直、今まで斬られたことも撃たれたこともない。何十人が相手の時も余裕で切り抜けてきた。


 だが今は。


(せめてレイコは……!)


 強引に繋いだ彼女の手は女らしく華奢で。守らねばならない、という気になる。


 必死に足を動かして追いつこうとする彼女の目には、恐怖の色が浮かんでいた。


「吉高、さすがに加勢するぞ!」


「……かたじけない!」


 横に並んだのは忠次だ。彼は槍を手にして走っている。


 あの大男は因縁の相手だから手出ししないでほしい、と頼んでいた。彼はいい顔をしなかったが、吉高の気持ちを汲んでくれた。


 振り向くと追っ手とは少し距離があった。忠次は槍を構えると、錆びついた刀を絡め取って相手の戦意を喪失させた。家臣たちも加わり、足止めしてくれているようだ。


 ゴロツキが転がっている屋敷前に立ち止まったが、お互いに荒い呼吸は止まらなかった。レイコはうつむき、膝に手をついている。


 吉高は無理矢理呼吸を整え、彼女の肩に手を置いて視線を合わせた。


「レイコ、竹島の屋敷の奥に隠し地下道がある。そこから……」


「知ってる、町はずれにつながってるんでしょ」


「なら話は早い。逃げろ、後でお糸とノリさんが迎えに行く」


「吉高さんは?」


「ゴロツキたちを片付ける」


「じゃなくて、来てくれないの……?」


 レイコは女の勘で察したのか、緑柱石の瞳が揺らいだ。肩を上下させる彼女は言葉を発せられない代わりに、吉高の袖口をきゅっと握る。


 吉高は金と瑠璃が混ざった瞳を伏せ、唇を噛み締めた。


「俺はレイコといてはいけない」


「────!?」


 驚きでレイコの目が見開かれる。


 思っていた通りの反応。胸にチクッとした痛みを感じた。


 吉高は言い聞かせるようにほほえんでみせた。その笑顔が硬く、ぎこちないのは見なくても分かる。


「俺たちの間は時で隔てられているのだ」


 後ろから咆哮が聞こえた。大勢の足音も。ゴロツキたちがこちらに向かってきているのだろう。


 呆然とした顔のレイコから手を離し、柄に手をかける。背中を見せる前に彼女の顔を記憶によく焼き付けて。


 思い切り笑ったりムスッとしたり、かすかにほほえんでみせたり。頬を染め、こちらを盗み見るという可愛いらしい一面もあった。彼女はいつもいろんな表情を見せてくれた。


 最後の最後で悲しげな表情をさせてしまった。好きな女なのに。最初で最後の最愛の人かもしれないのに。


(お前には……こんな戦乱の世は似合わない。自分が生まれた時代で生きていくべきだ。レイコ……)


「……やっ!」


 悲しげな短い拒絶の声がした。


 振り向きたかった。


 彼女の想いに応え、ずっと一緒にいると約束して抱きしめたかった。


「……すまない」


 口の中でつぶやき、追っ手たちをにらみつける。


 刀を勢いよく抜くと閃光が走った。


 ここから先へは行かせない。レイコを死守し、元の時代へ戻る方法を共に考える。


「……吉高さん!」


 彼女に呼ばれたが片手で頬を叩き、刀を持ち直して構える。


 走り出すと、紐でまとめた髪がなびいた。






「……吉高さん!」


 やっと整った呼吸で呼ぶと、初めて一つ屋根の下で過ごした男がわずかに振り向いた。


 考え直してくれるだろうか。これからも一緒に暮らせるだろうか。


 だが、それは甘い考えだった。


 吉高は刀を構え、あっという間に走り出してしまった。


 腕を回したばかりの広い背中が遠くなっていく。


(……あ)


 彼の長い髪をまとめている────レイコの赤い打紐が目に入った。


 彼がそれを使っていたなんて知らなかった。いつの間に? というかいつ? という問いの前に、涙があふれてくる。


「バカ……」


 吉高が敵を斬り伏せる気配がする。レイコはゆっくりと地に膝をつき、右手で左腕を力強く握り締める。


 左目から、右目から。涙が交互に流れていたのが、いつの間にか両目からになり、止まらなくなった。


 絶対に一人でなんか行かない。せめて屋敷の中に隠れていようと地面に手をつくと、力が抜けて滑らせてしまった。


 その瞬間に体が空中で一回転し、目の前に秋晴れの空が広がった。

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