第6話

 吉高の生活はある日突然変わった。


 未来から来たというレイコ。


 初めは新手の間者だと警戒していたが、屈託のない笑顔を向けられてすぐに薄れてしまった。


 食事をとる家族が増え、入浴の順番に彼女が増えた。


 嫁をもらったらこんな生活だろうか、と想像して照れくさくなることがある。


「吉高。聞いておるのか」


「えぇ。だから忠次様が未来に行くのはいけません」


「どれだけ転んでも無理だった」


「それはようございました」


「む……」


 吉高は夕刻に吉田城に訪れ、忠次と酒を酌み交わしていた。


 レイコがやってきた時の酒の席とは違い、一対一だ。家臣たちも席を外している。


 目の前の膳にはかぶの汁、刺身、漬物、酒が入った提子ひさげ


 吉高は提子ひさげを持ち上げると、漆の盃に注いだ。


『殿がお呼びだ。もしかしたら旦那、吉田を離れることになるかもしれんな……』


『……。すぐ参上つかまつろう』


 昨日、玉彦が我が家に訪れた本来の目的。それは忠次からの呼び出しを伝えること。決して吉高をからかいに来たとか、夕餉をたかりに来たわけではない。


「レイコの言う未来とやらをこの目で見てみたいものだが……」


 忠次はちびちびと盃に口をつけた。


『お殿様が未来にもいるんです』


『儂がか? 何故』


『おもてなし武将隊と言って各地のお城にいるんです。彼らは武将たちが現代に顕現した、という設定なんです。あ、設定って言うのよくないか。もしお殿様が未来にタイムスリップして彼らに会ったら、そういうマンガが一本できそう……』


 忠次はあれ以来、レイコの話す”未来”に興味津々だ。暇さえあれば彼女を呼びつけ、”もっと話を聞かせてくれ”とねだる。吉高は小さくため息をついた。ひょうきんな性格なのはいいが、城主がいなくなった城がどうなるのか考えてほしい。


「……して、妙な男というのは」


 吉高は本来の話に戻すため、軌道を修正した。


 瞬間、忠次も真面目顔になって盃を下ろす。


 彼からの呼び出しの理由は玉彦から軽く聞いていた。


「飛脚たちからの情報だ。どうも秀吉が吉高に目をつけておるらしい。お前のことを探させていると聞いた」


「何故私を……。あちらには槍の名手が多くいるでしょう。福島正則ふくしままさのり加藤清正かとうきよまさは手強い男たちです」


「そりゃあお前が百人力どころではないからだ。奴は有能な者であれば敵であろうと声をかける」


 どの名前もレイコは知っていた。”教科書で太字だった”とか”細字だけど歴史オタの先生はテストに出した”とか言っていた。


「そこでだ。秘密裏に家康様の元へ行くのはどうだ。今は駿府に城を築き、東へ領地を広げておられる。敵なしのお前にぜひ来てほしいと打診があった」


「それは……光栄にございます。しかしレイコが……」


「やはりそうか……。面倒見のいいお前ならそう言うとは思っていたが、いつまでもいるわけではないだろう。それに姉上や永則ともうまくやっておると聞くし、とよも気に入っておる。女の着物を侍女たちで着させておるらしいな」


 ははっ、と笑う忠次の前で吉高は盃を置いた。


 以前から腕がたつ剣士として家康に認められている、とは忠次から聞いていた。


「武田が滅亡した今、家康様にとって一番の好機だ。いつ秀吉が戦をしかけてくるか分からぬ。お前がおそばにおれば心強い」


 忠次は盃に酒を注ぎながら目を伏せた。


「……その秀吉の動きも気になるところだ。織田家の家督争いで信雄のぶかつと手を結んだが心の底ではいつ見放されるか肝を冷やしておるだろう。近年の秀吉の勢いはめざましい。奴が天下人になる可能性は無きにしも非ず……」


「信雄殿が家康様に助けを求める日も近いかもしれませんね」


 気難しい表情で呑む酒は当然美味くない。吉高は喉の奥が灼けるのを感じながら酒を流し込んだ。











 吉高が帰ってきたのは、星が降りそうな夜になった頃だった。


 寝間着姿のレイコは縁側から吉高の姿を見つけると、慌てて下駄に足を突っ込んだ。


「吉高さん!」


「……レイコか」


 どこか疲れきった表情に見えた。いつもはシャンと立っているのに今は猫背気味だ。


「おかえり。大丈夫? 呑み過ぎた?」


「ちょっと……な。夕餉は?」


「美味しかったよ」


「そうか。良かったな」


 無理矢理作ったような笑みに心が締め付けられるようだった。






「吉高さん。お糸さんがお茶どうぞって」


「あぁ……。頂こう」


 彼の部屋にお茶を持って行くと、レイコは膝の上にお盆を立てた。


「ねぇ、何かあった?」


「ちょっとな……」


「話なら聞くよ? お糸さんもノリさんも心配しているよ」


「……すまないな。男がこんな情けない姿を見せて」


 吉高は片手で顔を拭って視線は落とした。


「別に。しんどくて元気ないことに男も女もないから。……もしかしてお殿様に雇用を切られそうになった?」


 声をひそめて深刻な表情になったレイコは、まさにクビ宣告されかけた社会人そのもの。


 吉高はしばらく無表情でそれを見ていたが、やがて表情筋をゆるめた。


「そういうことじゃなくてな。ただ……。レイコがいる時代のようになってはくれないかと思ってな。同じ陸地に住む者同士、争いなどせず暮らせたらよいのに」


「まぁ……。そうは言ってもあたしの時代も厳しいよ? 職場でさ、いくら上司が良くてもめんどくさい先輩とかパートのババアがいるからね……。中にはめっちゃ仲いい人もいるけど。ク……最低な先輩は若い男性社員が入ると途端に色気づくし。ええ歳こいて何ぶりっこしとんのや! 気色悪いんじゃボケェ!」


「はははは!!」


 レイコが関西弁で悪態をついて顔をしかめて見せると、吉高が豪快に笑った。あの吉高が。珍しく口を開けて。


 ゲス顔がそんなにウケたのだろうか。 彼女は少し嬉しくなって口角を上げた。彼の表情もわずかに晴れた気がする。


 吉高は湯呑に口をつけながら笑いをもらしている。


「お主は未来でも威勢がいいのだな」


「パートのおばちゃん曰く、変な所で度胸があるって」


「だろうな。気持ちがいいほど言い切るな。特に西の言葉で言うあたりが」


「関西弁知ってるの?」


「あぁ。戦で聞いたことがある」


 吉高は笑みを残したまま、”今日な……”とぽつりぽつりと話し始めた。











 レイコは布団にくるまって涙を流していた。


(吉高さん……ここを出て行くの? もう会えなくなるの?)


 家康からのスカウトの話には驚いた。彼がそれほどまでの実力があるのは、茶屋での一件で察してはいた。


(仲良かった先輩を見送った時は泣くの我慢できたのに。なんで知り合って日が浅い人のことで泣いてんの……)


 それだけ毎日を濃く過ごしているからだろうか。


 衣食住を共にするだけでこんなにも情が移るものだろうか。


(あたしが心配だからって……)


 布団の端を握りしめ、彼のことを思う。


 そんな風に思われているなんて知らなかった。同時に直接言われて心臓が軽やかに跳ね上がった。


 第一発見者としての義理なのか、レイコのことを少しでも特別に思ってくれたのかは分からない。それでも嬉しかった。


 例え彼が、本当のことを教えてくれなくても。






 吉高が城へ向かった夕刻。玉彦が鈴木家にやってきた。


 永則と糸はご近所に栗を配りに行くと言って留守にしている。


「姉御ー。やっほー」


「玉彦! どしたの?」


「遊びに来たぜ」


 レイコは前日に永則が山の麓で採った栗の鬼皮を剥いていた。


 生の栗の皮を包丁で剥くのは初めてで、未来の皮むき器の便利さが恋しくなった。


「吉高さんなら今日も城に行ったよ」


「うん知ってる」


 玉彦は台所の板の間に腰を下ろすと、膝を抱えて体を上下させた。


「姉御はさ。旦那が戦場でどれだけの無双ぶりを発揮するか知ってる?」


「知らないけど。つかいきなり何?」


「知らない!? じゃあ今日はこれで……」


「ちょっと待てコラ」


 レイコ帰ろうとする玉彦の首巻きを引っ張った。悶絶する彼に構わずグッと引き寄せ、目を細める。


「なんかワケありだな? もしかして強過ぎて白い目で見られてるとか誰も近寄って来ないとか」


 呻き声を上げた玉彦はレイコが言ったことにブンブンと首を振る。


 彼女も口走りながら、絶対にないとは思っていた。もし事実であれば酒の席で吉高があれだけ絡まれるわけがない。


「そんなこたない! 旦那が誰かに存在を疎まれることなんてない。むしろ皆、武士も足軽も関係なく旦那を慕ってるよ。頼られてるというか、武神のように崇められているというか……」


「はいはい。とりあえずタマ、暇でしょ? 栗の皮むき手伝っていきなさい。お糸さんが栗ご飯をごちそうしてくれるらしいから」


「お糸様の……! てか誰が猫だ!」


 レイコは報酬をちらつかせ、皮むき仲間を増やすことに成功した。が、玉彦は栗の鬼皮と同じくらい口が硬かった。











 鈴木家では夕刻になり、晩御飯の準備の真っ最中だ。


「ありがとねー、レイコちゃん」


「行ってきまー……おかえりー、吉高さん」


 レイコは玄関先で下駄に足をすべりこませ、顔を上げた。


「ただいま。……って、どこへ行く」


 今日の吉高はいつもの涼しげな表情だった。


 刀を馴染みの鍛冶屋に持って行くと言って昼から姿を消していた。


「味噌が切れちゃったから買い物に行ってくるね」


 レイコは手に持った曲げわっぱを持ち上げる。


「では共にまいるか」


「帰ってきたばっかじゃない。ゆっくりしたら?」


 吉高は刀を腰から外そうとしたが、再び引き戸に手をかけた。


「いや。おなご一人に行かせるのは危ない。それに今からだと帰りは暗いだろう」


「へーきへーき。サッと行ってくるから」


「俺が平気じゃない」


 彼はレイコの前に出ると”行くぞ”と歩き出した。


「っ!? ……あ、うん」


 "俺が平気じゃない"の他意を考えていたレイコは、不自然な返事と共に足を踏み出した。






 昨日、玉彦が言ってたことを聞くなら今だろうか。


 レイコは吉高の顔を見上げてはタイミングを伺っていた。が、心の中では全く違うことを考えていた。


(やっぱイケメンだな……)


 初めて会った時のことを思い出す。あの時はこんな顔のいい男に拾われてラッキーだと浅はかなことを考えていた。


 一緒に暮らす内に見た目だけがいいわけじゃないと知った。気遣いができて武道の腕も立つ。


 そんな吉高の嫁になってくれたら、と糸に何度も言われた。玉彦にまで。


 吉高といると楽しいし居心地がいい。


 だが、一線を引かれているような気がする。入ってはいけない彼だけの領域があるような。


 思わせぶりなことを言われたりされたり、久々の胸きゅんをかみしめたこともあったが。


 しかし、彼に恋をするのは許されないことだ。理由は自分も彼も何度も言っている。


 レイコは曲げわっぱを持つ手に力を込めた。


(もし……もしも。あたしがこの時代の人間だったら……)


 顔を上げると西日が眩しく、吉高の背中が真っ黒に見えた。


 この大きな背中に身を寄せることができたら。守る時は立ちはだかるのではなく、その腕で囲ってくれたら。


 瞬間、影が迫ってきて吉高の腕によって引き寄せられた。


「よ、よよ吉高さん!? まだ心の準備が!」


「静かに」


「ふぇっ……!?」


 吉高の低くかすかな声が真上から降りかかる。たくましい腕に力がこもり、よりいっそう距離が近くなる。彼の胸に押しつけられる格好になった。


(ちょ……ちょっ!? 変なこと考えた矢先に!?)


 バクバクと音を立て始めた心臓がうるさい。


 辺りには大きな木が道の両側に生えている。商店が並ぶエリアの手前だ。木の足元には背丈のある草が伸び放題になっている。一本だけにょきっと生えた、赤い実をつけたナンテンがよく目立つ。


「誰かいる。殺気が消せていない……」


「ひっ!!」


 茂みが音を立て、激しく揺れ動く。


 レイコは恥じらうのも忘れて吉高の衿を掴んだ。


「いい刀持ってんな……。しかも女連れか」


 前にも聞いたことがあるような台詞。この前のゴロツキでは……と思ったが違うようだ。茂みをかきわけながら現れた男たちは身なりこそ似ているが、人数が多い。


 ぎょろっとむいた目はまるで魔物だ。よだれを垂らしそうなヤツまでいる。ある者は槍を、ある者は刀を、ある者は棍棒を構えてこちらにゆっくりと迫ってきた。


「随分上玉だなぁ。そいつ寄越せよ兄ちゃん。俺たちが可愛いがってやるからさぁ」


 男たちの下品な笑い声が響く。レイコの背中に悪寒が走った。


 思わず顔を背けると、ささやいた吉高の声が心強かった。


「俺がいる。それに……玉彦もな」


「いつの間に?」


「そこのクヌギの木の上に」


 レイコがこっそりと見上げると、木の上で忍者が小さく手を振っていた。こんな時なのに明るく歯を見せて。


 手にはクナイ。こうして見るとやはり忍者のようだ。


 レイコが口を開きかけると、上がり過ぎた体温を秋風が鎮めた。


「玉彦! レイコを頼んだ!」


「えぇ? おいらも戦うぜ!」


「レイコを頼んだ」


 有無を言わせない刃のような声を放つ。玉彦はクナイを懐にしまうと木の上から飛び下りた。彼が音も立てずに着地すると男たちが後ずさる。


「なっ……誰だ!」


「とっとと失せろ。夕餉がまだだ」


 吉高はレイコからそっと離れると一歩踏み出した。茶屋の時と同じく、刀には手をかけていない。


「だったら女と刀を置いていきな。それで帰してやんよ」


「誰がそんな腰抜けなことを」


「だったら……。おめーをぶっ殺すまでだな!」


 男たちが一斉に吉高にとびかかる。


「吉高さん!」


「……下らん理由だ」


 吉高は地を蹴ると男たちに拳で応戦した。


 突き出された槍を勢いよく引き、みぞおちに拳をめりこませる。後ろから振り上げられた棍棒を交わすと蹴りをお見舞い。


 今度は刀を持った三人の男が一斉に襲いかかった。その内の一人は避け切れたが、背後から忍び寄った男の刃が頬をかすめた。


 吉高の形のいい眉がピクッと寄り、彼は勢いよく刀を抜いた。


 柄を握りしめると殺気があふれる。彼の周りに風が舞い、男たちは後ずさった。


「……旦那!」


「タマ?」


 切羽詰まった玉彦の声が響く。レイコの問いなど耳に引っかかっていないようで、脂汗を額に浮かべた。


「ダメだ旦那! 今は……!」


 呼びかけられた吉高には聞こえていない。彼は静かに刀の切っ先を見つめ、息を吐く。


 瞬間、彼の瞳の色が変わったような、光を放ったような。レイコは目をこすった。


 チンピラたちはうなずき合い、雄叫びを上げながら再び一斉に向かう。中心にいる吉高は三人分の突きをくらい、鮮血を吹き出す────ことはなかった。


 飛び上がった吉高は一人の頭の上を足場にし、男が体重を感じる前にその感覚を断ち切った────否、脳天から刀を突き刺し、すぐさま引き抜いた。茜色と闇が混ざりきらない辺りに、真っ赤な血が飛び散る。


「うがあぁぁぁ!」


(周りが平和過ぎて忘れてた……っ)


 響く断末魔の声。この世の終わりのような声を聞きたくなくて、レイコは耳を両手で覆った。吉高が刀を振り上げた時にはうつむき、その場にへたりこんでいた。


 玉彦は震える指先でこめかみを押さえる。絞り出す声もわなわなと震えていた。


「ダメだ……。終わった……」


 吉高は連れの二人のことなど忘れ、殺戮を繰り広げた。


 三人分の血を着物にも顔にも浴び、刀は血と脂まみれ。


「よ、し……たか、さんなの……?」


 おそるおそる耳から手を離したレイコは、震える声で問いかけた。


 振り向いた彼の双眸は瑠璃色から金色に変わっていた。暗闇の中で不気味に光っている。


 吉高はその声に答えることなく、瞳を閉ざすと血の海へ倒れた。

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