第4話

「ついに吉高が嫁を……!」


「違う。断じて違うぞ。おい泣くな……。人の話を聞け」


 吉高たちが住んでる家は、城から五分ほど歩いた場所にある。


 到着すると袖口で目元を押さえた夫婦に出迎えられた。そこには光るものがわずかに。


「あのー吉高さん。こちらの方たちは……?」


 レイコは気まずそうに吉高の背に隠れた。


「俺の育ての親。鈴木すずき永則ながのりいとだ。お糸は忠次様の姉上でもある」


「えーそうなの!? それなら家臣の皆さんみたいにあそこに住んでいるんじゃないの?」


「私たちは好きで城下に住んでいるのよ。よろしくね、レイコちゃん」


「お世話になります!」






 朝の縁側が冷える季節になった。吉高は糸に淹れてもらったお茶をすすった。手先だけでなく、体の芯も温まる。


『もしや……この世の者ではないのか? その金色の瞳、幼き頃に見た覚えが……』


 吉高は昨夜、酒の席でレイコに問いかけたことを思い出していた。


 結局彼女の瞳は偽物だったが、この家に住む前の記憶を引っ張り出された。


 ちょうどこれくらいの時期だった。幼い頃に鈴木夫婦に拾われたのは。握りしめてくれた二人の手のあたたかさは、このお茶以上だ。


「おはよう、吉高さん」


 昨日覚えた声がし、現実に引き戻された。


 振り向くと見たことがない若い女が立っていた。水色のマントを手にした糸が、妙に惜しい表情で控えている。


「レイコ……なのか?」


「……どうよ。一応女なの納得した?」


 レイコは糸に貸してもらった着物を身につけていた。


 桜色の着物に黒い袴。その上から灰色の打掛を羽織っている。


「……結局男物か」


「こっちの方が動きやすいからさ」


「私は女物も似合う、って勧めたんだけどねぇ」


 レイコは打掛の前を合わせると、縁側に腰かけた。


 緑柱石の瞳、雪の肌、長い髪はユリのつぼみに似た淡い色。朝日に照らされ、柔らかい光を放っている。


 間近で見た彼女の素顔に、この家に連れ帰って正解だと悟った。


 他国の姫がお忍びで来た、と言われてもおかしくない風貌だ。化粧をしていなくともはっきりとした顔立ちをしている。


 事情を知らない者に縁談を申し込まれるのも時間の問題かもしれない。


「これ、いい湯呑みだね。もしかして手作りとか?」


 レイコは吉高の手元を指差した。


 紅葉が散らされた湯呑は秋が近づくと箱から取り出す。


「まさか。戦での褒章として忠次様がくださったものだ」


「戦……。吉高さんって刀持ってるけどやっぱり侍? 武士なの?」


「む? まぁそうだな……」


「昨日も思ったけど、結構身分高そうだよね」


「そんなことはない」


「敬語で話しかけられること多かったじゃん」


 レイコは懐から赤い打紐を取り出した。未来からの唯一の持ち物らしい。


 彼女はうっすら黄を帯びた白髪を二つに分け、打紐でくくった。水面の紅葉のようによく映えている。

 

「お糸、レイコにもっと着物を見せてやってくれ。とよ様とお話していたのだがどうやら着物が好きらしい」


「あらそうなの? もちろんいいわよ。レイコちゃん、こちらへいらっしゃい」


「見たい! この時代の着物を見て今後の衣装製作の参考にしたいな」


「お糸は仕立ての仕事をしている。気に入る着物がたくさんあるだろう。ゆっくり見て来い」


「うん、ありがとー」


 レイコは手を振りながら奥の部屋へ消えた。











 夕方になり、レイコは吉高と共に買い出しに来た。手には味噌が入った小さなわっぱ。


 店が立ち並ぶエリアへ初めて来た彼女は、ここでもあちらこちらへ視線を飛ばしていた。


「お前の時代にも商店があるのか?」


「もちろん。商店街って言ってここ以上にもっともっといっぱい集まってるんだよ」


 隣を歩く吉高の両手には肉塊と玄米。晩御飯の材料だ。


「ねぇ、この時代って一日二食?」


「三食食べる者もいるぞ。いくさ前とかな……。ウチは毎日だが」


「助かる。あたしの時代は一日三食が当たり前よ」


「ん? まさかお主……。タダ飯を食うつもりか?」


 吉高は目を細め、玄米がみっちりと詰まった俵を担ぎ直した。


「え、ごめん……。食い扶持くらい自分でなんとかしろって? バイトしてお金貯めるしか……! 未来人雇ってくれる店あるかな……」


「ばいと……。何なのかは知らぬが冗談だ。それほど生活には困っておらん」


「へ~。稼ぎいいんだ」


「別にそういうわけじゃない……。わけでもないな」


「素敵な自慢ね……」


「すまぬ。そういうつもりではないのだが他に言い方が」


「いいよ気にしてないから。正直者でいいじゃない」


 レイコが笑うと、つられたように吉高の口角も上がった。


 涼し気な表情を保つことが多い彼から笑顔を引き出せた。


 彼女は下駄でスキップしそうなのをこらえ、わっぱを握りしめた。






 秋になったからだろうか。日没が早い。家が見えてくる頃には辺りに闇が忍び寄ってきた。


 周りが静かなせいか、虫が鳴くのがよく聴こえる。それにまぎれて自分たちの足音も。


 カラコロ、カラコロ……という音を聞いていると、レイコは自分が生きる時代が騒がしいことを思い知らされる。


 車は何時になっても走っているし、最悪な時は暴走族の群れで深夜に目を覚ますことがある。


 実家を出て三年になった。一人暮らしのマンションは月六万の1LDK。


 壁には好きなアニメのポスターがびっしり……とまではいかないが、たくさん貼った。本棚にはお気に入りのマンガや小説。本棚の上にはゲームセンターでゲットしたフィギュアを飾っている。


 移動式クローゼットには奇抜な色の和服や改造された洋服、現実ではありえないデザインの制服。おしゃれな私服よりコスプレ衣装が多い。


 クローゼットの横の傘立てには、まるで木で作られたような杖に透明な石を埋め込んだロッド。そして大小様々な刀を何振りか。


 押し入れの衣装ケースには色とりどりのウィッグや、変わった形の手袋や装飾がついたベルト。光沢を帯びたブーツカバーをしまいこんだ。


(車もスマホもないし、近くにコンビニもない……。こっちで過ごしていると健康になれそう)


 スマホは寝落ちるまでずっとさわっているのが癖だ。気づけばこんな時間……というのはしょっちゅう。


 しかし、それがなければ他のことに目が行くだろう。


 やりたいコスプレの計画を立てて衣装の仕組みをイラストにしたり、積読や録りためたアニメを消化したり。


 残念ながらこちらではできないことばかりなので、他の趣味を探すことにする。











 起きて目覚めたら元の時代に戻っている、ということはなかった。


 それでも、”令和に帰れなかったらどうしよう”とは思わなかった。


 せっかく飛んできてしまったのだから楽しみたい。普通の人が見ることの叶わない景色を目に焼き付けたい。


(ルカ姉たちも一緒に来られたらよかったな……。もっと楽しかったかも)


 レイコは慣れてないはずの時代を難なく過ごし、むしろ楽しんでいた。


 食事の準備は必ず観察し、いつからか糸と共に台所に立つようになった。


 元々器用だからか、ほとんどのことを難なくこなせている。食事の用意はもちろん、永則の畑の手入れも手伝うし、お糸に教わりながら着物も作る。


 レイコは朝ごはんを終えた後、永則と畑で野菜の収穫をした。昼ご飯をとって糸とのんびり過ごし、彼女の部屋で針を走らせた。


 色鮮やかな反物に合わせた色の糸で縫っていくと、心が凪いでいく。


「ぐあ~……。首が~……」


 ずっと手元を見ていると首や肩に来る。レイコが首をぐりんぐりん回していると糸が笑った。彼女も拳で肩を叩く。


「適当な所で休憩しなさい。それは急ぎじゃないから」


「ふわぁい……」


 糸は仕立屋のようなことをしていると話した。しかもオーダーメイドで。


 彼女の部屋には針や握りはさみが文机の上に置かれている。つづら箱には様々な色の反物や糸が詰まっていた。衣装製作中のレイコの部屋に似ている。


 作りかけの小袖、袴、帯紐など。レイコも作ったことがあるものもいくつかあった。


 レイコが参考にしている衣装製作本とは違う、裁ち方、縫い方。糸の手元を見ているだけでおもしろい。


『趣味で始めたら喜んでもらえて、知り合いからの依頼を承っているの。報酬と一緒にお野菜を頂くこともあるわ」


『えー素敵! これ全部手縫いだよね!? ミシンのありがたみがよくわかる……』


『慣れよ慣れ。何より好きだなことだし』


『私もやりたい! 和裁やったことないけど……』


『よかったら教えるわ。一緒にやりましょうよ』


 元々裁縫が好きなレイコは、喜んで彼女に教わった。


「レイコちゃんのおかげで、予定より早くお届けできそうだわ。これの報酬でレイコちゃんの好きなものを買って来ましょう」


「えーいいよ。ほしいものとかないし」


「じゃあ吉高はどう?」


 お糸が袖で口元を隠しながら笑った。


「はぁ!?」


「あら、もしかして未来に旦那さんがいるのかしら」


「いないけど……」


「あなた23でしょ? 吉高と歳が近いしぴったりじゃない」


「何マッチングさせようとしてんの?」


 この時代では結婚適齢期を過ぎている息子を心配する気持ちは分かる。レイコなら完全に行き遅れだろう。しかし、未来では吉高の年齢で独身の男は山ほどいる。


 レイコは素早く玉止めをすると、鋏に手を伸ばした。


(最近もこういうのあったな……)


『レイコちゃんはいつ結婚するの? 彼氏は? え! いない! 高校生以来!? あんたそんなんで将来が心配にならないの!? ていうか恋しなさいよ。毎日が楽しくなるわよ~』


 ……なんて、マンションの大家夫婦に何回言われたことか。


 鋏をショキンとクロスさせ、針に通した糸の端をつまんで一回転。レイコは新たに針を刺し始めた。


「もし未来に戻れなかったらこのまま、吉高と結婚してほしいと思うわ」


「いって!!」


 針が思いきり指に刺さった。


 縁起でもない。このまま戻れなくなったら未来でのレイコの立場はどうなる。


 まともに友人たちに挨拶することもなく、永遠の別れになるなんて嫌だ。最近は帰っていない実家の両親のことも頭によぎった。


「そんなバカなこと……」


「私は本気よ。吉高の元に偶然きたお嬢さんだから運命だと思うの」


 急にロマンチックなことを語り出した糸に引きながら、針が刺さった部分を押さえる。幸い血は出ていない。


 レイコは針を針山に戻した。


「いや……。たまたまだよ、神様のちょっとしたいたずらだって。どんな神様か顔を拝んでみたいところだけど」


 戦国時代に突然飛ばされた原因は未だに分かっていない。家臣の屋敷の近くで何度か転んでみたが、何も起こらなかった。


 吉高たちと暮らすのは楽しいが、帰ることを諦めているわけではない。


 糸も針山で針を休めると、背中を思い切り伸ばした。膝の上にのせた浅葱色の小袖のシワが伸びる。


「吉高のことはどう思ってるの? 我が息子ながらそんじゃそこらの男では太刀打ちできない、いい男なんだけど」


「親バカ……。めっちゃ褒めるやん。顔がいいのは認めるよ、正直どちゃくそタイプなんだよな……」


 長髪の男は二次元しか無理、と思っていたが初めてそれを覆された。


 吉高の髪はカラスの羽のような漆黒で、細く柔らかい。どうしてもさわってみたくて頼んだら、あっさり”どうぞ”と背を向けられた。


 ロングウィッグでは味わえない手触りに感動しつつ、軽く嫉妬した。レイコの髪は剛毛なのでしなやかさがない。風呂上りはまだしも、乾かしたらゴワゴワする。


(髪下ろした時の破壊力は国宝級だった……)


 戦国時代のお風呂事情は詳しくないが、この家では毎日湯舟に浸かるそうだ。


 風呂上りの吉高は戦国武将をイケメンにしたメディアを彷彿とさせる美しさだった。中華風ファンタジーのキャラクターのコスプレをさせても似合いそうだ。


「顔だけじゃないわ、すっごく優しいのよ」


 心の内を見透かされたと思った。


 余っている反物でコスプレ衣装チックなものを作って、着せ替え人形でもしようか……という企みは胸の奥にしまった。


「確かに重たい物とか持ってくれるんだよなー」


 糸のおつかいの帰りなど、吉高はレイコに荷物を持たせない。レイコが”手伝うよ”と手を差し出せばまかせてくれるが、米俵や反物が詰まった箱を渡すことは決してない。


 彼のいいところは多い。町娘だけでなく城内の女性陣が放っておくはずがない。それなのに結婚していないのは……と首をひねったら、糸がくすくすと笑い始めた。


「レイコちゃん、吉高のことをよく見ているでしょう」


「え!?」


「あら、図星?」


「くっ……!」


 糸にカマをかけられたらしい。歯ぎしりをすると、彼女はますます楽しそうに体を震わせた。


「間ならいつでも取り持つわ。レイコちゃんが我が家のお嫁さんに来てくれなら私も旦那も大歓迎だもの」


「ち……違うの! 未来に吉高さんに似ている人がいるから……。見れば見るほど顔も仕草も似ていて気になっただけだから」


 黒鷹のことを人に話したのは初めてだった。ルカにもいぬもろこしにも話したことがない。


 彼とどうこうなりたいとかは考えたことがないからだ。あの二人に話した瞬間に”絶対くっつけたる!”と妙なはりきりを見せる気がする。


 糸は興味津々に聞くと”吉高と同じくらい、いい男そうね”とほほえんだ。


「その人のことが好きなの?」


「そういうわけじゃ!」


「顔に書いてあるわ」


「えぇ……っ」


 糸はレイコの頬をつついた。


 実の母親よりも慈愛に満ちた表情だった。こんな優しい人にずっと見守られてきた吉高がうらやましくなる。


 すると彼女は、自分の頬に手を当ててあからさまに残念そうな表情になった。


「あーあ、残念ねぇ。レイコちゃんのお婿さん候補がいたなんて」


「なんで!? 黒鷹の気持ちは分からないのに……」


「あともうひと踏ん張りかもよ? レイコちゃんの出方次第でその彼も、想いを寄せてくれるんじゃないかしら」


「そうかな……」


 黒鷹がその気ならとっくに気持ちをぶつけ合っている気がする。


「じゃ、じゃあさ、お糸さんはノリさんとどうやって出会ったの?」


 話をそらそうとレイコは膝上の小袖を整えた。


 城主になった人の姉だから、実は身分は高いはず。家だってご近所に比べたらまぁまぁ大きいし、湯舟も立派な庭もある。しかし、この家に侍女も誰もいないのが不思議に思っていた。


 糸は頬を染めると、ふふ、と笑った。


「ノリさんは代々酒井家に仕えている武士なの。私が他国に輿入れする、という話が出た時に大反対したのよ。それまでずっと、私のことを想っていてくれたんですって」


「おぉ……、これまたオタクが大好きなヤーツ」


「当時の私はじゃじゃ馬で祝言なんてごめんだった。お見合いの席で何度暴れたことか。ノリさんが輿入れを阻止してくれたことには感謝したわ。でも、まさか想いを打ち明けられるとは思っていなかった。最初は応える気はなかったんだけど、あまりにも情熱的に迫ってくるものだから根負けしたわ。今は一緒になれて本当によかったと思ってる」


「へ~……。お熱いことで」


「私は幸せ者よ……。恋愛結婚ができたんだもの。長年想い続けてくれた人と大事な息子といられて、これ以上の幸せはないわ」

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