第3話

 レイコがコスプレを始めたのは18歳の時。高校を卒業してからだ。


 アニメはずっと好きだったが、コスプレと言う文化は知らなかった。富橋まつりでパレードを見るまでは。


 その日、レイコは高校の友だちと連れ立って遊びに来た。


 広小路の車道は通行止めになり、パレードが行われる。地元のダンスチームや企業、商工会議所がダンスや演奏を披露したりPRをしながら練り歩くのだ。


 道路に面した歩道にはカメラやスマホを構えた人たちが座り込んでいる。中にはシートを敷いてキッチンカーで買った商品を食べながら眺めている人もいた。


 レイコたちもパレードを眺めながら、プラスチックカップに入ったりんご飴を頬張った。


 幼稚園児が楽器を持って隊列を組んでいるのには驚いた。あんな小さいのに大きな楽器を抱えたり、鍵盤ハーモニカを吹き鳴らしている姿には心打たれるものがある。


 その時に歩道の後ろが騒がしくなったのだが、園児たちの保護者が忙しく動き回っていた。我が子の晴れ姿をスマホに収めようと、パレードを追っているようだ。車道に向かって子どもの名前を呼んだり手を振っていた。


 パレードに参加する団体の中には、その日限定で組んだチームもある。レイコたちのお目当てもその一つだ。


「レイコ、あの人たちがコスプレイヤーだよ」


「わ……すご! 服がアニメそのままだ!」


 彼女は初めて会ったコスプレイヤーたちに目を輝かせた。


 長年シリーズが続いてる女児向けアニメ、電子の歌姫たち、超次元サッカーのアニメ、少年マンガなどなど。多くの男女が好きなキャラクターに扮し、そのキャラクターの特徴的な持ち物を手にしている。


 もうすぐハロウィンだから、だろうか。レイヤーの中にはかぼちゃをモチーフにした被り物やカチューシャを身に着けている者もいた。


「かわいい! 推しのあぁいう姿見たかった!」


 レイコがあまりにもはしゃいだせいか、車道の何人かは彼女に向かって手を振った。その顔は恥ずかしそうだったが、レイコは嬉しくて全力で振り返した。


(あたしも衣装作りたい……。推しになりたい!)


 社会人になり、初めての給料を手に走ったのは地元の手芸屋。


 初めて作った衣装は軍服だった。袖を肩口に縫い付けるのが難しく、着心地はいまいちだった。しかし、達成感と感動はひとしお。


 今は袖を通すことはないが、レイコの宝物の一枚だ。









「ただいまのお時間から歩行者天国になります! 車道への移動が可能です!」


 随所に配置されたイベントスタッフたちがカラーコーンを回収した。彼らは白いメッシュやピンクのベストを着用している。どちらも背中には、イベント会社のロゴがデカデカとプリントされていた。


 数年前まではイベントスタッフもコスプレした状態のことが多かった。近年、参加者かスタッフかどうか分かりづらいことが問題視され、イベントスタッフは私服での勤務になった。と、知り合いのコスプレスタジオ経営者に聞いた。


「レイちゃん、道路の真ん中で自撮りしよ!」


 レイコはルカに手を引かれ、車道のど真ん中に二人で並んだ。


 この日は富橋を出て、ルカとおぬもろこしと大きな街のコスイベに参加した。会場はこの大きな通りと付近の公園。大きな会場なだけあって参加人数は多く、どこを見ても派手な色の髪が目につく。


「ルカさん? いぬもろこしさん?」


「あっ、黒鷹さんだ。やっほー」


 自撮りを終えたレイコはスマホを下ろした。ルカは慣れた様子で”黒鷹”と呼ばれた男の元に駆け寄った。


 彼はV字の前髪で黒い軍服姿。肩には刀が入っているであろう袋を引っかけている。


 彼は首元の白いスカーフを整えると、夫婦に向かって頭を下げた。


「ご結婚おめとうございます」


「ありがとう青年。ちょうどいいや、レイレイおいで」


 いぬもろこしに手招きされ、遠目に見ていたレイコはスマホをしまった。


 まさか呼ばれるとは思っていなかったので指先が震え始めた。


「レイちゃんだよ。この子ねぇ、昔は”レイチェル”だったんだよ~」


 レイコはこの界隈で”レイ”と名乗っている。


 数ヵ月前までのコスネームは”レイチェル”だった。しかし、突飛な名前を名乗るのが恥ずかしくなって今のものに変えた。


 本名を教えた知り合いには”冷コー?”とボケられることがしばしば。


 レイコはいぬもろこしに紹介されて会釈し、黒鷹の顔を盗み見た。


 すっきりとした鼻筋、切れ長の涼し気な瞳、薄い唇。メイクをしているから、ではない元々の顔の整い方。


 レイヤー界隈に飛び込んで顔がいい人を何人も見てきたが、彼は群を抜いている。単純にかっこいいというよりも美しい、と形容する方が似合っている。


(なんだこの人……。イケメンすぎんか? 2.5次元俳優みたい……)


 正直、レイコのタイプにドンピシャだった。彼女は黒髪で長身の男に目がない。


 彼がコスしているキャラクターはもちろん知っている。”二次元から飛び出してきたよう”、という言葉が誰よりも合っている気がした。


 これがレイコと黒鷹の出会いだった。


 夫婦と黒鷹はそれまで、会えば挨拶をする程度の仲だったらしい。しかし、この日をきっかけに仲が深まり、イベント中に一緒に行動するようになった。と、後から聞いた。











 二年後。レイコは20歳を迎え、実家を出た。


 コスプレ関係の荷物が増え、自室におさまらなくなったからだ。同時に貯金もある程度貯まり、一人暮らしをする余裕が生まれた。


 20歳を迎えてから初めてのイベント。それが終わるとレイコは、夫婦と黒鷹と居酒屋に入った。イベント終了時刻より早めに切り上げたのと、開店したばかりで店内は空いていた。


「レイレイも酒解禁だ~」


「兄さんは酒解禁から八年ですね」


「どうも最年長です……って歳の話禁止!」


 いぬもろこしのノリツッコミを合図にアフターが始まった。


 レイコは次々と運ばれてくる刺身やから揚げを楽しみつつ、日本酒を呑んでいた。お店おすすめの呑み比べセットには心が躍った。


 黒鷹も日本酒が好きなようで、おすすめのをいくつか教えてもらった。酒の趣味が合うのが嬉しい、というのは心の中にしまっておいた。


 酒が進み、周りの席からの声が騒がしくなってきた頃。レイコはおちょこを握りしめてテーブルに突っ伏していた。


「どうせさ、あたしは出会い厨しか寄ってこない女れすよ~だ……。人間としてできてる人って彼女いるか結婚してるもん……」


 この日、レイコはいわくつきのカメコに絡まれて楽しさが半減してしまった。


 若いから、女装だから、と声をかけてくるヤツは嫌いだ。出会いを求めるために、好きでもないのにカメラを構えるヤツは許せない。


 そのせいもあって、酔いが進むにつれレイコの口調が愚痴っぽくなってきた。


「うわっ、レイちゃん落ち込み酒? チェイサーもらってくる!」


「俺は一服~」


 ルカもいぬもろこしも席を立った。


 黒鷹は静かにおちょこを置くと、レイコのそばにある空の皿を重ねた。


「そんなに気にするな。まだ若いんだから」


「え~? あたしが結婚できると思う?」


 レイコはいつからか、黒鷹に対してタメ口で話している。しかも呼び捨てだ。そのことで黒鷹に怪訝な顔をされたことはないし、黒鷹もタメ口で話すようになった。


「できるできる。まずは彼氏探しからでいいんじゃないか?」


「その彼氏も一回しかできたことないんすけど」


「じゃあ今は充電期間だよ」


「兄さんは声かけてくれる人でちょっとでもいいと思ったら付き合ってみたら? って言われた。でもあたし……そういうの嫌だ。なんかさー、少女マンガみたいにさー、お互いに惹かれ合って告白して……みたいなのがいい」


 自分でも似合わないことを言っているのは分かっている。黒鷹に苦笑いされても仕方ないと思っている。


 反応を見たくて首を動かすと、彼は笑うどころか大真面目な顔でうなずいていた。


「俺はレイさんの堅実なところはいいと思う。軽い気持ちで声かけてくるヤツと付き合わなくて正解だよ、絶対」


「そ、そうかな?」


 レイコが”えへ”、とわざとらしく笑うと黒鷹は”今日はここまでにしておきなさい”と、おちょこを取り上げた。









「うげっ!?」


「なんつー声出してんの……」


「ヤバい……。足くじいたかも……」


 ある時のコスイベでのこと。


 レイコはこの頃になると男装コスしかしなくなり、厚底ブーツばかり愛用するようになった。


 狭い歩道で前から来た人に道を譲ろうと段差を踏み外し、派手に転んでしまった。


 黒鷹はロングコートを後ろに流すと、彼女のそばにひざまづいた。 


「立てないのか?」


「うん……。これはヤバみを感じる痛みだ……」


 この時、一緒に行動していたのは黒鷹だけ。ルカといぬもろこしは昼ごはんを買ってくると言ってこの場から離れていた。


「今日はこれで帰るとするか……。ルカ姉たちによろし……いだぁっ!?」


 立ち上がろうとするが、足首に激痛が走って座り込んでしまう。


「すまん、レイさん」


「何が……ふぁっ!?」


 黒鷹がレイコを軽々と抱え上げた。


 急に視線が高くなり、彼女は思わず黒鷹の衿を掴んだ。


「危ないから首に腕かけて」


「あ、うん……」


 レイコはおとなしく返事をし、ありがたくそうさせてもらうことにした。彼の首に腕を回すと、ウィッグの毛先がちくちくと当たった。


 間近にある綺麗な顔に戸惑って顔が熱くなる。大人になってから、こんなに男の人と密着したことはない。まして彼は長年気になっている相手だ。


 今なら見つめても不自然ではないだろうか。レイコは息を止め、彼の肌をまじまじと観察した。


 ファンデーションでカバーしなくても綺麗な肌。クリームなどで隠すのがもったいないくらいだ。


 これだけ近くで見ると、まつ毛が女に負けないほど長いのがよく分かる。いつもルカがうらやましがっていた。


 ”痛みはどうだ”、と事務的な会話を時々交わし、更衣室が近くなった頃。


「すみません! 写真いいですか!?」


 知らない作品のコスプレをした女性レイヤーが三人。彼女たちはきっと腐女子だ、とレイコはアタリをつけた。


 今日のレイコと黒鷹のキャラは同じ作品のキャラ。女子たちの間で人気のカップリングだ。一昔前に流行ったアニメだが、リメイクで再ブレイクしている。


 ”はわわ……”、”眼福……”と心の声がダダ漏れの三人組に、レイコは苦痛を我慢してうなずいた。


「いいでs」


「ごめんなさい。連れがケガしてるんです」


 黒鷹の断りが被り、三人組は慌てて何度も頭を下げた。


 声をかけたくなる気持ちが分かるレイコは”気にしないで”、と手を振った。


 その後、更衣室前のスタッフにコールドスプレーやテーピングで応急処置をしてもらった。その間も黒鷹はそばにいて、ルカたちにレイコのことを連絡した。


「ごめんね、せっかくのイベントなのに。もう戻りなよ」


「何言ってんだ。今日はこのまま着替えて帰ろう。車で送る」


「いいよ、電車で帰れるから」


「その足でか? 」


「うっ……。それは……」


「遠慮するな」


 結局、レイコは黒鷹の車で送ってもらうことになった。この時の黒鷹は県外に住んでいたのにも関わらず。


 車内でルカたちからのお見舞いメッセージにお礼をし、レイコは顔を上げた。


「ねぇ、なんでさっきの断ったの?」


「さっきの?」


「更衣室の近くで声かけられたじゃん」


 黒鷹は写真を撮りたい、一緒に撮ってほしいと頼まれることがしょっちゅうある。この日も隣で何度も見た。


 しかし、断っているところは初めて見た。


「写真なんてすぐ済むことじゃん? 気を遣ってくれたのはありがとうだけど」


「レイさんとBLを撮りたくないから……」


「えっ?」


「どうせならルカさんたちみたいに……」


 信号が赤になった。


 かすれた声の黒鷹は片手をハンドルから離し、口元を覆った。助手席のレイコのことをチラッと見てから。


(ルカ姉たちみたいにって……)


 今日のあの二人はもちろんカップリング。レイコが今日コスしたキャラクターの両親のコスをしていた。


 レイコは黒鷹の汗ばんできた顔を見つめ、わざとらしい声を出す。


「と、とりあえずさ! 今日はありがと!」


「……ん」


「お礼にもしもの時はあたしがあんたを守るよ!」


「おいおい男に言う事じゃないぞ……。俺かっこ悪」


「えー? じゃあ守って下さいー?」


 ふざけ笑いで冗談で言ったつもりだった。きっと黒鷹も鼻で笑うと思い込んでいた。


 なのに。


「……まかせろ」


 力強くも優しい声が返ってきた。信号をまっすぐ見据える切れ長の瞳には照れがにじんでいた。


(なんだこの生き物……。ちょっと可愛いじゃないかよ!)


 今度はレイコの体温が急上昇する番だった。見たことないギャップに心が苦しくなる。


(あたしの心臓には悪い……。あんたのこと気になってるんだから……)


 "何言ってんのバカ"と叩けないくらい動揺し、家に着いた瞬間に床に座り込んだ。


 その二年後にまさか、黒鷹がマンションの隣に住むようになるとはこの時は知らなかった。


 彼の転勤の話を聞いた時、レイコが”ウチの辺りは便利だよ”と勧めたのがきっかけだ。


『レイコちゃんが結婚よー! どこで知り合ったのこんな色男!』


『大家さん違いますって! くろた……黒瀬くろせさんの条件に合うのがここなんですって』


『あーそう? 本当のところはどうなのよ、色男さん』


 駅まで微妙な距離だが、直行のバスが何本も出ている。車社会なので駐車場も多い。


 黒鷹の移動はほとんどが車だ。一緒にイベントに参加する時は同乗させてもらうこともある。









「ほぅ。酒の席か」


 吉高とレイコは満点の星空の下を歩いていた。


 飲み過ぎた時に、黒鷹と駅前からマンションまではるばる歩いたことがある。その時も星が綺麗な夜だった。


「共に酒を呑んだお主の友や家族が心配しておるかもしれんな」


「……かな? 大体さ、こういうのってタイムスリップしている間は時間が止まっていると思うけどな。そんなご都合主義は二次元だけかな……」


(黒鷹、一番心配してるかもな…)


 同じマンションに住むようになって一年。黒鷹は友人と言うより、保護者のような立場になってきた。


 その姿を”年下の彼女を過保護してる彼氏みたい”とルカに揶揄されるほど。


「早く戻れるといいな、元いた時代に」


「ん……。そだね」


「他人事みたいな顔しおって……」


 呆れて笑う吉高の顔は、心配性を発揮している時の黒鷹に似ていた。

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