第12話

第二十七章:ローカルフード


慶一は、目の前に広がった膨大な資料に目を通しながら、心の中で一つの疑問が浮かんでいた。母親が関わった実験、鯨肉の成分、そして池袋で見つけたこの場所――すべてが繋がりつつあったが、どうして母親が「ローカルフード」にまで手を出していたのかが理解できなかった。


男は静かに慶一の背後に立ち、視線を落としている資料に向けて言った。「君の母親は、ただの食材ではなく、特定の食品が人体に与える影響を長年研究していた。ローカルフード――それは、地域ごとの独自の食材や調理法が、特定の身体的・精神的影響を引き起こす可能性を持っていることに着目していた。」


慶一は顔を上げ、その言葉を反芻した。ローカルフード――特定の地域で育った食材、そしてその食材を使った料理が、何らかの影響を与えるということだろうか?


「ローカルフードというのは、単にその土地で摂れる食材だけを指すわけではない。」男が説明を続けた。「君の母親は、食材そのものだけではなく、それが調理された環境や食べる人々の文化的背景が、人体にどう作用するかを調査していた。その中で、彼女は鯨肉を一つのキーアイテムとして使った。」


慶一は眉をひそめた。「鯨肉が、どうして?」


男はゆっくりと答えた。「鯨肉は、ただの食材ではない。鯨が生きていた環境、その生命の在り方、それらが肉に込められる。母親は、その物質的な成分だけではなく、鯨の持つ生命力、あるいはその肉に宿る“記憶”が、特定の人体反応を引き起こす可能性があることに気づいた。」


慶一はその言葉に困惑しながらも、少しずつ理解し始めた。彼が幼い頃、母親がしばしば「食べ物には記憶が宿る」と言っていたことを思い出した。それが何を意味するのか、その時は理解できなかったが、今になってその意味が少しずつ見えてきた。


「ローカルフードは、地域の歴史や文化を反映するだけではない。」男はさらに続けた。「それらが人体に与える影響を調査することで、母親は単に“食べ物”を超えた、より深い領域に足を踏み入れようとしていた。彼女の目指していたのは、食材を通して人間の精神と身体を再構築する方法だった。」


慶一は、頭が混乱するのを感じた。食べ物が、ただの栄養補給のためのものではないという考えが、自分の中で大きな衝撃を与えた。母親は、食べ物に込められた“力”を使い、特定の反応を引き起こそうとしていた。そして、鯨肉もその一部だった。


「でも、どうして池袋で…?」慶一は再び尋ねた。「母親はここで何をしようとしていたんだ?」


男は少し考えてから、静かに答えた。「池袋は、さまざまな文化が交錯する場所だ。多くの人々が集まり、消費される食材も多種多様だ。君の母親は、この場所で特定の食材が人々に与える影響を直接的に観察しようとしていた。ローカルフードというテーマを通して、都市で生活する人々にどんな影響を与えるのか、その研究を進めるために、池袋を選んだのだ。」


慶一は、母親がこの地で何を探し、何を求めていたのかを理解しようとしていた。池袋のような多様性に富んだ都市で、食材の持つ力を試すことで、母親が目指していた成果を得ようとしていたのだろう。


そのとき、男が指差した棚の奥に、幾つかの瓶が並べられているのを慶一は見つけた。それらは小さなガラス瓶で、いずれもラベルが貼られていなかった。慶一は興味津々で一つ手に取った。


「それが、君の母親が最後に取り組んでいた実験の証拠だ。」男が言った。「それらの瓶に入っているのは、ローカルフードを加工したものだ。しかし、単なる加工品ではない。これらは、彼女が特定の地域の食材を用いて、人間の生理的・精神的変化を誘発するために調整されたものだ。」


慶一は瓶の中身を見つめながら、息を呑んだ。その中身は、鯨肉を含んだ特別な調味料やエキスのように見えた。それらは、ただの調理法ではなく、人体に影響を与えるために意図的に調整されていた。


「君の母親が目指していたのは、特定の食品を食べることで人間の意識や体調をコントロールすることだった。」男は冷静に続けた。「ローカルフードというテーマを通して、人々の精神を変化させ、最終的には新たな人間社会を作り出すための実験だった。」


慶一はその言葉に衝撃を受けた。母親が目指していたのは、単なる栄養補給や食文化の研究ではなく、人間そのものの変革をもたらすような試みだったのだ。食べ物を通じて人間の精神や身体を操作し、社会全体を新たな形に変える――そのビジョンは、あまりにも壮大で、恐ろしいものに思えた。


慶一はしばらく黙って立ち尽くし、瓶を手にしたまま、何も言えなかった。だが、次第にその重みを感じながら、彼は理解していった。母親が追い求めていた真実、そしてそれがもたらす可能性について、彼は全てを受け入れなければならない時が来ていた。


そして、その答えを探し続けることが、彼自身の運命であることを、ようやく感じ取った。



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(続く)


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