第11話

第二十六章:池袋


慶一は、長い沈黙を破って、深い息をついた。青年の言葉が重く胸に響いている。彼は自分が選ばなければならない道に、次第に追い詰められている感覚を強く感じていた。母親の遺した闇の中で、自分をどう位置付けていいのか分からなかった。


だが、ひとつだけ確信していたことがあった。それは、もはや逃げられないという現実だ。どんなに迷っても、どんなに恐れても、この状況から抜け出すためには、自分自身で道を切り開くしかない。


その時、青年がポケットから何かを取り出して、慶一に差し出した。「これを持って行け。池袋で待っている。」


慶一はそれが何かを確かめるように、手に取った。小さな黒い箱だった。特に目立つものは何もない。だが、その重さには妙な不安を感じた。


「池袋?」慶一は不安げに尋ねた。


「そうだ。」青年は淡々と答えた。「そこが君にとっての転機になる場所だ。君が選ぶべき道は、すでに決まっている。だが、そこに行かないと何も始まらない。」


慶一は一瞬、戸惑った。池袋――都会の中でも賑やかな繁華街で、さまざまな人々が行き交う場所だ。だが、青年の言葉の中には、何か決定的な意味が込められているように感じられた。


「でも、どうして池袋なんだ?」慶一は自分の疑問を投げかけた。


青年はその問いに一瞬沈黙を守り、そして低い声で言った。「池袋には、君の母親が最後に関わった場所がある。君がその場所に向かうことで、全ての答えが見つかる。」


慶一は箱を握りしめ、心の中で何かが動き出すのを感じた。母親が関わった場所、それがどんな意味を持つのかはわからない。しかし、彼はその答えを探さなければならないと思った。


「わかった。」慶一は、決心を固めるように言った。「池袋に行くよ。」


青年は静かに頷いた。「その箱の中に、君が必要とするものが入っている。着いたら開けてみろ。」


慶一は無言でその箱を握りしめ、やがて青年の元を離れた。もう逃げることはできない。池袋という場所には、母親が残したすべての秘密が隠されている。そして、それを知ることこそが、彼にとっての真実を解き明かす鍵になるはずだった。



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池袋駅の東口に着いたとき、慶一は街の喧騒に包まれていた。昼間の光が強く照りつけ、通りには多くの人々が歩いていた。慶一はその中を進みながら、自分の手に握られた黒い箱に目を落とした。彼の心は沈んでいたが、同時に胸の中には強い決意があった。


「ここに、すべてがあるんだな。」慶一は自分に言い聞かせるように呟いた。


歩きながら、街の風景を眺めるうちに、彼はある建物の前で立ち止まった。それは古びたビルで、あまり目立たない場所にひっそりと存在していた。その建物の中には、何か重要なものが隠されている気がしてならなかった。


慶一は、足を止め、周囲を見回すと、誰も気にしていないようだった。やがて、彼はそのビルの入り口に足を踏み入れた。


中は薄暗く、少し埃っぽい匂いが漂っていた。慶一はゆっくりと階段を上り、最上階へと向かった。足音だけが響く中、彼の心はどんどんと高鳴っていく。


最上階に着いたとき、ドアの前に立つと、彼は思わず息を呑んだ。そこに書かれていたのは、ただ一言。


「研究室」


慶一はその文字を見て、無意識に手を震わせた。母親が関わっていたすべてのことが、ここで繋がるのだろう。彼はゆっくりとドアを開けた。


中に入ると、目の前に広がったのは、冷たい金属の棚や無機質な機器が並んだ実験室だった。そしてその奥に、一人の人物が座っていた。歳を重ねた男で、目を細めて慶一を見つめていた。


「君が来るのを待っていた。」その男は、穏やかな口調で言った。


慶一はその男を見つめ返しながら、箱を手にしたまま一歩踏み出した。「あなたは…?」


「私は、君の母親と共にこの研究をしていた者だ。」男の言葉に慶一は驚いた。


男はさらに話を続けた。「君の母親が行っていた実験の真実、それを知りたいなら、ここにあるものを見てみるといい。」そう言って、彼はテーブルの上に散らばっていた資料を指し示した。


慶一はその言葉に従い、テーブルに近づいた。そこには、母親が記したと思われるノートや資料が並べられていた。いくつかの写真もあり、その中には鯨肉に関するものや、実験の記録が含まれていた。


「母親が、こんなことを…」慶一は呟いた。


その瞬間、男は立ち上がり、厳しい表情で言った。「君の母親は、君が思っている以上に多くのことを知っていた。そして、その全てを君に伝えるために、君がこの場所に来るのを待っていたんだ。」


慶一は再び息を呑んだ。全てが繋がり始めていた。池袋――ここに母親が隠した最後の答えが待っているのだ。


そして、慶一は決意を新たに、その資料に手を伸ばした。



---


(続く)


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