第9話
第二十四章:鯨肉
慶一は、地下の暗い部屋で目を覚ました。頭の中に渦巻くのは、母親が関わった恐ろしい実験の数々と、その背後に隠された真実だけではなかった。彼は無意識に目を閉じた後、ふと記憶が遠くにさかのぼった。
「鯨肉の味……」
それは、彼がまだ子供だった頃、家族で一度だけ食べた記憶だった。母親が取り寄せてきた鯨肉の塩辛。あの時、家族はその肉を珍しがり、わいわいと食卓を囲んでいた。しかし、その時の幸福感も束の間、慶一は母親の顔に浮かんだ微かな表情が引っかかっていた。あのとき、何かが隠されていたのだろうか。
青年の声が、再び現実に引き戻した。
「『バァバ』が、鯨肉に関する取引にも関与していた。」青年の言葉に慶一は眉をひそめた。鯨肉――彼が長い間忘れかけていたその記憶が、なぜ今再び浮かび上がるのか。
「鯨肉? それが何か関係があるのか?」慶一は困惑しながらも、質問を投げかけた。
青年は冷徹に答えた。「君の母親は、鯨肉を使った取引にも関与していた。鯨肉自体には、特定の成分が含まれていて、それが身体に与える影響を研究するために使われた。だが、それが一体何を意味するのか、君はまだ知らない。」
慶一は、ますます話が見えてこなかった。鯨肉――それがただの食材に過ぎないはずだった。しかし、その背後に何かが隠されているのなら、何が目的だったのか?
「鯨肉を利用した取引?」慶一はその疑問をそのまま口に出す。「それは、何かの実験の一部なのか?」
青年は少しだけ頷いた。「はい。その取引は、ある特定のグループに鯨肉を提供し、その摂取後に起こる身体的・精神的な変化を観察する実験だった。だが、単なる実験ではない。『バァバ』はその肉の成分にある化学物質が、ある特定の症状を引き起こすことを知っていた。」
慶一はその言葉の意味を理解するのに時間がかかった。化学物質が身体に影響を与える。そう、梅毒と同様に、何かをコントロールするために使われる物質。だが、鯨肉がどうしてその目的に使われたのかは、まるで想像できなかった。
「鯨肉には、特定の成分が含まれている。」青年が続けて言った。「それは、感染症や精神的な変化を引き起こすものだ。君の母親はその事実を知り、組織にその取引を持ち込んだ。鯨肉に含まれる成分が、人体に影響を与えることを確認した上で、実験を始めた。」
慶一は頭を抱えたくなるほど混乱していた。鯨肉――それはただの食材であり、誰もが一度は食べたことがあるだろう。しかし、その中に隠された暗い目的が、これほどまでに深刻だとは思いもしなかった。
「それが、俺にどう関係しているんだ?」慶一は必死に問い詰めた。「俺の母親が、そんな恐ろしいことをしていたなんて、どうしても信じられない。」
青年は冷徹に目を見開いた。「君の母親が、この世界の運命を操る力を持っていたからだ。鯨肉の取引もその一部だ。君がこの世界に引き寄せられたのは、もう偶然ではない。君もその力を持っている。君の中には、その成分が影響を与えている。鯨肉は君のような人間を作り出すための手段でもあった。」
慶一は、もう何も言えなかった。彼の中に何かがある、それが自分をこのような道に引き寄せたというのだろうか? 鯨肉が持っている化学物質、それが何かの「触媒」として機能していたというのだろうか? それとも、母親がわざとその成分を使い、彼を選んで育て上げたのか。
慶一はその場に立ち尽くし、脳内で何かが崩れ落ちる音を感じた。自分が今いる場所、そしてこれから進むべき道が、いかに不確かで恐ろしいものであるかを、ようやく理解し始めた。
「俺は、どうしたらいい?」慶一は、ようやくその問いを青年に投げかけた。
青年は静かに答えた。「君には、もう選択肢は残されていない。君がこの世界で生きるためには、君の母親が残したものを受け入れ、歩むしかない。」
慶一は深く息を吐いた。母親が自分に何を遺したのか、それがどれほど暗く、恐ろしいものかを理解した時、彼の心には決意が芽生えた。それでも、彼はその道を選ばなければならなかった。どんな理由があろうと、自分を乗り越え、この闇を終わらせるために。
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(続く)
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