第8話
第二十三章:梅毒
慶一は、目の前の青年が話した言葉を反芻しながら、地下の静かな空間に立ち尽くしていた。自分の運命がすべて母親の選択肢に縛られていると感じた瞬間、胸に重い鉛が沈み込んだ。彼は選択肢を与えられていない。無意識のうちに、次に何をすべきかを考えていた。
その時、青年がふと口を開いた。
「君の母親、『バァバ』が残したものには、まだ触れてはいけない危険がある。君はそれにどう向き合うつもりだ?」
慶一はその言葉に反応し、青年を見つめた。「どういうことだ?」
青年は少しの間、目を閉じてから、ゆっくりと話し始めた。「君の母親は、組織内で数多くの犯罪に関わっていた。その中には、薬物の取引や、人身売買、そして恐ろしい病気を拡散させるような実験も含まれていた。」
慶一はその言葉に息を呑んだ。「病気…?」
「はい。」青年は冷静に続けた。「『バァバ』が関与した取引の中に、梅毒を拡散させる実験が含まれていた。彼女は、感染症の拡大を目的に、ある特定のグループに梅毒を感染させ、それをコントロールしていた。」
慶一はその言葉に衝撃を受けた。梅毒…。それは、かつて医学的に治療可能とはいえ、長年忌避されてきた恐ろしい病気であった。だが、まさか母親がそんな犯罪に関与していたとは思いもよらなかった。
「梅毒?」慶一は呟いた。「なぜ、そんなことを…?」
青年は冷静に、目を合わせて言った。「『バァバ』が目指していたのは、病気を使って人間をコントロールすることだった。梅毒はそのための実験材料に過ぎなかった。症状が進行する過程で、精神的な変化や、肉体的な変化がある。それを利用して、誰が感染し、どのように支配できるかを試していた。」
慶一は、その事実に言葉を失った。母親が、こんな恐ろしい実験に関わっていたなんて…。それは、自分の育った家の背後に潜んでいた暗い秘密だった。
「その実験が、君にも関係している。」青年はさらに続けた。「君がこの組織に巻き込まれた理由も、すべて『バァバ』が仕組んだことだ。君は、無意識のうちに彼女が始めた計画の一部に過ぎない。」
慶一は、再び胸が締め付けられるような思いがした。自分の身に降りかかってきたことすべてが、計画された運命だったのだ。彼は、震える手でノートを再び開き、そこに記された母親の足跡を追い始めた。すると、あるページに目を止めた。
「梅毒に関する記録だ…」慶一は呟いた。ノートに書かれていたのは、梅毒の感染者の名前や、彼女が直接関わった場所、さらにはその治療法についても触れられていた。だが、注目すべきは、最後の項目だった。
「感染者の支配とその精神的変化の観察。」
慶一はその項目を何度も読み返した。母親は、感染者たちを意図的に支配し、精神的に変化をもたらすことを目的にしていたのだ。その手法を使えば、まるで人間を操り人形のように扱えるのだろう。慶一の脳裏に、その恐ろしい想像が広がった。
青年が慶一の反応を見て、静かに言った。「君の母親が関与したその実験が、この組織の力の源となっている。君はその力を継ぐべきか、それとも全てを断ち切るべきか、選ばなければならない。」
慶一はノートをしっかりと握りしめ、息を深く吸った。母親がどれほど恐ろしい人物だったのか、まだ完全には理解できていない。しかし、彼は確信していた。この事実を知った今、逃げることはできない。彼が選ぶべき道が、これから自分の手の中に委ねられていることを。
「それが、俺の選ぶべき道か…?」慶一は呟いた。
青年は静かに頷いた。「君にはその力がある。だが、その力をどう使うかは、君次第だ。」
慶一は目を閉じ、深い思考に沈んだ。母親が残したこの闇の中で、彼はどんな選択をするべきなのか。梅毒という恐ろしい病気の背後に隠された真実を知った今、その答えが少しずつ浮かび上がってきた。
だが、答えを出すにはまだ時間が足りなかった。
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(続く)
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