ある盛夏の奉仕活動部 05

「こうして下着姿で扇風機に当たってるとあれみたいですよね」

「どれ?」

「銭湯」


 ……銭湯ってこの辺にあったっけな。

 せめて温泉とかなら分かるんだけど。


 日が暮れてきた頃にはもう制服も下着もすっかり乾いていた。むしろなぜか下着が汗で濡れている。よくこんな暑い中でずっと密着していたものだ。

 きっと熱に浮かされていたせいなんだろう。

 そういうことにしておかないと、いけない。


 ブラウスに袖を通してスカートを履く。

 まったくとんでもなく長い一日だった。干しガエルになりかけて、最後は後輩の塩タブレットで救われるとは思いもしなかったけど。こんなことなら大きめの水筒と塩タブレットを用意しておくべきだろうか。いや、その前にこの部屋に備蓄しておくべきか。そうなったら誰かに何かがあったときに使えるだろう。その前に紙コップだ。


 そこまで思考が廻ったところでようやく水筒の存在を思い出した。水筒に水を移せば濡れる必要無かったじゃないか。

 どうやら本当に熱に浮かされていたようだ。

 ……なんだか急に疲れた。


「そういえばアリちゃん」

「ん?」

「引退っていつするんですか?」

「……このタイミングで聞く?」

「だって受験する人ってもうすぐ引退じゃないですか」

「まあな」


 去年の先達らは全員受験組だった。他所へ移らなければエスカレーター式に高等部へ進学できるけれど、理由は人それぞれだ。十人十色。


「あたしは受験しないぞ」

「じゃあずっといるんですか?」

「留年しないよ?」


 これでも学年でもトップ成績なので成績理由で留年することはない。もちろん出席理由でも。


「だからまあ、卒業まではいるな」

「なんだか寂しくなりますね」

「んー……来年もあたしが部員勧誘しようか?」


 思わず口を突いて出てしまった。

 ただ、衣織を一人にさせたくはなかった。

 多分これは責任とかじゃなくて、ただの我儘なんだろう。

 けどその気持ちだけは本物だ。


「本当!?」


 衣織は目を輝かせて喜んだ。

 ……今更冗談ですなんて、口が裂けても言えそうにない。

 そんなことを言った瞬間、あたしは衣織に嫌われてしまいそうだ。いや本当に嫌われそう。そうなったら心折れる。この心労の後でそれは心身もろとも粉砕してしまう。


「あ……いや、新しい部員が入るまで、な?」

「それでもいいですよ!」

「いや、でも高等部からこっちに来るのってできんのかな」

「放課後なら大丈夫ですよきっと」

「衣織を勧誘したの昼休みだったんだけどな……」


 この部は代々部長が生徒を見極めた上で勧誘している。

 奇異人キーマン倶楽部クラブなんて揶揄されるような部の関係者だと思われるだけで、この学校ではかなりのマイナス評価になるからだ。裏を返せばそれ以上下がらない評価、もしくは、それを一切苦にしない人間にのみ入部資格があることになる。

 だから本当ならその役目は衣織自身でやらなきゃいけないんだけれど、どうしても甘くなってしまう。

 まったく。

 あたしは今日まで自分を後者だと思っていたけれど、どうやら前者だったようだ。


「ところでさ」

「はい」

「いや……なんでもない」

「言ってください」

「自分で言うのが恥ずかしくなった」

「最後まで言うの!」

「……ごめん、ママ」

「ママじゃないです!」


 ああそうだ、こうだ思い出した。

 あたしが主導権を握られてたから疲れたんだ。あたしが衣織の主導権を握らないといけないんだ。

 衣織の腰にがっしりと手を回して、あたしから密着して、それから、はっきりと聞いた。


「ちっちゃいあたしの何が好きなんだ?」

「そりゃちっちゃいところですよ」

「そのまんまじゃねえか。なんで好きなんだよ」

「……怒りません?」

「怒りません」

「本当に?」

「最後まで言いなさい」

「……ごめん、ママ」

「ママじゃない。言うまで離さないからな」

「だって――こんな抱きしめやすいじゃないですか!」


 思い切り抱きしめ返されて、そのまま体重を預けてきた。

 相撲の鯖折りがまさしくこの技だ。


「ぎぶぎぶぎぶぎぶぎぶ!」

「それにこんな軽い」


 子供がぬいぐるみをあやす様に持ち上げられてしまった。

 本当に最後の最後まで、あたしは衣織のおもちゃだった。


「……ごめん、本当手加減してください」


 自分から攻めたのに負けた挙句、後輩に敬語になってしまうあたしは世界で一番情けない部長だろう。


「私も一つ聞いていいですか?」

「はい。負けたので何でも聞いてください」


 あたしを抱きしめたまま、衣織は言う。ここでノーと言ったら二度目の鯖折りが来る。


「アリちゃんは、どうして毎日部室に来てるんですか?」

「……ここがあたしらの部室だからだろ?」

「誰も来ないかもしれないのに?」

「そりゃ部長だからな。誰も来なくても開けておくんだよ」

「大変なんですね」

「あたしが辞めたらそれを衣織が引き継ぐんだけどな」

「私も一緒に辞めたいです」

「誰も入部しなければ自動的に辞めれるさ」

「……それは、寂しいです」

 

 抱きしめた腕が強くなる。


「寂しいから部長はこうやって待ってるのさ」


 あたしは格好つけて言う。

 ポケットの中のロザリオを折れそうなほど強く握りしめて。

 世界で一番情けない部長の、一世一代の大見得だ。

 信心深い信徒の大一番。

 不在の神様御覧じろ。


「大事な後輩衣織がいつ来ても寂しくならないように」


 ロザリオは折れなかった。

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