ある盛夏の奉仕活動部 03

 人は一人では生きていけない。そのくせ集まると争い殺しあう。群れを作って追い出して仲間を増やして競争相手を蹴落とす無駄なスパイラル。

 だからその無駄を減らすために宗教がうまれたんだ。

 あの幼馴染はそう言っていた。

 その言葉に則るなら、追い出されて蹴落とされた連中の傷を嘗め合う場所こそがここだ。


 衣織は私と正反対の大きな後輩だ。

 背は私よりも三十センチも高くてその身長に負けない胸だってある。あたしと違ってひ弱でもない。そのくせ気が小さくておっとりしてて妙に子供っぽい。似てるのなんて髪の長さくらいで、その髪にしたって入学当初は活発そうなショートヘアだった。今と昔とどっちが似合ってたかと問われると答えに窮するけれど、性格と照らし合わせたら今の方がずっと衣織らしい。

 そういう人間で、そういう性格だったから他に居場所が無くて、あたしが招き入れた。

 その責任は最後まで負うべきだろう。

 部長として、先輩として。


 「……つうかお前、暑くないの」


 いつまであたしは後輩の、この無駄にでかい胸に抱きしめられているのだろう。誤解は解いただろう。解けたはずだ。解けてないとあたしの尊厳にかかわるんだけど?


「アリちゃんの身体、なんか冷たくて」


 そりゃそうだろう。半分くらいお湯だったとはいえ、上から下まで濡れたんだから。


「っていうか、こんなずっと引っ付いてたらブラウス濡れるぞ。そうでなくてもあたしの汗で汚れるわ」


 衣織のホールドをなんとか無理矢理引き剥がし、一歩距離を取った。この後輩に彼氏が出来たら夏はきっと大変なことだろう。冬は……まあ、お幸せにといった感じ。になるのかな。


 ……なんだろう。そういうのを想像すると妙にこう、腹が立つのは。お前に娘はやらん! っていう父親の気持ちってこういうことなんだろうか。幼馴染が後輩女子と仲良くしてても微笑ましく思えるのに、この差は何なんだろうね。

 心から他人の幸せを願えない、矮小な自分がいるのはどうしてだろうね。

 まったく助かった。スカートなんて履いてたらポケットのロザリオを強く握っていたことだろう。これも神の思し召しか。


 衣織はあたしをじっくりと観察した後、それから置いてあるペットボトルを見て、もう一度あたしを見た。

 今になってようやく何があったのか事態を把握してくれたのだろうか。原稿用紙三枚分の文字数がかかってしまったけれど、これであたしの尊厳は守られたわけだ。


「アリちゃん」

「だから先輩付けろって……まあ、先輩らしい恰好じゃねえけども。はい、なんでしょう」

「それ、飲んでも?」


 衣織はそれを指差した。中途半端に残ったペットボトルを。

 飲むのか?

 あたしが口付けたやつを?

 今年になってようやくマスクも自由になってきたとはいえ、感染症が終息したわけでもないのに?


「……あたしが口付けたやつだぞ」

「大丈夫ですよ。アリちゃん熱なかったですし」


 言うが早い。ひょいとペットボトルを拾い上げるとキャップを開けてそのまま半分ほど飲んでしまった。

 身体が大きいと一回に飲める量も多いんだな、なんて思わず感心してしまった。


「……ぬるい」

「や、そりゃ日に当たってたしそうだろ。むしろどうして冷たいと思ったんだ」

「だってアリちゃん冷たかったし」

「そりゃ濡れてたからな」


 最近はそういう濡らすだけのお手軽冷感グッズも多い。これもまた気化熱で涼しくなってるだけで、もっと濡れてたら鬱陶しくてブライチになってたかもしれない。

 それはさすがに自重するけど。男子なら許される恰好でも女子は許され――男子だってパンイチブライチだったらそれはそれで変態か。むしろ変態度が増す。

 あまりにも酷い絵面を想像してしまった。幼馴染には大変申し訳ない。心の中の幼馴染に謝罪しておこう。


「――っ!」


 何を、本当に何を考えているのか。

 衣織はおもむろにブラウスのボタンを外して脱ぎだしていた。

 あたしは自分のしてる恰好なんて顧みず、慌てて部室のドアを閉めた。誰も来ないと分かっていたってこの状態で開放してるほど危機感が欠けちゃいない。外からは――大丈夫、木が陰になっている。

 気づくと衣織はスカートも脱ぎ終えて下着姿になっていた。あたしと違ってキャミソールなんて元から着ていない。

 文字通りの下着姿。


 ……もう駄目だ、この娘は本当に意味が分からない。

 これからプールでも行こうというのか。それとも熱に浮かされて頭がおかしくなってしまったのか。

 違う。その場合おかしくなってるのはあたしの方だろう。濡れネズミになったと思っていたのは幻覚で、実際には干しガエルの途中なんだ。そうだそうに違いない。そうでなきゃいくらなんでも一連の行動に説明がつかないじゃないか。


「よいしょ」


 とどめとばかりに、衣織は残ったペットボトルの中身を自分自身に頭から掛けた。

 と水が――あたしが口を付けたペットボトルの水が、衣織を濡らしていく。

 髪から唇へ。

 唇から首へ。

 首から胸へ。

 胸から臍へ。

 臍から腿へ。

 腿から踝へ。

 踝から床へ。

 ほんの一杯の水で、衣織は気持ちよさそうに――無邪気な子供みたいに笑う。


「――いや、なにやってんの!」


 見惚れていたことを隠すみたいに、慌てて言った。


「だって、アリちゃん一人で涼んでずるいじゃないですか。これでお揃い」

「いや、お揃いってお前……」


 言葉が続かなかった。代わりに、溜息だけが漏れ出た。

 心臓が震えて、漏れ出てしまった。

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