第3話
コンコン、と二度鳴ったかどうか。そんなぞんざいな音の後に顔を出したのは、そこはかとなく目つきの悪い男だった。
「こんなとこに呼ぶんじゃねえ……つーか、」
「わぁ、これはまた……」
そのすぐ後ろからひょこりと現れた女性が、目を見開いた直後に眉根を寄せる。男の背中を押しながら室内に入ってきた姿は、どことなく仕立ての良さがわかるブラウス、カーディガン、ワイドパンツ 。片腕にはコートと鞄を抱えている。二十代半ばくらいだろうか。派手でもなく、地味でもない。何の特徴もない人だ。物語で言ったら主役の座には着けなさそう。
その人は私たちに気が付くと、こちらが恐縮するくらい丁寧に頭を下げた。
「突然失礼致します。私たち、勧修寺先生と同じ職場で働いている者です。こちらは
こちら、と示された目つきの悪い男こと烏丸さんは、コートのポケットに両手を突っ込んだままで私と舞香を順番にじっと見る。こちらも二十代半ばくらいか、私たちとあんまり変わらなそうだけど、帝都大学の職員なんだろうか。
烏丸さんは舞香を更に追加でじろじろ眺めたと思ったら、小さなため息をひとつ吐いた。なんだか失礼なヤツだ。
カーキ色のモッズコートにシャツを合わせて、足元はスニーカー。シャツのボタンがふたつばかり開いているのを除けば着ている服は特に目立ってガラが悪いって訳でもない。なのにそういう印象を与えるのは、やっぱり、くるくるカールした髪の下から覗く目つきの悪さが原因に他ならない。あとなんか立ち方が斜めだし。表情が憮然としてるって言うか。不機嫌そうって言うか。
梅小路と名乗った女性の方は、その男の側を離れて「あー」とか「わぁ」とか呟きながら勧修寺教授の方へと歩き出す。机に積まれている数冊の本にじっと目線を落とすと、不意に顔をあげた。そこには少しだけ疲れの色が滲んでいる。
「……先生、これ」
「何かな、梅小路さん」
「何かなじゃねぇ。それ、どっから持って来やがった」
「どこってまぁ、……蔵、だよね」
「なあ、それ一冊だけかよ」
「残りは僕の部屋にあるよ」
「マジか……」
途中で割って入った烏丸さんが呻くような声を出しながらくしゃくしゃと頭を掻いて、更に詰め寄る。
「……怪しげなもん買う時は一声かけろっつっただろ?」
「んー、でも颯くんに言った時点で、もう僕の手元には来ない確率が高いんだよねぇ」
「屁理屈を捏ねるんじゃねぇ」
……おお、勧修寺教授がニコニコしたまま詰められている。
一緒に働いていると言うだけあってこんな場面は見慣れているのか、梅小路さんは二人の小競り合いにはまったく動じることもない。神妙な面持ちで本の中から一冊を抜き出すと、烏丸さんの方を振り返った。
「颯くん、お願いします」
梅小路さんの一言で、今にも勧修寺教授をガクガク揺さぶらんばかりになっていた烏丸さんが手を離す。反動で勧修寺教授の腰掛けていた椅子からガタリと大きな音がした。
烏丸さんは面倒くさそうに首を回して、またひとつため息を吐く。コートの内ポケットから取り出した何かを翳すのがちらりと見えたものの、角度的にそれ以上は見えなくて。なのに。
――部屋の空気が変わるのが分かった。
ふっと体が軽くなる感覚。窓も開いてないのに、まるで換気をしたみたい。すぐ隣で舞香が「あ、」と声をあげた。
「なんか……少し楽に、なった」
「……だろうな」
「いま、結界でパッキングしたんです。発生源が遮断されたので少し楽になりますよね」
言ってることの内容はちっともわからないけれど、それなりに丁寧に解説してくれる梅小路さんを他所に、烏丸さんは舞香に向き直る。
「アンタ、何か隠してんだろ」
「はっ、颯くん! その聞き方は尋問ですよ? すみません。この方、悪気はないんですが言葉遣いが少々アレでして」
慌てて取り繕うように今度は梅小路さんが割って入って、背の低い舞香に目線を合わせながら少し屈む。うん、やっぱり丁寧な人。それに対して烏丸さんの態度の悪さはどうだろうな。もう……この人、烏丸でいいや。呼び捨てにしてやる。
それから、さっき途中だった舞香のお祖母さんの話の続きが始まった。
*
舞香のお祖母さんはとても穏やかな性格で、ご近所でも有名なできた人だったらしい。旦那さんに先立たれてからは、同居が始まったお嫁さん(つまりは舞香のお母さん)のことも大事にしながら暮らしていて、舞香の家は絵に描いたように円満な家庭だった。
お祖母さんが八十歳を過ぎた頃から少しずつ物忘れが始まって、だんだんと認知症の症状が出現する。西野家は皆んなで献身的に介護をして、家族だけでどうにもならない部分はヘルパーさんなんかをお願いして、それでも症状は次第に重くなり、家族にのしかかる。
そしてある時から、お祖母さんが暴言を吐くようになる。
でもそれは、家族以外に向けられる事がなかった。ヘルパーさんや往診のお医者さんが来ている時は以前と同じく「優しくて家族思いの、少し物忘れがあるだけのお婆ちゃん」なのだ。
だから、家の外の人たちはそんなお祖母さんを知らなくて、皆んなが口々に「可愛いお婆ちゃん」を褒める。けれど家族にだけは、日が暮れてから始まる暴言や、時には物を投げつけるなどの暴力も出て、もう手がつけられない。けれど、身内の恥だと思う部分や、「可愛いお婆ちゃん」でいて欲しいと思う気持ちもあって、誰にも相談することが出来ない。
そうやって、西野家はだんだんと、そのギャップに疲弊していく事になった。
「そ、それで……ここ数ヶ月は、亡くなった祖母が、夢に出てくるように……。祖母はやっぱり私たちを、う、恨んでいるんでしょうか。例えばじょ、成仏できて、いないとか……」
「うーん、そうだなぁ、どうかなぁ」
相変わらず表情の読めない顔で言ってから、勧修寺教授は烏丸に目を向ける。
「僕としては、これは颯くんの出番だと思うんだけどね」
「出番、って……それってつまり、祓屋さんとかなんですか?」
思わず口を挟むと、梅小路さんが小首を傾げる。
「祓屋と呼ぶのかは分かり兼ねますが……世の中には、理屈では説明し難い出来事や、人の心の闇を起因とする不可解な出来事が数多く存在します。私たちは、そういった事案を専門に取り扱う部署になります」
何だか、分かるような分からないような話だ。でもまぁ、ここは舞香のためにも、彼らに解決を試みて貰うしか無さそうだ。
話題の中心だと言うのに烏丸はまだ不機嫌そうに背を丸めている。
「……うぜぇ……来んじゃなかった」
「まぁまぁ。きっと先生に電話をかけた時点で呼ばれてたんですよ、私たち」
引導を渡すみたいに梅小路さんが笑って、それを受けて烏丸がまたひとつ大きなため息を吐いて。その陰で梅小路さんが「……バラの香り?」と呟いた声に、私達は気が付かないのだった。
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