第7話
「アニメを観る」と公言したことが功を奏してか、友達はすぐにできた。入学式の執り行われた体育館から教室へと帰る際には男子数名と連絡先の交換まで完了した。
幸先の良い高校生活のスタートだ。
「姉ちゃんから鬼滅のネタバレ食らって、めっちゃくちゃ萎えた記憶あるわ!」
僕の隣にいる田中という名前の男子生徒はやたら声が大きい。頬には青春の象徴であるにきびが無数にできていた。
彼の話に耳を傾けるふりをしながら、廊下の少し先を歩く
「亜衣ちゃんは、どこの中学出身なの?」
女の子がもったりした口調で訊く。
「私、遠いところに住んでたの。高校入学前にこっちに引っ越してきたんだ」
「そうなんだ。私はすぐそこの第一中学」
「じゃあ、お家も近いの?」
「うん。歩いて通えるよ」
お遊戯みたいな二人の会話に耳をそばだてているのは僕だけではないだろう。男子も女子もちらちらと二人を、とくに能登亜衣を気にしていた。同じ空間にいるというだけで、嫌でも目を引くのだ。
「そういえば、亜衣ちゃんってアニメ観るんだよね。好きな声優さんっているの?」
「たくさんいるけど、今はサトウコウタって人が一番気になってるかな」
「サトウコウタ?」
「有名な声優さんじゃないんだけど、顔がすごくかっこよくて、声も可愛い系なの」
彼女はブレザーのポケットからスマフォを取り出して画面をできたての友人に見せた。
「本当だ。かっこいい」
女の子は「サトウコウタ」の顔写真が表示されているらしい画面をのぞきこみ、目を輝かせた。
「ハーフなの?」
「わかんないの。情報が少なすぎて」
「亜衣ちゃん、ファンレターとか出さないの? 質問してみれば?」
「ええ、出さないよ。ファンレターなんて」
「でも、サトウコウタって平凡な名前だね。『レン』とか『シオン』とかのほうが顔に合ってない?」
「ちょっと。うちのクラスに『シオンくん』いるから」
「あっ」
二人は口元を手で覆い、こちらを伺う。
「なに? 僕のこと?」
自分の名前を耳に挟んだから振り返ったんですよ、という体で彼女たちに尋ねる。
「なんでもなーい」
彼女たちはクスクス笑って、また額を寄せ合った。
「あれ?」
能登の隣の女の子が首を傾げる。
「サトウコウタのプロフィールの身長のところ、これ、間違えてない? 157センチ? 175センチじゃなくて?」
「間違いじゃなくて、本当に157みたいよ。他の男性声優さんたちと並んでる写真見たことあるけど、やっぱり低かった」
「えー、かっこいいのにもったいない。157って、私と同じだよ。年齢も私たちと同じ? じゃあそろそろ身長止まるよね、きっと」
女の子は虫も殺さぬような顔でふふふと笑う。そして「私は自分より背が高い人がタイプ」とまで言い放った。
「声優好きなの?」
彼女たちの前に、少々派手な女の子たちが群がってくる。
声優が好きなのかと訊かれた能登は、「この声優が気になっている」と同じ説明をしてスマフォの画面を見せる。
「えっ、めっちゃイケメン! 私アニメ全然観ないんだけど、有名な人?」
「ううん。あまり売れてないみたい。一番大きい役で『クラスメイトB』なんだって」
「なんで好きなの?」
「顔と声が良いから」
身も蓋も無い発言に、周りの女子たちは「能登さん、ウケる」とどっと笑った。
「……」
しかし爆笑を勝ち取った能登は、なぜか立ち止まってしまった。後ろを歩いていた僕は危うく彼女にぶつかりそうになった。
「お、おーい?」
多美子が能登の顔の前で手をひらひらさせる。三秒後、彼女の細い肩がぴくんと動いた。
「……あっ、ごめん。ぼーっとしてた」
能登亜衣が笑う。
「なんで!?」
周りの女の子たちも笑い、そして再び歩き出す。
僕は一人感心していた。美少女で、しかもちょっと天然なところがあるなんて、能登亜衣はどこまで完ぺきな人間なのだろう。
「あ、そっか。亜衣ちゃん、貧血酷いんだっけ? だからぼーっとするのかな?」
自己紹介を思い出したらしい女の子が心配そうに尋ねた。
「そういえば言ってたね。さっきの自己紹介のときに」
「私も生理前とかめっちゃフラフラするよ~」
「私もー。生理重いほうだし。二日目とか最悪」
能登はにこにこと彼女たちの話に耳を傾けている。多美子はつまらなそうに彼女の様子をじっと観察しているだけだった。
「『まずは何に乗ろうかなぁ? ぼく、遊園地は初めてなんだ! だから、すっごく楽しみにしてて、昨日なんて寝られなくて……。えっ? お、おばけ屋敷……!? き、聞いてないよ~!』」
スマフォのストップウォッチを停止する。喋り始めから終わりまでにかかった時間は十七秒。求められている尺は二十秒なのでこれではかなり短い。台詞を足す必要がある。作文は不得意で、改稿だって苦手だ。
ため息をつき、手作りしたボイスサンプルの原稿から目を逸らす。閉ざされた扉の窓越しに春の青空を見上げた。
入学式の翌日の昼休み。僕は教室を一人で抜け出していた。
多目的室の並ぶ四階へ上り、さらに階段を一つ上ると屋上へと続く扉がある。その前には三畳ほどのスペースが空いていて、そこに座って己の居場所とした。人の気配は全く無く、昼休みの喧騒も遠い。台詞の練習をするのにもってこいだった。
扉にはもちろん鍵が掛っていて外には出られない。生徒が自由に屋上と校舎を行き来できるのはアニメの中だけ。
僕が行きたいと願う世界だけだった。
「……
名前を呼ばれ、ぎくりと振り返る。いつの間にか、四階へと続く階段の上から二段目に長谷川多美子が立っていた。
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