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 ……さて、どうしよう。


 家主、否、神さまを置いて先に寝るのは申し訳なくてリビングで待つことにした僕の前には見たくてたまらない未発売の雑誌。


 うんうんと悩んでいると、シャワーの水音が聞こえてくる。


 なんだかいけないことをしているような気分になりながらごくりと唾を飲み込んで、僕は恐る恐る雑誌に手を伸ばした。


 ぺらり、震える指先で表紙を捲ると香水のボトルを手に取り、挑発的な視線を送る東雲律がページを独占していた。

 

 金色の髪が少し顔にかかって、影を作っている。毛穴ひとつない肌は艶々で、指先まで傷一つなく整えられている。


 まるで絵画のような、あまりにも美しすぎる一枚だ。


 雑誌は多少加工しているのが当たり前。それなのに、実物の方が更に美しいというのだから恐ろしい。


 今までその美貌を目の当たりにして、目が潰れていないのが奇跡だと思う。



 「……好き」



 何度も何度も思って、独りで爆発させてきた感情が思わず漏れた。果たして芸能人としての東雲律への気持ちか、はたまた律に対してなのか。


 きっとそれは後者に近くて、だけど……、ううん、だからこそこれから先、ずっと、本人に直接伝えることは絶対にできない二文字の言葉。


 本人を抱きしめることはできないから、代わりに雑誌を抱きしめる。


 何度見たって、その顔面の造形の完璧さに惚れ惚れしてしまう。たったの一ページしか見ていないというのにもう満足だった。


 この雑誌は毎月見開きで律の連載が掲載されている。今回で確か記念すべき十回目。


 インタビューだったり、対談だったり、ロケだったり、その月によってテーマに沿った内容はまちまちだ。


 今月は――……とページを探して、ポップなフォントの「東雲律連載企画」の文字が目に入る。


 見つけた。

 だけど、他のオタクはまだ見ることができないのに僕だけこんな形で律の紡いだ言葉を読んでもいいものか、躊躇ってしまう。


 ――恋話してる時間が一番楽しいよ。

 目立つように書かれた見出しに心惹かれるけれど、ぎゅっと目を瞑ってそのページを飛ばした。


 テーマが恋愛だなんて。

 それを知ったら途端に臆病になってしまって、胸の奥がきゅっと縮んだ。

 

 普段なら律の恋愛事情だと興奮しながら読み進めただろうけれど、今は違う。なんとなくもやもやして、嫌だと思ってしまった。嫉妬する権利なんてどこにもないのに。



 「あ、佐倉くん」



 そして、たまたま開いたページには律と大学の後輩・佐倉くんのツーショット。少し前からモデルとして活動を始めたことは知っていたけれど、まさか律と肩を並べる日が来るなんて。


 顔馴染みの活躍に頬を弛ませながらほっこりしていると、後ろから覆い被さるように腕が回された。その瞬間、身体中に緊張が走る。



 「……浮気?」

 「え?」

 「他の男の名前、呼ばないで」

 「……僕は今も昔も変わらないよ」



 ずっと僕の一番は律だから。

 そう思って、少し肩の力を抜きながら答えれば、律は拗ねたように唇を尖らせた。


 いつの間にシャワーの音が消えていたのだろう。集中していて全く気が付かなかった。



 「佐倉くんのことも好きなんじゃないの?」

 「大学の後輩ってだけだよ」

 「……何それずるい」

 「えぇ……」



 あまりにも子どもっぽい言い草に戸惑いの声を漏らせば、律は嫉妬深く呟いた。



 「俺だけ見てて」



 キャラメルをどろどろに溶かしたような、甘ったるい声。耳元に吹き込まれれば、全身が蕩けそう。


 その声が侵食するみたいに、耳からどんどん熱を帯びていく。せっかくシャワーを浴びたのに、また汗をかいてしまう。


 どれだけ近づいたって未だに慣れる気配なんてない。真っ赤になって固まった僕を見た律は機嫌を直したのか、唇に緩やかな弧を描いて体を離すと、立ち上がった。



 「紡、おいで」



 その声につられて立ち上がり、律の後をついていく。


 あの日の記憶が脳裏を過ぎる前に、僕は気になっていたことを口にした。



 「ねぇ、律」

 「ん?」

 「何でバイト先が分かったの?」



 先を歩いていた律はぴたっと立ち止まると、気まずそうな、バツが悪そうな表情をしてゆっくり振り向いた。

 


 「……言わなきゃだめ?」



 その様はまるで悪いことをしたと分かっている子犬のよう。眉を八の字にして、潤んだ瞳が訴えかける。


 あざとくて、許してしまいそうになる。

 だけど教えてもない情報を握られているのは、相手が律とはいえ正直怖い。せめて、その出処だけでも知っておきたい。



 「僕は知りたい」

 「……分かった」



 渋々といった様子で頷いた律はUターンをすると、いつも使っている僕の鞄を拾い上げて手を引いた。座らされたベッドで隣に並ぶ。

 

 僕の鞄に何か秘密でも?

 不思議そうに見つめれば、律は苦笑した。



 「やっぱり気がついてなかったんだね」

 「何のこと?」

 「これ」



 勝手に鞄を開けてがさごそと漁ると、何かを見つけたらしい。綺麗な指先で摘んでいるのは、見覚えのない物体。


 眉間に皺を寄せてまじまじとそれを見つめてみるけれど、これが一体何なのかは分からない。



 「これね、GPSで場所が分かるんだよ」

 「は……?」

 「だから家もバイト先も大学も、紡のいる場所は聞かなくても知ってたよ」



 言葉にならない声が漏れた。


 待って。理解が追いつかない。

 それって、ストーカーと一緒では?

 神さまに対して、そんな無礼なことを考えてしまうのも無理はない。

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