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「疲れてるでしょ、早く休んだ方がいいよ」
「……泊まっていけばいいじゃん」
「え?」
「明日の朝、家まで送るから」
どれだけ高い壁を作っても、どれほど頑丈にバリアを張っても、律はいとも簡単にそれを乗り越えてくる。
今から駅まで走ればギリギリ終電には間に合うだろう。だけど、掴まれた手がそれを許してくれる気配はない。
蘇るは、はじまりの夜。
自分が自分じゃなくなる感覚。
今までにないぐらい熱くて、気持ちよくて、ふわふわした夢心地。
嫌という程、繰り返し夢に見た。
唇を噛んで考え込む僕を見た律は、気まずそうに呟いた。
「前みたいなことはしないって約束する。ただ紡と一緒にいたいだけだから」
律は律で、あの日を振り返っていろいろ思うところがあったらしい。
その瞳に後悔と反省が滲んでいたから、僕は仕方なく頷いた。好きな人の頼みを断れるほど、僕は残酷ではないし勇敢でもなかった。
もう、何だっていいや。
ぱあっと笑顔を咲かせる律を見ていると、そう思う。
律が笑って過ごせるなら、そこに僕の意思は必要ない。律の幸せが僕の幸せだから。
数ヶ月ぶりに足を踏み入れた律の家。
そこは記憶していたものと何ら変わりはなく、相変わらず生活感がない。失礼ながら、空虚な部屋だと思う。
眩しいほどのスポットライトと歓声を浴びた後、この部屋にひとりで帰ってきた律はどんな気持ちなのだろう。
寂しくはないのかな。
そんな馬鹿みたいなことを考えて一瞬でそれを打ち消す。
寂しいに決まってる。
だから夏だっていうのに、どこか冷たさを感じるんだ。
前も同じように孤独を感じたことを思い出す。
何とも言えない気持ちになっていれば、テーブルに適当に置かれた雑誌が目に入った。
律がレギュラーモデルを務めている雑誌。全て入手しているはずなのに、見覚えのない表紙をまじまじと見つめてしまう。
「ああ、それは今月発売されるやつの見本誌だね。別に見てもいいよ」
「えぇ……」
僕の視線の先を辿った律がなんてことないように言う。
……オタクにそういうことは簡単に言っちゃいけないんだよ。律はファン思いだけど、案外オタク心理を理解していないのかもしれない。
本当は駄目だって断らなくちゃいけないのに。
ちゃんと他のオタクと同じように、発売日に店頭で並んだものを買って売上に貢献しなくちゃいけないのに。
喉から手が出るほど、見たい。
オタクならここは断らなくちゃ。
見たいなら見ちゃえばいいよ。
天使と悪魔が同時に囁きかける。
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