臆病者の終着駅

1

 律は何か言いたそうなのをぐっと堪えると、笑顔を作って歩き始めた。


 きっと触れたら駄目なのだろう。子どもの頃なら踏み込めたかもしれないけれど、僕らはお互いに大人になってしまったから。僕は何も言わずに後をついていくことしかできない。



 「タクシー乗ろっか」

 「うん」



 交通網の多い道に出れば、タクシーなんていくらでも走ってる。さすがは都会。


 終電はまだ残っているから、律がタクシーに乗り込むのを見送ったら僕はいつも通り駅まで歩こう。


 そう思っていたのに、タクシーの中に押し込まれた。



 「ねぇ、僕は電車で帰るよ」

 「いいから、乗って」

 「りつ、」

 「ちょっとでも一緒にいさせてよ」



 大好きな人にそんなことを言われたら、もう意味のある言葉は出てこなかった。


 さすがに車内で手を繋ぐのはやめた。仮にも人前、酔っ払いといえど変に思われたくない。

 

 それなのに、急激に手の温もりがなくなっていく感覚がした。寂しいと思ってしまっていることは、もう誤魔化しの効かない事実だった。


 だんだん離れがたくなっている自分に気がついているのに、僕は見て見ぬふりをした。少しはそんな僕の我儘も許してもらえないだろうか。


 夜の街を駆ける車窓からまだまだ煌びやかなネオン街を見つめる。


 律のことがやっぱり好きだ。

 それは紛れもない事実だった。




 ここに来たのはたったの一度だけだというのに、しっかりと記憶している自分に笑ってしまいそうになる。


 どれだけ必死にはじまりの夜を忘れようとしても、この調子だと完全に無かったことにはできなかっただろう。


 まさか再びこの場所に来ることになるなんて。

 人生って本当に何が起きるか分からない。


 律の住むマンションは以前と変わらず、一般人は足を踏み入れにくい近寄り難さがある。


 やっぱり疲れが溜まっていたのだろう。瞳を閉じてすやすやと眠っている律は、自宅の前に到着したことに気がついていない。



 「起きて」

 「んん、つむぐ?」

 「そう、タクシー着いたよ」



 永遠に見ていたい、天使の寝顔。

 起こすのは心苦しいけれど、運転手さんを困らせてしまう。


 体を揺すれば、とろんと寝ぼけ眼が僕を映す。

 まだはっきりと意識は覚醒していないらしい。


 律の代わりに代金を支払い、タクシーから引っ張り出した。すると、離さないと言いたげに腕が回される。


 さっさと走り去っていくタクシーを見送って、僕はため息を吐いた。



 「僕はここで帰るから、ちゃんとベッドで寝てね」

 「は?」



 その言葉にハッと目を見開いた律が僕の顔を覗き込む。近いし、こわい。


 何冗談を言ってんのと目が訴えかけてくる。あまりにも綺麗なひとの真顔は威圧感がすごい。

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