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大学を出れば、一目で待たせている車がどれか分かった。運転席でスマホを確認している楠木さんは、売れっ子芸能人のマネージャーなだけあって送迎の合間も休む暇がないのだろう。そんな人にわざわざ時間を割いてもらって何より申し訳なさが勝る。
このままメールだけ送って、何も言わずに帰ってしまおうか。そしたら律も愛想を尽かすかも。
そんな気持ちがほんの少しちょっぴり芽生えてくるけれど、それはそれで迷惑をかけるだろうから実際に行動には移せない。
結局、僕はいつも人の顔色を伺ってばかりで、どっちつかずの度胸のないつまらない奴だ。
車に近づくにつれて、足取りが重くなる。他の生徒も滅多に見ない厳重にスモークが貼られた車を何だなんだと注目している。
透明になりたい。
注目される度にいつも思う。こんなに注目された状態で乗れば、また何か新たな噂が生まれるに違いない。
はぁ、とため息をついたところで、運転席から楠木さんが降りてきた。どうやら、僕を見つけたらしい。
「吉良さん、授業お疲れ様です! こちらに乗ってください」
「今日はすみません、ありがとうございます」
楠木さんが慣れた手つきで、タクシーの運転手のように後部座席のドアを開ける。
そんなことまでしなくても……と思うけれど、突き刺さる視線から逃れるのが最優先。僕は素早く車に乗り込んだ。
「律さんもいつもそこに座るんですよ」
助手席の後ろに座った僕に楠木さんがなんてことないように言う。
……そういうのは車が動き出す前に言ってほしい。今更シートベルトを外して他の座席に移動することはできないのに。
空気椅子でもしていようかなんて馬鹿な考えが浮かぶけれど、揺れる車内では挑戦することすら難しい。縮こまる僕をミラーで目視した楠木さんが小さく笑った。
「本当に律さんが好きなんですね」
「えと、はい、すみません……」
「どうして謝るんですか。担当している方のファンだなんて、マネージャー冥利に尽きますよ」
律を一番近くで見てきたひとにそう言われるとなんだか恥ずかしい。
雑誌の表紙だったり、ドラマや映画の配役だったり、ファンとして見たいと思っていた仕事を取ってきてくれる顔も知らないマネージャーさんの存在にいつも感謝していたのだ。まさか知り合いになる未来が来るなんて思ってもいなかった。
人生、何が起こるか分からない。
見慣れた景色のはずなのに、いつも律が乗っている車から見るとなんだか特別なものに見える。
「律さんのこと、これからもお願いしますね」
「はは……」
その言葉の真意を読み取ろうとすると、ごちゃごちゃと考え込んでしまう。瞬時にうまい返事を返せなくて、僕は曖昧に笑顔を浮かべて誤魔化した。
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