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 ようやく律が足を止めたのは、地下駐車場。

 予約していたのか、タクシーが用意周到に一台待機している。


 迷いなく乗り込んだ律に引っ張られるがまま、僕も何故か隣に乗せられる。


 まさか憧れのひとに誘拐みたいなことをされるなんて、さすがの僕も想像したことさえなかった。



 「家までお願いします」

 「はいよ」



 運転手に律が行先を告げると、タクシーは動き出す。



 (本物、だよね……?)


 まさか収録は続いていて、あのオーディション番組はドッキリ番組が用意した偽番組だったのか。それとも、まだ夢の続きを見ているのだろうか。


 混乱を極めた僕は、隣に座る律から出来る限り距離を取って縮こまることしかできない。


 無理無理。こんな狭い車内で、律の濃度が濃すぎる。律の吐いた息が体内に入ってるって考えたら死にそう。律の過剰摂取で、心臓止まらないかな。


 一周回って、体が拒否反応を起こしかけている。



 「あ、そうだ、これ」



 命の危機を感じていると、律は僕の鞄を手渡してくれた。


 控え室に置いていたものがどうしてここに?

 そんな疑問が浮かんでくるけれど、質問する余裕なんて当たり前になかった。



 「あ、ありがとうございます……」



 蚊の鳴くような声で礼を言って、一切目も合わさずに鞄を受け取る。


 すると、何に興味を持ったのか、律が顔を覗き込んでくる。瞳いっぱい、目の前に顔面国宝。やむなく目と目が合ってしまう。


 ビーッ! ビーッ! 緊急事態だ。

 これ以上目が合ったら、持っていかれるぞ。途端、頭の中にそんな警鐘が響き渡る。



 (むり…………)


 あまりにも威力が強すぎる。かっこいい、イケメン、美しい、綺麗……。この顔面の素晴らしさを形容できる言葉なんてないぐらい尊いのだ。


 律の瞳にも僕の泣きそうな顔が映っている。


 三秒が限界だった。

 あまりの距離の近さに耐えられなくなった僕は、受け取った鞄で顔を隠した。


 フッと微かな笑い声が聞こえる。

 笑われたっていい。そう思うけれど、律はこんなことで人を馬鹿にするようなことはしない。



 (うぅ……)


 神様、助けて。

 僕の神さまは隣にいるのに、最早神頼みすることしかできなかった。


 綺麗な指先が僕の手をゆるりと撫でる。

 繋がれた手はそのままに、タクシーは夜の東京を駆けていく。

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