未来の話
パッと目が覚めた。
身体を一気に起こすと、そこはわたしがいつも通っていた神社だった。
「帰ってきたんだ……」
夕暮れ時だ。
空は赤く染まっていて、木々になる葉が擦れる音が心地良く聞こえてくる。
ふわりと吹く優しい風に頬を撫でられて、わたしは安心したように、地面にへたり込んだ。
時間、いや、日付けはいつだろう。
わたしが江戸に行ってしまってから、一週間は確実に超えている。
そう思って、携帯を取り出したが、携帯は電源が落ちていた。充電が無くなっている。
そういえば、江戸では充電出来なかったし、節電していたけど結局使い切ってしまったんだっけ。
お母さんたち、心配しているだろうなぁ。
急いで帰ろうとして、自分が少し動きにくい格好をしている事に気付いた。
しまった、わたし、着物のままだ。
周りを見渡すけれども、ランドセルとかは落ちているけど、わたしの服はない。
置いて来ちゃったな、これは。
まぁでも、仕方ない。
とにかく急いで帰ろう。
わたしは地面に落ちているランドセルを引っ掴んで、いつもの神社を出ようとする。
出る前に、一度振り返った。
神社から声が聞こえるような、そんな不思議な事は起きない。
いつもの神社で、いつもの日常だ。
不思議な体験をしたものだ、と思いながら、わたしは自分の家に走った。
住宅から香ってくる料理のにおい、遠くで聞こえる車の走る音、日が暮れるから急いで帰らなきゃと慌てる子どもの声。
どれもが懐かしく感じて、ホッとした。
家に入ると、家の奥からお母さんが声をかけてきた。
「遊んでたのー?手を洗ってきなさいね」
おやおや、のんきなものだ。
娘が、いつぶりかわからないくらい日が経って家に帰って来たというのに、全く焦っていない。
案外、江戸の思い出を噛み締めながらゆっくり歩いて帰ってきてもよかったのかもしれないなぁ。
そんな事を思いながら手を洗って、リビングに向かった。
「今日は友達と遊んでいたの?って、何その格好。着物なんて、どこで着させてもらったのあなた。しかもこれ、かなり良い物なんじゃないの?」
久しぶりの娘に会って、不思議に思うのまず着物?
というかこの着物、良い物だったのか。
エニシ、随分と気を使ってくれてたんだなぁ。
「着物はね、まぁ、もらったのかな?とりあえず大丈夫なの。それより、久しぶりに会ったのにさぁ」
「何言ってんのあんた。学校行ってきただけじゃない」
「え?」
わたしは、バッと目を向けて壁にかけられているカレンダーを見た。
カレンダーは、わたしが江戸に行ったあの日の日付けのままだ。そのままテレビに目を向ける。テレビのリモコンを取って、番組表を開いた。テレビには、帰ってきたら見ようと思っていた番組の名前が映し出されている。
……もしかして、日が経っていない?
時間はたしかに進んでいたけど、日をいくらもまたいでというほどではない。
わたしは混乱した。
あれは、夢だった?
いや、夢じゃない。現に、携帯の充電は切れているし、なによりこの着物がその証拠だ。
不思議な体験、としか言えない。
「それよりも、その着物もらったっていってもお礼くらいはしないといけないでしょ。誰からもらったの?」
「……もう、会えない人」
わたしの話に、お母さんは首を傾げて、誰からもらったかしつこく聞かれたけれど、わたしは答えなかった。
事情があるの、と真剣に言って、話はなんとか終わった。
わたしがそういう頑固なところを見せるのは、とてもめずらしいことだったからか、お母さんもしぶしぶしながらも納得してくれた。
もう、真相を知ることは出来ないだろうな、とわたしは少しさびしく思った。
○
あれから、何年も経った。
わたしは小学校を卒業して、中学生になった。
着物はそのまま、家に置いてある。
着ることもなかったけれど、汚れてしまわないように、手入れはして大切にしていた。
この時代に戻ってきて、わたしはよく、なんだか雰囲気が変わったねと言われるようになった。
自覚もある。
わたしは、これまで周りに合わせるように生きてきた。
それは大事なことだ。だからやめなかった。
だけど、自分の意見もしっかりと言うようになった。
自分のやりたいことや、正しいと思うことはちゃんと主張して、行動にも移すようになった。
勉強もするようになった。
なにかあった時、知識は役に立つと知ったからだ。
考え方とか、身に付けたものは必ず力になる。
どんなものでも、自分が進むための何かに繋がっているのだとわたしは学んだからだ。
そうしていると、今まで上辺だけの付き合いだった友好関係もすこし変わった。
衝突することもあったけれど、それ以上に深い関係になることの方が多かった。
がんばるわたしを応援したい、と言ってくれる人が多くいたのだ。
神社にはあれからも毎日通っていた。だけど、神様代理とか名乗る犬から話しかけられることもないし、突然江戸時代に飛ばされることももちろんなかった。
もう一度会いたいな、なんて思いながらも、その願いは叶わないのかな。
かつてはなにも願わなかったのに、今ではひとつだけ、お願い事をし続けている。
夏休みになった。
夏休みといえば、宿題を終わらせてしまえばもう遊びたい放題だ。
海に山に川に、泳いで登ってバーベキュー。
仲の良い友達や、クラスメイトと集まってとにかく楽しく遊んだ。
みんなで楽しく遊び、集まっていると、肝試しをやろうという話になった。
夏の風物詩だ。絶対に参加したい。
楽しいだろうなぁと胸を膨らませた。
この肝試し、実はうちの中学の歴代名物企画らしい。
なんでも噂があって、この肝試しはカップル誕生にかかせない一大イベントだと聞いた。
まぁ、別にわたしは好きな人いないんだけどね。
でも恋話は結構好きだった。友達と話していて一番盛り上がるのはやっぱり恋話だ。
わたしに好きな人はいないし、わたしを好きな人がいるかどうかは知らないけれど、こういうのは見ているだけでも最高に楽しいもんだ。
実際、くっつけてみたいあの子や応援したいあの子、ちょっと考えるだけでいくらでも頭に浮かぶ。
初恋すら知らなかった数年前のわたしに言うと驚くかもしれない。今じゃ恋が大好きなんだしね。
エニシへの恋心が斬られて失っただけで、わたしのこれからの恋心がなくなったわけじゃない。
それはよかった。
このまま一生恋に関して無縁だなんてのは、なかなかつまらなかったろうなぁとしみじみ思う。
さて、そんな肝試しを企画されていた時、ちょっと不思議なことを言われた。
肝試しを行う場所は、学校だとかわかりやすく安全な場所でするのかと思いきや、指定されたのは近所で超有名な廃病院だった。
男子たちがすごく盛り上がって、どうせならめちゃくちゃ怖いところに行こうぜと話が進み、そこに決まってしまったのだ。
廃病院って、勝手に入っていいものなの?
と思ったが、聞けばちゃんと許可を得たのだとか。
なんでも廃病院を所有している人も、こんな感じの肝試しで結婚までいけたからと乗り気になってくれたらしい。
そりゃよかった。
でもあそこ、本当に出るって噂だぞう。
さてさて、不思議なことを言われたというのは、この後。
わたしの前に、クラスメイトの一人が肝試しに参加するかどうか聞かれていた。
その子は廃病院と聞いて、絶対に嫌だと冷たく言い放った。
それでもしつこく男子から誘われて、びっくりするくらい不機嫌な顔をしていた。
でも諦めない男子。
理由は、その子がとんでもなく美人だからだ。
元々静かに本を読んでいる感じのクールビューティー。
これを機に是非お近付きになりたいのだろう。
同じクラスだから出来る荒技アピール。がんばれ男子。
そんな美人ちゃんが、あまりにもしつこい男子から目を離し、わたしの方を向いた。
おや?もしかして、助けてほしいってことかな?
まぁ、そういうことならちょっとでしゃばりますかと立ち上がろうとすると、美人ちゃんはこう言った。
「あの子が行くのなら、私も行くわ」
はて。
わたしは、美人ちゃんと話したことはない。
関わりなんて一切なかったのだが、なぜわたし?
その後は、男子たちがわたしに押し寄せてきて、絶対行くよな!絶対行ってくれ頼む!と懇願された。
行くけどさ。
んもー、男子必死すぎー。
そして夜の廃病院。
わたしたちはいくつかのグループに分かれた。
ここで二人組とかにならなかったのは、廃病院があまりにも怖すぎたからだ。
実際、めちゃくちゃ怖い。
周りに街灯はないので、光がない。月は出ているはずなのに、その明かりは、か細すぎてまったく力になってくれない。やけに虫や葉音は響くし、足元の瓦礫や少し残るガラス片が、人がいないことを強調して恐怖をあおる。
廃病院そのものからも、重苦しい空気をまとっているし、幽霊が出るのは間違いないぞと語りかけてくるし、何なら幽霊だけじゃなくて多分怖い不良だっているぞと主張してくる。
足震えるわ。
妖怪と実際に会ったわたしでもめちゃ怖い。
順番はくじ引きで決めた。
なんと、わたしたちのグループは一番最初。
危険かどうかを確かめる最重要な役割がわたしたちに課せられたのだ。
これには流石にまいったが、プラスに考えることにした。
一番最初に終わらせてしまえば、後はもう、気にすることなくどんなカップルが誕生するのか眺め放題である。
がんばるしかない!
わたしたちは、廃病院の中へと入っていった。
ホコリのにおいがすごい。
管理されているためか、ゴミが落ちているわけではないけれど、それでも部品の一部とかは散乱していた。
こっわぁ。
暗闇の中、スマホの光を頼りに進んで行く。
怖いけど仕方ない。前に進まないと終われない。
そうやって歩いていると、いつのまにかわたしが先頭になっていた。
だ、男子どもめ……くそぅ!エニシだったら絶対目の前に来てくれるのに!
お前たちそれでいいのか!女子にかっこいいとこ見せるチャンスなんだぞ!?
まぁ先頭になってしまったのなら、これまた仕方ない。
どうせここで揉めても時間だけが無駄に過ぎて、最後は結局わたしが先頭で歩くことになるのだ。
気合いを入れ直して一歩進もうとすると、わたしの袖が突然クイッと引かれた。
「ひゃいっ!!!」
変な声出た。
わたしが声を出すと、後ろにいた子たちもそれぞれ特徴的な声で驚いていた。
なにがあった……とわたしが恐る恐る袖を見ると、綺麗な小さい手に掴まれていた。
誰?と思って見てみると、美人ちゃんだった。
美人ちゃん?
「あれ?グループ一緒だったっけ?」
「無理矢理変えてもらったのよ。あなたと一緒じゃないと、こんなところ来れないわ」
え?今わたし、告白された?
とかなんとか軽口でも叩きたかったけれど、そんな余裕なかった。
「ほら、来たわよ」
「え?」
前を向くと、暗闇の中、なんか骸骨の顔が廊下の壁から出てくるのが見えた。
え?どゆこと?あれどういうこと?きもっ。
廊下の奥からは、白装束に包まれた白髪の女性が何人も立ち並んでいるのが見えた。
妖怪と幽霊のハッピーセット?あれ映像?
もし、仕込みなのだとしたら流石にやりすぎ。怖すぎ。
仕込みじゃないのだとしたら……。
廊下の壁から出てきた骸骨の顔が、ゲタゲタ笑いながら回転し、そしてこちらへ飛んでこようとしている。
やばっ。
これ、わたしどうしようもなくない?
後ろにいた他のみんなは、もうほとんどが叫び散らかしてどっかに逃げ去ってしまった。
逃げなきゃ。
そう思ってわたしも後ろを振り返った時、震えてうずくまっている子がいた。
美人ちゃんじゃない。
美人ちゃんはむしろ、わたしの横で余裕綽々だ。
今もクールビューティーでいる必要ないだろ美人ちゃん。
うずくまっているのは、別の子だ。
わたしが走って逃げたら、この子はどうなる?
妖怪を見たわたしならわかる。妖怪は、人間に容赦しない。
逃げられない。震えている子を置いて、わたしだけ逃げるなんて出来ない。
でも、わたしじゃどうしようもない……!
それでも!
クルクル回転してニタニタ笑う骸骨も、後ろに控える白装束の女性にだって、負けるわけにはいかない。何が出来るというわけではないけれど、強い意思を持って乗り越えるしかない。
そう思って、もう一度振り返り、前を向く。
そこには、わたしの目の前には、大きな背中があった。
着物姿で、刀を腰に携えた武士の、大きな背中があった。
その背中が、キンッという音とともに、一瞬ブレる。
気付くと、武士の右手にはいつの間にか刀が握られていた。
その後すぐ、武士の足下に、真っ二つに割れた骸骨がドサリという音とともに落ちてきて、骸骨は黒い塵になって霧散した。
廊下の奥に立ち並んでいた白装束の女性たちは、こちらをジッと見つめた後、何もせずに静かに消えていった。
同時に、武士も何も言わず、こちらに振り返ることもせず、消えていく。
……顔を見なくてもわかる。
声を聞かなくてもわかる。
成長して、大きくなって、わたしの知らないあなたになっていたとしてもわかる。
「あなたの守護霊、本当にすごいわね」
わたしの隣に立つ美人ちゃんが言った。
「……守護霊?」
「そうよ。この廃病院、本物よ。私ね、幽霊が見えるの。ま、こんなところに面白半分で来てしまったら、タダじゃ済まない呪いにかけられたでしょうね。私、見えるだけで抵抗出来るわけじゃないし。いい?呪いは、伝播するの。あんなにしつこく誘ってきてた男の子が呪われて、巡り巡って私のところにでも呪いがやってきたら困るわ。そこで、あなたよ。あなたには強力な守護霊が憑いているの知ってたから、あなたの近くにいたら大丈夫だろうなって思ったの。でもまぁ、想像よりもずっと強かったわね。あなたの守護霊に勝てる幽霊や妖怪なんて、存在するのかしら」
美人ちゃんは、呆れるようなため息混じりにそう答えた。
そして、震えてうずくまっている子に手を貸して立たせてあげている。
「何してんの。私達も帰るわよ」
「……うん。あっ、でもその前に、わたしの守護霊は、なにか言ってなかった?いつから憑いてたとかわかる?」
「はぁー?後でいいでしょそんなの……。私は別に喋れるわけじゃないからなにか言ってても知らない。でもそうね、いつから憑いていたかってのは……あなたが生まれてからずっと、のはずよ」
「ずっと?」
「そう。ずっと、その守護霊があなたを守り続けてきたのよ」
……あぁ、そういうことだったのか。
わたしは、全てがわかった気がした。
全ては、繋がっていたんだ。
小さかった頃、わたしが助けられた不思議な現象。
エニシと一緒にいる時に感じた、昔からどこか落ち着く感覚。
わたしからエニシの意識が完全に離れた時、不安が途端に強くなったあの感覚。
あの時だけ、エニシはわたしを守ることが出来なくなった。
神様に守られているのかと思うくらい、運が良かったのだと思っていた。
そうじゃなかった。
小さな時からずっと、江戸時代に行った時もずっと、守護霊か、生きている時かは別として、わたしはずっとエニシに守られ続けていたんだ。
エニシは、江戸時代のあの時からずっと、『今度こそ』守ろうとしてくれていたんだ。
恋心が消えたのに、それでもエニシやタロに会いたくて仕方なくて、神社に通い続けていたのはなぜだったのだろう。
どうしても忘れることが出来なくて、叶わないとわかっていながらも、願わずにいられなかったのはなぜだっただろう。
その理由が、今ハッキリとわかった。
わたしの心から、あふれるものが止まらない。
目頭が痛くなって、我慢が出来なくなって、こぼれでる。
あぁ、そういえばそうだった。
あの妖怪を倒した時、エニシが妖怪の核ごと斬ったわたしの恋心、その破片。
ヒラヒラと桜のように舞い、小さな一欠片が、わたしの前で消えた。
でもあれは、消えたんじゃない。
ほんの小さな一欠片が、わたしの中に『戻った』んだ。
わたしの『恋愛』は、ちゃんと取り戻せていたんだ。
ちゃんと、取り戻してくれていたんだ。
ただ、欠けた月が、満月となるのに少し時間が掛かっただけ。
あなたたちと、話がしたいよ。
ねぇ、エニシ。
わたし今でも、あなたのことが好きみたい。
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