過去の話
「わたし、元の時代にどうやって帰ったらいいと思う?」
妖怪退治を終えて、そのままおれ達は帰路へと着いた。
おれとヨルとタロは、おれの邸へと戻ってきて、ホッと一息でもつこうかという時、ヨルがそんな事を言った。
そういえば、妖怪を退治して即終了というわけでも無く、ヨルは何の変哲も無く此処にいる。
「……わからんな。ヨルが、江戸時代に来てから初めて目を覚ましたという、おれの邸の倉に何か手掛かりでもあるだろうか?」
おれが言うと、ヨルが元気におれを指差した。
「それだ!」
人に指を差すな。
ワンッ!
人に吠えるな。
「元気だな。早々に休みたいところだが、後回しにして良い問題でもあるまい。仕方ないから行くか」
終わった、となってから、ドッと疲れが押し寄せていた。
正直、今日はもう何も気にせず眠りにつきたい。
身体もそうだが、心もかなり疲弊している。
ほんの少しだけ調べたら、今日はもう眠りにつこう。
そんな軽い気持ちで、おれは倉に向かった。
倉に着くと、突然タロが鳴き出した。
クゥーン…と切なげに鳴くタロに、おれは不思議に思ったし、ヨルは頭を撫でて落ち着けようとした。
撫で続けてもタロが満足する事は無く、頭を擦り寄せて、もっと撫でて欲しそうにしていた。
随分と珍しい事があるものだ、と思った。
タロは確かに、懐いている者から撫でられるのを非常に好む。
だが、ここまで要求するのは見た事が無い。
その理由は、倉の扉を開けた時におれもわかった。
倉の中へ入ると、空間に、奇妙な裂け目が出来ていた。
中は形容し難い異次元模様で、次元の狭間というのはこういうものかと何故か理解出来た。
直感だが、その場にいた誰もが理解した。
これは、ヨルが現代へと帰る為の道だ。
「あー……わたし、打ち上げは出来そうにないのかな?」
ヨルが、戯けながらおれとタロに言う。
……何も返せなかった。
ヨルの言っている事は、恐らく合っている。
次元の狭間は、ほんの少し、ほんの僅かずつだが、小さくなっている。
すぐに消えるものではないだろうが、数時間もすれば閉じてしまうだろう。
夜が明け、朝日が出る頃には閉じている。
もしヨルが先程何も言わずに、全員就寝でもしていようものなら、帰る道を失っていたかもしれない。
そうならなかったのは、幸運のような、運命のような、としか言い様が無い。
これからせめて乾杯だけでも、というわけにもいかない。
見つけてしまっては、いつ閉じてしまうか不安で仕方ないだろう。
突如閉じてしまう可能性だって考えられるのだ。
こんなに突然、別れが来てしまうのか。
おれの身体から、さらに力が抜けていくのを感じた。
「もうちょっとちゃんと、別れらしい別れをしたかったなぁ」
ヨルは、残念そうに言った。
しかし、悲壮感を見せはしない。笑顔だ。
おれとタロが、どういう風に見えているのだろうか。
ヨルが気を使う程、酷く青ざめた顔でもしているか?
「ねぇエニシ。わたしね、この時代に来れてよかったよ。エニシに出会えてよかった。タロに出会えてよかった。江戸の町の人たちに会えてよかった。人が人に優しくするって、こんなに素敵なんだなって知れてよかった。人が人を好きになるのって、こんなに素敵なんだなって知れてよかった。本気になることの素晴らしさを知れてよかったよ。わたしね、これからがすごく楽しみなんだ。今までとは違う、わたしの人生を歩いて行くよ」
ヨルが振り返り、おれに正対する。
……綺麗になったな。
初めて会った時と、まるで別人の様に見えるのは、見間違いなんかじゃないだろう。
大人ぶっているおれとは違う。
ヨルはこの僅かな期間で、しっかりと大人に成長していた。
「言いたい事が沢山あったのだがな……。全部、吹き飛んだ。ヨル、良い人生を歩めるよ。絶対だ」
ヨルは、おれの言葉を受け止めて、にっこりと笑った。
太陽の様な笑顔を浮かべた。
「ありがとう!エニシに言われたら、信じられる!」
ヨルは、にこにこと笑いながら、少し屈んでタロの頭を撫でた。
タロは首を傾けて、もっと撫でて欲しそうに頭を押し付ける。気持ち良さそうに、目を細めていた。
「タロ。タロも元気でね。あー、さみしいなぁ。タロー、タロやーい」
ヨルも負けじと、タロに顔まで押し付けた。
名残惜しそうに、ヨルは離れる。タロは悲しそうに鳴いた。
「じゃあ、ね。元気でね、エニシ!タロ!」
そして、ヨルが次元の裂け目へと入ろうとする。
その時タロが、ワンッ、と吠えた。
ヨルにではなく、おれに向けて。
言葉で伝えられるのは、これが最後だ、と。
タロにそう言われた気がした。
「ヨル!」
自然、声が出た。
だが、これからヨルに何を言う?
これから現代へと帰るヨルに、何を伝える?
気兼ねなく、ヨルが帰れるように。
これから先、ヨルが前を見て進めるように。
「……思うままに進め!『今度は』大丈夫だ!約束する!」
最後は笑顔で終わりにしよう、と言ったものな。
だから、伝える言葉はこれだけで良い。
おれの笑顔に、おれの言葉に、ヨルは振り返って手を振った。
ヨルは最後まで、笑顔のまま次元の狭間へと入って行った。
ヨルが入るとすぐ、裂け目は閉じられた。
行ってしまった。
終わりは案外、呆気無いものだった。
○
裂け目があったところに歩み寄り、手を伸ばしてみた。
何の意味も無く、おれの手は空をふらふらと漂っただけだ。
最後、一瞬おれは、ヨルに想いを伝えようとした。
好きだ、と言ってしまいたかった。
だけどそれはやめた。
言ってしまっても、ヨルと一緒になれるわけではない。
帰った後に、ヨルの心にしこりを残すだけだろう。
おれが、ヨルの邪魔をするわけにはいかないのだ。
それに、おれがヨルの恋心を斬ったのだ。
おれに、君が好きだと伝える資格は無い。
言わなくて良かった。
言わなくて、良かったんだ。
ヨルに、好きな人に、好きと言わなくて良かったんだ。
好きだった。
おれはヨルが、好きだった。
「う……くっ……うぅう……!」
倉には、おれの他にタロしかいない。
タロは、おれの隣にそっと伏せて、そのままずっと、寄り添ってくれていた。
誰にも見られていないのだ。
もう少ししたら、いつもどおりのおれに戻るよ。
だから、今だけは、許してくれ。
○
ヨルが帰ってから、おれの日々は変わらず、慌ただしく過ぎて行った。
毎日飽きもせずに剣を振り、日夜江戸の町を駆け巡って揉め事に奔走した。
あの妖怪を倒したからといって、この世から悪事が消えたわけじゃない。変わらずおれは戦い続ける。
ただ、タロは少し変わった。
いつも町で世話をされていたタロだったが、あの日から、倉に住み着いた。
夜の見回り等では散歩がてら着いてくるが、それ以外ではずっと倉にいた。
おれも、タロの様子を見に行ったりする為に毎日倉に行く。
倉に行くと、意味が無いと知りながらも倉の中に入り、タロと共にただ立ち尽くした。
何を期待しているわけでも無いが、それでもそれを続け、いつしか習慣になった。
元服と同時、おれが成人として認められ、その後正式に城に勤める事となった。
極められ続ける護身の剣が認められて、その剣を学びたいという人も多くいた。
おれは、その人達に惜しむ事なく自身の剣術を指南した。
時は経ち、おれは結婚した。子宝にも恵まれた。
妻も子も、とても優しく、良い人達であった。
その後、タロはその生涯を終えた。
おれが婚約して、家督も安泰した頃であった。
ずっと倉で待ち続けたタロは、おれの事も心配だったのであろう。おれが安定した頃に、安心した様に眠ったのだ。
タロは、どこまでも優しい子だった。
タロの墓は、倉を新調して建てた。
小さな倉に建て直したのだが、指折りの土方に、しっかりと頑丈に作ってもらった。
最後の最後まで、あの始まりの倉にいたのだ。今更別の場所に移すのは気が引けた。
どうせならばと、いつかを願ってこの場所に墓を拵えた。
タロがいなくなってから、それでもおれは毎日倉を訪れた。
この頃には、喪失感の為に毎日通ったというよりか、タロの墓参りが主だった。
あまりにも熱心におれが倉に通う為、息子娘に聞かれた事がある。
おれはそれに、笑顔で答えてあげた。
昔にな、おれ達の愛する江戸の町が、大変な目に遭った事がある。
それを救う為に、本気で頑張ってくれた人がいる。
皆を守る為に、全力で頑張ってくれた犬がいる。
此処には、おれにとって大切な、守り神がいるのさ。
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