変わらないおれの話
最初は勿論、不審に思っていた。
剣を向けようとした。
いつの間にかうちの邸の、倉の中に入り込んでいたのだ。
そこから出てきた奇怪な娘子だ。
昨今、美しい娘子に化けて人を襲う妖怪もいれば、無害な振りをして悪事を働く輩が増えてきているのだ。
疑わない方がおかしいだろう。
おれにとっても、ヨルにとっても、良いとは言えない出会い方だっただろうな。
思い返しても、少しだけ笑ってしまう。
不審には思いながらも、家に泊めた。
目を離すつもりは無く、手の届く範囲に居てもらう方がおれにとっては楽だったからだ。
少しでも悪事を働けば、即時役人に突き出してやろうと思っていた。
しかしあの夜、あまりにも静かだったもので、おれは部屋を覗き見た。
なんと、ヨルは爆睡していた。
布団に潜り込んで、スヤスヤと寝息を立てていた。
おれは笑ってしまった。
誰とも知らぬ邸、どころか、ヨルの話によれば、全くわからぬ内によくも知らない時代へと超えて飛ばされたのだ。
そんな状況であるというのに、何とも警戒心も無く寝静まっている。
戦の時代は終わりを迎えたと言っても、よっぽど疲れていたとしても、この警戒心の無さは驚いた。この時代の人間であろうと、未来の人間であろうとも、おれは、この娘を疑うだけ無駄だと思った。
それに何より、あまりに子どもらしく可愛らしい寝顔に、おれはもう信を置く事にした。
神の代理かららしいが、天命を受けたというのであれば、仕方あるまい。
そういう事もあるのだろう。
そして次の日、早朝、おれがヨルの部屋に改めて行くと、何とも締まりの無い顔で寝惚けながら出てきた。
それは正しく、平和にとっぷりと浸かっていたが為の事だろう。
おれは少しだけ、嬉しく思った。
同時に、ヨルの生きるその時代に興味が湧いた。
平和が当たり前の時代が、おれの想像も付かぬ時間の末に来るのだ。
この子は、無事に帰さなければならない。
おれの中に、少しだけ灯るものがあった。
ヨルと共に町へ出た。
怪異に遭ったという報告を受けていたからだ。
ヨルが来る少し前から、あの許す事の出来ない妖怪が悪さをするようになった。
そして、おれたちは被害に遭われた夫婦の元へ行く事になる。
いつもお互いを想い、支え合っていた夫婦が喧嘩している場面に出会した。
おれは、信じられないと同時に、とても悲しくなった事を覚えている。
おれが幼い頃からとても優しかった二人の男女。
それでいて、とても愛し合っていた二人の男女。
別に、人前で肌をくっつけたりしているわけじゃない。
愛しているなんて言葉を逐一伝えているところなど見た事無い。
だがそれでも、お互いになくてはならない存在なのだろうと見てわかっていた。
喋らずとも柔らかな空気に包まれているように。
ほんの少し笑いかけるだけで、好きだと伝わるように。
色恋を、積極的にしようと思った事は無かった。
しかし、素敵なあの夫婦を見ていると、それはきっと悪くは無いのだろうと思っていた。
そんな二人が喧嘩をしているという事実は、思いの外辛かった。
そして、怖くなった。
あれ程の愛があっても、超えられないのか、と。
そもそも無くなるのだ。超えられるも何も無い。
そう理解はしていたが、それでも恐ろしかった。
……まぁ、今となっては、愛が大きく、強すぎたが故に失った時の反動が強すぎたのかとも思うが。
もう一つの衝撃は、ヨルが偉く柔軟な発想をしていた事だ。
正直なところ、おれはヨルを守るつもりではいたが、何かの役に立つとは思っていなかった。
勿論、最初の話だ。今は全くそんな事は思っていない。
神様から送り込まれたとは言われても、妖怪に対する特別な力を持っているわけでは無し。警戒心を常に持って謀略を図るわけでも無し。夫婦の所に足早に向かう際には、少しの距離で既に息切れしており、体力が特別あるわけでもなかった。
この時代に来たからには、何か意味があるのだろうと共に行動していたが、解決の力になってくれるとは思ってもいなかった。
それが、どうだ。
おれは全く、浅慮が過ぎた。
ともかく、この時は、ヨルが妖怪の目的を見抜いた。
兎角走って不器用に物事を終わらせてきたおれとは大違いだ。
目的が知れただけでも相手の動きは大変予想しやすくなる。
ヨルは、何でもない事の様に言っていたが、大手柄だった。
それから江戸の町を紹介した。
ヨルと共に回る江戸は、いつもと違って楽しかった。
これもまた、新しい発見だった。
ヨルは、見る物全てに目を輝かせていた。
楽しむヨルの隣で、得意気に江戸の話をするおれは、どう映っていただろう。
思い出すと少し恥ずかしい。
剣の事と、恩を返す事しか頭に無かったおれに、また別の楽しみを知った気がした。
態度に出したつもりは無いが、おれはこの時、色恋について意識をし始めたのを覚えている。
もしかしたら、気障な自分が出てしまっていたかもしれない。
ヨルに気付かれぬ様、ひっそりと。
この頃、まだ好意を抱いてわけでは無いが、それでもこれは、今も秘密のままだ。この頃から既に格好付けていたなんて、知られてしまったら恥ずかしくて堪らない。
その後、タロとたまたま会った。
実は、おれがタロと日中会うのは珍しい事だった。
いつもは夜中に、怪異関係で顔を合わせる事が常だったのだ。
そのままタロを紹介したが、タロはヨルに特に警戒する事も無かった。
実はこれにも驚いていた。
タロは意外と、警戒心が強い。
その警戒心の強さは、悪意やその人の強気な態度に左右される部分が大きい。
そういった点を敏感に察知するが故に、タロは怪異を見つけられるのだろう。
おれがタロと初めて出会った時、それは、見回り中に怪異に向かって吠えるタロを見かけた時だ。
その時は、根性のある犬だと思ったと同時、こんな危ないところで一体何をしているのだこの犬と失礼ながらに思った。
おれが怪異を斬り伏せて、危ないから何処かへ行けと不躾に言ったらば、タロはフスッと鼻を鳴らして挑発してきたのを覚えている。
幾度と顔を合わせてお互いやっと認め始めたものだ。
そんなタロに、ヨルは初めて出会ってすぐに頭を撫でる事が出来た。
タロは、ヨルが危害を加える様な人間ではないと感じ取ったという事だ。
ヨルの為人が、ハッキリと見えた気がした。
そして、おれとヨルが初めてあの妖怪と出会った日の事だ。
あの日も、おれの不甲斐無さが出てしまった。
妖怪の倒し方がわからなかったという事もある。
結果として、妖怪を倒す事が出来なかった。
ヨルに怖い思いをさせてしまったのが申し訳なかった。
おれの好きな江戸の町の人々から愛を奪うあの妖怪を倒す事が出来なかった為に、これからも町の人々は恐怖する事になるだろう。
それが、とても苦しかった。
ヨルに放った言葉も気になった。
ヨルを狙うと、あの妖怪は宣言したのだ。
あの夜は、とても悔しかった。
眠る事等出来なかった。
おれにもっと力があれば、と考えが消えなかった。
少し身体を休めたら、その後はただひたすらに剣を振るった。
もう、こんな思いをしない様に、と。
早朝、ヨルが部屋から出てきていた。おれの気付かぬ内、いつの間にかおれの鍛錬を眺めていたようだ。
寝れなかったのだろうな、とすぐにわかった。
少し紅潮した顔の意味は、おれにもわかっていた。
だが、それよりも、紅潮した顔だからこそハッキリと浮き彫りになった目の下の隈が気になった。
江戸の夜は、恐ろしく暗い。
いつ襲い来るかわからぬ闇に包まれて寝る事は出来なかったろう。
おれは、人知れず刀を強く握り締めた。
ヨルの過去を聞いた。
泰平の世ではあろうとも、人の苦悩は無くならない。
それはそれとしても、おれは、ヨルの事を偉い子だと思った。
不思議な体験を、ただそこで終わらせず、感謝を続けるその姿勢も。
その習慣故に奇異な目で見られる事になろうとも、人を恨まずに、習慣を続ける上で周りと調和しようとするその努力も。
本気になった事が無いというヨルだが、おれから見たヨルはそうは映らなかった。
とても優しく、人の事を想える子で、目的はどうあれ周りと合わせる努力も続けている。
これから先、めげずに頑張って欲しいという意味も込めて、僅か数年しか変わらない歳の子に偉そうな口をした。
同時に期待した。
この子はきっと、本気になれば何処までも進んで行けるだろうと思った。何をするにしても、この子ならばきっと何かを成せるだろうと思った。
生きている時代が違う為に、その時おれは隣にいないだろう、というのが残念な気持ちだった。
実際、そこから数日間のヨルの頑張りは目を見張る物だった。
おれやおれの父の知り合いをあたって妖怪について調べた。
共に考える中で、妖怪との戦い方について学んだ。
この時間は真剣なものであると同時に、おれにとって楽しい時間だった。
二人で一つの目的の為に全力を尽くしている時間が、おれにとって楽しかったのだ。
いつも一人で駆け回っていたおれにとって、新鮮な時間だった。
次第に積もる時間の中で、おれはヨルに少しずつ、心が惹かれていった。
二人で大きな満月を見た。
月は大きく綺麗な真円で、月の模様がハッキリとわかる程に輝いていた。
その時、ひょんな事からヨルと手を繋ぐ事になった。
今、襲われれば一歩遅れてしまうな、なんて考えながら、それでも手を離してしまうのが惜しい気がした。
いつか、おれとヨルには必ず別れの時が来る。
絆を深めるのは、良い事とは思えなかった。
それでも、どうしてか、ほんの少しだけで良いからと、我が儘になってしまった。
良くはないと思いつつも、繋がる手から感じる温かさを、少しでも長く感じていたくなってしまった。
満月を見て、横目でチラリとだけ、ほんのり赤い顔で微笑むヨルを見て、おれの心は満たされた。
この景色は、この今は、おれの宝物になるだろう。
おれの中に、今までに無い感情が確かにあった。
そして、最悪のあの日。
忘れられないあの日が来た。
あの妖怪を目論み通り誘き寄せ、戦った。
最初は優勢だった。
ヨルの事を気に掛けつつ、それでも尚、圧倒出来た。
だが、妖怪に言われた言葉でおれは動揺した。
動揺したのは、ヨルに好かれていたのを知ったからでは無い。
そんな事、おれはもう知っていたからだ。
妖怪が言っていた、わかっている筈だろう?という言葉は的を射ていた。
ヨルは、おれに好意を伝える様な事はしておらず、江戸の人を想っているからと連想させるような状態で話を終わらせていた。
これは、おれが意図的にそういう話の終わり方に持って行ったからということも関係している。
おれはヨルへの恋心には気付いていないフリをしていた。
出来ていたかはわからないが、そうするように強く意識していた。
おれからも、それについて言及する事はしなかったし、おれがヨルの事を気になっていると言った事も無い。
では何故あの時、妖怪から恋心の話をされた程度で激しく動揺してしまったのか。
ヨルは気付いていなかったようだが、おれの中にはもう一つ仮説があった。
奪われた夫婦愛、友愛、様々な愛。そして、狙われた姉妹愛、ヨルの恋愛。
この被害者達を、おれは全員よく知っていた。
共通していたのは、深い愛である事は勿論だが、同時に、お互いに想い合っているという事だった。
これは、被害者達の事を昔から良く知っているおれだからこその着眼点だ。
お互いに、愛し合っているからこそ、あの妖怪は狙うのだ。
おれが動揺したのは、これから去るであろうヨルに、おれの気持ちがバレたかもしれないという事についてだった。
好いていた相手に実は好かれていたという事実を、妖怪からバラされた事をヨルがどう思っているのか、急に不安になってしまったのだ。
このまま妖怪を倒してしまって、ヨルが現代に帰る時、その気持ちは足枷になってしまわないかと、変に意識してしまった。
いっそのこと、本当は好きだと自分から伝えておけば良かったのかもしれない。
何も気付かぬフリをして、妖怪を倒せてしまえばそれが一番良かったのだろうか。
事実、ヨルは何も気にしていなかった。
というより、気付かなかった。
考えてみれば当然だ。
調査している時ですらこの事実には気付かなかったわけだし、あの危機的状況で突然思い付く筈も無い。
おれが言うべきだった事を、妖怪が間接的にではあるがわざわざ言葉に出して伝えた状況に、勝手におれが動揺した。
動揺したのは、おれが意気地無しだからだ。
そのまま状況はどんどん悪い方向に進み、最終的にヨルの恋愛は奪われた。
守ると約束したのに、守れなかった。
勝つと約束したのに、負けてしまった。
好きな子が泣いているところを見た。
おれが不甲斐無いばかりに、好きな子を泣かせてしまった。
おれの事を信じていたばかりに、不幸にしてしまった。
あの妖怪が、敢えてヨルを狙ったのは、ヨルが弱いからじゃない。
ヨルの強くて綺麗な心を奪い、そして、
おれのこの、どうしようもない程煮えたぎる、あの状況への後悔と、あの妖怪への深い深い憎しみを嘲笑う為だ。
おれは、泣く事は無い。
男子たるもの、泣いてどうする。
ヨルの時代ではどうかは知らないが、泣く姿を見せられる筈が無い。
泣いている好きな女の子の前で、泣いてどうなるというのだ。
あの妖怪を、必ず斬る。
続けてきた、今までの全てを懸けて。
あんな妖怪に、これまでの全てを壊されてたまるか。
変わらない、全ての人の、大切な心を取り戻してみせる。
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