おれの話

 ヨルは、何も悪くない。

 失敗してしまったのは、おれだった。

 ヨルはむしろ、良く頑張ってくれた。


 ヨルに好かれていると知って、おれは動揺した。

 動揺したのは、おれが……。


 ○


 おれは、名の通った武家の父と、これまた名家の母との間に生まれることとなった。

 父は、お城にお勤めして剣術指南役となっていた。

 他にも、道場に呼ばれる等、その腕が振るわれる事は多岐に渡る。

 つまりは、剣を操る事においては非常に上手で、あらゆる面に重宝された。

 幼少の頃より、おれも剣の道を極める為、日々鍛錬を積む事となった。

 それは、おれの誇りであった。

 どこに行っても顔の知れた父に、誰もが振り向く美人の母。

 その誇りに泥を塗らぬよう、努力した。

 気高き両親の長子は、こうも立派である。

 そう言われる為に努力した。

 その努力が苦では無かったのは、父の指導方針にもよる。

 父は、苛烈な剣を得意とした。

 敵があれば、全てを屠る強き剣である。

 臆する事無く立ち向かい、斬り伏せる。

 戦国の剣を忘れぬように継がれる剣術。

 しかし、おれはそれがどうも得意では無かった。

 昔、おれが試合をやった際、相手に攻め込む事がどうしても出来なかった事がある。

 その試合は、結局引き分けとなった。

 父が、何故後一歩踏み込まぬのか、とおれに聞いた。

 おれは、踏み込めば此方も少しの傷を必ずや負う事になり、そうなれば、その試合は勝てても次の相手には勝てるかわからぬからです、それほどに、実力は拮抗しておりました、と答えた。

 父はその答えに、笑った。

 先を考える事は悪い事では無いが、目の前の相手に全力を尽くす事こそが礼儀である。

 父はそう言っておれを嗜めたが、その後に、お前の考えは、戦から泰平へと変わるこれからの剣術に、相応しいのかもしれんな、と笑った。

 自身の命すら犠牲にしてでも主君を守る為に目の前の相手を倒す、今を重きに置く苛烈な剣とともに、己が無事を十全にする事で、己の後ろにいる主君の為に戦い続ける、後に重きを置く護身の剣。

 それは夢のようで、新しき剣術だ。

 その道、倒れるまで進むと良い。

 父はそう言ってくれた。

 昔では考えられなかった、目の前の相手を倒す為だけでなく、自身と、そして後ろにいる守るべき者の為の剣術を、父は尊重してくれた。

 おれは、おれの剣を極める為に一層努力した。

 進んでも良いと言ってくれた父を後悔させない為、そして、肯定してくれた父が周りから何も文句を言われぬように。

 守る剣を極める理由になったのには、もう一つ理由がある。

 おれに合っていたというのもそうだし、そのもう一つとは、江戸の町の人達のおかげだからだ。

 幼少の頃より、おれはよく町に出掛けた。

 時に城に行く父、時に道場に行く父。父について行き、おれは外に出る事が多かった。

 顔が広く、優しき父に、町の人達は好意的であった。

 その倅であるおれにも好意的だった。

 まだまだ年端もいかぬおれに、町の人達は優しくもてなしてくれた。

 歳が十もいかぬ小僧にだ。

 それが当たり前であった為に、デカい態度を取ったおれを、母は笑った。

 与えられる事を当たり前に思うとは、まるで殿上人ですね。あなたはそれ程偉いのでしょうか。

 もてなされるのは、おれの力で手に入れた物では無い。

 笑われた時、おれは途端に恥ずかしくなった。

 町の人は、変わらずおれに優しかった。

 父の為にと磨いた剣は、父の為のみに在らず。

 この剣、恩を返す為に磨くのであれば、今後仕える主君のみならず、おれを支えた人々の為に。

 守る為の剣は、より広く、より大きくせよ。

 おれの道はさらに固まった。

 修行に明け暮れた。

 色恋等必要無かった。

 手の皮は幾度も潰れ、固くなる。

 自分の事は二の次だった。

 町の人が困っている事には積極的に顔を出した。

 鍛え続ける剣で恩返しがしたかった。

 時に盗賊、時に怪異。

 守る為の剣を練り、練られた剣は次第に攻めにも転じ始める。

 おれの名も、城下に広まり始めた。


 町に盗みを働く輩が現れた時の話だ。

 よく揉め事に出張っていたところ、町の人から相談を受けた。

 何でも、江戸の町に住まずに旅を続ける浪人が、町の店先の物を盗んでいくらしい。

 それを目撃した町娘が、強気にも追いかけて捕まえようとしたそうだ。

 その時は逃げられてしまったそうだが、問題はその後だった。

 浪人は、盗みのみならず、夜になってからその町娘を襲おうとしたらしい。

 その時は、同居人や家族がいち早く気付き、何とか事なきを得たそうだが、それにしても酷い話だ。

 その浪人はまたも逃げ出した。

 そのまま江戸を離れてしまえばどうしようもなかったが、どうやら怪しく隠れて留まっているらしい。

 広く土地のある江戸とはいえど、知れ渡った人相は薄れない。だというのに、捕まらぬ。

 おれのよく行く町は、誰も彼もが優しい人物ばかりである。それでいながら捕まらぬ。

 恐らく、浪人を匿っている者がいるか、もしくは町の情報をいち早く手に入れられるような徒党を組んでいるか、という話になった。

 恩ある町の者に頼られたのであれば、断る道理も、逃してしまったという結果もあってはならない。

 おれは、東奔西走駆け巡った。

 朝も昼も夜も走った。

 訝しむ町の人達には、今は体力作りの最中だと語った。

 実際、この頃からよく町の見回りがてら走る事が多くなった。

 ヨルが隣にいる時は歩くようにしていたが、おれは基本的に駆け足ばかりしていた。

 その当時、件の浪人を見つける事は出来なかったが、悪事は目に見えて減っていった。

 何と言っても、見つけては即時断罪。

 別に殺す事はしなかったが、おれの剣の腕も上がり、若いながらも相当な実力を付けていたおれに敵う者は少なかった。

 そんな輩が、日夜問わず駆けずり回っているのである。

 悪漢達は大人しくする事しか出来なかった。

 いつ走って現れるかわからない若くて強き侍に、恐れを成したのだ。

 そしてある時、おれは数人で寄り集まった浪人を見つけた。

 その中には、狼藉を働いた輩が混じっていた。

 町娘を襲った者だ。

 浪人集まって様々情報を交わし、逃げ仰せていたのか。

 卑怯者め。

 その頃にはかなり走っていたもので、おれの息も上がり、汗は着物でも分かる程にかいていた。

 その様子を見た浪人達は、良い機会だとおれを逆に襲い掛かった。

 数人に囲まれて、一斉に刀を振られた。

 疲れながらに息を整え、身を守る為の徹底した剣技は、実戦にて完成した。

 どれ程疲れても呼吸の仕方によってある程度まで回復させる術を得たのは、この時である。

 あの憎き妖怪に押され続けても耐え忍べたのはこの時の経験が大きい。

 かくして、おれは苦戦を強いられながらも勝利した。

 浪人達を捕らえ、役人に突き出した。

 この時賜った言葉をおれは今でも誇りに思う。


 主君、徳川に仕えし者、否、仕えたのは泰平の世。

 忠義を尽くしたのは民の為、これ皆万感を持って讃うべし。


 父も母も、あの日の夜の褒めようはすごかった。

 まあ、一人で数人相手取る事に関しては怒られたが。

 己の命をもっと大切にせよ、と。

 とはいえ怒られたのも、父と母の優しさあっての事だ。

 あの日、おれは初めて、父の威光ではなく、己で手に入れる事成った、と自分の誇りを胸にした。


 その日より、おれは正式に、町の一定区画を警備する事となった。

 これには、町の人達も大いに喜んでくれた。

 おれは、この町の人達にも育てられたようなものだ。

 それが町の人達の誇りにもなったようだ。


 剣術の腕前も認められてはいるが、まだお城に勤めるには早いと父に言われた。まあ、おれは元服すらしていないのだ。この意見は当然である。

 ただ、経験の為にも、勤めではなくとも登城するくらいは良いのではないか、と声も掛かりかけたが、父は止めたようだ。

 そんな折、町に異変が起こり始めた。

 少しばかりではあるが、妖怪の姿を見たという人が現れ始めた。

 ヨルの時代では、妖怪は眉唾物、存在は中々信じられないモノであるそうだが、おれの時代ではそうでもない。

 古来より、神仏を重んじる我が国は、妖怪の存在も信じている人は多かった。

 事実、いた。

 だが、そうお目に掛かるモノではないのも事実だ。

 魑魅魍魎、百鬼夜行、八百万、とまではいかないのが現状だった。

 おれの時代、江戸の時代にも数はそうそう多くは無い。

 実際、妖怪の仕業にして、人が悪さを働く事の方が多かった。

 とはいえ、妖怪が出たのだ。最近になって、突然活発になった。まるで、土俵際に立たされてしまったとでも言うように。

 妖怪が出て来て、妖怪を退治する話等幾らでもあるが、共通するのは、その時代における強者が、妖怪を退治するという事。

 中には武芸に通じていない者が、妖怪を追い返す話もあるが、それはそれ。

 幕府から妖怪退治の話を、おれは仰せつかった。

 おれだけでなく、あらゆる侍に声が掛かっていた。

 おれは町に出て、幾つもの怪異を倒してきた。

 タロの事を知ったのも、この頃だ。

 町に随分、賢い犬がいるとは聞いていた。

 おれが駆けずり回って怪異の元に行くと、毎度タロがいた。

 時には、タロがおれを連れて行く事もあった。

 それから数ヶ月、江戸から賑やかさは消えず、しかし恐怖も消えず、時が経った。

 妖怪、そして、妖怪のフリをしながら悪事を働く盗人。

 何度も相対し、その度に倒してきた日々の中、おれは、ヨルに出会った。


 おれにとって、運命の出会いとなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る