変わり始めたわたしの話
「わたしはね、どんなことでも本気になることがなかったんだ」
話し終えたわたしは、なんだかスッキリとしていた。
気持ちがすこし、軽かった。
こんなこと、だれにも話したことがない。
友達はもちろん、お父さんやお母さんにも話したことがなかった。
エニシに話してしまったのはなぜだろう。
エニシはずっと真剣に聞いてくれて、どんなこともほどほどに、本気になりきれないわたしの話をバカにすることなく聞いてくれた。
神様に助けられたとしか思えないという不思議な話も、それをなぜか大切にしていることも、笑わずに聞いてくれた。
だからだろうか。
あぁ、わたしは、エニシが好きだなぁ。
「エニシはすごいよね。剣術?っていうの?毎日毎日頑張って、自分だけじゃなく誰かのために。いつだって、全力で、本気だ」
わたしの言葉に、エニシは優しく微笑んだ。
どうして笑ったのだろうと見ていると、エニシはこんなことを言った。
「おれは、生まれてからそう生きることが定められていたようなものだ。自分のやるべき事、やりたい事が、たまたま早期に見つかっただけだ。どんな理由、どんな事であれど、ヨルが頑張ってきた事には変わりがないと思う。なあ、ヨル。おれには、この時代に来てからのヨルしか見てないが、それでも、ヨルが何に対しても必死じゃないなんて風には見えなかった。突然押し付けられた、神様代理とやらからのお願いにだって、投げ槍になっているようには見えなかった。……この時代、おれのように、剣術を頑張っている人間はどれだけいると思う。おれのように、それを職にしている者、しようとしている者はどれだけいると思う。どんなにありふれたものでも良いんだ。ヨルが、ヨルの心が、少しだけでも頑張ってみたい事に目を向けて見ると良い。それを頑張ってみると良い。全ては、繋がる。どんな事であっても、必ず何かに、いつかに、繋がるはずだ」
「……そう、なのかな」
どんなありふれたものでも良い。
少しだけでも頑張ってみたい事。
本当は、思い当たるものなんていっぱいあるんだ。
歌でも絵でもスポーツでも、興味があるものはいっぱいあるんだ。
そして、今ちょうど、どうしてもがんばってみたいこともあるんだ。
エニシ、わたしね、エニシに恋をしているの。
それをがんばってみたい。
妖怪を退治したら、この時代にいられる時間も終わりなんだと思う。
わたしは、この時代にずっといることは出来ないんだと思う。
でも、妖怪を退治しなければ大変なことになるから、絶対に退治しないといけない。
この恋は、きっと叶わない。
叶ったとしても、終わりがすぐそこにあると思う。
それでも、がんばってみたい。
わたしの初めての恋で、わたしの初めての本気。
「うん、エニシ。わたしがんばる。本気になれそうなこと、今もひとつだけあるの。その初めてを、本気でがんばってみる」
「そうか。おれはそれを、応援する。何があっても、何が起ころうとも、おれは味方だ」
ふふっ、それってホント?
わたしが、あなたのことを好きって言ったら、どんな顔をするのかな。
○
「さて、そろそろ物怪についても考えなくてはな。そもそも、アイツに会う為に必要な条件は、恐らくヨルの心持ちに関してだが、その点はどうだ?」
「何が、とは恥ずかしくて言えないけれど、大丈夫だと思うよ。もう今からでも襲いかかってくるくらいかも」
その言葉にエニシは、うぅむと唸った。
「言わないのか……」
「言えませーん。けど、江戸の人のためを想ってる。絶対来るよ。わたしが来させる」
「それはそれで、おれは喜べんな。この町、そして江戸の事を想ってくれているのはありがたいが、ヨルが危険な目に遭うというのは何とも……複雑な気分だ」
あ、なんか上手いことごまかせたな。
わたしの抱く『愛』は間違いなく恋愛のはずだし、妖怪が狙っているのも恋愛のはずだ。
でも今の会話の流れ、江戸を想っている『愛』の感じになった。
まぁいいか。その方がわたし的にも気持ちが軽い。
「それよりも、妖怪を倒す方法だよね。エニシはなにか考えがあるの?」
「そうだな。乱雑に斬っても倒せない。が、いっそ細切れにでもすればいずれは当たりを引くのではないか?」
それは流石に無茶がすぎる。
「斬るべきところを絞る必要があるよね」
「まあ、そうだ。斬るべきところさえわかれば、戦い方が固まる。そうなれば、かなり楽になる」
妖怪の核となる部分、っていうと、どこになるのだろう。
「妖怪について調べてみるか、あの妖怪について詳しくなる必要があるかもね。妖怪そのものについてもそうだけど、被害を受けた人たちからもっと詳しく聞いてみればなにかがわかるかも」
わたしが言うと、エニシはアゴをさすって、感心したようにしていた。
「確かに、無策で挑むには不安か。物怪が何をしたいかはわかったが、結局おれ達の戦い方も定まっておらず、どころか物怪の戦い方も倒し方もわかっていない部分の方が多い。一応、聞いていた事は全て記録しているし、それにも改めて目を通そう。おれだけでなく、ヨルに見てもらった方が良さそうだしな。しかし、いきなり方針が決まったな」
「まぁねー、本気でがんばるって決めましたから」
わたしが笑うと、エニシも同じように笑った。
「心強い。頼むぞ、ヨル」
「まかせなさいな」
さーて、いそがしくなるぞう。
まず、妖怪について調べてみた。
エニシはずいぶん顔が広いようで、神社やお寺、他にも絵描きだなんだと知り合いが多く、わたしが思い付く限りの人から様々な話を聞けた。
そこにある本も読ませてもらった。
文字の書き方がなんというか、わたしの知っている日本語ではなかった。
個性的すぎる。なんかすんごいふにゃふにゃした書き方してる。
昔の人の書いた本ってなぜかやたらと文字がうねうねしていて読めたものじゃない。
なのでエニシに声に出して読んでもらったし、えらくむずかしい言い回しばかりだったのでわかりやすく解説もしてもらった。
色々と情報を集めたのだが、これがすごく大変だった。
理解するのに長い時間がかかる。
それでも必死にがんばった。
わからないけれどもわからないなりに、自分の中でかみ砕いて勉強した。
勉強っていうのはもっとしておくべきだと思った。
江戸時代は、現代のようにゲームとかそういった遊びがない。
一応、遊ぶためのオモチャは色々あるようだけれど、どれも小さな子ども用だ。
わたしたちのような子どもから大人へと変わっていく年代が楽しむものは、基本的に大人が語る歴史にそった物語や、もしくは、算術と呼ばれる、今で言う算数や数学についてだった。
ガッツリ勉強だ。
それが楽しみだとは、なかなか想像すらしていなかった。
江戸の町には、看板めいた物のところに算数や数学の問題が張り出され、それに対してこれこそ答え、と道行く人が答える遊びもあるほどだ。
びっくり。
とはいえ、わたしはわたしでちゃんと役に立つ点も多くあった。
勉強に関しても、江戸時代ですら未だに発展途上。
小学生であるわたしですら、物知りと言われるレベルで知識は豊富と扱われるくらいだ。
これは、現代から来たわたしの強い利点。
もっと勉強していれば色々楽だっただろうけど、今はそうも言ってられない。
とにかく、わたしは必死に、エニシが集めてくれた情報を整理した。
妖怪は、昔から存在していたものであるが、多くは想像から生み出された眉唾物だ。
つまり、実際に存在しないモノがほとんどだろうということだ。
江戸時代ですら、夜はとてもとても暗い。
それこそ、どこにいようが満天の星空が見えるほどに明かりがない。
夜は見れないものが多く、しかし色々と不思議な事が起こる。
だから、人はそこに妖怪といういるはずのない存在を想像して、作り出したわけだ。
でも、全てが全てというわけじゃない。妖怪は、ちゃんと存在していた。今はまだ。
では、その妖怪が不思議な現象を起こしているわけだが、どうやっているかは判然としない。
ここに理由はつけられない。
でも、妖怪の共通点は、普通の人では出来ない事を、普通の方法ではしていないこと。
だからこそ、恐ろしい。
そして、この恐ろしいということが大事なようだ。
妖怪は、人に怖がられることが一番大切。
そういえば、わたしとエニシがあった妖怪も言っていた。
だれかを愛しているという感情がすっぽりと奪われて、そのぽっかり空いた穴が気味悪く、そのために疑って怖くなって仲違いを始めてしまう。
妖怪の狙いはそこで、江戸を恐怖で満たすのが目的だ。
妖怪というものがどういうものか、そして、なにが目的なのかは大体わかった。
それを調べているうち、意外と目についたのは、妖怪が倒されている場合も多いということ。
妖怪が恐ろしいのは変わりないが、人の恐怖から生まれた以上、その恐怖を上回る強い意思があれば、妖怪を倒すことは可能なようだ。
妖怪、ぶっ倒すぞー!と思っていれば、意外と倒せないことはない。
これも貴重な情報だった。
斬っても斬っても倒せない可能性もあったが、倒せるということがわかった以上、わたしが心配することはなにもない。
なぜなら、エニシが絶対に倒してくれるからだ。
エニシのあの感じなら、妖怪相手に弱気になることはないだろう。
反対に、エニシがもし弱気になるようなことがあれば、妖怪は絶対に倒せないということになってしまうが……きっと大丈夫だろうとわたしは思っている。
迷うことさえなければ、エニシは負けない。
次に調べたのは、妖怪は妖怪でも、あの妖怪について。
感情を奪う妖怪、というのはかなり調べたけれど見つからなかった。
夢を食べるとか、相手の心を読むとかいう妖怪はいたけれど、あの妖怪についてはわからなかった。
なので、倒し方は見つからなかった。
わからないのならば、新しく考えるしかない。
ここが一番のがんばりどころだ、とわたしは思った。
少ないながらも、色々読んできた物語を思い出す。
まず、心ってどこから生まれるのだろうと考えた。
考え始めて、最初に触ったのは、胸だ。
心臓のあたり。
わたしが、エニシのことを好きだと思った時、エニシに好きな人がいたらなぁと考えたりした時、キュッと苦しくなったのは、胸の奥だ。
もし心がそのあたりから生まれて、そこにあるのだとしたら、ここが苦しくなったり痛くなったり、どうしようもなくうれしくなって高鳴り始めるのも、ちょっとだけ納得出来る。
だから、被害にあった人に聞いてみた。
多くの人が、速すぎてわからなかった。いつのまにか綺麗な丸い玉のような物を奪われていたと答えたが、その答え以外の他の人はみんな同じように答えた。
痛みは無かったが、胸の真ん中辺りを黒い手で貫かれた。
これが答えだった。
あの妖怪が、心を奪う時は必ず人の胸のところから抜き取る。
というのであれば、あの妖怪にとって肝心な部分は、胸のあたり、心のある場所ということだ。
これは、もしかしたらわたしたちに限らず、妖怪もそうであるかもしれない。
つまり、妖怪の弱点、核になる部分も、心のある場所。
胸の奥という可能性はないだろうか。
もし、そこをエニシが的確に斬ることが出来れば、あるいはあの妖怪を倒すことも出来るかもしれない。
わたしがエニシにそのことを話すと、エニシは「あり得るな」と頷いてくれた。
これだけ調べ、考えつくまで実に一週間はかかった。
その間もエニシと一緒に行動して、エニシと一緒に夜の見回りを続けていたけれど、妖怪にはなぜか会わなかった。
戦い方も定まっていない時に来られても困るのだが、なぜ襲いかかってこないのか気になる。
わたしはエニシへの恋を自覚しているし、その恋心はふくらむ一方だ。
2日前の夜なんて、それはもうすごいものだった。
わたしとエニシとタロで見回りをしていた時だ。
もはやタロの散歩みたいになっていた夜の見回り。
最近は、タロがやたらとわたしたちに懐いているように見える。
尻尾を振りながらこっちに走り寄ってくる。
勢い余ってもはや足首を甘噛みしてくる。
どういう愛情表現だ。
その後はタロが先導して歩いていく。
お尻をフリフリしているなぁと思いながら見ていると、ときおり振り返ってこちらをジッと見て立ち止まる。
先に行きすぎず、わたしたちを待っているのだ。
かわいいやつめ。
そんな感じでエニシと歩いていると、突然ガサリと音が鳴った。
ほぼ日課になっていて慣れてきたとはいえ、心の中ではしっかりと妖怪のことを意識している。そして、真っ暗闇の中、提灯程度の明かりで歩く江戸の町は、あいかわらず超怖い。
わたしは音にビックリしてしまい、思わずエニシの手をギュッと握った。
心臓が跳ね上がる。
ドキドキと大きく心臓が動いているのがわかる。しかも早い。
手を繋いですこし、わたしとエニシの前をスゥーっと横切っていく大きめの紙。
ガサリと鳴った音の正体は、たまたま風で飛んできた和紙だった。
幽霊の 正体見たり 枯れ尾花。
恥ずかしいことに、幽霊だの妖怪だのとはまったく違う物を怖がってしまっていたらしい。
ホッとすると同時、エニシがポツリと言った。
「これでは、妖怪が出てきても刀が振れぬな」
それを言われてやっと気付いた。
わたしが好き好きとアプローチするつもりはカケラもなかったのだが、なんと今、わたしはエニシの手を握ってしまっている!
今度は別の意味で、心臓が跳ね上がる。
ドキドキとした音は、さっきよりも大きくて、止まらなくなった。
エニシの手は、大きくてあたたかかった。
幾千幾万と刀を振り続けたことで、手のひらはゴツゴツしていて、固かった。
同じ歳くらいの男の子で、こんな手をしている子がそういるだろうか。
握ったことなんてないけれど、見ている限りでもそういない。
エニシが、男の子であることをさらに意識することになった。
エニシは、刀を振れないなんて言いながらも別に振り払うこともせず、握られた手をほんの少しだけ、握り返してくれた。
「不安か?」
エニシの言葉に、わたしはブンブンと首を横に振った。
「全然!」
わたしが大きな声で返すと、エニシは微笑みながら「そうか」とだけ答えた。
星の綺麗な夜だった。
黒い暗い夜空の中に浮かぶ、大きな丸いお月様。
その周りで、たくさんの星がキラキラと散りばめられていて、どれもが強く輝いていた。
今、妖怪が出てきても、エニシもわたしもきっとなにも出来ないな。
そう思いながらも、せっかくだからとわたしは手を離せなかった。
それどころか、またちょっとだけ強くエニシの手を握った。
そうしたら、エニシもまたちょっとだけ手を握り返してくれた。
2人で立ち止まって、手を握りながら夜空を眺めていた。
月はとても、とても綺麗だった。
この景色は、この今は、わたしの宝物だ。
すこし遠くで、タロが待っていた。
我に返って、手を離す。
なにか言いたげに見つめてくるタロに謝って、見回りを再開する。
タロがどこかニヤニヤしているように見えるのは気のせいだろうか。
わたしの恋心は、ふくらむ一方だ。
この気持ちを、わたしは大事にしたかった。
あんなことになってしまうとは、思いもしなかった。
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