夜を越えて
妖怪と会ったあの一夜を越えて、朝。
わたしは、全然寝れなかった。
あの後、エニシとわたしは屋敷に帰ることにした。
エニシが言うに「今日はもう、おれたちの前に出てくる事はなかろう」とのことだった。
たしかに、腕を2回も斬り落としたのだ。
両腕なくなったものね、とわたしが言ったのだけれど、エニシは首を振った。
「手応えが殆ど無かった。恐らくだが、核となる部分を斬らなければ、どこを何度斬ろうとも意味が無いだろう」
エニシは、ため息混じりにそう答えた。
このまま見回りを続けても、会う事は出来ないし、わたしたちがいないところに移動されて悪事を働かれるだけだ。
どうせなら戻って休もう、というのがエニシの結論だった。
「じゃあ、もうあの妖怪を止める事は出来ないの?」
「そんな事はないだろうな。あの物怪、どうやらヨルに関心がありそうだった。物怪の言から察するに、ヨルの中には今はまだ不完全ながらも、何らかの愛に属する感情が生まれ始めているということだ。それが何かはわからぬが、近いうちに必ずまた姿を現すだろうな。その時、迎え討つしかあるまい」
エニシの言葉に、わたしはドキリとした。
もう一度、あの妖怪と会わなければならない、ということにじゃない。
わたしがドキリとしたのは、生まれ始めた感情についてだ。
それって、絶対……と思ってしまう時点で、答えは間違いないのだろう。
わざわざ妖怪が口に出したのも原因のひとつだ。こんなの、意識しないわけがない。
「……?どうした、ヨル」
エニシが優しく向けた視線に、わたしはパッと顔をそむけた。
顔が、赤くなりそうで。
いや実際、もうすでにちょっと熱いんだけども。
「なんでもない!それより、妖怪とまた会うには、わたしが重要なわけだよね。今日はもう帰るとして、明日以降はどうするの?」
「そうだな、今後の事も考えねばなるまい。一度寝て、改めて考えよう。怖い思いをさせてしまったな」
エニシの申し訳なさそうな顔を見て、わたしは何も言えなかった。
わたしが何も出来なかったから、エニシは今日、妖怪を倒せなかったんじゃないの?
申し訳ない顔をしなきゃならないのは、わたしのほうなんだよ。
わたしは、タロの頭を撫でながら、ちょっとだけ泣きそうになってしまった。
その後は、タロと別れて、エニシの屋敷に帰った。
タロも屋敷に来てもらったら?と言うと、エニシが「何故か誰の元にも来たがらんのだ」と返した。
タロはお尻をフリフリしながら夜道に消えていった。
また明日も会えるから心配するな、とエニシは言っていた。
屋敷に帰ってから、布団に入り、寝ようとしたけれど全然寝れなかった。
闇が怖かった、というのももちろんある。
いつ、あの妖怪が出てくるか。
目を瞑れば、目を瞑ったわたしのその目の前に、あの大きな口を静かに裂きながらわたしの顔を覗き込んで来ているのではないか。
そんな不安が離れなかった。
だけど、寝れなかった理由はもう一つある。
エニシだ。
意識し始めると、止まらない。
かっこよくて、やさしくて、かわいくて、つよい。
汗をかきながら、息を切らしながら、それでもわたしを守るために必死だったエニシの姿が、勝手に浮かぶ。
『心配するな。おれが守る。おれが、勝つ』
歳は一つしか変わらないはずなのに、大きくて、堂々とした背中。
「んもー!もー……!」
寝れるわけがなかった。
○
早朝で、まだ空は白く綺麗な感じだった。
部屋の外に出て少し歩いていると、中庭に人がいた。
エニシだった。
エニシは、重そうな刀を何度も何度も、繰り返し振り続けていた。
余程長い時間、いっさい力を抜かず振り続けていたのか、エニシは上半身裸の袴姿だった。
すぐ近くに置かれていた羽織りの着物も、汗をよく吸っていたのか、濡れているのが遠くからでもわかった。
一体何時から始めていたのか。
倒せなかったから悔しくて、と最初は思った。
だけど、エニシの足元を見て、それもあるかも知れないが、それだけではないことにも気付いた。
エニシの足元だけが、草も生えず、土が他のところと違って固く、固く、踏みしめられている。
毎日、何ヶ月、何年、何度踏み込めば、ああなるのだろう。
エニシは、とても強かった。
その強さは、エニシ自身も言っていた、周りからも認められるほどだと言う。
才能も、もちろんあるのだろう。
それとは別に、それを上回るほどに、エニシは努力を積み重ねてきていたのだと知れた。
少年には不釣り合いな、鍛えられた筋肉は、かっこいいという単純な感想を超えて、尊敬になった。
かっこよくて、やさしくて、かわいくて、つよくて、がんばりやさん。
それは、自分のためでもあり、そしてなにより、助けるべき、誰かのため。
好きになってしまう。
わたしの頭の中で、言葉が浮かんだ。
浮かんでしまった。
わたしは、エニシのことが、好きだ。
エニシが、わたしに気付いて振り返る。
「今日は随分早いな」
キラキラ輝く朝日の中で、エニシが年相応に笑った。
わたしは、初めての恋を知った。
○
「さて、今日は何をするか」
エニシと町を歩く。
はたから見て、わたしたちはどう映るのだろう。
事情を知る町の人たちからは、やはりもめ事解決に奔走する二人に見えるだろうか。
それとも、最近よく一緒にいる恋仲に見えているだろうか。
さすがにそれはないか。
だけど、エニシをよく知る人たちからはないだろうけど、知らない人だったらどうかな……?
「指針が見えてこない故に、やるべき事もわからんな。ヨル?どうした」
なにも答えず、うつむきがちなわたしにエニシが心配そうに声をかけてくれる。
うつむいているわたしの顔を、身体を傾けて下からのぞきこんでくる。
エニシの顔がすごく近くて、わたしはびっくりして後ろにピョンと飛び跳ねた。
「え!?あー……とりあえず、わたしの感情が妖怪を呼び寄せるはずなんだよね!じゃあ、うん……」
わたしが、ワタワタと答えると、エニシはより一層、心配そうな顔になった。
「疲れたか?それよりも、昨日の件がやはり怖いか。当然だな。アレは、恐ろしくなって当然だ。もう戻って休むか」
「ううん!もう少し歩こう!」
「そ、そうか?ヨルがそう言うなら、そうしよう」
わたし、絶対変な感じになってるよね。
うぅ、でもさぁ、しょうがないよ。
初めてだもん、人を好きになったのなんて。
「それにね、実は、やるべき事ってわかってるの」
わたしが言うと、エニシはまたもズイッと顔を近付けた。
「本当か!?」
ち、近いよエニシぃ。
そんなに目をキラキラさせないで。
「う、うん。そのためにも、もう少し一緒に歩きたい」
「……む?理由は?」
言えるかよ!
ていうか気付いてよ!
妖怪は、愛を綺麗な物だと言った。
そして、わたしが抱いているこの『恋愛』。
これこそ、妖怪の求めているもののはずだ。
わたしが来た時、ちょうど奪われた物は『夫婦愛』。
聞くところによると、他にも仲違いをしてしまった人たちの関係性は、親友同士の『友愛』や、親兄弟に対する『家族愛』などたくさんあった。
あの時、わたしが気づき始めていた感情と、今、わたしの中で強く生まれた感情といえば、エニシに対する『恋愛』以外に他はない。
もちろん、元の時代の家に帰りたいとか、江戸の町の人々のためになんとかしてあげたいとかもあるけれど、きっと間違ってはいないと思う。
この恋愛をもっと強く感じるようにというのが妖怪をおびき寄せるための条件になるのなら、わたしはエニシともっといて、なんならデートとかしちゃって、とか。
は、恥ずかしい。
そうしたいと思うわたしも恥ずかしいし、そんなことをエニシに言うなんてもっと恥ずかしい。
言えるかよ!
たまに察し良すぎるかと思ってたのに、こんなところでは鈍感なエニシが、ありがたいような、もどかしいような。
「とりあえず、わたしといてくれればいいから!そしたら上手くいく!と思う!」
「なんだヨル。今日は随分、声が大きいな。えらく元気だ」
だれのおかげだよ!
「まあ、そういう事であればまだどこか回るか。タロに礼も言わねばならん。昨日は、タロが居なければどうなっていたことやら。怪異に近付かれていた事を気付けたのはタロのおかげだし、ヨルを守れたのもタロの頑張りが大きい。おれの楽しみにしていた豆腐をやる約束もあるしな。その後は、団子でも食べに行くか」
デートじゃん。
全然狙ってなかったけど、デートの流れが作れちゃったじゃん。
エニシ、わかっててやってるんじゃないだろうな。
妖怪が、エニシのことを色男と言っていたのもうなずける。
わたしも同じ気分だ。
「ヨルとも、もっとゆっくり話してみたいと思っていた」
え、エニシ……!
本当になにもわかってない?
そんな言葉言われると、ちょっと期待しちゃうんだけど。
実はエニシも、わたしのこと気になってくれてたりしないかな、って。
「何百年も後の江戸。一体どうなっているのやら想像もつかん。そこいらの絵巻物より遥かに幻想的だろう。気になって敵わん」
ああ、そっちね。
そういえば妖怪も、エニシは別にわたしになにも想ってなさそうな口ぶりだったなぁ。
わたしにばっかり焦点当ててるような言い方だったもん。
わたしは、ちょっとだけしょんぼりしながら「たくさん聞かせてあげるよ」と答えた。
○
タロに挨拶を済ませ、わたしとエニシはお団子屋にいた。
正確には、茶屋、というらしいのだけれど。
「お団子美味しいね。お茶も美味しい。身体に染みてく感じ」
「良い表現だな。現代では、小腹を満たす物は多くあるのか?」
「いっぱいあるよ。エニシが想像もつかないような物がたっくさん」
「ふん、おれだって多く知っている。かすていら、というものがあってな。これが甘くて、大変柔らかく、珍しい食べ物なのだぞ」
「あー、カステラね。美味しいよね」
「な、なんだと。食べた事があるのかヨル……」
その反応、エニシは食べたこと無かったんだ。
この時代、砂糖とかって、まだまだ高級品だったりして。
クッキーとか出したら、なんだこの小さくて甘いせんべいは!ってめちゃくちゃ驚きそう。
ケーキとか出したらどうなるんだろう。
わたしは、勝手に想像してクスクス笑ってしまった。
「流石に、食や物の文化では勝てそうに無いな。ヨルの方が、物知りだ」
エニシもクスリと笑う。
優しく微笑むエニシに、ドキッとしてしまう。
「でも、こっちにある物もめずらしいし、すごく楽しい。わたしの生きてる時代はね、すごい物がたくさんあるけど、江戸時代にあるのは見た事ない形ばっかり。現代に繋がっている物もあれば、もう見ないような物もある」
「失われていく物、というよりは、もっと便利な物が出来て必要と無くなった物か。たしかに、昔も昔となるとそういう物で溢れ返っているだろう。おれだって、平安時代にでも戻ってみれば大変驚くことばかりだろうな」
エニシはしみじみ、空を見上げながら言った。
「聞かせてくれないか。ヨルの話を」
「わたしの話?」
「そうだ。どんな生活をして、何を思って生きていたか。江戸は、泰平を掴んだ。平和を尊ぶ世は、今も続いているか?」
「うん、続いてる。わたしもちょっと勉強したくらいだけどね。平和じゃない世の中も、江戸時代から先にまた来てしまったみたい。だけど、世界はまた平和を大切にしようとがんばったんだよ。わたしが生きている世の中は、国は、平和を大切にしようって今はがんばってる」
「そうか。それなら、それで良い。歴史はいいさ。きっとまた、おれたちその時代に生きている人が努力し続ける。ヨルの『今』を、教えてくれ」
エニシの優しい言葉に、わたしはうなずいた。
わたしもね、わたしを知ってほしかった。
エニシのこともすごく知りたいし、わたしのことも、知ってほしい。
わたしは、わたしのことを精一杯話し始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます