怪異との遭遇
エニシの屋敷に戻って、仮眠を取った。
エニシはエニシで「やる事があるから寝ておけ」と言ったっきりどこかへ行ってしまった。
エニシは、いつでも大変そうだ。
1歳2歳と違うだけで、わたしもあんな風に見えるのだろうか。
そんなことはないだろう。
エニシは、子どもとは思えないくらいに大人びている。
落ち着きもそうだし、考え方も何もかもが大人だ。
でもなぁ、笑顔は子どもらしくてかわいかったんだよなぁ。
江戸に来て、怪異だとか妖怪だとかすごそうなのと会うだろうに、わたしの頭の中はエニシばかりになってきた。
好きじゃない。
別に好きじゃない、はず。
でも、気になってきてはいるのだろうな。ちょっとだけ、エニシといるとドキドキしちゃう。
むぅう、エニシめ。許せぬ。
なぜか、エニシのことが気になって仕方ないのだ。
それはまるで、昔からずっと側にいてくれていたような安心感。
やっと出会えたかのような、心がささやいている何か。
わたしは、何度も寝返りを打ちながら夜を待った。
○
「良いのです。客人だし、密に話したいこともあります。すぐに出ますから」
「そうですか」
「ありがとう」
わたしの部屋(客室)の前で何やら問答。
一人はエニシだろうな。
もうなんか、声でわかるようになってきた。
もう一人は、誰かわからないけれど、しわがれた声っぽい。
お年寄りだろうか。そのわりには、やたらと凛然とした声だった。そうですかの一言だけだったけど。
「ヨル、起きているか」
「起きてるよ。今出るね」
部屋から外に出ると、袴姿に刀という、いつも通りのエニシがいた。
対して、わたしは。
「似合っているな。動きにくくは無いか?」
小袖という、着物と違いがよくわからないけれど江戸の服を借りて、着替えさせてもらっていた。
実際違いはそう無いらしい。
開口一番、似合っていると褒めてくれたエニシ。
うむうむ、苦しゅうないぞ。
「うん、快適。でも、靴はいつものスニーカーを履かせてもらうけどね」
「あの変わった足袋の事か。すにいかあ、とやらはよくわからんが、動きやすいのならそれで良い。見回りに行くぞ」
エニシがそう言って、廊下を静かに歩いていく。
月は大きく輝き、星も多く広がっていた。
明かりが少ない時代。闇の多い時代。
怪異が、未だに残る時代。
わたしは今日、信じられないモノを見る。
○
ほぼ真っ暗な道を、提灯という、そこまで明るくはない火の光を頼りにした物だけを持って歩く。
足下ですら、それほどしっかりと照らしてくれているわけではない。数百年違うだけで、すごく不便だ。
わたしのスマホは充電出来ないので、スマホのライトは温存だ。それくらい、現代とは明かりの違いがあるし、貴重な物だと思った。
「怖いか」
エニシが振り返らず、前を歩いて言う。
「こわいよ」
わたしは、素直に答えた。
妖怪に会うかも、というのもこわいが、そもそも見知らぬ町を真っ暗闇の中歩くのがこわい。
こんな肝試しはしたことがないし、なんなら手の込んだお化け屋敷よりはるかにこわい。
その不安を、エニシは一笑した。
「安心しろ。おれが守る」
なんの恐れもなく、エニシは堂々言い切った。
エニシの背中が、とても頼もしく見える。
かっこいいと、思ってしまう。
「わたし、ついてきてよかったの?戦ったりとか出来ないよ」
「ヨルがこの時代に来た理由が、もしこの件で間違いないならば、ついてきておらねばなるまい。守りきれる自負が、おれにはある。問題はない」
「そっか。でもなんでわたしなんだろう」
「わからん。が、ヨルでなければいけない理由があるとするならば、やはりヨルについてきてもらわねばならないだろう。ヨルがいなければ、怪異にすら会えぬ、ということになりかねん」
「なんで?」
「そう決められたもの……便利な言葉を使うとするならば、運命、というやつだろうな。む?」
エニシが突然、不思議そうな声を出す。
もしや、ついに妖怪が出てきた!?
わたしが身構えようとするけど、身構え方なんてわからずに、ただただ身体を固くしていると、エニシの足下に黒い塊が近付くのが見えた。
あ、あれは……!
「タロではないか。迎えに来てくれたか。約した場所からまだ遠いというのに」
黒柴のタロだった。
びっくりさせてくれるね、まったく。
おぉい、タロやい。
そう言いながら頭でも撫でてやろうとしたら、タロがすごい剣幕で吠えた。
な、なんでぇ……。
「おい、タロよ、どうし……」
エニシもその様子に驚いて、タロを撫でようと身を屈めたところで、止まった。
突然、目を見開いて、ピタリと止まった。
なになに、こわっ。
と思っていると、エニシの身体が一瞬ブレた。
気付くと、エニシの右手に、鞘から抜かれた刀が握られている。
エニシが、目にも止まらぬ速さで刀を振るったのだとわかった。
わたしのすぐ隣、足下を見る。
そこには、真っ黒な太い手のようなモノが落ちていた。
それは、すぐに灰のように崩れ、霧散する。
「助かった、タロよ。気付くのが遅れた。して、いつの間にそこにいたのか、答えろ物怪」
エニシが言うと、わたしのすぐ近くに、ぬうっと立っているとてもとても大きな黒い塊がいた。
まるでクマだが、クマよりも大きいのではなかろうか。
「気付いたか。気付かれた。嫌な犬だ。嫌な男。良い物を持っているが、お前は邪魔だなあ。邪魔だ。最悪なんだ、お前は」
黒い塊は、地を這うような低い声でそう言った。
それはとても恐ろしく、わたしは震えてしまった。
「邪な魔は、どちらであるか。ヨルから離れろ、物怪」
それでもエニシは、堂々言い放つ。
見たことのない鋭い目付きで睨み、刀をギュッと握りしめていた。
黒い塊、悪事を働く妖怪は、おそらくは顔であろう部分をフリフリ揺らし、口であろう部分が裂けたかのように笑みを作り始めた。
こわい。
気持ちが、悪い。
「町の人の、大切な何かを奪っていく下郎。容赦はしない。叩っ斬る」
エニシがそう言いながら刀を振るった瞬間、妖怪は闇に溶けて、大きく距離を取った。
エニシはそれを追いかけない。
わたしとタロの前に立ち、刀を構えた。
わたしたちを守るため、深追いが出来ないのだ。
不規則に姿を消して、現れる妖怪の動きを警戒してのことだろう。
「嫌な男だ。嫌な男。だが、女子の方は良いな。まだ早い。まだ早いが、良い物が出来始めている。もう少しだったか。もう少し」
「……どういうことだ?」
エニシが問う。
妖怪は、大きく口を笑わせながら、身体を左右に揺らした。
「奪られた物に、まだ気付かぬか?」
妖怪の言葉に、今度はわたしが返す。
「感情、でしょ?」
わたしの言葉に、妖怪はゲタゲタ笑う。
大きな声で、大きな口で、ゲタゲタと。
少し遠くで、大きな黒い塊が、狂った揺れ方で大きく笑う。
それはあまりに、こわかった。恐ろしい光景だった。
「そうだ。そうだが、その中の大切な物。愛だ。奪う物は、愛。奪われた物は、愛。夫婦愛、親愛、友愛、綺麗だなあ。綺麗だ。それが奪われた人間は、醜いなあ。酷く、醜い。好いていた相手への感情を途端に失うと、人は大きく揺らいで歪む。そうするとなあ、恐怖を覚えるのだ。人は、恐怖を抱くのだ。恐怖は勝手に働きかけて、人を大いに変えるのだ。いつもの事が、疑心に満ちる。そうなると堪らない。勝手に色々思い込み、勝手に崩れていく。人は、面白い」
妖怪の笑い声はどんどんと大きくなる。
その笑う妖怪に、エニシが激しく怒っているのがわかった。
背中越しだけれど、妖怪よりも、もっとこわい人がいることがわかった。
その怒りが、もしわたしに向けられることがあったとしたら、わたしは泣いて謝っていただろう。
それほどまでに、エニシから漏れている怒りはこわかった。
「愛を、奪っただと?」
エニシの声が、震えていた。
怒りで、震えていた。
妖怪は恐れることなく、ニタリと笑いながら言う。
「そうだ。妖怪は、闇は当然、恐怖も無ければ生きてはいけない。泰平の世となり、人々の恐怖は次第に薄れ行く。許せない。そうはさせない」
戦国を超えて、平和になりつつある世の中に、ただ自分の欲のために大切な人への想いを奪う。
許せない。
少し会っただけだけど、それでもわたしだって、この江戸の町の人のために怒りを覚えた。
だけど、この時代、この町に生きているエニシは、きっと、もっとだろう。
エニシはそれでも、飛びかからなかった。
動かなかったのは、わたしとタロが、エニシの後ろにいるからだ。
だから。
「やっちゃえ、エニシ!」
わたしの言葉に、エニシはもう抑え堪らず、駆けた。
駆けて、妖怪を斬り飛ばそうとする。
しかし、やはり妖怪は闇に消え、その刃は届かなかった。
同時に、ゾクリとする。
わたしの後ろ、暗闇の中に、何かが現れた、気がした。
その瞬間、わたしの足下にいたタロが動いて吠えた。
後ろの存在は、それにすこし驚いて、動きが遅れた。
すぐにエニシが戻ってきて、斬ろうとする。
しかし斬れず、妖怪はまたわたしたちから離れた。
何度も何度も繰り返される。
エニシから噴き出た汗が飛び散り、わたしにかかった。
エニシは必死だ。
許せない妖怪を斬ろうと走り、わたしを守ろうとまた走る。
タロも同様、わたしからは離れず、わたしを守るためにわたしの周りを何度も行ったり来たりした。
申し訳なかった。
申し訳なくて、何かをしようかとも思ったが。
「心配するな。おれが守る。おれが、勝つ」
エニシの言葉に、動けなかった。
月が高く、その下で荒々しく、しかし舞うように、エニシは戦い続けた。
「いつまでイタチごっこを続けるつもりだ!」
エニシの怒号に、大きく距離を取った妖怪はニタリと笑った。
「言ったろう。女の方は、良い物が出来始めている。手伝ってやっているのだ。丁寧な下拵えが必要だ。だが、そうだな。強い。嫌な男だ。真正面からでは、やられるのはこちらだ。嫌な男だなあ。嫌な男だ。色男め。今日は、仕舞いだ」
そう言うと、妖怪は闇の中に消えていった。
逃げたんだ。
ホッとしたわたしの横を、エニシがヒュンと刀を振った。
ボトリと音を立てながら、わたしの足下に大きな黒い手が落ちる。
ヒッ
わたしはつい、小さな悲鳴をあげた。
「卑怯者め」
エニシが毒付くと、ゲタゲタと大きな笑い声が周囲に響き、だんだんと小さくなって、消えた。
今度こそ、本当に妖怪は去ったのだ。
わたしは泣き出しそうになって、タロをギュッと抱きしめた。
すまなかった。
エニシがポツリと呟いた。
それは、怖い目にあわせてしまったとわたしに謝ったのか、倒せなかったと町のみんなに謝ったのか、わからなかった。
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