江戸生活体験!

 夫婦から話を聞いて外に出る。

 町は、相変わらずにぎやかだ。

 というより、先程よりもにぎやかになっていた。

 さっきまで集まっていた人達が散り散りになって、あらゆる方向からの声の数が増えている。

 少しばかり時間が経って、人がどんどんと増えていっているのも理由だろう。

「にぎやかだね。色々な物の音より、人の声のが大きいだなんて」

「ヨルの時代ではどうか知らんが、江戸ではこれが普通だ」

 すごいよなぁ。

 現代じゃ、人がわーわー騒ぐ時もあるけれど、大抵は車の音や電子音の方が響いている。現代にも騒ぐ人はいるけれど、その人たちは基本的に人の迷惑になるような騒ぎ方をするような人ばっかりだ。

 江戸の人たちから感じるのは、そういうイヤな感じの騒ぎ方じゃないのだ。

 人当たりの良さが爆発して結果的に明るくなっているって感じ。

「良い時間だ。飯にしよう」

 エニシがわたしに提案する。

 そういえば、まだ何も食べてない。

「いいね。お肉食べたい」

 わたしが何気なく言ったことに、エニシは眉根を上げた。

「肉……?それは難しいな」

「え、そうなの?」

「生類憐みの令、とはヨルの時代で聞いた事がないか?時代が変わると、何もかもが変わるな。命は大切にするべきものである。無闇に、命を奪って食の娯楽に堕とす事も良しとはされない。まあ、すぐに緩和されたが、それでも無闇やたらに出回る事はなくなった品物だ」

 エニシは、アゴに手を当てて、うぅむと唸っている。

「全然大丈夫だよ。じゃあ、お魚とかもどうなの?」

「魚介か。それもまた、難しい。簡単に言うのだから、ヨルの時代では当たり前なのだな。事ある毎に、ヨルが未来から来たのだと実感出来る」

 エニシは、感慨深そうに言った。

「お魚もやっぱりダメなんだ」

「魚は、おれたちも食べている。食べてはいるが、肉と同様、やはり高級だ。おいそれと食べられるわけではない。というのも、調理には教養が必要で、何より保存が難しい。すぐ腐ってしまうしな」

「そうか、まだ冷蔵庫ないんだった」

 わたしが言うと、エニシはまたも興味深そうに、ズイッと身体を近付けた。

「なんだそれは」

「え?えぇと……氷を使わなくても、食べ物を冷やしてくれるんだよ」

「便利だな。とはいえ、そういうことだ。魚を獲ってから、こちらに直様持ってくる。大変な重労働だ。氷を用意しようと思えば、これまた遠方から用意せねばならない。そういう気苦労が無くなっていくとは、まったく、良い時代だな」

 エニシは、しみじみと空を見上げて言った。

 うわー、エニシを現代に連れて行きたい。

 わたしが江戸に来て、これだけ違いに驚いているのだ。

 多分、現代にエニシが来たら、あれはなんだ、これはなんだとわたしの服を引っ張って、ひっきりなしに聞いてくるだろう。

 現代に突然刀を携えて、現れた武士。ウキウキエニシ。

 見てみたい。

「じゃあ、普段はなにを食べているの?」

「主には、白米と味噌汁だな。後は、山菜もあるが、他には豆だろうか」

「そんな感じなんだ。江戸の普段を見せてくれたら、嬉しいよ。それで結構、楽しいし」

「夕餉はそうしよう」

「……ゆうげ?」

「日が沈み始める頃の飯の事だ。まあ、いい。普段は三食だが、今日はこれから食べる飯と、夕餉の二食にしよう。昼が過ぎたら、羊羹や煎餅でも食べるとするか。とりあえずは、そうだな。蕎麦にしよう」

 普段は三食。そういえば、昔は食の回数すら少ないイメージだ。

 もうこの時代では、三食が普通になりつつあるのだろうか。

「良いね、お蕎麦。美味しそう」

「ああ、美味いぞ」

 エニシがそのまま歩き出す。

 わたしもそれについて行く。

 エニシは、朝一番の時、歩くスピードがなかなか速かった。

 でも今は、すごくゆっくりと歩いている。

 これが素なのかはわからないけれど、少しだけ、理由がわかる気がする。

 さっきまでは、妖怪に会ったという夫婦の無事を、いち早く自分の目で確認したかったんだ。そして、今はわたしに気遣って、ゆっくりと歩いてくれている。

 ほんの少しのことだけど、それだけで、エニシの優しさが知れる。

 町を少し歩き出すと、エニシに挨拶する人が多くいた。

 エニシは、その人たちに親身になって挨拶を返す。

 エニシが町の人たちを愛していて、そして、町の人たちもエニシのことを愛していることがすぐにわかる。

 事実、同じ武士のような人たちでも、町の人たちは怖れるように頭を下げるだけだ。

 エニシに対しては、まず頭を下げて、エニシがすぐに頭を上げるよう言って、その後はもう、談笑を始めている。

 こんなこともあった。

 

「縁様、良い魚を仕入れられたんです。是非とも、食べてみてください」

「ありがとう。だがこれはまた、良さそうな魚だ。店で売った方が良いだろう」

「いやあ、家内の者が間違って仕入れちまったんですよ。店に売ろうにも、逆に困っちまうんです。こんなの店先に出しちまったら、賊でも猫でも直様持って行っちまうんでさあ。縁様に持って行ってもらった方が、助かります。ささ、美味しく食べてやってください」

「ありがたい。また今度、礼は必ず」

「やめてくださいよ。助かったのは、こちらの方なんですから。また良いのが入ったら、是非に!」


 といった具合だ。

 エニシの人の良さが、人々を惹きつけているのだろう。

 わからなくもない。

 かっこいいし、やさしい。

 ふん、だけどな、それで女の子が全員ときめくと思うなよ。

 わたしは、妙な対抗意識を燃やしながらエニシに付いて回った。


 おそば屋さんにて、わたしとエニシは向かい合って座り、そばをすすっている。

 わたしは前のめりになって、一心不乱に食べた。

 歯応えとやらがしっかりしている。そばの風味も強いのだけれど、麺はすこし太めでゴツゴツとした感じ。しっかりと食べ応えがあるので噛むのも喉を通る時にも感触がハッキリ。

 これがよく言う、コシがあるというやつなのだろうか?

 出汁は、いつも食べているものとかなり違っていると思う。

 お味噌?あと大根の味が、からいかな?

 カツオの風味もすごい。

 醤油が使われてない……?すごく少ない方なのかな?

 江戸時代って色々な調味料を揃えるのが難しそうな印象だ。

 そういった点で、他の物で代用しているのかもしれない。お殿様とかだったらまだしも、庶民も楽しむ町の料亭ではこの味がこの頃の普通なのかも。

 現代のおそばと違って、これはこれで美味しい!

 それから、エニシがどうせならばと付けてくれた山菜の天ぷらもいただいてみる。正確には、天ぷらではなく揚げものらしいのだけど。

 何故だかわからないけれど、魚を揚げたものは天ぷら、山菜とか野菜は揚げものというらしいのだとか。

 どういう違いがあるのかよくわからない。

 卵を絡めて、衣をつけて、ごま油でカラッと揚げてしまう。きれいな狐色に揚げられた山菜の天ぷらは、ホクホク湯気まで出てて美味しそう!

 山菜ってあんまり食べたことないし、そもそもわたしはそんなに好みの食べ物じゃなかった。

 でも、一口食べてびっくり!

 天ぷらにしてみると、独特な苦味とか風味が消えて、むしろほのかに残っていた味が良い塩梅にハーモニー。

 サクッと食感、ハフハフもぐもぐ。たまに出汁に付けてみて、別の味をこれまた新しく楽しめる。

 こりゃたまらない!

 わたしは江戸のおそばを存分に楽しんでいた。

 エニシが言うには、江戸はおそばだけじゃなくて、うどんもオススメしたいほど美味しいのだという。

 そんなの絶対食べてみたい。

 ふと気になって、チラリとエニシを見る。

 エニシは、前のめりになって食べるわたしと違って、ピシッと背筋を立てて、涼やかに食べている。

 カァッとわたしの顔が赤くなるのが感じた。

 エニシは、おそばを味わうように食べているから、こっちに関心なんて一切ないかのようだ。

 すぐにわたしも姿勢を正した。

 見られていないうちに。

 ……み、見られてないよね?

 前のめりになっておそばに夢中になってたところ、見られてないよね?

 おそばを食べながら、チラチラとエニシを見る。

 目が合わないな。

 もうどうせならガッツリとエニシを見る。

 ……ぜんっぜん目が合わない。

 もう見向きもしない。

 ジトーッと見つめ始めたわたしを頑張って無視するかのように、エニシは顔をちょっと横に向けながらおそばを食べ続けていた。

 無理があるだろうエニシ。

 めちゃくちゃ食べにくそうじゃないか。

 きっと、わたしが恥ずかしそうにしたところを横目で見てたな。

 全部見てて、気付いていたけれど知らないフリしてたな。

 優しいヤツめ。

 恥ずかしがるのもバカらしくなってきたけれど、自分らしくいすぎてエニシに恥をかかせるのも嫌だ。

 自分もすごく楽しみつつ、だけど、他の人にも気を配りつつ。

 わたしの目の前には、すごく参考になりそうな人間がいるじゃあないか。


 ○


「ご飯を食べた後はどうするの?」

「おれは普段ならば、剣術の鍛錬だ。だが、今日はヨルもいることだし、どうしたものかな。そういえば、ヨルは何歳だ」

「女性に年齢を聞くなんて、失礼だなぁエニシは」

「なんだそれは。歳によって、やる事、やれる事、今後の事、予定は大きく変わる。相手に年齢を知ってもらっておくというのは、非常に重要な事だぞ、ヨル」

「うーん、時代かな」

 わたしは、ポリポリと頬をかいた。

 わたしも失礼だぞとか言ってはみたけれど、別に年齢聞かれて困らないしね。

 エニシの言っていることも、この時代だったら普通のことというか、確認しなきゃいけないこと、という感じなのだろうか。

「わたしは、今12歳だよ」

「そうか。ヨルの年頃だと、江戸の娯楽は中々……難しいな」

 エニシが、アゴをさすりながらうぅむと唸る。

 これ、エニシのクセなのかな。よく見る。

「子ども扱いされるのはちょっぴり嫌かもですよ、旦那」

「誰が旦那だ」

 そういう意味じゃないよ。お兄さ〜んとかそういう意味で言ったんだよ。

 くっ、上手く伝わらなかったせいでなんか恥ずかしい。

 よりにもよって、旦那でなんか変に反応するからちょっとなんか、顔熱い。

 なんだよエニシ!

 わたしは、エニシの肩をポフッと叩いた。

 エニシは、何だコイツという顔で見てくる。

 なんだおまえ!恥ずかしいじゃないかくそう!

「何を怒っているのだ。それより、江戸の娯楽といえば様々あるが、その実体験はまたいつかにしよう。だが、江戸の遊びと言い換えるならば多くあるぞ。水遊びも人気だし、一番の人気は花火か」

「花火!良いね。でもそれ、娯楽じゃないの?」

「そうか?まぁ、そうかもしれんな。そうは言っても、小さな花火はやはり遊びだし、大輪の花火は娯楽を超えて、風物詩と言った方がしっくりとくる」

「あー、わかった気がする」

 わたしがふむふむ頷きながら歩く様子を、エニシがクスリと笑う。

「未来の方が、物はたくさんあるだろうな。だが、江戸も中々、面白いはずだ。色々と見て回ってみよう」

 綺麗な青空の下、髪と着物を風で揺らす。

 これから二人で目的もなくぶらぶらと過ごすだけだからだろうか。

 エニシが少し前を歩いて、こちらを振り返る。

 その時初めて、年相応の笑顔が見れた。

 ドキリとした。

 かっこよくて、やさしくて、かわいい。

 エニシは、ちょっと、ズルい!


 ○


「む、タロではないか」

 エニシと二人でぶらぶらと歩いていると、犬がトテトテ近付いてきた。

 黒い柴犬だ。

 愛嬌のあるお尻をフリフリしながら、イケメンとも言える整った顔付き。そのわりには、目付きというか目線というかは気怠そうで、なんともいえない不思議な雰囲気。

 エニシは腰を屈めて、タロと呼ばれた犬の頭を優しく撫でた。

 わたしもとりあえず撫でてあげた。

 気持ち良さそうだ。

「……ここいらでよく彷徨いている野良犬だ。おれは勝手に、タロと呼んでいる。すると、皆もタロと呼び始めてな。少しばかり有名になった犬なのだ。野良犬や野良猫の数は多いのだが、タロは特別聡明でな。この界隈皆で飼っているといっても相違無い」

「……そうめい?」

「賢い、という事だ。おい、タロ。丁度良い。この女子、ヨルという。今夜、ヨルとおれで最近噂になっている怪異について調べたい。手伝ってはくれまいか」

 えぇ?エニシ、犬に向かってすごいしゃべってる。

 周りの人に変な目で見られ……てないな。

 犬にしゃべりかけているのに?

 江戸ってこれ普通?絶対そんなことないよね?

 エニシにお願いされたタロはというと、エニシをジーッと見つめるだけで、なんのリアクションもない。

 そりゃ、人の言葉なんて通じないよね。

「まったく、お前は本当にまったく。今は持ち合わせがないが、夜には美味い物を用意しておいてやる。おれが随分と楽しみにしていた豆腐でどうだ。くそう、鍛錬後の楽しみにしておいたのに」

 エニシが悔しそうに言うと、タロは尻尾をフリフリしながら元気良くワンッと吠えた。

 ……え?伝わってる?

 会話が成立してる?どゆこと?

「良し。どうやら、今夜は心強い味方がいてくれるな。ヨル、今日のところはもう少ししたら屋敷に戻ろう。月夜に備えて休むとしよう」

「え?う、うん。わかった」

 エニシは何やら、心配事が一つ減ったかのようにホッとした顔付きだ。

 江戸の犬って、もしかしてすごい?

 そういえば、わたしが江戸時代に来る前も、自分で犬と名乗っていた神様代行がいたっけ。

 江戸の犬、相手の頭に直接話しかける能力ある説。

 わたしは、なんか盛り上がってやたらとタロに話しかけているエニシを放っておいて、近くにいる別の犬に話しかけた。

「こんにちは?今日は良い天気ですね」

 犬は、チラリとわたしを見て、その後何事もなかったかのごとく、スゥーッと離れて行った。

「何をしている、ヨル」

 声をかけられ振り向くと、不思議そうな顔をしたエニシがいた。

 周りの人も、不思議そうにわたしを見ている。

 なんでやねん。

 エニシも同じように犬に話しかけていたじゃないか。

 本当に、その犬だけが特別なのか。

 タロの方を見ると、犬のはずなのに、タロから小馬鹿にしたような冷ややかな目を向けられているような気がした。

 こ、この犬……!

 なんだかすごい犬か知らないけれど、この犬とは長い因縁でも出来そうだ。

 わたしの直感がそう告げた。

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