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 ちなみに本名はジャン・ジャコモ・カプロッティ。

「却下。調べるのも、愛称で呼ぶのも」

「なかなか言いださないねえ。サライ」

 却下だと言ったのに、勝手に呼んでくる。

 何て性格のねじ曲がった大人だ。

 ロレンツォが今度は身体を起こし、アルミの机に肘を尽き頬をそこに乗せる。

 とてもつまらなさそうだ。

「涙と鼻水を垂らして、僕は無実だ。ここから出してくれってみっともないセリフを聞きたいんだがね、私は」

「無実だと何度も言った。警察が僕を犯人だと決めつけるなら、裁判で闘う」

「国を相手取るというのなら、貴重な時間がどれほど無駄になるのやら」

「うるさい」

「助けに来たんだから、頼ればいい」

「帰れ。あんたの依頼なんて受けない。今よりもっと最悪な状況になるのが目に見えている」

「やれやれ。さっき、やるって言ったばかりなのに。いいねえ。揺らぐ心。警戒心。下手に出ない気位の高さ。その顔のせいでこれまでよっぽど嫌な目にあってきたんだろう。メガネを取って前髪を上げればビスコッティも驚くほど、ビョルン・アンドレセンの生き写しだもんなあ、君は」

「ビスコ……何だって?」

「もしかして知らない?うわあ、時代を感じるなあ。ビスコッティは映画監督。ビョルンは世界一の美少年って謳われた俳優だよ」

 ブツッと鳥肌が立った。

 褒め言葉は危険だ。

 そういう奴は褒めさえすれば、相手を物みたいに遠慮無くベタベタ触っていいもんだと思っている。

「どうでもいい」

「どうでもいいなら、金に染めてわざと傷ませた髪で目元を隠し、度の強いセンスのかけらもない黒縁メガネを何故かける?極めつけは仕事だ。家から一歩も出ることなく犯人を追い詰めるなんて、日の当たらない地中で穴掘りにはげむモグラと変わらない」

「あんたには関係ない」

「表に出ると、顔を煩いぐらい褒められる嫌なのかい?気にしなければいい。そうすれば世界は広がる。選べる職種だってね」

「どうでもいいって言ってんだろうがっ!」

 すると、ロレンツォが破顔。

「そう言いつつ、君はその顔に盛大に振り回されている。自分の尻尾を追い回す猫と変わらない」

「ロレンツォ公っ!あんた、僕に仕事の依頼に来たのか?嫌味を言いに来たのか?どっちなんだ?」

 すると、ロレンツォは「若者はせっかちだねえ」と言いながら席を立つ。

 サライは、怒り狂ってガラス窓をバンバンと叩いた。

 看守が飛んできたって、もう構わない。

「あんたの依頼を受けるにしたってパソコンどころか携帯も無い。看守に金を握らせて差し入れさせる気か?」

「何、言っているんだい?私は君をわざわざ迎えに来てやったんだよ」

「僕をここから出すって?十二歳のときみたいに簡単には出来ねえと思うぞ」

 すると、ロレンツォが冷ややかな声で、

「私を誰だと思っているのだね?」

 これは、ロレンツォがアンティークショーで使う決めセリフだ。

 いつも、ここぞというシーンでだけ使う。

 そして、大いに聴衆にウケる。

 でも今は、観客はサライ一人だけ。

 ロレンツォは、そのまま面会室の扉に向かう。

「おい!おいって!」

 問いかけてもロレンツォは立ち止まることなく、聞こえてきたのは扉が閉まる音。

 あっけに取られる。

 十秒ほど過ぎても、ロレンツォが戻ってくる気配は無い。

「ふ、ざ、け、ん、なっ!!」 

 怒りが込み上げてきて、言葉の数だけ、アルミの机に額をぶつける。

「結局、冷やかしか?!」

 この事件は国中が注目している。

 いくらロレンツォに権力があったとしても、今回ばかりは無理。

 事が大きくなりすぎている。

 自分は世間から見たら残酷な猟奇的殺人犯で、それにはこの顔が一役も二役も買っている。

 色んな場所から届く頭がいかれた女らからのファンレター。無実を信じているから幾ら添えたと手紙に書かれていても、現金は全部看守が抜いてしまう。

「ふ、ざ、け、ん、なっ!!」

 もう一度頭を打ち付けると、看守が慌ただしくやってきてサライを立たせた。


「あったけえ」

 未成年収容所を出ると、外を吹く風は春の温度だった。

 捕まったのは、まだ寒い三月の初め。今は四月の半ば。

「まるでワープした気分だ」

 サライはまだ手錠の感覚が残る手首をさすりながら歩き出す。

 服は支援団体から寄付されたもので、ズボンがでかい。シャツは薄っぺらく春の気温にはちょっと寒い。

 所持金は無し。持ち物も無し。

 警察がやってきたとき、数字が書かれた紙切れを持っていたはずなのだが、それはどこにいってしまったんだろう。

「あんなの意味無かったけどな」

 ギリッと奥歯を噛む。

「そんでもって、こんな釈放の仕方、ねえだろうがよっ!」

と叫ぶと、背後からゆっくり回るタイヤの音が聞こえてきた。

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