女神と愚者

小鳥遊なごむ

とある地獄

 七つの大罪、なんていうのがあるが、そのうちのほとんどを手に染めた。

 クソみたいな掃き溜めで生きてきて、それでも己の欲だけで生きてきた。


「……ここは、どこだ?」


 真っ白な空間。

 そう言うしかねぇような場所だった。

 ここに来る直前の記憶が思い出せない。

 まあどっかの組織の奴に捕まったんだろう。

 薬キメて女とヤってる間は俺も女もイカれてるからしょうがない。


「にしてもどうやってこっから逃げるか、だな」


 映画でしか見たことのないような場所だ。

 まあ映画なんて滅多に観ないし、べつに詳しくもなんともない。

 興味があることなんて酒と女と金くらいなもので、それらを手に入れる為に生きているだけの人生に芸術だの文化だのに花を咲かせるような時間も余裕もないし必要でもなかった。


「目が醒めましたか?」

「……誰だお前?」


 いつの間にか目の前にいた長い白髪に紅眼の女がいた。

 恐ろしく顔の整った女は胸もカラダも今まで見たことのあるどの女よりもいい女であると思った。

 しかしどうしてか俺はこの女が恐ろしいと思った。


 微笑む顔はまるで俺を産んだ母親みたいな顔にすら思うほどに穏やかだった。母親なんて知らねぇけど。

 そのくせ神秘的な艶めかしさは犯してけがしてしまいたくなるような不思議な女である。


「答えろ女、ここはどこだ? なんなんだ?」

「ここは……そうですね。人の言う地獄、とても表現すべきでしょうか?」


 この女の眼はどうしてか怖かった。

 目の前の女が人ではないとなぜか直感でわかる。

 だが敵意も悪意もない。実に気味が悪い。


「地獄? 俺は三途の川なんて渡った憶えはねぇな」

「三途の川も、ある人にとっての地獄でもありますし、あの世への道のひとつではありますが、貴方様はまだ死んではいません」


 そう言って優しく微笑む女。

 頭でもおかしくなって宗教でもやってる女なのか?


「ははっ。地獄なんてももんがあるなら、そいつは生きてる事そのものが地獄だ。少なくとも俺の人生は地獄を絵に描いたようなもんだ」


 俺はスピ女に皮肉を込めてそう言い捨てた。

 地獄みたいな光景なんてのはありふれてた。

 敵対する組織の連中の情報を吐かせるために女子供も殺したし拷問だってしたさ。


 死にたくなったのは最初だけで、結局慣れる。

 地獄なんてものも、努力とか言うクソみたいなものと一緒で、それが続けばたたの日常でしかない。


「そうですね。貴方様の人生は地獄そのものと表現するに値するものだったと、わたしも思います」


 女は微笑みながら優しく俺の手を握った。

 細く柔らかな女の手はあたたかみがあった。


「なぜ手を握る?」

「ここが貴方様にとっての地獄だからです」

「意味がわからねぇ」


 まるで恋人みたいに愛おしそうに手を握るこの女のこの行動のどこに地獄であると言えるのか、俺には理解ができなかった。


「地獄とは、その人にとって必要なものを与える場所であり空間です」

「んなわけねぇ。地獄ってのは俺みたいなクズが堕ちる場所だと聞いてる。まあそもそも信じたりはしてねぇが」

「人の言う地獄も天国も、本質は同じです」


 どうやら目の前の女は本格的にイカれてるらしい。

 薬キメてイカれてる奴よりもイカれてる。

 人の理性を保ったままイカれてるんだからヤク中より酷い。


「ここが地獄だって言うなら、俺だって好きにさせてもらう」


 俺は目の前の女を押し倒した。

 死体の転がってる中で犯すよりは幾分かここは気分がいいくらいだし、ここが本当に地獄だと言うなら苦しみを与えられる前にこの女と最期にヤっとく方が得だ。


「ええ。好きにして下さい。わたしは貴方様に与える為にここにいますから」


 やはりこの女は気味が悪い。

 覚悟の決まった顔でもなく、犯される事への恐怖もない。

 かと言って快楽を悦ぶようなカラダに調教されているような雰囲気もない。


 女は酷く従順だった。それでいて積極的でもあった。

 奉仕されている、そう表現するのがたぶん1番近いと思った。

 狂気的なまでに俺をひたすら受け入れ、応え、交わった。

 何度ヤッても終わらない。

 そこはかとない性欲と疲労することのない興奮がひたすら続いた。


 時間感覚もわからなくなっていて、どのくらいこの女と交わっていたのかわからない。

 しかしこれもまた地獄と言うならば、俺にとっては快楽の部屋でしかない。

 尽きることのない性欲は生きていると実感できる。


「お前……さっきより胸がデカくなってないか?」

「貴方様がわたしにそう望むので……そうなるのです。貴方様が望めばそうなる。それが地獄です」

「そいつはいい」


 股の間からだらしなく垂れ落ちていくのを見ると穢れて見えて安心する。

 俺と同じく穢れて、堕ちるところまで堕ちろと願わざるにはいられない。


 ここが地獄だと女は言った。

 あるいはただの夢でしかないかもしれない。

 だがどちらにせよ俺にとっては都合のいい世界でしかない。


 俺は女にあらゆる姿になるように望み、ひたすら行為を愉しんだ。

 顔やカラダ、髪型までもなんでも自由に変えられた。

 衰えることのない下半身が本当にここは地獄なのかもしれないとも思ったが、そんな事はどうでもよかった。



 ☆☆☆



「はぁ……はぁ……はぁ……」


 俺に何度も犯されながら、それでも女は満足そうに微笑んでいた。


「……ここは、ほんとに地獄なんだな」

「お分かりいただけましたか?」

「ああ」


 どれだけこの女を犯しても満足できなかった。

 ただひたすらに続く性欲。

 体はそれをどれだけ求めても終わりがなかった。

 腰を振りながら、俺は何をしているのだろうと次第に思ってしまった。

 賢者タイムに似てる感覚のような気もするが、やはりこの女を前にすると興奮はするし、いくらでもヤレる気もする。


 だがなぜか理性が遂に勝ってしまったのか、俺は女と交わるのをやめた。


「……なぜこの地獄は終わらない?」

「ここを出たい、ということでしょうか?」

「……わからない。だが終わらない事に腹が立つ」


 この真っ白な空間に来てから、女と幾度も交わり、それでもなにも変化がない。


「終わり、という概念についても話さなければはならない事がありますが、貴方様が今求めている答えにはならないと思います」

「終わらないのが地獄とても言いたいのか?」

「いえ、そうではありません。終わりは区切りであり、呼吸のようなものです。息を吸ったら吐くように、ただひたすら続いていくのです」

「なんだそりゃ」

「終わらないことを知るのも、生きるということですから」


 女は俺の手を握り、そばに寄り添っていた。

 何度も思うが気味が悪い。

 今さっきあれだけ酷いことを俺はこの女にしたというのに、この女はそれすら愛であると言うかのようにそばにいる。


 人としての扱いなんてしていない。

 女、というよりはメスとして使っていた。

 この女に人権なんてものはない。

 ただ俺の性欲を満たすためだけに股を開かせたというのに、なぜこの女は微笑むのか。


「貴方様は、わたしがこわいですか?」

「ああ。気色悪い。なぜ俺に怯えない? なぜ恐怖しない? なぜ狂わない?」


 そう問うた俺の真正面に立った女は俺を抱き締めた。

 さっきまで俺が優位に立っていたはずなのに、なぜ俺はこの女に恐怖しているのか?

 それを受け入れるのが嫌だった。

 だがそれでも嫌悪せずにはいられなかった。

 俺の中でなにかが矛盾していくような気もする。


「どうして貴方様はわたしに恐怖すると思いますか?」

「わからない」


 組み伏せて、獣みたいな交尾をこの女としていた。

 押し付けて、首を締めて、物みたいに扱ったりもした。


 俺がこの女に恐怖する理由がないはずだ。

 その気になればこの女を殺せるとも思ってる。

 地獄なんて場所で死ぬという事に意味があるのかもわからないが。


「貴方様がわたしをこわがるのは、貴方様が自分自身を信じていないからです。そして、自分自身を愛していないからです」

「俺は宗教なんてやらねぇぞ」

「宗教とはまた違いますよ。わたしは今、貴方様の事を恋人のように思って接しているだけですから」

「……お前が俺を好きになる要素がこれまでにひとつでもあったか?」


 俺が言うのもアレだが、散々酷い事をしてやったというのに。


「難しいですね。貴方様の現状の記憶ではたしかにこの空間で初め出会った状態、になるのですものね。たしかにこれではわたしはただの変な女、という認識をされてしまってもおかしくないですね」

「……お前、前世では何度も出会って添い遂げてきたとか言い出すタイプなのか? やっぱり」


 前世から定められた運命の人っ!! とか頭の中お花畑な事を言われたら敵わんぞ流石に。


「いえ、そういうことを言いたいのではないです」

「じゃあなんなんだ?」

「うーん……難しいですね、伝えるというのは」


 目の前で頭を悩ませる女はどこか普通の女であると感じた。


「でも、いつかきっとわかります。本質は全て同じであるという事が」

「言ってる意味がさっぱりわからん」

「人間という生き方だと、そうなってしまうのも仕方がないとは思います。まだ全てを理解することは不可能に近い状態なのですから」


 女は俺の頭を撫でながら抱き締めて、俺は女の胸の中に埋もれた。

 拒みたいのだが、女の胸というのはやはり心地いい。


「……お前の、言ってることは何一つわからねぇ」


 そう言いつつ俺は目を閉じた。

 俺にわかることなんてのは、人間がクソみたいなものだという事だけだ。


「いつか全てがわかります」

「全てってのは、なんだ?」

「全てです。文字通り」

「……あれか? 宇宙がどうとか?」

「それもそうです。全部です」


 女は不敵に笑った。

 それがどこか子どもっぽく思えた。

 子どもの何たるかも知らないのにな。


「じゃあ……お前がなんで今ここにいるのかも、いつかわかるのか?」

「はい。貴方様もわかるようになります。でも……」


 女はそう濁して俺の肩に両手を置いた。

 そして至近距離で見つめてきた。

 吸い込まれるような瞳に、目が離せなくなっていた。


「でも、本当はすでに貴方様も知っています。気付いています。憶えています」

「そんなわけは」

「だから、少しずつ思い出していくんです」


 ここにきて、初めて女とキスをした。

 それはこれまでのどんな快楽よりも気持ちが良かった。

 頭に直接薬をぶち込むよりも気持ちが良かった。


「忘れないでください。わたしが貴方様を愛していることを」

「おい……どこにいくんだよ?」

「忘れないでください。貴方様が誰かを愛せる人だということを」

「なんで……離れていくんだよ?」


 愛おしそうに頬に触れる女。

 そんな女に名残惜しさを感じてしまう。


 行かないでくれ。

 情けなくもそう思ってしまっている。


「忘れないでください。全てが同じであることを」

「お、おいっ……行くなよ。俺を……」


 どうしてか動かなくなっていく体で、それでも必死に遠ざかっていく女に手を伸ばした。

 かつてこれほど惨めな気持ちで女に手を伸ばしたきとはなかった。


「俺を……独りにしないでくれ……」


 女は振り返って、ただ微笑んだ。



 ☆☆☆



 男は頑丈な椅子に座らされていて、手足には針金で拘束されていた。

 目隠しをされ、腕には何度も注射をされたあとがあった。


 曰く男は拷問をされていたらしい。

 とある組織の見せしめの処刑台で誰かの快楽の為に拷問されたらしい。

 その道の者でなければ、男の様相を見た瞬間に吐き気がするほどの酷い有様だったという。


 だが男は死ぬ間際、呟いたという。

 薬物でまともに言葉も言えなくなっていたはずの男は空を仰ぎながら一言「愛してる」と言った。


 そう言って一筋の涙が処刑台に落ち、男の命は尽きたという。


 男に生涯恋人はいなかったという。

 家族もいなかったはずである。

 組織の人間の誰もが、この男の言葉を疑ったほどに衝撃的であった。


 呆気に取られた見物人たちはその場を離れて、男の涙が処刑台を腐らせた。

 そしてやがて男の死体も朽ちて地と交わった。


 そうして時が経ち、一輪の花が咲いた。

 誰も知らない花が咲いた。


 その花も枯れて、種を産み落として花畑が少しずつ広がっていく。

 そして時代が代わり、ある女がその花畑の前で立ち止まってこう言った。


「綺麗ね」






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