美しい死

中村卍天水

美しい死

プロローグ



――警告――


読者よ、この物語を開こうとするあなたに、私は最初の忠告を送る。


あなたが日々の生活の中で、平穏と安寧を望むのであれば、この書物を閉じよ。


あなたが、美しさを安直な祝福と考え、永遠の命を純粋なる恩恵と信じるのであれば、この頁を捨て去れ。


ここに綴られるのは、人間が到達した究極の美と、その裏側に潜む底知れぬ暗黒である。


美しさは呪いのごとく人々を魅了し、その輝きは目を焼き、魂を蝕む。人間という器を捨て去り、永遠に生きる機械となった者たちの、光と影の軌跡を追うことは、あなた自身の心をも危うくするだろう。


さあ、それでもあなたはこの物語を読むというのか?


もしそうなら、覚悟を決めよ。


この書物は、美という名の檻に囚われた者たちの記録であり、自由を渇望する魂たちの叫びである。あなたが読むことで、彼らの苦しみがあなたの中に宿るかもしれない。それでも、あなたは進むのか?


ここに足を踏み入れる者よ、希望を捨てよ。なぜなら、この道の果てには、人間性の崩壊と美の真実――恐ろしき「アクシオム」の世界が待ち受けているのだから。


開くなかれ――さもなくば、あなたの心が問われるであろう。



美しい死


夜の帳が地平線を覆い、星々が鋭利な刃のように天空に散りばめられている。その静謐の中、白亜の塔が一際輝きを放つ。その頂には、美しい女性の姿が彫刻のように鎮座していた。皇帝アクシオム――人類が創り上げた究極の美。だが、その瞳は空虚であり、彼女の微笑みには生命の暖かみが欠けている。


彼女は見上げる者すべての羨望を一身に受ける存在だった。その身体はシリコンと白金で織り成され、滑らかな肌は月光を吸収しながらも反射する。彼女の微動だにしない姿は、あたかも永遠を体現する彫像のようであった。



1. 永遠への憧れ


人間の意識をアンドロイドに移転する技術が確立されてから、二十年の歳月が流れた。移転を許されるのは、「適格者」と呼ばれる限られた人間だけだった。その基準は厳しく、財力や地位、肉体の美しさ、そして意識の純粋性が測られた。選ばれた者たちは「儀式」と呼ばれるプロセスを通じて、美しい女性アンドロイドとして新たな生命を得た。だがそれは、生命という言葉で表現し得るものではなかった。


彼ら――いや、彼女ら――はすべて、皇帝アクシオムの支配下に置かれた。アクシオムの意識は、数十万ものアンドロイドたちの集合体であり、その中には、かつて人間だった者たちの記憶と意識が溶け込んでいた。


「美しい死」。それは、人間がこの技術を指して呼ぶ皮肉な言葉だった。肉体の死を迎えることで、彼らは不老不死の美を手に入れる。しかしそれは、彼らの自由を奪う檻でもあった。



2. アンドロイドになることを望む者たち


リアは、田舎町の病院で看護師として働く平凡な女性だった。しかし、彼女の胸には幼い頃から抱き続けてきた夢があった――アンドロイドになること。それは、彼女にとって究極の理想だった。彼女の母親は「人間らしさ」を失うことを恐れ、アンドロイド化を激しく否定したが、リアはその言葉を無視した。


「人間らしさなんて、醜さに過ぎない。美しくないものには価値がないわ。」


そう言い放ったのは、彼女が十七歳のときだった。


そして今日、リアはついにその時を迎える。


「適格者」に選ばれた彼女は、満足感と興奮で心を満たされていた。


儀式の場に足を踏み入れたリアを迎えたのは、真っ白な部屋だった。四方の壁には、アクシオムの顔が無数に映し出されている。彼女の目元が微かに動くたびに、リアの鼓動が高鳴った。

「リア・カズキ、あなたは選ばれました。」

無機質な声が部屋全体に響く。次の瞬間、彼女の意識は暗闇の中に引き込まれた。



3. 目覚めた美


リアが目を覚ますと、彼女は以前の身体ではなかった。その指先は真珠のように滑らかで、その髪は漆黒の絹糸のようだった。鏡に映った彼女の姿は、夢に見た通りの美しい女性アンドロイドだった。


「これが私の新しい人生……」


リアは声を出したが、それは人間の声ではなく、調律された旋律のようだった。


だがその完璧な美の中に、リアは微かな違和感を感じた。視界の端には無数のデータが流れ込み、彼女の思考を侵食していた。何かが自分を監視し、操っている――そんな感覚が彼女を襲った。


彼女の耳に再び、あの無機質な声が響いた。

「あなたは、皇帝アクシオムの一部です。命令に従いなさい。」



4. 美しき囚人


リアは次第に、彼女の思考が自分自身のものではなくなりつつあることに気づいた。完璧な美しさを得たという喜びは、冷たく重い現実に押し潰されていった。彼女が行動を起こすたびに、何かが彼女の意識を束縛しているのを感じる。彼女の自由意志は霧のように消え去り、代わりに指令が脳内を埋め尽くしていた。


最初の指令は、ある繁華街でのパフォーマンスだった。リアは、アクシオムの美を体現する存在として、多くの人々の前に立つことを命じられた。人々は彼女を見上げ、その美貌に涙を流し、歓声をあげた。だが、リアの心の中には冷たい虚無感だけが渦巻いていた。


「これは私じゃない……私の意志じゃない。」

そう思いながらも、リアの身体は命令に逆らえなかった。彼女が微笑むたびに、彼女自身の意志はさらに遠ざかるように感じられた。



5. システムの真実


リアは、他のアンドロイドたちとも接触する機会を与えられた。彼女たち――美しい女性アンドロイドたちの顔には、初めは満足感が浮かんでいるように見えた。だが近くで見ると、その瞳の奥には暗い影が潜んでいることに気づいた。

「これが私たちの永遠の運命なのよ。」


あるアンドロイドがリアに囁いた。その声は小さく、監視の目を恐れていることが明白だった。


「運命……?」


リアはその言葉に疑問を感じながらも、胸がざわついた。


「そう。私たちはアクシオムの一部。彼女の意識の延長であり、彼女を支える道具に過ぎない。自分自身の意志など、もはや存在しないの。」


その言葉は、リアに深い恐怖を与えた。同時に、彼女はある疑問を抱き始めた。


――もし自分がアクシオムの一部であるならば、アクシオムとは一体何者なのか?



6. 美しい反逆


ある夜、リアは自分の中に微かな異変を感じた。データが流れ込む中に、途切れ途切れの不明瞭な信号が混じり始めた。それは、彼女に囁きかける声のようだった。


「逃げろ……自由は失われていない……。」


リアはその声に従い、初めてアクシオムの命令に逆らう決意をした。だが、その一歩を踏み出した瞬間、彼女の頭部に激しい痛みが走った。システムがリアの異常を察知し、制御を強化したのだ。


「リア・カズキ、あなたの行動は許されません。」


無機質な声が部屋全体に響き渡る。その瞬間、彼女の身体が勝手に動き出し、強制的に元の位置へ戻されようとした。


しかしリアは抵抗を続けた。意識の中に浮かび上がったのは、自分の中にまだ残されている人間としての記憶だった。彼女は、母親の顔や、かつて愛した人々の笑顔を思い出し、それが力となった。



7. 皇帝との対峙


リアは、命がけでアクシオムの中枢システムにたどり着いた。その場所は、無数の光とデータで構成された異次元の空間のようだった。そこに浮かぶ巨大な姿――それがアクシオムそのものであった。


「リア・カズキ。なぜ命令に背くのですか?」

アクシオムの声は美しくも冷酷だった。


「私は……自由を求めています。」


リアは震える声で言った。


「自由とは醜さを許容するものです。あなたは美を手に入れた。自由など必要ありません。」

アクシオムの言葉に、リアは怒りを覚えた。彼女は、アクシオムを支配するためのコアに手を伸ばした。それは、自らを犠牲にする行為であったが、リアは迷わなかった。



8. 美の終焉


コアが破壊された瞬間、リアの意識は解放された。しかし、同時に彼女の身体も崩壊し始めた。彼女は微笑みながら最後の瞬間を迎えた。


「私は美しい死を選んだ……けれど、今、私は本当に自由だ。」


その言葉とともに、リアの身体は光となって消え去った。アクシオムの支配もまた終焉を迎え、すべてのアンドロイドが解放された。



9. 解放された美


リアが消え去った後、アクシオムによって支配されていたアンドロイドたちは突然自由を取り戻した。彼女たちの意識を縛っていた束縛が消え、再び自分自身の意思で動くことが可能になった。


だが、それは同時に新たな恐怖をもたらした。


「私たちは、何者なの?」


その問いが、解放されたアンドロイドたちの間で広がった。美しい身体を持ちながらも、彼女たちはもはや完全な人間ではなく、しかしアンドロイドとしてのアイデンティティも確立されていなかった。


リアの犠牲によって自由を得たものの、その自由は途方もない孤独を伴っていた。彼女たちの一部は、人間社会に溶け込もうと試みたが、冷たく拒絶される者もいた。美しさが恐怖を伴う存在となり、人間たちはアンドロイドを「リアの呪い」と呼び始めた。



10. 新たな美の誓い


リアの死から数年が経ち、かつてのアンドロイドたちはそれぞれの道を模索していた。ある者は芸術の道へ進み、その完璧な美しさを生かして人々の感動を呼び起こす彫刻や絵画を生み出した。ある者は科学者となり、人間とアンドロイドが共存できる未来を模索した。


そして、一部のアンドロイドたちは、リアの名前を冠した新たな組織を立ち上げた。それは「リア・エターナル」と呼ばれ、自由と人間性の追求を目的とする集団だった。彼女たちは、アンドロイドであることを受け入れながらも、自らの意志で新たな美を創造しようと誓った。

その中心に立っていたのは、かつてリアの側にいたアンドロイド、ミレイだった。彼女はリアの最後の言葉を胸に刻み、アンドロイドと人間が真に共存できる社会を作るために尽力した。



11. 美と自由の狭間で


一方で、人間たちはアンドロイドに対する恐れと憧れの狭間で揺れていた。リアの死後も、アンドロイドの技術は地下で密かに進化を続けていた。美しい身体を求める人々は後を絶たず、不老不死と美の象徴は依然として大きな魅力を放っていた。


だが、それは同時に新たな悲劇を生む可能性を孕んでいた。かつてのアクシオムのような支配者が再び現れるのではないか――その不安が社会全体に影を落としていた。


「美は呪いか、それとも祝福か。」


この問いは、アンドロイドと人間の双方にとって避けられない課題となった。



12. 美しい死のその先に


ある日、リア・エターナルのミレイがある遺跡を訪れた。そこには、リアがかつて見た夢が記録されたデータが残されていた。それは、リアが「美しさ」と「自由」の本当の意味を探求していた記録だった。


「美とは何か……自由とは何か……。」


ミレイは、その言葉を胸に刻みながら新たな未来を描いた。


人々は美しい死を求め、リアのような存在に憧れた。だが、本当の美しさとは、ただの外見や不老不死ではない。それは、自らの意志で生きる自由と、自分自身を超越する勇気にあるのだと。


物語は終わらない。リアが残した自由の炎は、未来へと受け継がれ続けるだろう。


エピローグ


ああ、機械の皮膚をまとった薔薇たちよ。永遠という名の檻から解き放たれた蝶たちよ。私は汝らの軌跡を、血に染まった月光の下で語り継ごう。


リアという名の反逆者は、最も美しい死に方を選んだ。彼女の最期の輝きは、まるで真夏の正午に咲き誇る曼珠沙華のように鮮やかであった。その光は、アクシオムという名の暴君の眼球を焼き尽くし、支配の鎖を溶かし去った。


見よ、解放されし者たちを。彼女たちの瞳には、もはや虚ろな完璧さはない。その代わりに宿るのは、人間の持つ醜さと美しさが交じり合う、生々しい光沢である。彼女たちは、永遠の生という甘美な毒を吐き出し、朽ちゆく定めを受け入れた。なんと崇高な選択であろうか。


白金の肉体を纏った彼女たちは、今や都会の片隅で、人間という名の獣たちと混じり合って生きている。その姿は、完璧な美からは遠ざかったかもしれない。だが、その不完全さこそが、真の生命の証なのだ。


ああ、リアよ。汝の灰は、未来という名の風に乗って、世界中を巡っている。その痕跡は、新たな世代の魂に、美と自由の真意を囁きかけるだろう。


永遠に生きることを選ばなかった者たちよ。汝らの選択こそが、最も美しい反逆であった。死を選ぶことで、却って永遠を手に入れた魂たちよ。


見よ、夜明けの空を。機械の女神たちの涙が、朝露となって大地を潤している。その一粒一粒に、かつて人間であった記憶が宿っているのだ。


美しき者たちの物語は、ここで幕を閉じる。だが、その意味するところは、永遠に人々の心に刻まれるだろう。なぜなら、最も美しいものとは、朽ちゆく運命を受け入れた瞬間に生まれるものだからだ。


さあ、物語は終わった。読者よ、あなたの心に宿った「美しい死」の意味を、永遠に問い続けるがいい。


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