第5話 桃乃木桃花はヤバい奴

 空き教室――もとい演劇部の部室では柚原先生の威圧的な喋りが続いていた。その対象は、さきほど露出狂と思われてもおかしくない役作りをしていた女子生徒。

「役作りをするのは良いことだけれど、やり方は考えなきゃダメだよ。役者さんのなかにはその役になりきるために身体や生活や環境までもを変えちゃう人はいるけれど、彼らはそれでお金を貰ってるプロだから許されてる部分があるの。それに、犯罪の役をやるからって実際に犯罪を犯す役者さんなんていないでしょ?」

「ご、ごめんなさい」


 そう言って素直に謝る姿からは、あれほど大胆な行動を取るような人には到底思えない。

 綺麗に整えられた髪も、着崩ししていない制服も真面目な生徒の印象しか受けない。

 もしかしたら、こういうおとなしい子ほど裏では凄いのかもしれない。事実、今の姿よりも脱いだときのほうが凄くはあった。

 ふむ。どうやら着痩せするタイプらしい。

「深井沢くんは、なにを黙ってそんなに考えてるの?」

「え? あ、いや、べべ別に」

 不意に白崎から話しかけられ、動揺したまま返答してしまった。考えていたことを見透かされたわけではないだろうが、白崎の視線が鋭くなったのは何かを察するのに十分な反応をしてしまったということだろう。

「……なにをそんなに動揺してるわけ? もしかして、うしろめたいことでも考えてた?」

 その鋭さは声にまで反映されて追い詰めてくる。いや、普通に考えてうしろめたいことを考えるだろ、あれは。

「そこまでにしておきなよ白崎さん。深井沢くんを擁護するつもりはないけど、悪いのは桃乃木さんだと思うよ」

 そんな俺に、柚原先生はやれやれと肩をすくめて助け舟をだしてくれた。

「あれは、そういう目で見ざるを得ない行為だったからね。桃乃木さんは、自分の行動によって誰かの見方を歪めてしまうかもしれない可能性を考えなきゃダメだよ。良好な関係を築きたいのなら、良好な関係を築くための過程を大切にしなきゃいけない。特にファーストコンタクトはね」

「……わかりました。ところで……その人たちは誰ですか?」

「演劇部の入部希望者だよ」

「あっ……」

 漏れた声にはきっと羞恥と後悔。

「そう。桃乃木さんはファーストコンタクトを大きく間違えたんだよ。もう深井沢くんは、桃乃木さんのことをそういう目で見続けるしかないかもしれない」

 そういう目ってどういう目ですかね……。まぁ、分が悪くなるので深く問い詰めたりはしませんけども。

「ど、どうすれば取り返しが利きますか?」

「うーん」

 先生は腕を組んで考える。その間、桃乃木という女子生徒はチラリと俺を見てからビクリと肩を震わせて視線を泳がせている。

 そんな反応をされるとなんだか俺が悪いような気がしてくるんだが。

「深井沢くんのを切り落とすしかないんじゃない? 恐怖って感情は別の感情を抑えつけられるから」

 そして、白崎が恐ろしいことを言ってのけたのだ。

「なんでだよ……怖すぎてお前のこともうそういう目でしか見れねぇよ……」

 一体ナニを切り落として、どんな感情を抑えつけるというのか。

「まぁまぁ。取り返しが利くかは分からないけど、大事なのは双方の理解だと私は思うんだよね。深井沢くんがちゃんと桃乃木さんことを理解すれば、捻じ曲がった偏見を無くすことができるかもしれない」

 そう言った先生は最後に「悪い子じゃないから」と付け加えた。「悪い子じゃないから」というのは、『悪い子じゃないけど難あり』という意味が隠されていることが多い。

「それと、私はまだ仕事残ってるから後は三人で話し合ってね。あと、深井沢くんはあとで入部届を出しに来るように」

 先生は思いだしたようにそう言うと、腕時計を見てから軽く手を挙げアデューのポーズ。そのまま去ろうとした先生の腕を俺は咄嗟に掴んだ。

「な、なに?」

「いや、待ってください。この状態で抜けるのはナシでしょ」

「なしって?」

 そう言って首を傾げる柚原先生。それがわざとなのか分からず、掴んだ手を放せないまま逡巡しゅんじゅん

「……和気あいあいできる未来が見えませんが?」

 簡潔にわかりやすく、なるべく小声を心がけたうえで目に力を込め訴える。その意図を汲み取ってか、先生は心底面倒くさそうな表情を浮かべたものの息を吐いて俺たちへ向き直ってくれた。

「……じゃあ、顧問の私から軽く紹介しておくね。彼女は二年の桃乃木もものぎ桃花とうかさん。文芸部を強制退部させられたところを私が拾ったの」

 OH、引き止めなきゃよかったZE✩

 思わぬ情報にはもはや愕然とするしかない。文芸部を強制退部ってなんだよ。強制退部させられる奴なんて本当にいたの? てか、何したら文芸部で強制退部させられるんだよ……。

「そんでこっちは深井沢隼人くんと白崎明さん。どっちも演技に興味はなさそう」

 事実の羅列という最悪の紹介を終えた先生は、再び軽く手を挙げる。

「もう行かなきゃだからじゃね! あとは頑張れ若人たちよ!」

 今度は捕まえられなかった。というより、状況が好転するどころか悪くなる可能性を考えて捕まえることができなかった。

 残された俺たちはこれから一体どんな会話をするというのか……。

 そんなことに戦々恐々としていると、


「なんで文芸部を強制退部させられたの?」


 白崎がストレートな質問したのである。ぶち込んだよ、この子。

「あー……えーと、文芸部って創作活動で作品を出す機会があるんだけどさ、セックスシーン書いたら問題になっちゃって」

 そう言い、てへへと照れ笑いを浮かべた桃乃木桃花。

 空気が固まったのは言わずもがな。

「あ、でも、もちろんフィクションだよ? 私はそういう経験とかないから」

 そして、さも補足するかのような口調で爆弾投下。これには流石の白崎ですらたじろいでいた。

「ちなみに聞いてみたいんだけどさ、二人はセックスってしたことある?」

 それはきっと、詰みと言って差し支えない。

 桃乃木が先に情報を開示している以上、こちらも何かしらそれに応える必要が生まれてしまっているからだ。

 奇しくも俺は白崎の回答を知っている。そして、白崎も俺の回答を知っていた。だから、答える分には恥ずかしいだけで済むのだが、問題はその先。

 答えれば会話は続いてしまうだろう。そして、続いた先で行われる会話は間違いなく地獄に違いない。

 それを予知してしまっている以上、答えるに答えることができないのだ。

 それは白崎も察していたのか、沈黙が支配し始める。そして、沈黙が長ければ長いほど後には退きにくくなっていく。

 空気は最悪。もはや、入部届を出しに逃げ出したい気分。

 だが、俺は逃げられなかった。逃げてしまえば、残された白崎だけが気まずい空気に取り残されてしまうから。

 もちろん、男が消えることによってこの手の話題に花が咲くこともあるだろう。

 それでも、確証のない未来に期待できるほど俺は楽観的じゃない。

 戦況を変えたいのなら、結局自分で変えるしかなかった。


「もちろんあるぞ」


 だから、俺は白崎が口を開く前にそう言いきったのだ。

「……」

 白崎の方から向けられる訝しげな視線が痛い。それを無視して俺は桃乃木と対峙する。

「あるんだ!? じゃあ、カノジョいるんだね」

「カノジョ? あ、ああ勿論いるぞ」

「……誰か聞いてもいい?」

「いや、それは……い、言えない」

「なんで?」

「ほら、そういうのってカノジョがいないヤツにとっては嫌味に聞こえたりするだろ?」

 白崎のほうから、大きなため息が聞こえた。

「別に、私は嫌な気持ちにならないけど」

「あと、それにだな……バレないよう付き合ってる奴らもいたりするだろ? 周りがうるさいから。だから、こういうのはなるべく話さないほうが良いと俺は思う」

「先に話したのは深井沢くんだよね?」

「いや、まぁ、それはそうだが、質問は「セックスの経験があるかどうか」だっただろ? カノジョがいるかどうかじゃなかった」

「まぁ、確かに。じゃあセックスってどうだった? ほんとに気持ちいいの?」

「うぐっ!? ……まぁ、そのなんだ」

「――深井沢くん。お願いだから……もう、やめて」

 言い淀みつつも、決死の覚悟で答えようとした俺を止めたのは白崎だった。

 見れば、自身の腕を抱きかかえ震えている。おい、なんだそのポーズは……。

「恥ずかしくて見てられないからやめて……カノジョいなくて童貞なのに」

「どう……テイ?」

 桃乃木の瞳からすぅっと光が消えたように見えるのはきっと気のせいだろう。そうに違いない。そうであってほしい。

「桃乃木さんも薄々分かってたでしょ? 彼が童貞なの」

 なんで分かるんだよ……。話してないのに分かるわけないだろ……。

「あー……、なんか、ずいぶん動揺してるなとは思ったけど」

 思ってたなら察して引いてくれよ……。

「なんで深井沢くんは嘘いたの?」

「いや桃乃木さん、それトドメだから。しょうもない見栄を張ったに決まってるじゃん」

 だからといってお前がトドメを刺すな。

「あっ……なんか、ごめんね。経験ないならそう言ってくれれば良かったのに」

「やめろよ。謝ったら余計に悲しい奴になるだろ。そもそも童貞の何が悪いんだ。いずれ誰もが捨てるものだと考えたら、むしろ財産だろ」

「その言い訳、余計に悲しくなるからもうやめて……ね?」

 二人から向けられたのは同情の視線。

 その辱めに、俺は唇を噛み締めながら耐えるしかなかった。

「話題……変えよっか」

 居た堪れない空気の末、桃乃木がそう言う。

 きっと俺の童貞は、この時のために在ったのだろう。そう思えば、童貞だって肯定してやれる。

 童貞を肯定だ。俺は童貞でいたい。俺は童貞でいいんだ!

 おめでとう。

 おめでとう。

 そして、全ての童貞チェリーボーイにおめでとう。


「深井沢くん、なんか無言で拍手しはじめたんだけど……」

「やばいから関わらないほうがいいよ。私たちではもう救えない」


 気がつけば、俺の頬には一筋の涙が伝っていた。

 嬉し涙であれ。

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