第4話 その演劇部には変な奴らが集まる

「演劇部?」

 教室の隅の机に置かれた入部届を数秒見つめた白崎は、突然現れた俺に驚くことなく顔を上げた。

 書類には既に演劇部の文字があり、あとは入部届する者の氏名欄だけが空欄のまま。

「入部してくれ」

「……おっけ」

 その視線はすぐに入部届へと移り、机から無地の筆記用具が取り出されると見る間に空白へは白崎明の文字が書き足された。

「何も聞かなくていいのか」

「従うっていったじゃない」

 物事がスムーズに進むことに不満はなかったものの、その即決は見ているこちらが不安になる。

「勘違いしてるようだから先に言っとくけど、私は考えなしに従ってるわけじゃないよ」

「今の速さで十分な考えを張り巡らせたとは思えないがな」

「言葉が足りなかったね。私は考えた結果、あなたに従うことにしたの。考えるべきことはすでに終わってるんだよ」

 返された入部届の紙。そして白崎の表情には、投げやりや自暴自棄といったマイナス感情は読み取れなかった。

「随分と期待されてるんだな」

「期待? ううん、逆だね。深井沢くんが私を裏切ってくれるなら、たぶんもう何も思い残すことはないだろうから」

 人差し指をこちらへと持ち上げて、恐ろしい事を平然と言ってのける白崎。

 それは彼女の本心なのかもしれない。

 教室に差す日の光も、友達同士で他愛なく話す声も、その空間の隅で悠然と過ごす白崎も何もかもが平和で平穏にみえた。だが、光が強ければ影が濃くなるように、その裏側では俺の想像し得ないことがうごめいているのやもしれない。

 想像できもしないことを、あたかも想像できるかのように振る舞うのは嫌いだ。悲しみもつらさも分からないくせに、泣いてる人に寄り添うような立ち回りはどうしても薄っぺらく感じてしまう。

 なら、何も知らぬ存ぜぬまま、馬鹿みたくいつも通りでいるほうが遥かに実直だ。

「悪いが、入部届は本人が直接顧問の先生に渡さないといけないらしいんだ。職員室に来れるか?」

「従うって言ってるでしょ」

 鬱陶しそうに席を立つ白崎。

「俺はお前を従えたいわけじゃない」

 そんな彼女にそう返した。

「望めば私のことをどうにでもできるのに」

「……薄々思ってたが、お前自意識過剰じゃないか? 「自分には従えるほどの価値が大いにある」と言ってるように聞こえるが」

「そうだよ」

 呆れたように掛けた軽口にすら白崎は当然のように即答した。

「だって深井沢くん童貞でしょ?」

 そして、そんなことまで平然と言ってのけたのだ。

 価値があるってのは自分じゃなく〝俺にとって〟って意味かよ……。

「ま、まぁ、今はまだ童貞ではあるな」

「今はまだなんて保険かけなくても童貞は童貞でしょ」

「保険じゃなく希望だ。伸びしろとも言う」

「伸びしろって……。深井沢くんはカノジョはいるの?」

「いない」

「今はまだ可能性ゼロじゃない……」

「誰だって最初はゼロからだろ。道ってもんのは俺の前にはないんだ。俺の後ろにできるものだからな」

 そう言った俺を白崎は白けた顔で見てきたのだ。

「有名な作品を卑しい表現で汚さないでくれる?」

「……はい」





 職員室にて白崎が入部届を提出すると、柚原先生は分かりやすく目を見開いてかたまった。

「入部するのって、白崎さんなの!? てっきり厄介者が転がり込んでくるのかと覚悟してたんだけど」

「あの、一応俺も入部するつもりなんすけど……厄介者ってまさか俺のことじゃないですよね?」

「主役級を連れて来るなんてやるじゃない。モブ沢くん」

「あの、モブ沢って俺のこと言ってます……?」

「まぁ、でもうちは舞台に立つような活動じゃないし勿体なくはあるんだけどね。白崎さんって演技したいとかあるの?」

 俺を無視して進められた話に、白崎は無言で俺の方をみてきた。

 その顔は「俺に従う」という意思表示。

「せっかく演劇部に入るならやってみてもいいんじゃないか。機会があるのなら」

「言われたらやります」

 俺を介した回答に、柚原先生は「ふぅん……」と目を細めた。

「まぁ、いいわ。とりあえず部室に案内するね。一応演劇部は文化系のなかでも歴史だけはあるからちゃんとした空き教室が与えられてるのよ」

 引き出しのなかから『演劇部』という札がついた紐付きの鍵を取りだした先生は、そのままてくてくと職員室を出ていく。先生の歩幅は大きくないため、取り残された俺と白崎が追いつくのに苦労はしなかった。

「一気に二人も入部するのなら舞台に立つ日もそう遠くないかもね」

「今部員って何人いるんですか」

「二人。だから、君たちを入れると四人になる」

 俺たちで四人か……。本当に廃部寸前だったんだな。

「そんな少人数でできる舞台なんてあるんですか……?」

「役者を演劇部だけで揃える必要なんてないのよ。ただ、役者が演劇部だけで完結できるのなら都合がいいってだけ。過去には他の部から人を引っ張ってきた例もある。まぁ、客寄せパンダなんだけどもね」

「客寄せパンダ?」

「サッカー部のキャプテンとかバスケ部のエースとか。ミュージカルをやるなら歌が上手い子かダンスができる女の子を引っ張ってくるのがいいね」

 何故だか現実を突きつけられた気がした。先生の言う客寄せパンダとは、おそらくモテる人のことだったからだ。

「なんか悲しいっすね」

「そうでもないんじゃない? 舞台に立つ子は少なからず誰かに観てもらうことを欲してる。その目的を達するために手段を選んだだけだよ。まぁ、手段を選ばなかったとも言えるかな」

「選べる手段がまだあったような言い方すね」

「そりゃあったでしょー。チラシ配るとか口コミで人呼ぶとか。でも、一番は誰も観に来ないっていう最悪を回避したかったんじゃないかなあ」

「誰も観に来なかったらやる意味ないですもんね」

「本当に――そう思う?」

 何気ない返しに、前を歩いていた先生が歩みを止めて振り向いた。その視線は白崎にではなく、俺へとまっすぐに向けられている。普段は子供っぽい雰囲気なのに、その瞬間の先生は長く生きた経験の厚みを感じさせた。

「……誰も観ないのなら、本当に演劇なんてやる意味ない?」

 まるで試すような口調。いや、実際試しているんだろう。

 誰も観ないなら演劇をやる意味ないのかって?

 俺は一呼吸おいて口を開く。

「当たり前じゃないですか。誰かに観てもらわないならやる意味なんてありませんね。それがどれだけ凄い演劇だったとしても、伝わらないのなら全然凄くはない」

 先生はしばらく黙っていたが、やがて柔らかく微笑んだ。

「……なるほどね。私も同じ意見かな。だから客寄せパンダを否定はしない。そういう考えなら、深井沢くんはきっと裏方が向いてるよ」

「客寄せパンダは向いてませんか?」

「あー……なんか勘違いしちゃってるからやっぱ裏方向いてないかも……残念。おもに深井沢くんが」

「感想かと思ったらただの悪口だった叙述トリックやめてもらっていいですか」

「なら、深井沢くんは客寄せパンダできるほどイケメンなの?」

「その質問、どう答えても俺に救いなくないですか? はいと答えたら自意識過剰。いいえと答えたらなんか悲しい」

「じゃあ、沈黙にでもしとく?」

「答えは沈黙ですか」

「……あらゆる残酷な空想に耐えておけ。現実は突然無慈悲になるものだからな」

 先生は咳払いをしてから、しゃがれた声でそんなことをのたまった。

「先生少年漫画好きすぎでしょ……」

「少年漫画はいいよ? あれには、いつの時代でも人が面白いと感じる要素が詰まってるから。演劇だってそう。結局、人が面白いと思うストーリーってのは何千年経とうが同じなんだよね。そういう変わらないもの、普遍的なものを理解していれば、例え大人になっても年取ったおばあちゃんになったとしても、世代関係なく人を笑顔にすることは可能だと思うんだ」

「なるほど」

「どう? すこしは演劇部に興味出てきたんじゃない?」

 その論説に感心していたら、不意にウィンクが飛んできた。先生の容姿じゃなければ、きっとキツかったに違いない。

「そんな勧誘ができるのなら、なんで演劇部に部員が少ないんですかね」

「そりゃあ、勧誘自体してないからね。たぶん演劇部の存在自体を知らない生徒はたくさんいると思うよ」

「なんでしないんですか?」

「だって演劇部だよ? 深井沢くんはこの学校に演技をしにきたわけじゃないでしょ?」

「まぁ……芸能科があるわけじゃないですし」

「うちの演劇部は大会に出場したわけでもないし、大きな実績を残したわけでもない。舞台をやるにしてもせいぜい文化祭がいいとこ。つまり、部員に掲げてあげられる目標みたいなものがないの」

「なんか話を聞いてると……逆によく部員いますね?」

「そうなんだよね。私も不思議なんだけれど、はみ出し者みたいな生徒が必ずいて何故かそういう子たちがうちに集まるのよ」

「今から入部しようって生徒にそれ言うのダメじゃないですか」

「別に君たちのことを言ってるわけじゃないよ? ただそういう傾向にあるというだけ」

「じゃあ、今演劇部に在籍してる二人ってのは――」

「さぁ、着いたよ」

 話の途中で先生は立ち止まった。そこは本校舎から渡り廊下で繋がった別棟の一角。普段生徒が来ることがないせいか、その一帯の空気はよどみ埃っぽい臭いがしている。

 先生は空き教室の扉に手をかけて鍵がかかっていることを確認すると、鍵を差し込んで引き戸を開いた。

「――え゙」

 途端、廊下に向かって風が吹き込み、汚れたた空気が吹き飛ばされる。

 どうやら教室の窓が空いていたらしい。

 そして、扉を開けたまま固まっている柚原先生を見た。

「……な、なにを」

 次いで、ここまで黙っていた白崎が困惑の声を漏らす。

 二人の視線は教室の中。それを追って俺も顔を覗かせる。

「――は?」

 そして、同じような感情で声をあげてしまったのだ。


「も、桃乃木もものぎさん何やってるの!!」

「珍しいですね先生。ちょうど役作りをしてたんです」

「役作りって……どういうシチュエーションなの!? それは!!」

「下着姿で学校生活を送らなければならない世界線の女子高校生役です」

「そんなエロマンガみたいな世界線あるわけないでしょ! はやく服を着なさい!」


 そこにはブラジャーとパンツ、ひざ上の黒いソックスに上履きだけを纏った女子生徒が開け放たれた窓の側に立っていたのだ。

 付近の机には、脱いでそのままの制服が無造作に乗っかっている。

 そんな女子生徒の視線が俺と合った。

 ぱちくり。きっと音にするのなら、そんな表現。

 ふむ。こういうとき男はどういう反応をすればいいのだろうか。

 そんな考えを巡らせる前にその女子生徒はしゃがんで悲鳴を教室内に響き渡らせたのだ。


「いやぁああ!!」


 待て。そっちがその反応をするのはおかしくないか!?

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