第2話


「それで、相談って何?」

 事務所の応接スペースで辛味噌味のカップ麺をすすりながら白鳥が尋ねる。ぐうぐうと不満を申し立てていた腹の虫が途端にクーデターを放棄しはじめた。素直な子たちでとても助かる。

 長滝は白おにぎりをかじりお茶で流し込んでから、タブレットを操作して何やらグラフを見せてくれた。

「……ここ数日、突然サンタの出現頻度が急激に下がってるんですよ」

「へえ、じゃあだいぶ落ち着いたってことかな?」

「早すぎるわね」

 白鳥ののんきなセリフにユナが深刻な声をかぶせる。ユナの手にはヨーグルトのカップが握られている。

「そうなんです。ふつう、改変機による世界の書き換えはおよそひと月影響を及ぼし続けます。そこからやっとゆっくり減衰していくんですよ」

「え、じゃあなんでサンタ減ってるの?」

「それが分からないんですよ。ただ、サンタというのはもともと人間、キャラクターに根ざす事象でしょう。ですから主体的に物事を分析し判断することが可能で、故にユナさん、白鳥さんのような敵対者の存在を認知しはじめた可能性があります」

「あるいは……サンタを利用する参謀がバックについたか、ね」

「はい。その可能性もありますね」

 ずるずる、とラーメンを啜る。小難しい話は白鳥にはよく分からない。温かくてしょっぱいものがうまいということは分かる。故に頭の中はラーメンでいっぱいだった。

「結局私はどうすればいいの? これまで通り倒してればいいってわけじゃないってことだよね」

「警戒してほしい、サンタの動きに注意してほしいってところが一点。これまでと何か違った動きをしていないかとか、おかしな動作がないかとか、何でもいいので気づいたら共有してください」

「了解、他には?」

「しばらく街の巡回をして欲しいんですが……」

 長滝がちらりとユナを見やる。

「却下よ却下。ただでさえ今だって放課後時間を取らせてるのにこれ以上拘束したら可哀そうよ」

「手当つくならむしろ大歓迎」

「手当つきます、勿論つけます」

「エディ! セレンも! 深夜にそのへん歩きまわることになるのよ、分かってる?」

「それで言ったら、私よりユナのほうが心配なんだけど」

 ユナはコートを脱いでいる。もこもこのファーで隠されていた首元には初めて出会った日に見たものと同じ、ごてごてした機械が装着されている。これは外部知脳EIと呼ばれる未来の技術で、彼女がまだ齢十歳にして大学卒業できたのはこれのおかげが多分にあるということだった。大雑把に言えば頭にパソコンを繋げるようなものだ。

 だから彼女はそのへんの大人よりもたくさんの知識があり、それを正しく運用できるだけの頭脳を持ち合わせている。EIの制御において十分な訓練を積んでいて、物事において妥当で責任感のある判断を下せるかというテストを彼女はきちんとクリアして過去にやってきているのだ。だから彼女は単に肉体的、主体的な経験にやや乏しいだけの大人に過ぎないというのが未来政府の言い分である。

 だが白鳥からすれば目に見えたものが全てだ。こどもにしか見えないならそいつが何を言おうとこどもだし、もしこれでユナが実は十九歳とかだったら流石に考えるが彼女の肉体年齢は十歳なのである。こども扱いしないのは少し無理があった。

「私は大丈夫よ。あなたたちと違って寝なくても平気だし、一番適してると思う」

「見た目の話だよ、ちびっこ」

「はいはい、その話はやめましょうね。お二人にはパトロールをしてもらいますし、ユナさんも白鳥さんも適宜変装してもらいます。あなたたちの自認はさておき、傍から見たらどう見てもこどもとしか思えないですから。ユナさんにはご不便をおかけしますが」

「……拡張視覚が普及してないって不便だわ。技術のせいっていうのであれば、受け入れないわけにはいかないわね」

 ユナはしぶしぶ、文句を言いたいところを飲み込んでくれたみたいだった。白鳥はしょっぱくて辛いスープを飲み干しながら、なぜユナはこんなに子供扱いを嫌がるのだろうか? と内心で首を傾げた。



 他人の心情など、想像したところで無意味だ。

 すべてのカードが伏せられたトランプの山の、一番上のカードが何かを推理するようなもの。状況証拠カウンティングで分かるときもあるかもしれないけれど一番手っ取り早い解決方法がある。つまり、めくってみればいい。

「なんでユナってこども扱いされたくないの?」

「……それって今聞かないといけないこと?」

 あくる日、ユナと白鳥はきらきらしい街路樹の中をデートもといパトロールしていた。このあと、街一番のデートスポットでもある商業ビルに登って高層階から夜景を眺めるつもりでもある。クリスマスムードが強いほうがサンタも出現するだろうという長滝のピックアップだったが、周囲をムーディなカップルで囲まれ続けるのはやや気まずい。そのくせ発案者で言い出しっぺの長滝は、残業続きでこのパトロールには付き合えないらしい。サンタ事変を上に隠蔽するため、通常業務を普段通りに行わなければならず、がっつりしわ寄せを食らった結果だった。長滝がいたところでユナと白鳥のサンタ討伐が楽になるわけではないので彼女が書類仕事にかじりつきになったところで特段問題は発生しないと知った時の彼女はとてもさみしそうな顔をしていた。

「だって、私からしたらあなたってこどもで、こどもをこども扱いしないって難しいし。ただ嫌ってだけなら無視するけど、何か深い事情があるなら斟酌すべきじゃん」

「嫌って言ったら無視しないで」

「こどもの我儘聞けるほど私大人じゃないんで」

「……」

 きらきら輝くイルミネーションの中を歩くユナは雑踏の中でもひときわ目を引く。さらさらのプラチナブロンドが流れ星みたいに軌跡を描き続ける。ここだけ流星群がやってきたみたいだ。

「私からしたら、あなたたちのほうがずっとこどもなの。私たちはね、未来から来てる。つまりあなたたちがどれだけ愚かで享楽的で後先考えないか知っているわけ」

「愚かって……」

「この馬鹿みたいな電飾の山もそうよ。どれだけの電気がここに費やされているのかと思うと、本当、腹が立って仕方がないわ」

「未来はびかびか光らせないの? イメージと違う」

 白鳥が思い浮かべる未来といえばブレードランナー的な世界観だ。おびただしく光るネオン、空飛ぶ車、あらゆる夜空はあたかも明けようとしているかのように白く濁る。

「あなたたちが資源を使いつぶしたから。蝋燭のほうがふつうになってる……って言ったらあなたたちはこの浪費をやめる?」

「別に電気を無駄食いさせてるの、私の意志じゃないしな」

「そうね。でもこれを良しとしてるのはあなたみたいなふつうの人間なの。大衆なの。だからあなたにだって責任の一端はあるのよ。それが分からないから、わたしからしたら古代人なんてみんなこどもにしか思えない」

 明日のおやつを今食べたい。そうやって欲望のままに食べつくしている。資源が有限であることを知っているくせに。なるほど、と白鳥は頷く。割を食っている未来人からしたら過去の人類など憎悪の対象ですらあるだろう。こどもみたいだ、という形容で済ませ、導いてやらねばならないものだというスタンスをとるユナは寛容すぎるしそこだけ切り取ってみれば己のほうが大人だと自認する気持ちも分かる。

 変な話だ。白鳥たちのほうがずっと祖先で、世界における先達として生きているはずなのに、未来人からすれば過去の人間は何もしらないこどもと同じなんて、なんだか理屈が転倒している。

「でもそれって、個人の話じゃないよね。私ずっと、ユナはこどもだよねって話をしてるんだけど」

「おんなじじゃない」

「全然違うよ。ユナはサンタさんを信じたくてあんな訳わからないことして、大事にしちゃって、今それで走り回ってるんでしょ。それって十分、こどもの過ちだと思うけど」

「……私が信じたかったわけじゃないわ」

「じゃ、なんでサンタがいるって言い張ったの」

 ユナが視線を地面に逃がす。歩みはもうほとんど立ち止まっていると言えるほどに遅い。

「……なの」

「なに?」

「サンタを信じてるのは、お兄様なの」

「んぐふ」

 信じられない回答が聞こえてきて、白鳥の喉に空気の塊が詰まった。ユナがじとりと睨む。

「何?」

「んひ、その顔お兄さんによく似てるね……笑っちゃうからやめて」

「何もう!」

「これはユナを馬鹿にしてるわけじゃなくて、ユナの兄貴を笑ってるだけ。あの……堅物そうな人が、サンタをねえ……」

 ふっと思い出す。怜悧なまなざし、酷薄そうな薄い唇。美しくはあったけれどその分人間みを感じさせない冴えた面立ち。そして万物を見下しているみたいな、冷ややかで傲慢な口ぶり。

 なのにサンタを信じてるのか。

 そのギャップのせいで白鳥の腹筋は攣りそうになっていた。ユナの手前、抱腹絶倒したいのをこらえているが今日夜布団に入ったあとが大変かもしれない。絶対に思い出し笑いで寝付けない自信がある。

「お兄様は素晴らしい人よ。調停官としても優秀な方で、アカデミーも主席で卒業された。駐在員になられてからもたくさんの成果をあげているの……本当に尊敬できる人なんだからね。本当ならあなたなんてお兄様を視界に入れることすら許されないくらいなんだから!」

「別におにーさまを見られなくても困らないけどさ。あんなに冷たくされてるのによくそんな好きでいられるね……しんどくない?」

「お兄様は正しいことしかおっしゃらないの。私がここのところ通常業務で成果を出せてないことも、これまでなかった夜歩きが増えていることも純然たる事実だし。血縁である私の怠慢で、お兄様は管理責任を問われて揚げ足をとられるかもしれないんだもの」

「正しいことと言い方がキツいことは別に一緒じゃないでしょ。明らかに十歳は離れてる妹にもうちょっと優しくしても罰は当たらないって」

「お仕事じゃないところではお兄様は優しいんだから!」

「サンタも信じてるしね」

「もう……馬鹿にして!」

 ユナがぷりぷり怒って白鳥に背中を向ける。そういうところがからかい甲斐があってかわいくて仕方がないということに、この子はいつ気が付くのだろうか。

「この時代に来る前、お兄様がこっそり教えてくれたの。飽食の時代、なんでもあったこの時代には、サンタっていう、いい子のところにやってきて欲しかったものをくれる聖人がいたのだって。お兄様のところには絶対来てくださるって言ったとき、お兄様は笑ってくださったの。だから私、お兄様の夢を守ると決めたの」

「それって……」

 兄はサンタを信じているわけじゃないのではと脳裏にひらめいたが、口には出さなかった。少なくとも、この時代に来る前、この兄妹は両想いであったらしいことは確かだということが分かったのだからここから先は当人たちの問題だろう。

「でも、おにーさまの管轄が隣町ってことは、向こうはサンタがいないんでしょ? 結局サンタがいないってばれるんじゃない?」

 こっちの街のサンタだって、今のところなまはげじみた、悪い子はいねが~とこどもを攫っていく怪異でしかないのだが。

「それは……そうなの。だから誰かが、隣町にサンタとして……ううん……でもお兄様が欲しがるものが分かるかな……」

「じゃあこれから買いに行こうよ、プレゼント」

 白鳥の言葉に、ユナがじとりと半眼になる。

「何言ってるの? そんな訳にいかないでしょ。私たち業務中よ」

「見回りのルート変更だって。どうせあのビルには上らないといけないんだし、ついでついで」

「何にもついでじゃないわ。そういうところだってば!」

「大人になってもこども心って大事らしいからね?」

 白鳥は商業ビルにユナを引きずっていった。ユナが軽すぎてちょっとおののきながらも、メンズの店をじゅんぐり見て回る。ユナは当初全く乗り気ではなかったが、だんだんと「これ、お兄様に似合うかも」「このデザイン、お兄様にふさわしいわ……」と前のめりになっていった。

 結局、ユナは鼈甲のあしらわれた箱入りの万年筆を買っていた。サンタのプレゼントにしては渋すぎるような気もするが、ユナの兄にはよく似合うし実用的だろう。

 買い物を終え、ビルの展望エリアに向かう。街並みが一望できる……ほどは高くないが、繁華街の中心部を見下ろせる。あちこちに野放図と言っていいほど広がるイルミネーションは、宇宙よりよほど騒がしくて下品で、生き生きとしていて楽し気だ。

「確かにこう見ると、電気の無駄遣いだな~」

「セレン……」

 小さな紙袋を片手に提げ、少し興奮が落ち着いたらしいユナが肩を小さく怒らせ眉毛を吊り上げている。怒っているようだが頬が真っ赤なのでおそらくは照れているか恥ずかしがっているのだろう。

「あ、ありがと。サボりはよくないけれど! だけど……おかげでいいものが調達できたわ」

「私ただ茶化してただけだけどね。目利きは全部ユナがやったし、おにーさまが喜んでくれたとしたらユナの見立てが大当たりってことだと思う」

「それはそうだけど」

 否定はしないんだ。

「でも、私ひとりじゃ、ただサンタがいないって言うのを、否定して……それで終わってた。自分がサンタになろうなんて考えたりしなかったと思うから。だから、その、あ、ありがと……」

「いえーい。でもプレゼントとか、あんまりあげたことなかったの?」

「そういう習慣は、なかった、かな。少なくとも私の周りではね」

「誕生日も?」

「ないわ。バレンタインも、母の日、父の日も……何かを贈られるって、それこそ国や軍からの褒章って形くらいじゃないかな」

 個人では物を贈りあったりする文化がないという。まずあまり祝い事も催されないようだった。それがだんだんと社会の形が変容していった結果なのか、あるいは、ユナが言うように電気ひとつつけるにも苦労するような余裕のない社会がそうさせるのか。

 白鳥はなんとなく、後者のような気がしてしまった。

「で、でもこれ、どうしよう」

「どうしようって?」

「サンタって、枕元に置くんでしょう? お兄様の寝所に忍び込んで……なんて、私、とてもじゃないけどできない!」

「じゃあ普通にあげたらいいんじゃない? 妹からのクリスマスプレゼントって言って」

「それじゃ意味ないの! サンタからのプレゼントじゃなくっちゃ」

「おにーさまはサンタ信じてるもんね……。妹なら寝室くらい入れてもらえるんじゃないの?」

「そんなはしたないことできない……!」

 いや兄妹なんだからはしたないことなくない? とは白鳥は聞けなかった。なんだか怖かったので。ただ考えていることが顔に出ていたらしい。ユナがかみつく。

「へんな深読みしないでね、私とお兄様の間にはやましいことなんてひとつもないの! これは清廉で完璧な家族愛だから……!」

「了解了解。大丈夫オーケィ分かってるよ~」

「もーっ、絶対分かってないでしょ!」

 きゃらきゃらきゃいきゃいとはしゃぎながら二人がもみ合っていると、ぷるるるる、と着信音が割って入った。ユナのスマホだった。ディスプレイには長滝の名前が表示されている。

「もしもし、エディ? どうかした?」

『街の中心部から、ものすごく巨大なサンタ値が検出されています! ……今も上昇中! そちら異変ありませんか!?』

「え……?」

 切羽詰まった長滝の声。冗談を言っている雰囲気は微塵もない。白鳥は展望室の窓から繁華街を見下ろした。

 だが、真っ赤なサンタがデモ行進しているとか、おしくらまんじゅうしているとか、そういう光景は見受けられない。ただ人々が何やら、ぼんやり立ち尽くしているのが目に入った。

 ばっと周囲を見渡す。ムーディな音楽に酔いしれながら肩を寄せ合っていた恋人たちが、いつの間にか一人もいなくなっていた。

「何か起こってる……?」

『……ディスプレイです! 街中のディスプレイに何か映し出されてるみたいで……! 転送します!』

 長滝の言葉とともに、ユナのスマホに画像が映し出される。黒い背景に、赤いワンピースを着た、白髪交じりの女性がぬぼっと立っていた。髪色こそ老人めいているが、まだ働き盛りといったところの女性はこの世の恨みを全て飲み込んだような暗い面持ちでうつむきぶつぶつと何かを呟いている。ユナが急いで音量を最大まで上げる。

『……した……っく……こ……この街はすべててて……私たちちちサンタクロースがががが……』

「サンタクロース?」

「しっ。静かに」

 女性の声はノイズの混じりすぎたラジオのようだ。あの公園で襲い掛かってきたサンタを名乗る老人のものによく似ている。

『この街ちちち、ロースススス、が、が、ジャックした……! この街は……サンタクロースがジャックした!』

 女が顔をあげた。真っ黒な目と視線が合う。

『私たちは……サンタクロース。この街のクリスマスを……暗黒に染める!』

 瞬間、女のドレスが真っ黒に滲んでいく。真っ黒な唇が、真っ黒なアイシャドウが、彼女の顔を仮面のように描きだす。

『クリスマスなんて……幸せな人間が不幸せな人間に己の幸福をひけらかして気持ちよくなるためのものを二度と祝わせるわけにはいかない! お前らのような幸福な人間がいるから、不幸な人間はより不幸になるのだ! 持たざるものから取り上げた金で、アクセサリーで、恋人で自らを飾り立てるような醜悪な行事に過ぎない! 金もなく、自由もなく、大事な人もいない、哀れな人間をより一層哀れにさせる忌むべき日など滅びればいい! クリスマスを祝うなんて不謹慎だと、その魂と肉体に刻み付けるがよい!』

 呪いあれ、クリスマスに呪いあれ!

 女性が血を吐きそうなほどに高らかに叫ぶ。同じような内容を繰り返し繰り返し、言葉尻だけを巧妙に変えて、まるで聞く者の脳髄にすりこむようにして喚き続ける。

 お手本のようなルサンチマン。弱者は強者を強者であるが故に憎む。

「うわ……なにこれ?」

『街中からサンタ値が異常に高まっています……! この怪電波を聞いた人に異常が起こっています! まずい、このままだと……何が起きるか想像もつきません!』

「一旦、液晶を視聴不能にするしかないわね」

『こちらでも電波の発信元を追跡してみます……一旦切ります!』

「何か進展があったら教えて頂戴」

『了解しました!』

 ぶつん、と通話が途切れる。ユナも背負っていたヴァイオリンケースからバールのようなものを取り出した。その顔色はかんばしくない。二人は急いでビルを駆け下りる。マナー違反ではあるがエスカレータを一足飛びに走った。デパート内部の人間もどこか茫然自失として立ち尽くしていた。

「どうしてあんなことを……」

「……サンタクロースって呪いを振りまくものだったっけ? 私の知ってるサンタと違うんだけど」

「誰かがサンタクロースを悪用したのかも。思えば最初から変だった……」

 悪い子に害をなす黒いサンタクロースもいる。だがそれは通称だ。サンタと言って最初に想起するものではない。一階ホールまで降りたところで、白鳥がユナの袖を掴んで引き留めた。

「何かあった!?」

「……ごめん、私のせいかも」

「え?」

「サンタがあんな風になったの……」


 白鳥世蓮のもとにサンタクロースが来たことはない。

 白鳥は悪い子ではなかった。単純に、家庭環境がどうしようもなく悪かった。酒浸りの父、男を連れ込む母、いつだって腹を空かせて、いつだって風呂に入れず、いつだって暴力に怯えていた。誕生日プレゼントだってもらったことがない。逃げるように寮のある高校に入るまで、白鳥はいつでも世界を憎んでいた。

 クリスマスは一年で一番みじめな時期だった。学校に行けば、同級生たちは目を輝かせてあれがほしいこれがほしいと騒いでいる。きれいな服を着て、おなかいっぱい食べさせてもらって、痣も切り傷もないつやつやの体で、ゲームだ、服だ、玩具だを欲しがっている。与えられることを当然だと信じて疑っていない彼らが白鳥はいつだって憎くてたまらなかった。

 誰も助けてくれない。みんな自分の幸せをむさぼるのに夢中だ。みじめで哀れなこどもになんて誰も目を向けやしない。我慢しても我慢してもサンタクロースはやってこない。

 この世にサンタクロースなんていないと知った時、白鳥はひどく安堵した。だってサンタクロースが来ないのは白鳥が悪いことをしたせいなんかじゃなかったから。いないものは救ってくれない。


 サンタはいるのだ、とユナが言い放った時。もっと言うなら、サンタにかこつけて少女にいたずらをしようとした男を見つけた時から、白鳥はばかみたい、と思っていた。

 サンタなんていなくていい。クリスマスなんてなくていい。

 いっそものすごい悲劇が起きて、クリスマスを祝うなんて二度と誰も言えないようになればいいのに、そうしたらこんな憎々しい気持ちにもならなくて済む。穏やかに生きていける。

 幸福があることを知るから、人間は欠乏を自覚してしまう。欠乏に気づかせてくれるなよ。

 その気持ちが、もしかしたら、改変機に拾われてしまったのかもしれない。あの女性はきっと、白鳥の深層心理だ。


 断罪を待つように黙する白鳥に、ユナは首を傾げる。ユナは白鳥の過去も事情も知らないし、今後話すつもりもないのだから当然だ。それでも謝らないと、一歩も動ける気がしなかった。

「ごめん、変なこと言った」

「別にかまわないけれど……あなた大丈夫?」

「大丈夫。いやー、迷惑な連中みたいだね、あのサンタクロース過激派みたいなおねーさん。恨むのはいいけど、他人に迷惑をかけたらよくないよ」

 心の中で他人を扱き下ろす分には自由だ。金持ちの家にテロリストを放とうが、妄想である間はどんな罪にだって問えない。

「……それはどうかしらね」

「ユナ?」

「迷惑をかけなくては、声をあげなくては、誰にも届かなかった。クリスマスでつらい思いをしている人たちの気持ちは本物だもの。それを社会が無視するのは不健康じゃない」

「勝手に得られたはずのものってラベルをつけて、勝手に奪われたって思ってる連中に同情の余地はないでしょ。誰だって、不幸じゃない何かを持ってる。他人の幸福をうらやんでその不足を嘆いたってただ怨嗟がつのるだけ。手元の幸福を数えて大事にしなさいっていう話だよ」

 高校に入学してからやっと、白鳥は安心して眠り満足に食べられるようになった。幸福だ、と己に言い聞かせている。でも時折、何故だと悲しくて枕を濡らす日もある。己の幼少期が不幸だった理由をひとつひとつ数えて、普通の家庭に生まれてふつうの両親とふつうの友人に囲まれた人生を夢想する。

 そんなものないのに。

「個人としては、その考えが正しいかもしれない。でも、それを他人に、みんなに強制したらそれは抑圧でしかないの」

「……ユナはずっとぶれないな」

「私からしたら、みんなこどもよ。つらいつらいって、泣いてるこども」

 ユナは個人を見ない。大多数の、群れとしての人間の話をし続ける。白鳥のことが目に入っているようで入っていない。そのことが妙に寂しく、物悲しく感じる。

「ユナはサンタクロースに向いてるよ」

「あんな恨み節を抱いたりしないわ」

「違うよ。みんなを平等に幸福にできるってことだよ。政治家に向いてるっていうほうがいいかな?」

「政治家とサンタだったらサンタのほうがマシ」

「じゃあやっぱりサンタだ。……じゃあ私のサンタさん、みんなにプレゼントを届けに行こうか?」

 白鳥がユナに手を差し伸べる。ユナは白鳥の、何故だか晴れやかな表情を一瞬だけいぶかしんだがそれどころではないと状況を思い出したのかぐっと顔を引き締めた。

「ええ、行くわよ。ええっと……私のトナカイ?」

「赤っ鼻で明るく照らしてあげるよ」




 スウィング、スウィング、スウィング。アドレスもフォローもない。ただの素振り。

 銀と黒のヘッドが空を切るたびにばりんばりんと液晶が割れていく。街中のいたるところに設置されたパネルを、二人はどんどん割っていった。

 一枚割るたびにサンタがまろび出てきて、ついででそれを叩きのめす。

 もう白鳥もユナも頭からつま先までずぶぬれだった。血で。

 猟奇的極まる恰好でも、周囲に騒がられることがないのは、街の人々は虚空を見上げていたり、あるいは頭痛でのたうち回ったり、かと思えば先ほどの黒サンタに影響されたのか、イルミネーションを攻撃したりしている。最後のやつは、怪我しない程度に軽く転がして縛っておいた。正気に戻ったときに記憶が全て消えていることを願うばかりだ。

 ばりんばりん、と液晶が割れるたびに破片が舞ってきらきらと輝く。

 どちゃりぐちゃり、とサンタが潰れるたびに血しぶきが飛び散ってきらきらと輝く。

 機能不全に陥った街の真ん中で振るう暴力は格別だった。

「フーーーーーーッ! こんなの知ったら戻れないかも!」

「セレン、興奮しすぎないで! これはあくまで業務、人助けなんだからね、分かってる!?」

「分かんないかも~!」

「セレン!」

 ユナが叫んでいる。白鳥は高く笑う。手にしたクラブが汗と血でぬるぬるして滑り落ちそうなのを握り直し、またスウィング。破壊のリズムと心拍が同期してどんどんとボルテージが上がっていく。ずっとこんな風に壊してみたかった、そんな気がする。

 だが楽しい時間は短く、ディスプレイは有限だ。

「液晶は……こんなもの?」

「もうないの?」

 目につくディスプレイは壊し終えた。心なしか、街も少し暗くなったような気がする。

 立ち止まってぐるりと周囲を見渡すと、人々が動きを止めているせいで、あり得ないほど静かな繁華街。時間でも止まったみたいな光景だ。

「ひとまずエディの調査を待たないと……」

「……っ」

 その時、影が動いた。白鳥の体が咄嗟に前に出る。血走った目の男だった。瞳孔が、虹彩が、どういう原理だか血のように赤く染まっている。男の腕をゴルフクラブで叩き落とすが、男は痛みを感じていないみたいにまた躍り出て、白鳥のクラブを掴もうとする。

「サンタクロース、俺はサンタクロース、俺、は、俺! サンタクロース!」

 口角に泡を吹きながら喚く姿は正気ではない。どう見ても頭がいかれてしまっていた。

「の、乗っ取られてる!? ユナこれどうしたらいい!? 流石にこれやったら殺人だよね!?」

「押さえてて……って言ってられる場合じゃないかも」

 ユナの深刻な声音につられて、男の腕に押し負けそうになりながら白鳥は周囲を見渡した。茫然としてたはずの民衆のうち幾人かが、目の前の男同様に周囲の人間に襲い掛かっている。民間人同士での暴力沙汰だ。やるほうもだがやられる方も、今後の人生に重大な傷が残る可能性がある。

「まずいまずいまずい、やっぱり頭を強く殴って昏倒させるしかないんじゃない、これ!?」

「セレンあなた力加減間違えたらどうするの! 絶対ダメだってば!」

「そんなこと言ってる場合じゃ絶対ないって。二人のうち一人は確実に助かるならアド……ユナーーーっ!」

「きゃーーーっ! こっちこな、いやーーーーっ!」

 ユナのほうも複数の男女に追い回されているようだった。ユナの手にしているバールのようなものはあまりにも殺傷能力が高すぎて、まさか生きた市民相手に振るなんてできないのだろう、ユナは逃げ一辺倒になっているらしい。このままではいずれジリ貧だ。男たちの目は真っ赤に染まっていて、口々に「憎い、クリスマスが憎い……!」と叫んだりわめいたりしている。みんな案外、クリスマスのことが嫌いみたいだった。少なくとも嫌な感情が大なり小なりあるのだろう。

 白鳥としては、うっすらと仲間を見つけた喜びを感じないでもないが、そんなことを言ってる場合でもない。今こうしてクリスマスを憎んでいるとして、それは何者かによって、おそらくはこの異変の原因によって無理やり引きずり出されただけのものでしかないのだから。普段は皆、家畜のように従順に凶暴さを隠していきているのにそれを暴き立てられたところを本性だなんて呼ぶのは少し理不尽すぎるように思える。

「……ッ、ごめん!」

 白鳥は謝りながら、目の前の人間の側頭部をクラブで殴った。サンタとは違う、固くて手がじんじんするほどの反動がある。人体が壊れるのかという不安はあったけれどどうにか持ちこたえてくれたようで、男は脳震盪かなにかを起こしてその場にぶっ倒れたが血は出ていないようだった。頭じゃないところを殴るべきだった! ついくせで、と反省し、しゃがみこんで男の呼吸に問題がないことを確かめる。

「くり、くるし、くるしみます、さんた、さんた……」

「ま、まだ言ってる……ねえ、あんたらはどうなったら満足なの? 他人を不幸にしたって、君の幸福が増えるわけじゃないよ」

 首を掴んで揺さぶりをかけよう、として、流石にそんなことしたら死んでしまうからと手を離す。

「でも誰だって完璧な人生を生きてみたいし、完璧な人生じゃないことに怒りを覚えるでしょ」

「……っ、誰!?」

 知らない声が頭上から振ってきて、白鳥は慌ててしゃがんだまま振り仰ぐ。そこには黒いスウェットに身を包んだ、男とも女とも取れない曖昧な容貌の人間が立っており敵意のない柔和な笑みを浮かべていた。

「本当はみんな血まみれで傷だらけだ。でも傷を誇ることもできずにときおりそのかさぶたをひっかいて膿んで、過去を恨んで、それで悦に浸って、嫌な現状から目を背けてる連中がこの世にどれだけいるか知ってる?」

「そんな邪悪な豆知識、知らないねッ!」

「うわっと!」

 体が勝手に動く。白鳥がゴルフクラブをバットの要領でスウィングした。この男か女かも曖昧な黒服が、何かしらの事情を知っていることは確実だったからだ。一度バイオレンスに振りきれた脳は、暴力の行使を第一に考える。なぜならてっとり早くて気持ちがいいので。白鳥は体に命じられるままに動くが、黒服はひょいひょいと避けて

「あはは、元気元気。でも私に構ってていいの? 君のお姫様がピンチだけど」

「! ユナ……!」

 見やれば、街の中央広場の片隅、自販機の上で顔色を悪くして小さくなっているユナが見えた。自販機の周りにはゾンビよろしく正体を失った人間がわらわらと群がっている。

 あれを全部なぎ倒せるほど、白鳥は腕があるわけではない。武器があっても相手にできるのは一度に一人が限度。どんな達人だろうと、数の暴力には基本敵わない。

 何かもを解決してくれる一手が欲しい。

 例えば強制終了だとか。例えばリセットボタンだとか。例えば機械仕掛けの神だとか。

 でも願ったところで意味はない。そんなものはない。ないものねだりだ。

 白鳥世蓮の人生にサンタクロースは存在しない。

 しなかった。

「完璧な人生なんてない……一発逆転もない」

 白鳥は歯を強く噛みしめ、己の言い聞かせるようにして叫ぶ。

「過去のせいにしたっていい、現実から逃げたっていい、でも未来から目を背けたらダメなんだ。未来を変えることだけは怠けたらだめなんだ。未来に夢を抱き続けないといけないんだ」

 ――サンタは必要だ。白鳥は唐突に理解する。

 サンタがくれるのはプレゼントではない。

 漠然とした、期待感だ。十二月のこどもたちの目は、はやく二十五日が来てほしい、と輝いていた。未来を手繰り寄せたくてたまらないと顔に書いてあった。

 未来は明るいもので、そこはうれしいことに満ち溢れているという感覚。それがなければ誰だって今さえよければと考えてしまう。サンタがいるからいい子にしなくてはという原体験が、なんの根拠もない明日への希望を育成する。

 そしてその希望が、現在の節制につながる。すばらしい明日にふさわしい、すばらしいおやつをとっておくことができる。

 ユナたちに、未来に、子孫に、しわ寄せをしなくていいのだ。

「――私たちはサンタを倒すべきじゃなかったってこと?」

「そうだよ! 大正解」

 黒服はきらりと輝きを見にまとう。眩さに一瞬目がくらみ、反射的に目を閉じてしまう。再び目を開けたそこには、赤い服の好々爺が立っている。

「いい子の君にはプレゼント、だ。でも私もちょっと意地悪したい気分でね。プレゼントは隠してしまった」

「おい!」

「すぐに見つかる場所さ。ヒントは――ベツレヘムの星」

 ぱちん、と好々爺は茶目っ気たっぷりにウィンクをしてよこすが、今はそれどころではない。自販機の上のユナは今にもひっぱり下ろされそうになっている。どうすればいい、そもそもベツレヘムの星ってなんだ。少なくとも白鳥には聞き覚えがない。調べてる時間もない、というところで思い出す。頭にパソコン詰め込んでいる女のことを。

「ユナ! ベツレヘムの星ってなに!」

「今そんな場合じゃ……っ!」

「いいから!」

「キリスト誕生を示す八芒星オクタグラム! クリスマスツリーのてっぺんにあるあれよ!」

 叫びながら、ユナがロータリーの真ん中に立っている巨大なクリスマスツリーを指で示す。ツリーの上には八芒星ではなく五芒星ではあるもののたしかに星が鎮座しており、そして見るからにどす黒く染まっていた。

 だがツリーは二階建てほどの高さがあり、押しても引いても倒れそうにない。町育ちの白鳥には登りきる自信もなかった。

 だが今の白鳥にはゴルフクラブがあった。

「じーさん、ボールかなにか持ってない!?」

「じーさんいうな。持ってないなあ」

「サンタのコスプレかよしけてんな……ユナぁ! あの改変機ってまだ予備ある!?」

「さっきから何なのよ助けてよ! あるけど二重がけはできないわ!」

「ちょっと貸して! 投げて!」

「わっ、ちょ、引っ張らないで……怖い怖い怖い、ああもう、頼んだからね、セレン!」

 やけくそ気味になりながら、ユナがポケットからあの金色のボールを取り出して白鳥のほうに放る。オーナメントじみた、手のひらに余るサイズの金色のボールは、しっくりくるような重量感があった。

 白鳥はそれをそっと床に置く。

 あとは何回も繰り返した、体に染みついた動きだ。

 アドレス・スウィング・フォロースルー・フィニッシュ。

 アドレス・スウィング・フォロースルー・フィニッシュ。

 アドレス・スウィング・フォロースルー・フィニッシュ。

「ふー……っ」

 呼吸を整える。頭の中に思い浮かべるのは、完璧な軌道、完璧な姿勢、完璧なインパクト、そして完璧な未来。

 バックスウィング。コック&ヒンジの角度は完璧だ。ダウンスウィング。フェースの始末を忘れない。体は小さく、コンパクトに。

 ヘッドがボールにヒットする。衝撃。

「これが私の……ホールインワンだーーーーっ!」

「う~ん、どちらかというとストラックアウト」

 改変機が緑の光をほとばしらせながら吹っ飛び、ツリーの上にまがまがしく輝いていた黒い星に命中する。星は一瞬だけ堪えるようなそぶりを見せたが、しかし衝撃に負けてぐらりと落ちる。地面に落っこちてきたところを、白鳥は駆け寄ってクラブを叩きつけた。

 星が砕けるとともに、周囲に黒い霧が散る。ぶわっと広がった。一枚、空気の膜が薄くなったかと錯覚するような息のしやすさを覚える。何かが確かに変わっていた。

 ばたん、ばたばた、と倒れる音がする。見れば、茫然としていたはずの人々、周囲に襲い掛かろうとしていた人々が地面に倒れ伏していた。

 サンタを自称する男も、忽然と消えている。

 狐につままれたようになりながらきょろきょろあたりを見渡していると、

 自販機から降りたユナが駆け寄ってきた。

「セレン! なに、今何が起こったの!? 突然みんなの動きが止まって……」

「わ、分からないけど……」

 泣きそうなユナは、思わずと言った様子で白鳥の胸に飛び込んでくる。震える小さな体に、やっぱりこどもだよな、と思う。頭脳がどうあれ、パソコンが頭に入っているのであれ、こんなに小さくてこんなに怯えている。

「たぶん、サンタってこの世にいるんだと思う……」

「しっかりして、セレン!」

 ユナが泣きながらバールのようなもので白鳥の頭をぶん殴った。確かにタイミングが悪かったかな、と薄れゆく意識の中で、白鳥は少し反省した。

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ルサンチマンのキャロル 〜逆襲のサンタクロース〜 塗木恵良 @OtypeAlkali

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