第34話 逃走戦

 一海は状況を理解した。


 してやられた。

 長距離転移魔法――――一瞬でギルテリッジ帝国、敵の本陣へと転移させられた!


「何これ、どうなってんの!?」


 後ろで声がした。大河だ。状況を呑み込めず、周りを見渡して愕然としている。見ると、棗・日鞠も同じだった。四人纏めて転移させられたのだ。


「一海!何が起きたの!?」


 棗が一海の肩を揺らした。


「恐らく転移魔法だ……隠れ家に入り込まれていたんだよ、奴らに!そして多分ここは、俺達がいるこの場所は……ギルテリッジ帝国だ……!」

「ギルテリッジって、あのギルテリッジ……!?」


 日鞠が青ざめて口を手で押さえる。そう、考え得る限り最悪の事態が起きてしまった。移動中に帝国に襲われるどころではない。もはや誰の助けも届かない敵地のど真ん中へきてしまったのだ。


「ほう、随分飲み込みが早いですねぇ。ノーグ教の奴らにいらぬ知恵を付けられましたか。そう、ここはギルテリッジ帝国!そして帝都の近傍に構える我がグランヴィル領です!」


 ガゼルが両手を伸ばして高々と告げる。大河も棗も茫然としていた。


「しかしご安心いただきたい。我々はあなた方に危害を加えるつもりは毛頭ありません。それどころか、望むなら贅沢な生活だってさせてあげられますよ。我々の計画に手を貸していただければ、ね」


 一海はガゼルの言葉を内心で一蹴し、周囲の状況を確認していた。

 メイや他のノーグ教徒の姿は見えない。一海達がいる場所は地面に複雑に記された魔法陣の中心だった。

 あの時――――隠れ家で発動されたアレが長距離転移魔法陣だとしたら、その陣は隠れ家全体を包み込んでいたはず。どうやってこの四人だけをピンポイントに転移させられたのか。


 『我が城への招待状』とガゼルは言った――――一海は自分の腰に手を当てる。


 プラムにもらったアクセサリー。


 そして魔法をあちら側で発動したのは"何か"に取り憑かれていたプラムだ。どうやったのかはわからないが、彼女は奴らに掌握されていて、隠れ家に陣を敷く作業と『招待状』を届ける役目をさせられていたというわけだ。


 周りを取り囲んでいる帝国の兵士達はざっと五十名ほど。皆一様に顔面部分が開けている兜と胸部の鎧を身に着けており、腰に刀身の短い片手剣を差している。そのさらに外側に、一様な武装の兵士達とは違う、軽装で服装もまちまちな兵士が十数名。恐らく魔法士だろう。長距離転移魔法の発動にそれなりの人数が必要だったはずだ。二階から見下ろしている帝国四騎将を名乗るガゼルという男には只ならぬ雰囲気を感じる。


 そして何よりも絶望的なのは、ここがギルテリッジ帝国の中心部だということだった。さっきまで一海達がいたアーレアという国からいくつかの山を越えた先にある国オリエント。そこからさらに東にあるのがギルテリッジという国だ。メイとシンヤがいる隠れ家から何千キロメートルも離れている遠い地なのだ。万が一この城から脱出できたとしても、結局敵地のど真ん中に放り出されたのと変わらない。思考の末答えが弾き出され、一海の肩の力が抜ける。

 棗が一海に顔を寄せた。


「一海。この状況、どう打開する……?」

「ゲームオーバーだ」

「え?」


 一海は顔を伏せ、力ない声で言う。


「もうどうすることもできない。大人しく奴らの言う通りにしよう。そうすれば、少なくとも悪いようにはされないはずだ」


 輸送隊の奴らに捕まったときは災厄獣アドヴェルズの襲撃に助けられた。だが、今回ばかりはそんなラッキーも望めない。


「奴らに頭を垂れろっていうの……!とんでもないことをしようとしてる奴らに……ッ!」


 彼女は歯を食いしばりガゼルを睨み上げる。一海が床を見つめながら、どうやってこの野蛮な少女を大人しくさせるか考えようとしたその時。

 一海は何か声を聞いた。大河、ではない。周りの兵士でもない。もっと近く、クリアな音質で――――


『……聞こえるか、一海。俺だ、シンヤだ』


 一海は顔を伏せたまま目を見張る。


『反応はすんなよ、この通信は一方通行だ。あの時渡しておいた首飾りを通して魔法で声を送り込んでる。まさかこんなに早く使う時が来るとはな』


 小さな魔石が嵌められたネックレス。緊急時に位置を把握するためと言っていたが、こんな使い方ができるとは。一海は言われた通り、何事もないかのようにうな垂れたままの姿勢を維持する。脳に届く声は続く。


『この通信はお前だけに届けている。他の奴にも繋いで敵に感づかれたらおじゃんだからな。いいか、俺が今からいう事をよく聞け――――』


 シンヤは簡潔に作戦を告げ、そして通信は途切れた。


 一海は目を瞑り、息を吐く。まだ道は続いている……やるしかない!


「状況は呑み込んでもらえましたかな?」


 ガゼルは心底嬉しそうに話す。


 「抵抗は無駄だということです。既に帝国各地へと通達済みですし、散らばっていた私の兵たちも直にこの城へ戻ってきます。逃げることは不可能です。……さ、もう少し落ち着いた場所で今後の話をしましょうかね」


 彼が手ぶりをすると、取り囲む兵士が四人、前に出て来た。一海は急いで立ち上がる。すると兵士は立ち止まり、一斉に武器を構えた。

 拘束されると状況が悪くなる。ならばと一海は口を開いた。


「俺達は最近別の世界から召喚されただけの、何もできない子供ですよ!?捕まえて一体どうするんですか!?」

「知っていますとも。そもそもあなた方が召喚されるよう仕向けたのは我らですから。説明が足りませんでしたかね?あなた方に選択権は無い。完全に帝国の手中に収まったのですよ。大人しく、大いなる流れに身を任せてください」


 口調こそ丁寧だが、有無を言わせない物言いだった。一海は口での時間稼ぎはこれ以上無理だと判断した。


「ああ、女神よ……!」


 芝居がかった声で両手を組み、天井から降り注ぐ陽光に掲げる。注目が一斉に彼に集まる。


「女神メトセラよ!我らを導き給え!」

「っ……!る、『光る球ルクシオ』っ!」


 一海が口にした合言葉に呼応して、日鞠が魔法名を叫んだ。

 日鞠が頭上に突き出した掌に光の玉が作り出され、そして破裂した。尋常じゃない光量の光が広間一面にまき散らされる。その瞬間、一海も棗も大河も顔を伏せ、日鞠は自らの手で目を覆っていた。


「うわッ!?」「なんだ!?」


 兵士たちの悲鳴が上がる。

 日鞠の『光る球ルクシオ』の失敗から編み出した目くらましの作戦。合言葉は事前に話し合って決めていた。


「走るぞ!こっちだ!」


 兵士たちの視界が眩んでいる隙に一海はするりと包囲を抜けた。他の者も続く。


「『肉体強化ベラトール』!」


 棗は強化魔法を使い、兵士を二人蹴り倒して武器を奪う。一本を大河に渡し、彼女はその片刃の短刀の鞘を抜き取った。


「くっ……!逃げたぞ!追え!」


 兵士たちが目を擦りながら追ってくる。四人は石畳の廊下を走る。


「くくく……無駄だというのに。いいですよ、逃げ回ってみてください。この城にもたまには催し物が必要ですからねぇ!」


 遠くでガゼルの笑う声が聞こえた。


「皆、聞いてくれ!俺達が目指すのは……」


 細かいことは話さずに目標地点だけを告げる。


「棗は前衛!俺と日鞠が中衛、大河はしんがりを頼む!『肉体強化ベラトール』も使っておくんだ!」


 大河は言われて『肉体強化ベラトール』を発動する。『肉体強化ベラトール』と『防護壁アガルタ』の両方を習得した二人を前後に、日鞠はまだ使えないので一海が守りながら戦う形だった。

 強化魔法があれば兵士とだってやり合える。短い期間だが戦闘訓練もしてきた。しかしそれでも、棗はともかくとして大河の腕では一対一で五分に持ち込むのがやっとだろう。真正面からでは勝ち目はない。一海は懐に手を突っ込み、魔道具の感触を確認する。


「来たぞ!怪我したくなかったら止まれ!」


 正面に二人の兵士が現れる。一海は後ろを確認する。既に広間にいた兵士達も追ってきている。ここで足を止めるわけにはいかない。


「棗!右は任せ……」


 片方を無力化しようとナイフを取り出した瞬間、棗の動きが加速し兵士の懐に飛び込んだ。


「え……?」


 情報を処理しきれていない兵士の剣を弾き飛ばし、勢いのまま腹に膝蹴りをかます。


「な……貴様ッ……!」


 もう一人の兵士が棗の腕に掴みかかる。が、棗は掴まれた腕を捻り、隙が生まれたところで男の顎を蹴り上げた。二人の兵士が一瞬で地面に沈む。


「行くわよ!止まらないで!」


 あまりにも華麗な戦いっぷりに、一海が援護する隙も無かった。隣で唖然としている日鞠と顔を合わせる。


「もうあいつ一人でいいんじゃないか?」

「流石棗ちゃん、だね……」


 しかしながらこれで敵の油断は無くなった。今棗が倒した二人は一海達のことを、この世界に召喚されたばかりの素人だと舐めてかかっていた。が、その考えはもう捨てるだろう。


「皆、後ろからもう来てるよ!早く!」


 大河が急かす。見ると、後ろから五人の兵士が迫っていた。再び一行は走り出す。


「棗!あそこだ!あそこから外に出られるんじゃないか!?」


 前方に両開きの木の扉があり、付近の窓からその先が外である事が伺える。一海の指示に従い扉を目指して走る。あと少しで届く――――その時、地面を緑閃光の軌跡が走った。

 次の瞬間、扉の前の地面から板が生え、扉を窓諸共塞いでしまった。後ろを振り向くと、兜をしていない兵士が地面に手を付いていた。


「くそッ!こっちだ!」


 一海はすぐさま方向を転換して走り、三人もそれに続く。敵は数十人の兵士だけでなく、訓練された魔法士が何人もいる。随分と分の悪い追いかけっこだった。しかし、と一海は思考を巡らせる。長距離転移魔法の発動にかなりのマナを消費しているはず。全員既にマナが残り僅かか、温存していて余力がある者がいたとしても数人程度だろう。その予測が正しければ勝機は十分にある。


「進行方向に四人!今度は手を貸しなさいよ!」


 棗が肩越しに一海を見る。流石の棗でも、一人で四人を一気に相手できないだろう。手間取ってるうちに後ろと挟まれて終わりだ。一海は懐に手を突っ込み、そしてやっと『肉体強化ベラトール』を発動した。


「俺が数を減らす!」


 言いながら、魔法陣を刻んだ特製のナイフを兵士に向かって投げた。強化された肩から放たれたナイフは弓矢のような速度で飛翔する。投げる時に込めた一海のマナがナイフに描かれた魔法陣を浮かび上がらせ、そのまま兵士の右肩に命中する。


「があッ……!」


 刺さったナイフから青白い雷が兵士に流れ込んだ。兵士は一撃で床に倒れ込む。


「なんだ!?魔道具まで使うのか!?」


 兵士達の足が止まる。一海は内心でガッツポーズをとった。よし!ちゃんと効いてる!

 これが一海の武器だった。至極単純な武器だ。ナイフに刻まれた魔法は『電気を生み出す』……ただそれだけ。


 魔法というのは、大きく次の二段階の操作に分解することができる。

 

 一、現象を生み出す。

 二、生み出した現象に命令を与える。

 

 例えば単純な雷魔法であれば、雷という現象を生み出し、それが相手に向かっていくように命令を籠める。

 一海がシンヤに教わりながら創った魔道具は、この『命令』の部分をそぎ落としたものだ。当然、魔法に籠める『命令』や『効果』が少ないほど消費するマナは少なくなる。


 魔法士の戦闘において『肉体強化ベラトール』は必須魔法だ。ならばその『肉体強化ベラトール』で強化された四肢と、あらかじめ用意した道具に魔法の『命令』部分を任せればいい。

 最小単位の魔法で戦うこの方法ならば、マナクラスがEの一海でも魔法の発動回数を確保できる。

 

 一海はさらにナイフを取り出し、前方の別の兵士に向けて投げた。籠められたマナによって起動したナイフは、魔法で生み出された雷を纏って獲物に迫る。

 しかし、今度は命中しなかった。弾かれたナイフは壁に衝突し床に転がる。兵士の一人が庇うように前に出て、その剣でナイフを弾いたのだ。

 鎧を付けていない軽装の男――――魔法士だ。

 飛んでくるナイフや矢を弾くことくらい、強化魔法をかけている魔法士にとっては造作もない。

 当然、そのことを考慮に入れない一海ではなかった。走る足を止めず、すぐさま次のナイフを投げる。敵の魔法士は再び弾こうと剣を構える。

 ナイフが魔法士の振った剣に触れた瞬間、ボン!と小規模の爆発が起きる。今度は違う魔法が仕込んであった。至近距離で喰らった魔法士は爆風で吹き飛び、近くにいた他の兵士も衝撃で態勢を崩した。


「左の階段を上がるぞ!」


 前方の敵が怯んでいる隙に挟まれない方向へと逃げる。

 思い描いたとおりに上手くいき、一海は口の端を緩ませる。同じ道具に違う魔法。さぞ対処しにくいだろう。そして――――


「一海やばい!後ろがやばい!」


 数歩後ろに居た大河が階段を駆け上がって一海を追い抜かす。兵士たちが階段に押し寄せてきていた。一海は二本のナイフを投げる。


 そして、対処に困った魔法士は必ず使うはずだ。


「くっ!『防護壁アガルタ』!」


 何でも防げる万能の防御魔法。ナイフに何の魔法が付与されているかわからないのなら、全てに対処できる『防護壁アガルタ』を使えばいい……と、考えるのが自然だ。兵士達の目の前に透明な六角形の板が広く展開され、二つのナイフを阻む。が。


「な……何も起こらない!?」


 ナイフはただのナイフのまま力なく地面に落ちた。一海達はその間に階段を駆け上がり、廊下を走る。


 一海が用意したナイフには二種類の魔法陣がどちらか刻まれている。一つは雷魔法。もう一つは爆発魔法。


 そして当然、


 つまり一海のナイフによる攻撃の選択肢は三つ。雷撃・爆発・何も発動しない。

 一方で相手はその選択肢を見分けることができない。全て同じ形のナイフ。蓋を開けてみるまで効果は分からない。

 

 この図式を成立させてしまえば。今の様に、マナ消費ゼロの只の投げナイフ一つで、相手にマナ消費の激しい防御魔法を使わせることが可能となる。


 この世界の魔法は燃費が悪い。

 どんな魔法でも回数制限がついて回り、それはマナクラスが低い魔法士ほど顕著になる。つまり魔法士同士の戦いにおいて、マナリソースの駆け引きは勝敗を左右する重要なファクターの一つなのだ。

 『命令』を省略し最小化した魔法。そして『魔法を発動しない』という選択肢の追加。

 マナリソースの駆け引きをより有利に進めることに特化した武器――――それが一海の編み出した『使い捨て魔道具』だった。


 今はまだ仕込んだ魔法のバリエーションが少ないが、選択肢が増えるほどにリソース勝負に有利に制することができるはずだ。


 後方から先ほどの集団が階段を上って来た。さらに、二人の魔法士が先頭で手を前にかざす。


「『獣を縛る紐レージング』!」


 同時に魔法を使い、二人の手から白い鎖が放たれ勢いよく一海達に向かってきた。対象を拘束する魔法の鎖。刃で切断することのできない強力な鎖だ。


「大河!」


「わかってる!……『防護壁アガルタ』!」


 最後尾の大河が身を翻し、手を右から左へ払うようにして防御の壁を展開する。彼は四人の中で一番『防護壁アガルタ』の扱いが巧かった。鎖は壁に阻まれそのまま壁に巻き付いた。

 一海はジャケットから球状の魔道具を取り出し、後ろへ転がした。ボールは白く深い煙を吹き出し、瞬く間に廊下を覆っていく。これで少しでも時間を稼ぐ寸法だ。まともに魔法戦ができるようになるまでは戦う術よりも逃げる術の方が重要だと考えていた一海が、何よりも最優先に作った魔道具だった。

 彼はもはや出口を探す素振りをやめ、三階へと上がる階段を探して駆けまわる。

 正面に男が立ちふさがっていた。兵士達とは違う格好、魔法士らとも違う。右目に黒い眼帯を付けている若い男。雇われの傭兵か何かだろうか。一海は懐に手を入れて魔道具を選ぶ。一人ならば棗の力で引き倒す方が早い。


「棗、突破だ!」

「了解っ!」


 一海はナイフを投げて先手を打つ。が、眼帯の男は難なくそれを躱した。一海は舌打ちをする。あのナイフに刻んだ爆発魔法は、物体との接触で起動する。相手が避けるようになると意味がなくなってしまう。

 棗が男に斬りかかった。男は腰から剣を抜き、それを受ける。棗が兵士から奪った刀身の広い短刀と違い、両刃でリーチもある剣だった。

 二人は激しく打ち合う。棗の猛攻を男は難なく捌いていく。一海は後ろを大河に任せつつ援護の構えを取った。通常、白兵戦をしている味方の援護をするのは容易ではない。もしナイフを投げ、味方に当たってしまったら目も当てられない。だが――――


「『風袋アイオロス』!」


 一海の手から放たれた野球ボール大の空気の弾が、眼帯の男の肩に直撃する。態勢を崩すまではいかないも、男は怯んだ。この『風袋アイオロス』ならば、最悪フレンドリーファイアが起きても被害は小さい。


「それ、私に当てないでよ……ねッ!」


 男が怯んだのを棗は見逃さずに攻める。距離を詰め、鍔ぜり合う。男は剣を回転させるように振りまわし拮抗から逃れ、そのまま横振りの斬撃を繰り出した。棗は慌てて飛びのく。彼女は再び踏み込もうとするが、眼帯の男はそれを許さない。リーチの差を利用し突きを中心に棗を攻める。棗は防ぐことしかできない。


 まずいな、と一海は焦る。

 劣勢とまではいかないが、こちらから攻勢に出れるビジョンが見えない。『風袋アイオロス』も何度か撃っているが、棗と切り合いながら全て躱された。一発目以降、常にこちらの動きも見ている様子だった。他の兵士とは明らかにレベルが違う。今の一海達が倒せる力量の相手ではない。そして時間をかければ他の兵士達が来て挟まれてしまう。


「一旦引くぞ!」


 一海は再び煙玉を投げ、煙幕を張る。棗は剣を弾き、広がる煙に身を隠した。四人は煙幕に紛れて来た道を引き返す。他の兵士相手ならまだ何とかなる。あの眼帯の男を避けながら目的地を目指す――――突如、一海の右足が地面に縫い付けられる。


「ッ!?」


 地面から生えた石の手が一海の足首を強い力で掴んでいた。


 『拘泥する手ソルム・マヌス』。


 魔法基礎学にもあった魔法だ。発動地点から標的までヒビ模様が走るその性質上、標的を拘束するまでのタイムラグとその軌跡が視認できるという欠点があり、一海が期待外れな性能と切り捨てたものだった。

 さして脅威足り得ない魔法。だが、一海が撒いた煙幕を逆手に取られた。欠点であるはずの軌跡が感知できなかった。

 ゆらりと眼帯の男が一海の前に体を見せた。剣はもう構えられている。一海は心臓が凍るような感覚を感じながら、その剣筋を目で追った。

 ガキン!と足を狙った斬撃が手前で停止する。


「あっぶなぁー……」


 大河が剣と足の間に手を滑り込ませ『防護壁アガルタ』で防いだのだ。


「大河……!」


 しかし敵の攻撃は止まらない。身体の端を狙った突きが大河を繰り返し襲う。大河は両手に展開した防護壁をスライドさせ、ギリギリで攻撃を防いでいく。

 そしてその隙に、横から現れた棗が一海の足を縛る地面の手を切って解放した。そのまま彼女は大河と交代して応戦した。視界の悪い煙の中、至近距離で激しい切り合いが起こる。一海は足にとりついた手をはがし、思考する。この視界では援護も難しい、棗が勝つことを祈るか?それとも逃げる算段を……。


 煙幕の中での打ち合いは棗が優勢だった。再び鍔迫り合いが起きる。力が拮抗する中、男はいつの間にかダガ―ナイフを左手に取り出し、それを棗の足の甲に投げて突き刺した。


「あ゛あッ……!」


 棗は悲鳴をあげながらも男の剣を抑え込み、無事な右足で腹を蹴飛ばした。


「大丈夫か……!?」


 彼女は足の甲に刺さったナイフを乱暴に抜き、横に投げ捨てる。彼女の立っている場所に赤い液体が広がっていく。


「大丈夫……それよりあんたはこの状況を打開する方法を考えなさい……!」


 煙が晴れ、周囲の状況が露になる。正面にはやり手の剣士、後ろには十数人の兵士。完全に囲まれていた。一海は歯ぎしりする。あの眼帯の男を突破するのは容易ではない。かといって、後ろにも魔法士が二人か三人。マナは消耗しているだろうが、人数が問題だ。


「棗はあいつの相手を頼む。勝とうと思わなくていい!大河と俺で後ろを何とかする!日鞠は自分の身を守れ!」

「なんとかなるかなー、これ」


 危機的な状況を前に、大河は口の端を吊り上げ剣を構える。一海もナイフを数本取り出して臨戦態勢をとる。ナイフのストックは残り六本。何とか時間を稼ぎつつ、突破の糸口を掴まなければならない。眼帯の男と棗、一海大河ペアと兵士達、お互いの出方を伺い、ジリジリと睨みあう。その時。


「みんな集合!!」


 突如日鞠が大声を上げた。予想していない行動に一海の思考が一瞬ラグる。即座に動いた棗が一海を抱え、三人が日鞠の元に集まった。彼女が頭上に両手を掲げ、ブツブツと紡いでいる言葉を聞いて一海はすぐに察する。


「大河ッ!」


 声を上げた時にはすでに、大河は日鞠と同じように両腕をあげていた。そして発動した『防護壁アガルタ』が、日鞠の腕のみ露出させたドーム状に展開される。


「『水蛇アクアサーペント』!」


 緑閃光と共に一海達の頭上から勢いよく水が溢れ出す。本来は蛇のような形を保った水流を生み出して操作し敵にぶつける魔法だが、メイが放ったそれは意思を持たない水がただ流れるだけ。しかし普通じゃない量のマナを使い絶え間なく生み出され続ける水は、圧倒的な質量を持った激流となり廊下を瞬く間に呑み込んだ。

 『防護壁アガルタ』に守られている一海達の耳に入ってくるのは激流が生み出す轟音だけだ。外の兵士達がどうなったのか推し量ることはできない。少しして、一海は無我夢中で魔法を発動し続ける日鞠の肩に触った。


「日鞠、もういいぞ!」


 気づいた彼女は魔法を停止した。水の生成は止まり、瞬時に周りの様子が視界に映る。


「ははっ……」


 一海は思わず笑ってしまう。


 「やるじゃん、日鞠」


 水浸しになった廊下には、気を失った兵士が二人ほどいるだけであとは跡形もなく流されてしまっていた。日鞠は手を頭の後ろにやる。


「えへへ……失敗魔法でも使いよう、だよね?」

「天才だよ日鞠!あんなピンチを切り抜けるなんて!」


 大河が日鞠の肩を揺さぶった。


「急ごう。時間稼ぎはもう終わりだ!」


 一海は冷静に道を指示した。すぐそこに三階へと昇る階段があった。階段を駆け上がり、走る。兵士達も眼帯の男も倒したわけじゃない。じきに追ってくるだろう。しかし、それももはや脅威ではなかった。


『三十秒後だ。行けるな』


 シンヤから再び通信が入る。彼からの指示は十分後に。そして一海が時間を稼ぎながら最初から目指していたのは――――


――――見えた。


 一海はニヤリと笑う。さっきまで一海達がいた大広間の吹き抜け廊下、そして魔法陣の真上。そこから飛び降りれば一海達の勝ちだ。


「あそこまで走れ!俺が最初に飛んで、『風袋アイオロス』でクッションを作る!皆は俺に続くんだ!」


 兵士の姿は見えない。勝った――――その油断が、四人の警戒意識を少し下げた。

 突如横から現れた大男が大河を殴り飛ばした。

 大河は数メートル吹っ飛ばされ、吹き抜け廊下の柵に激突する。


「殺しちゃいけねえって命令なら、剣で斬るよりも殴るほうが最適だと思わねえか?」


 二メートルはゆう超える体躯の、熊のような男だった。武器は持っておらず、鉄のナックルダスターをはめた拳をポキポキと鳴らす。他の兵士と武装は違うが肩の鎧に記されている紋章は同じ。そして恐らく肉体強化魔法も使っていると一海は踏んだ。


「一海、大河をあそこまで運んで。こいつの相手は私がやる」


 男の前に棗が立つ。一海は頷いた。一対一で棗が簡単にやられるはずはない。そう信じ、日鞠と協力して意識を失った大河を引きずり目的地点まで運ぶ。

 下を見下ろす。丁度魔法陣の真上だ。一海は手すりを蹴り飛ばして降りる準備をする。


『残り十五秒』


 シンヤのカウントダウンが聞こえる。


「棗!時間がやばい!こっちに来るんだ!」


 棗はひらひらと大男の攻撃を躱していた。


「くそっ!この女ちょこまかとお!」


 一海の声を聞き、棗は武器を捨てて男の大ぶりな拳を躱すと流れるように腕を掴み、


「うおおおおりゃあああああ!!」


 そのまま背負い投げた。男は勢いよく投げ飛ばされ、追いついてきていた兵士の集団に突っ込んだ。武器を拾い上げた棗がこちらへ走ってくる。一海は彼女を急かしながら牽制で彼女の後方へと『風袋アイオロス』を放つ。


 その時予想もしていないことが起きた。棗が体勢を崩し、走る勢いのまま地面に倒れた。転んだのだ。左足を――――眼帯の男にダガ―ナイフで貫かれた左足を踏ん張った時だ。

 次の瞬間、起き上がろうとした棗の体を白い鎖が巻き付いた。


 『獣を縛る紐レージング』。


 あっという間に彼女の体を身動きの取れない簀巻きにする。


「棗ちゃんっ!!」


 日鞠が悲痛な声を上げるも彼女はその場から動かなかった。既に棗の傍に兵士達が来ていた。策無しに飛び込める状況ではなかった。


『残り十秒だ』


 一海の脳に、無慈悲なカウントダウンが告げられる。


 無理だ。


 一海はそう結論付けた。

 十秒で彼女を助けて魔法陣まで行くなんて無理だ。いやそもそもあの数の兵士達を二人で相手すること自体が無謀だ。だが幸いなことに、今ここで大河を抱えて飛び降りれば、三人は確実に助かることができる。棗は助からないが、殺されるわけではない。そうだ、ここで全員が捕まったらそれこそおしまいだ。希望を繋ぐなら一人でも確実に守護者アイギスを生かすべきだ。決まりだ。棗には悪いが、ここは見捨てて俺達だけで――――


「行って!!」


 棗の叫び声が聞こえた。彼女は兵士達に取り押さえられながら、ただいつもと変わらないまっすぐ芯のブレない瞳で一海を見ていた。


 その時やっと、一海は自分の感情に気付いた。


 災厄獣アドヴェルズを前に無謀にも一海を庇った日鞠。

 一切の迷いなくルークを助けに向かった棗。それに大河も。

 そして命を賭してこの世界を救ったハルアキ。


『僕はきっと、一海が羨ましかったんだと思う』


 大河の言葉がリフレインする。


 羨ましかったのは俺の方だ。

 羨ましかったんだ。本当はずっと、全部羨ましくてしょうがなかったんだ。


 幻覚を見た。

 火事の中に飛び込む幼い時の自分だ。大好きだった母さんの様に、誰かを助けることのできる人間になりたかった過去の自分。


 次に日鞠の顔が浮かんだ。この世界に来て初日、彼女に魔法を教えた場面だ。


『もし魔法が使えたら……きっと何でもできるなって。私がうまくできなかったこと、全部できるって思って』


 この世界でなら。俺も変われるのかな。諦めたもの、あの時全部捨てたはずのものを、もう一度――――


 気づけば、一海の体は動いていた。


「日鞠は大河と先に飛び降りろ!『水蛇アクアサーペント』を下に放て!」

「え……一海くん!?」


 一海はわき目もふらず走る。どんな時も自分の正義を貫いた少女を助けるために。

 棗を取り囲む兵士は大男を含む八人。走りながらナイフを二本投げる。魔法士と思われる兵士が剣で弾こうとして爆発する。恐らくマナ切れだ。『防護壁アガルタ』を使うだけのマナがもう残っていない。

 もう一つは別の兵士の下腹部に直撃し、雷撃で沈む。さらに二本のナイフを大男に食らわせ、立ちふさがった兵士の足へ『風袋アイオロス』を放って生まれた隙に頭を蹴り飛ばす。すぐさまナイフを二本取り出し奥の兵士の足元に投げて爆発させ、吹き飛ばす。


 魔道具は全て使い切ったが、これで一時的に棗の包囲は取り除いた。

 床に転がる棗に駆け寄り、彼女を抱え起こす。


「一海、あんたなにやって……」

「文句も感謝も後で聞く!」


 肉体強化の力を借りて棗を持ち上げ立ち上がろうとしたその時――――横から巨大な拳が飛んでくる。


「がぁッ……!?」


 一海は棗を抱えたまま宙に浮き、次の瞬間には廊下の柵に激突した。背中に激痛が走り、口から血が零れる。


「ふぅーっ。なかなか痺れたぜ兄ちゃん」


 大男が首を鳴らしながらうな垂れる二人を見下ろした。


「もうあきらめな。最初からお前らに勝ち目はねぇんだ、この城に来ちまった時点で終わりなんだよ。ほら、もう痛いことはされたくないだろ?諦めて投降しようぜっ、な?」


 男は体を屈め、憎たらしい笑顔で一海の顔を覗き込んだ。傍に倒れている棗が睨み返すも、完全に拘束されている彼女を大男はもはや相手にしていない。一海は力なく柵にもたれかかる。パラ、とひび割れた柵の破片が階下に落ちる。

 一海は血の垂れる顔を上げ、意思の籠った強い瞳で男を見返す。


「うるせぇよタコ。棗に、この小さい女の子一人に勝てなかったお前が偉そうに語んな!体がデカいだけの木偶の坊が!」

「よしわかった、お前は殴る!」


 額に青筋を浮かべた男はその剛腕を振りかぶった。一海は即座に棗を抱え、攻撃に背を向けた。間もなくして凄まじい衝撃が一海の体を襲う。大男の全力の拳は一海と棗を石の柵ごと吹き飛ばした。

 体は宙に浮く。だが決して、棗の体を離さない。二人は落ちる。魔法陣のある大広間へ。


「『風袋アイオロス』ッ!」


 一海は落下しながら床に右腕を伸ばし、当初の予定通りの魔法を発動する。生み出された空気塊は平たく伸び、三階から落下して来た二人を受け止めた。空気のベッドを転がり降りて、棗を抱えた一海は走る――――魔法陣の上にいなければいけない。


『時間だ一海。長距離転移魔法を発動する』


 それが脳内に聞こえたと同時に魔法陣へと滑り込んだ。既に日鞠と意識を失った大河がそこにいた。


「おや?皆さん戻ってきてしまったのですか。もう鬼ごっこは終わりにしますか?」


 ここに転移させられた時と同じように、二階の演説台にガゼルが姿を現した。一海は答える。


「ああ、終わりにするよ」


 地面に描かれた長距離転移魔法陣が光り始めた。予想外の出来事にガゼルは狼狽する。

 この魔法陣を構築したのは彼だ。故に彼の脳は瞬時に理解してしまった。


 守護者アイギス達は、この長距離転移魔法陣を利用して転移しようとしている。


「バカな……あり得ないッ!そんなことは不可能なはずだ!なのになぜ陣は発動している!?」


 しかし同時に彼は理解できなかった。

 この魔法陣は出口として設定したものだ。遠くノーグ教徒の根城に作成した入り口と一方通行で繋がっている。つまりこちらから別の場所に転移することはできないのだ。入り口側の魔法陣でノーグ教徒の連中が手引きするにしても、こちらに転移してくることしかできない。

 さらに万が一に備えて、入り口側の魔法陣に使用者をガゼルに限定するギミックも仕込んであった。


 不可能なのだ――――――本来ならば。


 ガゼルは知らなかった。知る由も無かった。

 遠く、入り口側のノーグ教隠れ家にいる男の存在を。


 彼が天才的な魔法構築技術を持つ魔法士であり、九年前、長距離転移魔法陣を生みだした超本人だということを!


転移アポート


 その言葉とともに、一海の視界は歪んだ。

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