第35話 旅の始まり

 不快な浮遊感が弱まり、一海はゆっくりと目を開いた。正常化した視界が見覚えのある景色を映し出す。

 いつもの広場、質素な教会、不自然な程澄み渡る青空、そして――――


「みんなぁ……っ!」


 メイが飛び込んできて棗と一海を抱き寄せる。


「信じてたよ、皆なら絶対戻って来れるって」

「ギリギリもギリギリだったけどな……」


 安堵から全身の力が抜けた一海は彼女にもたれかかる。


「流石にもうだめかと思った……」


 珍しく弱音を吐く棗。彼女を拘束してた魔法は既に解けていた。

 日鞠と、目を覚ました大河も飛びついてきて、団子になって抱き合う。日鞠はわんわんと泣いていた。


「よかったぁ……みんなで戻って来れた……!」

「ははっ……!僕ら強いじゃん!あそこから逃げきれるなんて!」


 切り抜けたのだ。敵陣のど真ん中に放り出されるという絶体絶命の状況を。四人全員無事のままで。

 一海はその事実を噛みしめ、緩んだ頬をメイの肩に押し付けた。


「よく俺のことを信じて動いてくれたな」


 一海達を窮地から救い出した男が歩いてくる。


「あなたの魔法構築技術が凄いことも、転移魔法に詳しいことも知ってた。なんとかしてくれるって思ってたよ。……それにしたって、やってることが規格外すぎるけど」


 シンヤはふっと笑う。


「魔法陣の上書きは俺の研究テーマの一つだった。その技術で長距離転移魔法陣を描き直して入り口と出口を逆転させた。一方通行だろうが何だろうが、陣同士で"接続"ができるなら道は作れる。あとは――――」

「もういいからその講釈は!皆ケガしてるんだから運ばないと!」


 シンヤが語り始めたのをメイが遮る。

 それからメイは一海に肩を貸して持ち上げる。四人の中でケガの重症度が一番高いのは一海だった。骨はいくつか折れていたし、『肉体強化ベラトール』無しで自力で立ち上がる体力は残されていなかった。


 メイに体重を預けながらふと、一海は思考する。

 『使い捨て魔道具』……十分な活躍だったが、あの眼帯の魔法士には通用しなかった。もっとレパートリーが必要だ。それに、作った分は全部使ってしまったからまた作り直さなければいけない。なんて面倒くさい武器なんだ。そんなことをぼんやりと考えながら――――



「不覚でした。まさかこんなに腕の立つ魔法士がノーグ教にいるとはねぇ」


 突如、聞こえるはずのない声が聞こえた。咄嗟に動いたシンヤがメイを突き飛ばす。


「く、そが……ッ」


 の腕がシンヤの腹を貫いていた。


 さっきまでは居なかったはずだった。今この瞬間に現れた。勿論、転移魔法が再び使われた形跡は無い。ガゼルの体は不完全で左半身は人の形をしておらず、黒い粘液状の物体が蠢いていた。彼は不気味な笑みを作る。


「でも良しとしましょうか。こうして早いうちに不安の芽を摘むことができたのですから」


 次の瞬間、メイがその腕を両断した。一海が目に追えないスピードだった。腕を斬られたガゼルは後ずさる。


「効きませんよ」


 腕の切断面から黒い粘液がうねり、やがて手を形作った。

 一海は悟る。黒い粘液に特殊な体。それを利用して一海達の転移に紛れ込んでいたのか。


「なるほど魔石でマナを代替したのですか。それでも……もうほとんどマナは残っていないようですねぇ」


 ガゼルは付近に散らばった大量の魔石を見、それから大量の血を流して倒れ込むシンヤを見下ろした。長距離転移魔法を行使した後だ。シンヤは戦える状態ではなかったのだ。

 一海は焦る。彼自身も満身創痍だった。マナも体力も、先の逃走戦で使い果たした後だ。こちらで戦う余力があるのは棗ぐらいだが……見ると彼女は今にも飛び出しそうな態勢をとっていた。


「下がってなさいッ!」


 メイが叫んだ。棗の体が止まる。


「『魔女の武器工房アルマ・ミラ炎延刀フラムスルト』」


 残り僅かのマナを使い、彼女は魔法を行使する。宙に現れた魔法陣から生み出された柄を手に取り、空間から刀を抜き取った。細く長い、日本刀のような刀。そして一瞬でガゼルとの距離を詰める。

 ガゼルは反応できなかった。彼が動こうとした時にはすでに、刀によって体が上半身と下半身に分かれていた。


「効かないと言ったはずです……何!?」


 彼は再び体を再生させようとするが失敗に終わる。


 メイに斬られた断面が、紅い炎で燃えている。


 すぐさま別の策をとろうと上半身を粘液状態に変化させようとするが、その隙をメイは許さなかった。切断面を燃やし焼き切る刀がガゼルの体を切り刻んだ。

 細切れになった口が嗤う。


「くはは……!その顔、覚えましたよ。また会える日を楽しみにしています」


 ガゼルの肉片は黒い粘液へと戻り、やがて塵となって消えた。


「死んだ……?」


 棗が呟く。いや、と一海は内心で否定した。恐らくガゼルの本体はあちら側でピンピンしているだろう。こちらに転移してきたのは、きっと奴の体の一部に過ぎない。


「シンヤッ!!」


 メイは武器を投げ捨てて倒れているシンヤに駆け寄った。放り投げられた魔法武器は宙に消える。


「待ってて、今すぐ回復するから……!」


 血だまりの上に倒れる彼の目は虚ろだった。腹に空いた大きな穴に、メイは手を当てて回復魔法を発動する。緑閃光が薄く輝くが、傷は治らない。


「クソッ!マナが足りない……ッ!」


 マナだけの問題ではなかった。彼が負った傷は、あまりにも致命的過ぎた。


「メ、イ……お前、は……」

「シンヤ、シンヤ……!やだ!治ってよ!死んじゃ嫌だよ……ッ!」


 子供の様に泣き叫ぶメイ。シンヤは彼女の胸倉を掴んで顔を引き寄せた。


「聞けッ!俺は死なねぇ!」


 力強く言い放った彼の言葉に、メイは涙に溢れた目を大きく見開いた。


「俺の本体はギルテリッジにある……助けたかったら勝手に来い……だがッ!それはそこのガキどもを連れて世界を救った後だッ!」


 彼は冷たくなり始めた手で、しかし熱く意思の籠った眼でメイを見据えた。

 無理矢理蘇らされてからずっと、ギルテリッジの野望を阻止し世界を救うための準備を進めてきたのだ。

 九年前――――道半ばで自ら命を絶ち、世界を救うことをハルアキ達だけに押し付けた……そのツケを払うために。


 今死にかけているクラウスの体はシンヤの本体ではない。半分にしたシンヤの魂を死霊魔法で植え付けたものだ。だが、肉体が死んだときその魂はどうなる?

 遠く離れた帝国にある、元の体に還るなんてそんな都合の良いことは起きないだろう。


 魂の半分が消滅する――――その時恐らくシンヤは、無事では済まないはずだ。


 彼は手を離し、目を瞑った。


「わかったらとっととここを出ていくんだな……奴らが来る前に」


 メイはきつく口を噛みしめ、それから涙を拭った。

 息が途絶えようとしている男の手を両手で握る。

 

「……わかった。世界を救う。そして君を必ず助けに行く……!待ってて……!」


 返事は無かった。

 一海は地面に伏しながら、彼らのやり取りをただ、ただ眺めていることしかできなかった。








 シンヤの言に従い、一海達はすぐに森を出ることにした。

 隠れ家のノーグ教徒達には全ての事情を話した。クラウス司祭の体を、九年前の守護者アイギスが乗っ取っていたこと。そして長老が既に亡くなっていること。あまりにも衝撃的な話に彼らも受け止め切れていない様子だったが、世界を救うためだったと最後には納得してくれた。クラウス司祭と長老の身体はノーグ教徒達の手で丁重に弔われた。


 一海達が森を出るのと同様に、ノーグ教徒達もまた、隠れ家を放棄することになった。ギルテリッジ帝国に隠れ家の場所を知られてしまった以上、この場所に留まるのは危険だ。そして一海達が目指すルクセリスはノーグ教の天敵、スペステラ神教が幅を利かせる国なので行動を共にすることはできなかった。

 

「世界を救うために、我々にできることをするよ」と、顔に傷のついたノーグ教徒の男、トルドーは言っていた。

 ベッドに伏していたプラムに別れを告げられなかったことを、日鞠は相当に悔やんでいた。



 一海は大河におぶられながら『帰らずの森』を進んでいた。

 メイのマナが回復し治療してもらえるまでは交代で運ばれることになった。この歳でずっと人の背中にしがみつき続けるのは恥ずかしかったが、歩くとあまりにも遅くなるので仕方が無い。

 ノーグ教徒達と別れ、一海、棗、日鞠、大河、そしてメイの五人で、これから本当の旅が始まる。世界を救うための旅が。


「そういえばまだ礼を言ってなかったわね」


 突然、隣を歩いていた棗が言う。


「ありがとう、一海。あの時助けてくれて。……あんたのこと、見直しちゃった」


 悪戯っぽく笑う彼女の顔を見て照れくさくなり、一海は顔を反らしてしまう。


「まあ、別に……」

「え、なになに?僕が気絶してた間に何かあったの?」


 四人の中で唯一経緯を知らない大河が食いつく。何故だが嬉しそうに、日鞠が横から説明をする。


「大河くんが気絶した後棗ちゃんが捕まっちゃって、時間も無くて絶望的な状況で……それでも一海くんが棗ちゃんを助け出したの」

「へえぇ!あの一海がねえ……」


 一海を背負う大河が意味ありげな笑みを浮かべて後ろを見た。


「なんだよ。文句があるなら聞くけど?」

「いや別にぃ?ただ、人って変わるんだなぁって思っただけ」


 大河の腕からぶら下がっている足で彼のことを蹴ってやろうかと一瞬考えたが、彼が体勢を崩すとこちらも危ないので仕方なく苛立ちを抑え込んだ。

 

 一海はその時のことを思い返した。転移魔法が発動する十秒前、絶対に無理だと判断したはずなのに、棗のことを助けに飛び出した時のことを。

 

 助けたい、と思った。

 変わりたい、と思った。


 しかしもう一度同じ場面に遭遇した時、果たして同じ行動をとれるだろうか?

 どう考えても無謀な行動だ。助かったのは運が良かっただけ。

 

 投げたナイフを避けられていたら?

 想像よりも敵の魔法士にマナが残っていたら?

 大男が最後の挑発に乗ってくれなかったら?


 眼帯の魔法士の存在もそうだ。棗を助け出す場面、彼が追いついてきていてもおかしくない時間だった。しかし何故か彼の姿は無かった。理由は不明だが、それも運が良かったとしか言えない。

 

 挙げればキリがない程の失敗可能性。今思い出しても肝が冷える。

 無謀な行動は悲劇を生む。彼が母親を失ったあの出来事のように。


「俺は……」


 一海は自らに言い聞かせるように独白する。


「俺のスタンスは変わらない。無謀なことはしないし、どんな状況だって合理的に判断して動く……そうやって生きてきたんだ、俺は」


 人は簡単には変われない。

 あの人生の分岐点からこれまで築いてきた合理的な生き方を、今更捨てることなどできなかった。もはや魂にこびりついたシミのようなものだ。その生き方に救われたことだって何度もあった。

 きっと昨日と同じ場面に遭遇した時、見捨てるのが正解だと頭が叫ぶだろう。そしてあの時のように気の迷いが重なりでもしなければ、当たり前の様に棗を見捨てるだろう。

 それが小日向一海という人間だ。


 だけど――――一海は内心で言葉を続ける。


 強くなろう、この世界で。そうすれば無謀は無謀じゃなくなる。

 あの時の俺の様に、誰かを救おうとして悲劇を生み出すことだってなくなるはずだ。


 そして……



 そしていつか、シンヤさんを助け出せるくらい強くなってやる!


 彼は前を見据えた。



 人は簡単には変われない。

 しかし、変わろうともがくことはできる。前に進もうと立ち上がることはできる。そのきっかけをこの異世界が、守護者アイギスがくれた。


 やがて森の出口が見えた。まるで世界が歓迎するかのように、朝日が彼らを照らしていた。

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