第8話 『スペステラ冒険記』2章3節

 自然によって作られた洞窟に、突然明らかな人工物の扉が現れた。金属製の扉は固く閉ざしており、取っ手のようなものは見当たらない。扉のすぐ横の壁に顔の大きさほどの黒いパネルのようなものを発見し、アカネは顔を寄せた。三つに編まれ長く垂れた黒髪が彼女の背中で揺れる。眼鏡越しの瞳は好奇心で輝いていた。


「これにタッチすればいけるか……?」


 躊躇なく右手を伸ばす。しかしその手は横から掴まれた。


「ちょっと待った!怖いものなしかお前は!一旦慎重にいこうぜ」


 止めたのはハルアキだ。目立つ赤髪の彼は苦笑していた。


「おっと。ごめん、好奇心に勝てなかった」


 彼女が顔を引いたのを見てハルアキは手を離す。


「多少魔物がいたとはいえ、ここまで大した苦労もなかったからな。まだなんかあるんじゃないかって気がしてるんだよな」


 アカネは頷く。人工神器アーティファクトが眠る遺跡。そこに初めて挑む一行は、様々な試練を想定して準備を整えてきたというのにせっかく覚えた魔法も今のところあまり披露の場が無い。正直な所拍子抜けだった。


「ちょっと周りを調べてみよっか」


 メイが言う。鶯色の髪から顔を出す猫のような耳は獣耳人フェーリス特有のものだ。その他の種族よりも聴覚と嗅覚がいい。


「疲れました……」


 少し後ろでレナエルが、手に持った背の丈ほどある杖に体重を預けていた。碧く輝く瞳。頭の右側に生えた小さな魔角。その美しい金色の髪には王族の気品をうかがわせる。つい数日前まで王宮に引きこもっていた彼女にとっては、薄暗い洞窟の道なき道を歩くだけでも大変なことだった。


「今から城に戻ってもいいんだぞ」


 レナエルの方を見ることもせずにぶっきらぼうに言うシンヤ。スラッとした体形に仏頂面。緑色のメッシュがワンポイントで入った黒髪は左目を隠すように伸びている。


「こらっ!そういうこと言わない!」


 メイが注意するがシンヤは知らん顔を続けた。


「いえ、ごもっともです!私、まだまだ頑張れます!」


 両手の拳を胸の前で掲げやる気をアピールするレナエルを、メイが横から優しく抱きしめ頭を撫でた。


「大丈夫だよーレナエル。やばい敵出てきてもコイツが何とかしてくれるからねぇ」

「囮としてうまく使ってやるから安心しろ」


 嫌味ったらしく言うシンヤに対し、メイは小さく舌を出した。

 一行は手分けして扉の周辺を調べた。改めて詳しく見てもタッチパネル以外に仕掛けのようなものは見当たらず、ハルアキが力ずくで開けようとするがビクともしない。周辺の壁や地面を魔法で照らしながら注意深く歩いて回った。しかしやはり目ぼしいものは何も見当たらない。


「やっぱこれか……」


 ハルアキは仁王立ちで黒いパネルの前に立った。横でアカネが眼鏡に手を当て、ブツブツと分析をする。


「見たところタッチパネルっぽいな。扉の横についているから生体認証系かな?ここは古代の遺跡って話だけど……高度な文明が昔にあったってことなのか?」

「もう押してみていいぞアカネ」


 ハルアキがアカネに許可を出す。何か起こりそうな予感はしているが、もうこのパネルを弄るしかできそうなことは無い。


「ホント?」言いながら彼女はノータイムでパネルに触れる。

「押すまでが早いな!」


 ハルアキのツッコミと同時、ビー!と電子音が洞窟内に響いた。続いて地面が揺れ始める。


「なに!?」


 メイが驚き声を上げる。五人で顔を見合わせるも、状況が分かる者は誰もいない。


「洞窟全体が揺れてんのか?いや、この感じ……」


 シンヤは冷静に分析する。


「真下だ!お前ら横に飛べッ!」


 彼が叫んだ瞬間、地面が割れた。間一髪のところで五人は扉と反対方向に飛んだ。反応が間に合わなかったレナエルは、シンヤに抱えられた状態で地面に転がっていた。

 五人が立っていた場所。土煙の中、巨大な体躯が扉を塞いでいた。巨体は一歩前に動き、その姿を現す。

 見上げるほどの大きさだった。こちらの世界で最初に出会った原生生物、オースクルスよりもさらにでかい。丸みを帯びた巨大な胴体に顔がついており、そこから手足が生えている。目に当たる部分は機械のリングのようなものがはめられている。白い毛で覆われた両腕も同様だった。手に持った大槌の両面には、でかでかと魔法陣が刻まれていた。


「扉を守る門番ってところか!話せば通してもらえる……って感じじゃなさそうだな」


 ハルアキは敵を見上げて不敵に笑う。その横でシンヤに助けられたレナエルは礼を言っていた。


「シンヤさんありがとうございます……遺跡は守護者アイギスに試練を課す、と古い文書に書いてありましたが、これが……」


 毛むくじゃらの門番はその大きな口で雄たけびを上げた。空気を震わす音圧に、レナエルは小さな悲鳴を上げ耳を塞ぐ。アカネは杖を構えた。


「敵さんもやる気みたいだね」

「こんな時のために鍛えてきたんだ、見せてやろうぜ!」


 ハルアキが剣を抜いて構え、それぞれが戦闘態勢をとる。


「いくぞ!みんな!」


 彼の掛け声に続いて皆が口々に叫ぶ。


「「『肉体強化ベラトール』!」」


 五人の体を緑閃光が走った。肉体強化の魔法によってマナが体内を巡り、四肢に力が滾っていく。さんざん練習した魔法士必修の魔法。その成果を出す時が来た。

 こちらが仕掛けるより先に遺跡の門番が動いた。両手で軽々しく大槌を持ち上げ、それを地面に叩きつける。そして地面が隆起したかと思えば、土塊がつるのように飛び出した。


「やっぱり魔法か……!」


 アカネは大槌の面に描かれた魔法陣をしっかりと見ていた。誰かが、恐らくはこの遺跡を創った人らが用意した武器だろう。

 マナを体内に多量に持つ生物は、攻撃時にその方向へ無意識にマナを集めているとされる。それ故にマナによって魔法作用を起こす魔物が存在し、火を噴くドラゴンなどはその最たる例だ。あの大槌はその性質を利用したものだろう。武器に魔法の作用を定めた魔法陣を描くことにより、本来人間が使う複雑な魔法をこの毛むくじゃらの魔物でも扱えるようにした、というわけだ。


「アカネッ!」


 大槌の魔法陣について分析をしていたアカネの前にハルアキが出てきて、目の前まで来ていた二本の土の蔓を剣で弾いた。


「相変わらず考え事が好きだな!後ろの方で観戦しててもいいんだぞ!」

「ごめん、ちゃんと戦うよ」


 反省し、改めて杖を構える。ハルアキの顔は笑っていた。彼はいつも、何かの考察で足を止めるアカネのことを責めることはしなかった。


「もう一発来るよ!」


 メイの声が聞こえた。の門番は再び大槌を振り下ろす。緑閃光とともに土の蔓が飛び出してくる。数は全部で八つ。そのうち四本がアカネとハルアキの方へと向かってくる。


「次は任せて……『防護壁アガルタ』!」


 構えた右手の前に六角形の透明な板が形成される。繋ぎ合わさるように次々に板が現れていき、二人を覆えるほどの壁が出来上がる。蔓は防護壁に激突し、勢いを失った。その隙を逃すまいと、ハルアキは身を屈めて防護壁の横から飛び出し剣を振るう。一振り目で二本を、二振り目で残りの二本を切り落とした。あくまでマナでつなぎ合わされた土だ。『肉体強化ベラトール』の乗った剣戟がそれを両断するのは難くなかった。

 今度はこちら側から攻勢に出る。近距離戦闘に適性があったハルアキとメイの二人が前衛として走る。再び迫りくる土の蔓を武器で撃ち落としつつ器用に躱し、門番に肉薄する。さらにはシンヤが後方から放った爆発魔法が敵の顔面に直撃。怯んだところをそのまま二人が――――と順調そうに見えた次の瞬間、横振りの大槌がハルアキとメイに襲い掛かる。爆発魔法はまるで意に介しておらず、とんでもない腕力と柔軟性で繰り出されたその攻撃は、避けようとした二人を吹き飛ばす。さらに門番は攻撃の勢いそのままに洞窟の壁を叩きつけ、再び土の蔓を生み出し追撃を仕掛けた。


「危ないっ!」


 レナエルが二人の前に飛び出して、『防護壁アガルタ』を発動する。広く展開された壁が攻撃を拒んだ。


「よかった、ちゃんとできた……!」


 彼女はハルアキとメイを手伝って一旦後方へと下がり、門番と距離を取る。

 ハルアキは剣を構え直す。『肉体強化ベラトール』は体の耐久力も上げてくれる。幸い吹っ飛ばされたダメージは大したことはなかった。


「どうするよ、あの大槌が厄介すぎる……!」


 巨大な槌を振り回す攻撃は想像以上に隙が無かった。そしてそれを避けても追撃で土塊が飛んでくる。今くらい距離を置いていれば凌ぐのは難しくないが、近距離だと避けるのも困難なスピードで的確にこちらを狙ってくるのだ。奴の懐に入るのはあまりにも危険だった。

 アカネは目を瞑り、三秒ほどそうした後見開いた。


「シンヤ!前に練習してたアレ、できる?」

「当然」


 アカネはシンヤに駆け寄った。簡潔に作戦を説明し、彼から十センチ四方ほどの黒いキューブを受け取る。六面すべてに魔法陣が描かれたそれは、シンヤが独自に作り出したものだった。この世界にきて一ヶ月で、彼は魔道具を自作するまでに至っていた。シンヤはアカネの方を見ずにいつもの仏頂面で言った。


「マナの消費量的にお前は戻ってこれないぞ」

「なおさら私が適任じゃない?」

「……気を付けろって言ってんだ」

「うん」

「早くしてもらってもいいかな!?」


 メイが両手に持った一対の剣で、必死に飛んでくる土の蔓を凌ぎながらこちらを振り返る。


「シンヤ、お願い」


 アカネはキューブを両手で持ち、大槌を振り回す敵を見据える。彼は頷いた。


「『天涯へ繋ぐ門クアドラ―タ』」


 詠唱により魔道具が起動し、アカネが受け取った物とシンヤが持っているもの、二つのキューブの表面に刻印された魔法陣が淡く緑色に光る。土の蔓の第何陣めかを捌き切ったメイは地面に手をついた。


「陽動は任せて!『自走する炎フラムクレル』!」


 人を覆えるサイズの炎が毛むくじゃらの門番目掛けて地面を走る。それを合図にシンヤはアカネに渡したのとは別のキューブを振りかぶり、全力で投げた。強化された腕力によってキューブは勢いをつけて飛び、門番の頭上へ到達するとピタッと静止する。魔道具にはシンヤのマナが通っており、彼はある程度操作できる。敵はメイが放った炎に意識を向けており気付かない。炎は大槌の一振りで払われる。


「『転移アポート』!」


 シンヤが叫んだのを聞き終えた瞬間、アカネは空中に放り出された。下を見ると白い毛の巨体がいた。シンヤが投げたキューブへと転移したのだ。彼女はそのまま毛むくじゃらの門番の頭へと落下し、流れるように大槌へと飛び乗る。


「悪いけどこれ、もらうよ」


 キューブを大槌の側面に押し付ける。


「『獣を縛る紐レージング』!」


 白い鎖が手から放出され、キューブごと大槌を勢いよく縛り付けていく。当然、門番もそこまでされて黙ってはいなかった。アカネを乗せた大槌をそのまま横に薙ぎ、息をつく間もなく壁に叩きつけた。確実に人体を押し潰す、そういう一撃だった。凄まじい衝撃音とともに壁の岩がパラパラと零れ落ちる。


「アカネッ!!」


 叫んだのはハルアキだった。ほぼ同時にシンヤも叫ぶ。


「『転移アポート』ッ!」


 シンヤが持つキューブと門番の大槌に縛り付けられたキューブが同時に発光し、次の瞬間、門番の手から大槌が消えシンヤの目の前にそれが現れた。彼は両手で受け止める。


「この魔道具はお前にはもったいねえよ……重っ……!?」


 肉体強化の魔法をかけていても支えきれない大槌の重さにシンヤは膝をつく。持ち手だけでも人間一人分はある大きさだった。

 土煙が晴れ、大槌によって叩きつけられひび割れた壁の中からアカネは姿を現した。その全身を球状に『防護壁アガルタ』で覆われており、中にいるアカネは無傷だった。それどころかドヤ顔でピースサインを掲げていた。その姿を見たハルアキは胸を撫で下ろす。


「ふう……わかっていてもヒヤヒヤするぜ」


 毛むくじゃらの門番は突如として自分の武器が消失したことに混乱している様子だった。しかし、敵の懐にいるアカネはすぐに襲われてしまうだろう。『防護壁アガルタ』のマナ消費量は他の基礎的な魔法と比較してかなり大きい。それ故に、通常は自身の前面に必要最低限の壁を構築する。全身を覆う壁を構築しようものなら、その一回でマナが尽きてしまうのだ。当然、莫大なマナ容量を持つアカネであっても、全身を覆う球状の壁を維持できる時間はそう長くなかった。


「ハル!」


 メイはハルアキの名前を呼び、その反応を一切待つことなく一人で走り出した。それ以上の言葉は必要なかった。ハルアキは頷きすぐに彼女に続く。

 二人は走る。最優先はアカネの安全の確保。門番は案の定、再びアカネへと攻撃の手を向けた。今度こそ小娘を叩きつぶそうと拳が振り下ろされる。アカネは攻撃を耐えるため、両手を前に突き出し自分を取り囲む壁に意識を集中させる。

 衝撃は訪れなかった。


「間に合った……!」


 門番とアカネの間に滑り込んだハルアキが、その剣で拳を受け止めたのだ。

 本当は弾く予定だった。しかし想像以上の馬鹿力で、受け止めるので精いっぱいだった。それどころか、咄嗟に剣をマナで強化していなければ、砕かれ叩きつぶされていただろう。


「どんだけパワーあるんだ、よ……ッ!」


 これ以上は支えきれないと判断し、なんとか門番の拳を反らす。拮抗していた力が解放され、その右拳は地面へと激突する。

 そうしている間にメイは敵の足元に入り込んでいた。双剣を振るい、門番の左足の腱を切り裂く。刃は浅くしか入らなかったが、巨体が体勢を崩すのには十分だった。門番は呻きながら膝を付く。メイはすかさず次の剣撃を食らわせようとするが、辺りを薙ぎ払うように振り回した門番の太い腕に直撃し、吹き飛ばされる。


「はああッ!!」


 ハルアキは体勢が崩れている毛むくじゃらの門番の顔面へと、その厚みのある刀身を振り下ろした。魔法無しには常人では扱えないような重量を伴った斬撃は、頭にはめられた機械製のリングごと切り裂いた。血が吹き出し、門番が苦痛の雄たけびをあげる。両手で顔を押さえ、ふらふらと立つこととと膝を付くことを繰り返した。傷の痛みだけではない、何か錯乱している様子だった。


「皆そこをどけ!」


 後方からシンヤの声が聞こえた。二人が振り返ると、シンヤは先刻門番から奪取した大槌を振りかぶったところだった。彼の行動を察した二人は即座に横に飛び、道を開ける。重々しく振り下ろされた大槌は地面に衝突すると同時に緑閃光を放ち、土の蔓が地面から溢れ出した。濁流のような勢いで直進し、門番を呑み込むとそのまま扉横の壁に激突する。土の蔓は巨体を壁に押し付けた状態で静止した。


「やったか……?」


 アカネは一歩近づき、様子を伺う。毛むくじゃらの門番に動く気配はなかった。土の蔓によって壁に拘束され、投げ出された手足はプラプラと僅かに揺れている。


「なんとか、やれたみたいだね」


 服についた土埃を払いながら、メイが近づいてきた。


「メイ。怪我はない?」

「もちろん、あれくらい屁でもないんだから」


 腰に手を当てて得意げに鼻を鳴らす。そんなメイの顔を、横からハルアキがハンカチ代わりの布で拭いた。


「鼻血出てるぞ」

「んんっ!?ちょ、いいって……」


 メイは恥ずかしそうに顔を背ける。


「本当にどこも痛めてないか?戦闘中は『肉体強化ベラトール』がある分、気付かないところをケガしてたりするんだよ」


 言いながら、メイの身体のあちこちを触るなり軽く叩くなりする。


「ちょちょちょ……!?やめ、や……やめんかっ!!」

「あだ」


 下心がないとはいえ無遠慮に触りまくるハルアキの頭に、メイはチョップを食らわせた。


「俺はお前のことを心配してだなぁ」

「いいから!大丈夫だから!」


 紅潮する顔を腕で隠しながらハルアキのことを制した。楽しそうだなあ、とアカネは眺めていた。シンヤとレナエルが歩いてくる。


「ここまでやって開かないなんてことないよな」


 まさかね、とアカネは返す。


「さっきのパネルにもう一回手を当ててみよっか。それで開かなかったらクレーム入れよう」

「どこにだよ」ハルアキはツッコむ。

「もちろん、女神様に」真顔で言うアカネ。

「アカネって怖いもの知らずだよね」メイは苦笑した。


 戦闘を終えて会話が弾む中、レナエルがシンヤの裾を摘まんだ。


「シンヤさん、あれは一体……」


 呆然と、扉とは反対方向――――一行がやって来た方向を見ている。四人は振り返り彼女の視線の先を追った。

 亀裂が生じていた。壁でも地面でもない、薄暗い洞窟の何もない空間にひびが入り、その向こう側を僅かに覗かせていた。


「なんだろう……いや、まさか」


 アカネは眼鏡の奥で目を凝らす。さっきまでは無かった謎の亀裂。ひび割れの向こう側には、言いえぬ闇が漂っている。

 ビキ、とガラスにひびが走る時の音が鳴り、亀裂が大きさを増した。そしてその割れた隙間から、卵から孵化するトカゲの様にぬるっと手のようなものが出てくる。


「まさか、これが、女神の言っていた……」


 亀裂から飛び出た手は空間を掴み、そのまま亀裂の奥から体をこちら側へとひねり出した。

 その生物は地面に着地し、節足動物のそれに近い四本の足で体を支えた。ずんぐりむっくりとした体は黒く、ごつごつとした鉱物的な体表に黒紫色のラインが淡く光り、それが流動している。盛り上がった背中には一対の剣のようなものが生えている。大きさは先ほど倒した毛むくじゃらの門番に負けず劣らずだった。


 災厄獣アドヴェルズ。この世界スペステラを侵食するバグ。アカネたちがこの世界に召喚された理由。ハルアキは静かに剣を構えた。


「こっちの世界に来て一ヶ月……ようやくご対面か……!」

「待て!俺達もうマナがほとんど残ってねえぞ!」


 先刻の戦いの消耗は激しかった。シンヤは『天涯へ繋ぐ門クアドラ―タ』による転移魔法とトドメの大槌の魔法でマナを使い切り、アカネは『防護壁アガルタ』を使いすぎた。レナエルはまだ戦力としては未熟で、まともに戦えるのはあまり魔法を行使していないハルアキとメイの二人だけ。

 世界の脅威たる災厄獣アドヴェルズ。その初戦闘に挑むにしては心もとない戦力状況だった。遺跡に踏み入った時や門番との戦闘時とは比べ物にならない緊張感が五人の間を漂う。


「さっきの扉、今ならたぶん開くはず!それに人工神器アーティファクトならあいつに勝てるかも」


 選択肢を提示したのはアカネだった。全員が顔を見合わせる。反対する者はいない。


「メイの魔法を合図に扉まで走ろう」


 皆が頷く。そして、メイが地面に手を付いた。


「『自走する炎フラムクレル』ッ!」


 手を付いた地点から火柱が上がり、獣が駆ける速度で地面を走る。同時に全員が扉に向けて走る。距離は近い。すぐにパネルに触れることはできる。

 アカネは走りながら後ろを振り返った。攻撃を受け、反撃してくる可能性は高い。その時は自分が盾を貼る役目だと考えていた。

 メイが放った魔法は災厄獣アドヴェルズに直撃した。その巨大な図体はあっという間に炎に包まれる。しかし災厄獣アドヴェルズは効いてる素振りを見せなった。悠々と、何事もなかったかのようにこちらに向かって歩を進める。体を振って炎を払うかのような仕草を見せた後、背中に生えた剣角の片方が黒紫色に光るのをアカネは見逃さなかった。次の瞬間、それはまるで弾丸のように射出された。

 標的は魔法を放つため一歩遅れていたメイ。咄嗟に彼女の後ろに飛び込んだアカネは手を前に突き出す。


「『防護壁アガルタ』……」


 魔法の壁が現れ、飛んできた剣角を弾――――


「え?」


 黒紫色のラインが走るその切っ先は、展開された盾を破った。魔法の壁の破片が飛散し、キラキラと光を反射させながら塵と消える。

 剣角はアカネの脇腹を貫いていた。


「ぐ、う……」


 ワイヤーのようなもので繋がれているそれは引き抜かれて戻っていき、災厄獣アドヴェルズの背中に収まった。アカネはその場に倒れ込む。『防護壁アガルタ』は正しく発動していた。マナが足りなかったわけでもない。

 だが。魔法士の基礎にして最強の盾は、災厄獣アドヴェルズによっていとも簡単に貫かれた。


「アカネ!?」


 気づいたメイが駆け寄り、『肉体強化ベラトール』を発動して抱きかかえる。


「早くドアを開けろ!」


 事態を把握したハルアキは声を荒げる。急いでシンヤがパネルに手をかざすと、ビー!と先ほどと同じ電子音が鳴った。今度は分厚いドアが開いた。人が二人通れるくらいの幅。壊されない限り、あの災厄獣アドヴェルズには通れまい。すぐさまハルアキとシンヤが入り、遅れてアカネを抱えたメイとレナエルが扉をくぐる。後ろで何かが光った。黒紫色の光だ。


「まずい、またアレが来る……!」


 シンヤは扉付近を見回し、目当てのものを見つけた。当然、こちら側にもあるはずだろうモノ、タッチパネルに勢いよく手を叩きつけた。再び電子音が鳴り、扉が閉まり始める。

 剣角は射出された。一瞬で扉に迫る――――ガァン!と金属同士が衝突する凄まじい音が薄暗い廊下に響く。扉は閉まり切っていた。間を置かずに二回目の衝撃音が鳴る。再び攻撃してきたのだ。三回目、四回目……心臓に響く衝撃音が連続する。全員、ただ扉を見ていることしかできない。八回目の衝撃音のあと、攻撃の手が止んだ。

 廊下が一瞬の静寂に包まれる。『防護壁アガルタ』を破った攻撃をあれだけ受けてなお、扉は僅かなへこみすら見えなかった。

 金属製の扉を開けて入った先であるこの場所は、短い一本道の廊下だった。入って来た扉と反対方向にもう一枚同じ形状の扉があり、横には扉を開けるためのパネルもついている。その手前、廊下の真ん中にゲートのようなものがあり、暗くて見ずらいものの、向こう側の景色が微かに青みを帯びて歪んで見えた。何か膜のようなものが張られているのだろうか。

 ハルアキが言う。


「メイ!アカネに回復魔法を!」

「今やってる!話しかけないで!」


 既にメイは壁際にアカネを下し、治療を開始していた。

 酷い傷だった。服は刺された腹部を中心に真っ赤に染まっている。意識はあるようだが、呼吸は浅く目は虚ろだ。メイはアカネの服を捲り、下腹部の傷に直接手を当てていた。

 回復魔法は高度なマナ操作を要求する。加えてその行使には、技術だけでなく適性が関わってくる。そのため回復魔法を使える魔法士は限られていた。


「マナを体の中に入れていってそれを操作……活性化させるイメージで……」


 真剣な表情でぶつぶつ呟く彼女を尻目に、シンヤは廊下を進みゲートの傍に立った。


「これはなんだ……?」


 至近距離で見ると、そこには明らかに何か膜がある。薄い青色のそれは不自然に揺らめいている。ここを潜っても良いものなのか、シンヤは手を触れることを躊躇してしまう。とはいえこの先に人工神器アーティファクトがあるはずだし、それを集めることは女神の指示でもある。守護者アイギスが通れないなんてことは無さそうだが。彼は意を決してゲートに手を潜らせた。


「……」


 体に異変は起きない。問題なさそうだ。シンヤはそのままゲートを通り抜けた。僅かに、生体質のひんやりとした何かが肌を撫でる感触が過ぎるが、やはり体に異常は無さそうだ。そのままさらに進み、入って来た方の扉とは反対側にあった扉のタッチパネルに手を触れた。


「シンヤさん?」


 シンヤの行動に気付いたレナエルが声をかけるが、彼は振り返らなかった。

 扉が開く。中の部屋は廊下よりも暗かった。非常灯だけが暗闇にぼんやりと浮かび、足元を照らしている。部屋の全貌は望めない。あちこちに緑や赤の小さな光が見えるが、それが何の光なのかはわからなかった。シンヤは中へと踏み入れる。灯りを探し、壁伝いに慎重に歩くと目ぼしいものを見つけた。

 壁に電球のマークが四角く模られていて、緑色に淡く光を帯びていた。指先でそれに触れると、部屋に明かりが灯った。白く眩い光に思わず腕で影を作り、薄暗闇に慣れた目を細める。数秒待ってから腕を外し、シンヤは目を開いた。


 学校の教室くらいの大きさの部屋に、ずらっと機械が並んでいた。見ただけじゃ何のための機械なのかわからない。それらが意味ありげに、緑や黄や赤のランプを光らせている。壁にはモニターがいくつも、十は超えるだろう数かけられており、なにやらレーダーのようなものやグラフのようなものが映し出され、絶えず更新されている。様々な色のケーブルが床を這い、あちこちを横断している。


「なんだ、この部屋……」


 シンヤは呆然とする。


「なんで異世界にこんな部屋があんだよ……」

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