第7話 魔法使いになりたかったの

「ねえ、小日向ってホテルで男友達と同じ部屋に泊まる時、ダブルベッドでも平気なタイプ?」


 榊が言った。


「……高い料金払ってでもツインにするタイプ。なんなら別々の部屋取りたい」

「僕もなんだよね」

「言いたいことがあるなら言えよ」

「男の隣で寝るの結構キツイ!」

「しょうがないだろそういう生活様式なんだよ!文句を言うな!」


 二人は広いベッドの上で、間隔をとって寝転がっていた。最初に部屋を見たときにベッドが一つしかないことは分かっていた。それは一人用の部屋だから、というわけではない。この世界では、庶民は一つのベッドに複数人が一緒になって寝るのが普通だった。そのことを小日向は知っていたし、先ほど榊に説明もした。が、実際に二人で寝転んでみると、拒否感情に輪郭が生まれてくるもので。男子は二人とも、人と同じベッドで寝たくなかった。

 とはいえそんな選り好みできる状況ではないことは重々承知している。だから二人はできるだけお互いから距離を取り、さらには体を背けて横になった。少しごわついたシーツを被ったベッドは、自分の家のそれより硬かった。それでも床で寝るよりましだろう。下手すると、まともな寝床で寝るのは今日が最後になるかもしれないのだ。そう思うと、不満は簡単に消化できた。

 榊は肺に溜まった空気を入れ替える様に、大きく息を吐く。


「今日は疲れたねーさすがに。なんだかんだすぐ寝れそうだ」

「色々ありすぎたな……俺は逆に、興奮でちょっと寝れないかも」


 榊が背中で笑う。お互いの顔は見えないまま話が続く。


「未だにこれが現実だって信じられてないかも、僕。寝て目が覚めたら、自分ちのベッドで何事もなかったように目覚めるんじゃないかって」

「榊は……やっぱり早く元の世界に帰りたいか?」

「小日向はどうなのさ」


 質問に質問が帰って来た。少し沈黙する。


「皆には悪いけど……俺はこの世界を満喫したいって思ってる。最後には帰りたいけどな」


 本心を伝えた。今、元の世界に戻してあげると言われたらキレて抵抗する。それぐらい、まだこの世界を体験していたかった。榊はだよね、と小さく笑う。


「僕はさ、ちょっとホッとしてるんだ」

「ホッとしてる?」

「そ、ホッとしてる。家に帰らなくていい理由ができて」

「それは……」


 言葉に詰まってしまう。反応の最適解を探し、思考が回る。当然、彼の顔は見えない。


「母親がちょっとね。離婚してからというもの、どーーーしようもない人になっちゃってさ。僕がずっと面倒を見てるんだよ。それはもう家の事からお金のことまでさ」


 彼はあっけらかんとした口調で話す。


「だから今はなんか、久しぶりの休日って感じだ」

「じゃあ俺達は同じ意見だな。できるだけこの世界に居座って、長い休みにしようぜ」

「はは、それもいいね。……けどあの人、僕無しじゃまともに暮らせないからさ。可哀そうだから早く帰ってやんなきゃ」


 小日向が投げかけた言葉は、しかし期待した返答を得られなかった。居心地が悪いはずの家になぜ帰りたがるのか。全くもって小日向には腑に落ちなかったが、深入りするのはやめることにした。


「……そうか。なら、そのためにもまずはしっかり寝るか」


 無難に話を帰着させ、枕元にかけられている魔燭器の光を消した。部屋が暗闇に包まれる。

 間もなくして隣から寝息が聞こえ始めた。疲れが溜まっていたのだろう。小日向もいつ夢の世界に飛び込んでもおかしくないくらい、うつらうつらしていた。そんな意識の中、考えていたのは明日のことだった。

 明日、ついにメイに会うことになる。ファーストコンタクトは重要だ。鈍化した思考の中、どういう流れで『スペステラ冒険記』の話を切り出すかシュミレーションを繰り返していた。そのままシュミレーションの中に意識が溶けていきそうになっていた時、身体に何か重さを感じ、再び意識が呼び起こされる。ぼんやりとした視界に映ったのは、盛り上がった布団だった。何かが……いや、誰かが寝転がる小日向の体の上に乗っていた。

 布団を捲る。寝巻き姿の女の子が、上目遣いにこちらを見ていた。


「なっ……!?」


 驚きで声を上げようとするが、口を手で塞がれて不発に終わる。


「しーっ……!」


 彼女は指を自分の口に当てて言った。暗闇に慣れてきた目が、彼女の顔をしっかりと捉える。

 乙葉だ。彼女がいつの間にか布団に潜り込み、体に跨ってこちらを見ている。緊張なのか、頬は僅かに紅潮している。


「あのね、小日向くん……」


 小日向は口を押さえられながら喉を鳴らす。


「魔法を教えて欲しいの」




 二人はベッドを抜け出して足音に気を付けながら階段を降り、そのまま外へ出た。玄関前の石の段差に二人並んで腰掛ける。間に、リビングから持ってきた燭台を置いた。座るなり乙葉は顔の前で両手を合わせた。


「ごめんね、どうしても早く魔法を使えるようになりたくて」

「それはいいんだけどさ……頼み方もうちょっとどうにかならなかったのか?」


 えへへ、と彼女は恥ずかしそうに鼻を掻いた。冷んやりとした夜風が頬をなでる。昼間と比較して結構な寒暖差があった。この国の冷涼な気候を知っていた小日向は一階で外套を拝借してきており、二人して厚手のコートに身を包んでいた。通りに人の気配は無い。点在する街灯が淡い緑色の光で道を照らしているが、こちらの世界ほどの明るさはない。薄暗い景色が夜の肌寒さを強調していた。


「魔法、そんなに使いたかったのか?」

「うん!私ね、魔法使いになりたかったの」

「な、なるほど?」


 乙葉の唐突な告白にたじろいでしまう。が、彼女の顔は真剣だった。


「もし魔法が使えたら……きっと何でもできるなって。私がうまくできなかったこと、全部できるって思って」


 燭台の足を指でなぞりながら、胸に溜めていた言葉を吐き出すように話す。


「私、本当にドジなの!」


 彼女は寂しそうに笑った。


「昔から色んな事に興味があって、色んな事に挑戦したの。でも、ドジすぎて全部ダメだったんだ」


 言葉は暗闇に溶け込んでいく。


「もうそういうの諦めたつもりだった。でも今回のことがあって……異世界に来て、それに魔法だよ!?そんなの、やってみたいに決まってるじゃん!」


 打って変わって目を輝かせ語気を荒げる乙葉に、小日向は思わず噴いてしまった。


「そうだな、本当にそうだ。めちゃくちゃわかるよその気持ち」


 二人は顔を突き合わせて笑い合う。


「だからこの世界に来て……ワクワクしてる。小日向くんと同じだね」


 乙葉は少し気恥ずかしげに柔らかい笑みを浮かべた。それを近くで見た小日向は思わず顔を反らす。ああ、と適当な相槌で誤魔化そうとするが、その声は上ずってしまった。動揺を悟られまいと話題の転換を図る。


「言っておくけど!魔法はホントに簡単なことしか教えられないからな」

「うん!お願いします!」


 小日向は持ってきた燭台を自分の方に引き寄せた。


「まず自分ができるかやってみるか……」


 『スペステラ冒険記』の記憶を手繰り、光を放つ魔法の詠唱を頭に浮かべる。三本立ての燭台は二十センチ程度のサイズ感で、しっかりとした足に意匠のこらされた模様が刻まれている。蝋燭を立てる台へと手をかざし、意識を向ける。


「灯せ、トレモアの光。我が道を照らし給え……『光る球ルクシオ』!」


 詠唱とともに緑色の光が火花の様に走り、燭台へと到達すると忽ち光る球体が現れた。光は小日向と乙葉の顔を照らす。乙葉は眩しさに目を細めた。球体は台に収まるくらいの大きさだった。


「できた……」

「すごい……!やっぱすごいよ小日向くん!」


 はしゃぐ乙葉を横目に息をつく。とりあえず、今日魔法が使えたのが偶然じゃなかったと分かり一安心していた。


「その、詠唱?をすればできるのかな?」

「そう。ただ、詠唱はマナに意味を与えるものだから、自分の中のマナに意識を向けつつやる必要があるかな」

「自分の中のマナ……ええ、どこだろ……」


 乙葉は胸に手を当ててマナを探っているようだが、得心がいかない顔をしている。


「とりあえず一回詠唱してみるか」


 彼女は頷く。小日向は光を発し続けていた玉を握りつぶして光を消した。ほんの少し手に熱が感じられた。


「じゃあ俺に続いて言って、この燭台を光らせてみよう……」


 彼女は真剣な顔つきで、一語一語を確かめるように小日向の後に続いて詠唱する。


「灯せ……トレモアの光……我が道を照らし給え……『光る球ルクシオ』!」

「……」


 燭台に変化は起こらない。マナを扱う際に発する緑閃光も見られなかった。


「あれ、でない……」


 乙葉は首を傾げながらたどたどしい詠唱を繰り返すが、やはり何も起こらない。


「小日向くん……!」


 縋るような目で見られる。小日向は腕を組み、頭を捻った。


「なんだろうな……魔法の兆候すら出てないってことは、最初の段階、マナへの働きかけのとこでミスってるか……?」


 魔法はマナに意味を与える方法である。しかし、ただマナを持っている人間が魔法の詠唱をしてもマナは作用しない。自分の中にあるマナに意識を向け、”使う”という手順が最初に必要だ。乙葉の魔法が失敗しているのは恐らくその工程。自分の中のマナを上手く認識できず、詠唱が空振りしているのだと思われる。


「魔法はイメージが大事なんだ。こうやって手を構えて、マナが手から流れて行ってこの燭台の上に溜まるイメージで……そしてそれが玉になって光る!」

「なるほど……」


 乙葉は両手を構えて目をつぶった。


「ええと、マナ、マナ……」


 集中しながらぶつぶつと喋る彼女の横顔を見る。ちょっとでいいから光ってくれと小日向は願う。自分も初心者なのに、まるで先生にでもなった気分だ。彼女は肩を使って大きく息を吐き、意を決して詠唱を始めた。


「灯せ、トレモアの光、我が道を照らし給え、『光る球』!」


 力の籠った詠唱が夜道に小さくこだまする。……が、何も起こらない。がっくりと、乙葉は肩を落とした。


「ダメか……魔法も才能、ないのかなぁ」

「あきらめるのは早いぞ!素人の俺が適当に説明しただけだ、こんなのは教えた内に入らないさ」


 すかさず励ましの言葉をかける。教えた内に入らない、というのは客観的な事実だ。憐憫からの言葉ではなかった。


「それに……他のことが無理だったからって、魔法ができないとは限らないだろ」


 小日向は先ほどの彼女の顔を思い出していた。魔法をやってみたいと話す、キラキラした顔を。


「うん……うん、そうだよね!この世界に来てまだ一日目だし!」

「そうだそうだ!」

「じゃあとりあえず今日は、外が明るくなるまで練習を……あだっ!?」


 乙葉にかるーいチョップをお見舞いする。


「今日はもう寝るぞ。明日の移動は長丁場なんだから」

「はいぃ……」


 二人は燭台を手に家の中へ戻った。外套をしまい、できるだけ物音を立てないよう注意しながら二階へ上がる。


「ありがとうね、小日向くん。また明日」


 男子部屋の前で就寝の挨拶を交わして乙葉と別れた。ゆっくりと部屋のドアを開ける。中から榊の寝息が聞こえてきた。ベッドのそばまで来ると、気持ちよさそうに寝ている榊の寝相があらわになる。小日向がいなくなったベッドのど真ん中を陣取り、大の字に体を広げている榊。彼を目いっぱい端に寄せて横になり、ここぞとばかりに襲ってくる眠気に身を委ねた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る