第5話 守護者は歓迎される
「さあ、食べようか」
正面に座る男は紳士そうな声でそう言ってフォークを手に取った。その顔は青みがかっていて、頭には深い緑色をした器官のようなものがあり、それが両側から垂れ下がって髪のようになっていた。
料理が並ぶまでの間に男の素性は聞いていた。名前はルーク。種族は見た目通り
小日向は気取られないようにその容姿を観察していた。
「いただきます」
一行は口々に言い、目の前の食事にありついた。小日向は何かの肉と何かの野菜がソテーされた料理を口へ運ぶ。この国の料理は、味に関しては日本人好みの味らしいというのは知っていたが、本当にその通りだった。思えば夕食前にこちらの世界に飛ばされて、さらには数時間何も口にしていなかったわけで。空腹もスパイスになり、一層美味しく感じた。榊はうまいうまいと言いながらがっつき、他の二人も異世界の料理を物珍しそうに見つつ、美味しそうに食べていた。
「彼……ガラムさんはちょっとだけ頑固な人なんだ。どうか気を悪くしないでおくれ」
ルークは言った。ガラムというのは先ほど宇佐美と口論をした、この店の店主のことだろう。彼のフォローは大して効力を持たず、宇佐美は怒りながら、
「頑固なんてもんじゃないですよ!何言っても聞きやしないんだから……」
ぶつぶつとガラムへの文句を垂れ流す。ルークは楽しそうに笑う。
「あっはっは!まあこの店では彼がルールだからねぇ仕方ないさ。料理さえ頼めば彼の客になるし、彼は客に対しては真摯だからね……それで、君たちは彼に何を聞きたかったんだい?」
小日向が代表して答えた。
「この店ができる前の店の店主を探していたんです。『猫の迷い家』っていう店がこの場所にあったと思うんですけど……ルークさんは心当たりありませんか?」
彼は大袈裟な身振りで思案するポーズをとる。
「『猫の迷い家』か……うーむ、僕がこの街に来たのは二年ほど前なんだが、その時からここはもう『食事処ダリー』だったね」
「そうですか……」
「ガラムさんに聞いても何もわからなければ、僕がこの街の領主に掛け合ってみよう。結構懇意にさせてもらっているからね」
気の良い笑みを浮かべてルークは言う。
「本当ですか!ありがとうございます……!」
小日向は礼をしつつ、内心で思考を巡らす。親切の裏にあるものを常に意識しなければならない。これまでの人生で培ってきたことだ。この人は多分いい人だと思う。だが、人を信用するのは最後の最後だ。『スペステラ冒険記』の情報があるとはいえ、実際にこの世界を歩くには右も左もわからない赤子も同然の状態だ。つけこまれないように細心の注意を払わねばならない。警戒心はそのままに、彼の親切に茶々を入れないようしっかりと感謝と喜びを表明した。
ルークは少し言葉を溜めたあと、口を開く。
「それで。単刀直入に聞きたいんだが……君たちは」
「いいから出せって言ってんだろ!!」
彼の言葉は怒号と衝撃音によって中断された。
店内が静まり返り、騒ぎの発信源へと視線が集まる。見ると、肘を背もたれに載せ、つばのない帽子を被った男がウェイトレスを睨みつけていた。衝撃音はその手に持ったジョッキをテーブルに叩きつけた時のもののようだ。そのテーブルには他に男が二人座っており、一様に似たような服装をしている。男たちは皆上気した顔をしており、手に持ったジョッキからも酔っぱらっていることが伺えた。
「ですから、エルムエールは在庫切れでして……」
ウェイトレスは対応しているが、男の高圧的な態度に、手に持っている円状のトレンチで顔を半分ほど隠してしまっていた。
「そこに見えてんだよエルムエールが!せっかくこんな辺鄙な街に来てやってんだからさあ!」
「で、ですからあれは、領主様の分を取り置きしているもので」
「ああ!?」
男の怒声で遮られ、ウェイトレスの女性が小さな悲鳴を上げる。
酔った男は聞く耳を持たず、ウェイトレスに絡むのを止めない。同卓に座る他の男もその様子をにやにや眺めるだけで止めようとはしない。小日向は視線を目の前の料理へと戻す。悪酔いした客に店員がダルがらみされているといったところか。よくあることだ。異世界でもあの手の輩は変わらずか。小日向はいざこざに関与しない。それが、彼が手にした『世を上手く渡り歩く術』の一つだった。元の世界の常識が通用しない異世界なら尚のことだ。
店内にざわつきが戻り始める。騒ぎについてのヒソヒソ話もあれば、中断された世間話に戻る人たちもいた。小日向はフォークで肉を取り、口へ運ぶ。いざこざに介入する者は誰もいない。誰も――――
ガタッ。
音を立てて、宇佐美は椅子から立ち上がった。そのままつかつかと大股で歩いていく。騒ぐ男たちのテーブルへ。
「ちょ、宇佐美さん!?」
榊が声を投げかけるが、彼女は足を止めない。
まさか……。料理をつつく手が止まる。背中に汗が滲む。
「ちょっといいかしら」
彼女は件のテーブルに着き、騒ぎの震源地に躊躇なく顔を突っ込んでしまった。小日向は頭を抱える。
なんで割って入る!?ほっとけばいいだろうあんなの!ただのよくあるクレーマーだろうが!それが日本ならばまだいい。だがここは異世界。まだ何の力もない自分たちは、避けれる厄介ごとは絶対に避けるべきなのだ。それを自らノンストップで突入しやがって……!
「あ?今度はお嬢ちゃんが相手してくれるんか?」
いやらしい笑みを浮かべて帽子の男は宇佐美を迎えるが、彼女は意に介さず、ウェイトレスの女に話を聞く。どうやら状況の確認をしているらしい。無視された男はたちどころに機嫌を悪くし、身を乗り出して声を荒げる。
「無視してんじゃねえよ!」
言いながら、宇佐美の細い手首を乱暴に掴む――――が、次の瞬間男は腕を捻り上げられ、その手を放してしまった。
「ああ゛ッ……こいつ……!?」
男は逆に掴まれる形になった宇佐美の手を慌てて立ち上がって振り払い、彼女を睨みつける。宇佐美はすました顔で言った。
「エルムエール、明日だったら出せるそうよ。明日また来てみたら?」
「この女ッ……!」
男の顔に青筋が浮かぶ。その様子を見ていた同じ卓の二人の男はしかし、見世物でも見るように楽しそうに笑っていた。
「よーしわかった。お嬢ちゃん、今謝ったら許してやる。なんならこの後お兄さんたちと遊ぶ特典も付けちゃう。ん?どうだ?」
男は作った笑顔で言う。特典いらねー、狙ってるのか?などと連れの二人の野次が飛ぶ。宇佐美は答えた。
「わかった、ハッキリ言ってあげる」
気が気でなさそうなウェイトレスを他所に、宇佐美は凛々しく言い放つ。
「帰りなさい!あんたらを見てると飯が不味くなる!」
あのバカ……ッ!なんでそうケンカ腰なんだ!
小日向はこの後の展開を想像し、歯ぎしりをする。
宇佐美の言葉に男は完全にキレた様子で、彼女の胸倉を掴みかかった。再び彼女は腕を捻る。体格差のある相手にもかかわらず、流れるようにねじり上げて男の手から逃れた。彼は苦悶の表情を浮かべるが、腕をつかまれたまま、今度は強烈な蹴りを入れた。宇佐美の体が地面から浮き、後ろにあったテーブルに激突する。店内に食器が割れる音と誰かの悲鳴が響く。
「どうしよう、棗ちゃんが……!」
様子を見ていた乙葉が縋るようにこちらを見てくる。
「宇佐美っ!」
「待て!」
助けに入ろうと立ち上がった榊を、小日向は制止した。
まずい、これ以上はまずい。
倒れたテーブルにもたれかかる宇佐美。その目は真っすぐに、自分を突き飛ばした男を見ていた。突き飛ばされてなお絶対に折れるつもりのない、むしろ火のついた目。
この場を穏便に収めねば。引かれてしまった引き金はもうしょうがない。これ以上事態が悪化しないよう最善を尽くすまでだ。もし店を荒らして店主ガラムの機嫌を損ねたら?情報の聞き取りができなくなる可能性だってある。最悪の展開、もし彼女が殺されてしまったら?今後の旅に多大な悪影響を及ぼすだろう。
男はゆっくりと歩き、床に倒れ込んだ宇佐美の目の前に立った。
「どけよ」
彼は心底不機嫌そうな顔をする。
「やめてください」
小日向は急いで飛び出し、両手を広げて男の前に立ち塞がっていた。
「小日向くん……」
後ろで宇佐美が名前を呼ぶ。心の中で舌打ちをする。自分たちに関係の無いいざこざだったのに。なんでこんなことに。
目の前の男を見る。近くで見ると、思っていたよりもずっと体格が良い。並みの鍛え方じゃこうはならないだろう。丈の長い上着を着ていて隠れているが、腰のあたりに何か携帯している。恐らく小型のナイフだ。魔物狩りかどこかの国の兵士といったところか。それならば……。小日向は意を決して口を開く。
「俺は魔法士です。魔法で簡単にあんたをねじ伏せることができます。恥ずかしい思いをしたく無ければ店から出ていくことをお勧めしますよ」
男の目を見て、努めて余裕そうに言った。知っているはずだ。
男は数秒固まったあと、大げさな身振りを付けて話す。
「マジかよ、魔法士だって?オー怖い、大変だ。俺らみたいなのが勝てる相手じゃないぜ!」
言った後、勢いよく胸倉を掴まれた。
「あぐっ!?」
思わず声を上げてしまう。反射的に男の手を両手で掴み返すがビクともしない。持ち上げる力は強く、足が浮きそうになる。
「知ってるか坊ちゃん。魔法士ってのは兵士でも重宝されるし
男の後ろで笑いが起きた。小日向は心の中で、本日二度目の舌打ちをする。
頭が悪そうだから簡単に騙せると高を括っていたが……流石にそう上手くはいかないか。
ならば、と彼は目を瞑った。
気になっていたんだ。この世界があの小説と同じ世界ならば、修行なんかしなくたって知識だけで使えるはずなのだ。自分たちが『スペステラ冒険記』の主人公たちと同じ、
小日向は小説の知識を呼び起こし、口に出して確認する。
「基本は三句……マナを手に集めるイメージで……」
「何ぶつぶつ言ってるんだ、おい」
男が何か言っているが気に留めない。小日向は男の手首を掴んでいる自分の手に意識を集中させ、詠唱する。
「燃えよ……紅き炎!地を這いその供物を浄化せよ!『
詠唱と共に、彼が掴んでいた場所から淡い緑色の光が発される。
次の瞬間。男の手首から紅い炎が上がり、燃えながら彼の肩まで走った。
「うああああっ!?」
男は叫び声をあげ、小日向の胸ぐらから手を離す。そのまま後ずさりテーブルに激突する。それまで楽しそうに見ているだけだった他の二人も驚いて立ち上がった。
「こ、こいつ!本当に魔法士だったのか!?」
燃やされた男は必死に炎を消そうと腕を払っている。しかし小日向はもはや、目の前の男のことなど忘れてしまっていた。
本当に使えた……俺にも魔法が使えた……!
言い得ぬ高揚感で息が上がった。ページにシミがつくくらいに読んだ『スペステラ冒険記』で主人公達が使っていたのと同じように、自分にも魔法が使えた。この世界が小説の世界と同じ場所だと気づいてからも、どこかまだ現実味を感じられていなかった。長い夢を見ているような、心が少し浮いているような、そんな感覚。しかし今、確かに実感した。
自分はスペステラへと召喚された
小日向は勢いに身を任せ、手を前に突き出していかにも魔法を使いそうな構えをする。
「だからそう言ってるだろ?そっちが戦う気なら容赦はしない!」
ハッタリだった。ろくにマナを扱ったことのない小日向には、さっきのように控えめな炎を出すくらいのことしかできないだろう。もしこの屈強な男たちが剣を抜いて斬りかかってきたら……死ぬ。だが重要なのは戦って勝つことではない。このいざこざには制限時間があるということを、小日向は分かっていた。
男達は完全に酔いもさめた様子だった。しかし違和感を覚える。どうも彼らは小日向の魔法に怯えているわけではないようだった。さんざんこちらを威圧してきた男はさっきまでの威勢をしまい込み、柔らかな物腰で言った。
「な、なあ、あんたもしかして……異世界から召喚された
「!?」
目の前の男から思わぬ単語が飛び出てきて動揺する。が、
「その反応……!マジかよ、本当にいたんだ……!」
男は一歩前に出てくる。和解の印かの様に手を広げて。
「俺達はギルテリッジという国の兵士なんだ!あなたたち
男の口調はどんどん丁寧になっていく。話の展開があらぬ方向へとずれ、宇佐美含め周りの人間は呆然としていた。
「ギルテリッジ……」
その国を小日向は知っていた。ギルテリッジ帝国はこの異世界スペステラを三分する勢力の一つである。他の三大勢力である大国ルクセリス、ラスコヴニカ諸国連盟と大きく毛色が異なり、帝国主義で過激な国家だ。故にこの世界のほとんどの国を敵に回しており、当然『スペステラ冒険記』においても旅の障害として扱われていた。そのギルテリッジの兵士について行くなどありえない選択肢だ。なぜギルテリッジが
「断る」
男の笑顔が一瞬凍り付いた。が、愛想を崩さずに食い下がってくる。
「そこをなんとか……俺たちの国を救ってほしいんです!」
詭弁だ。なにかよからぬ目的があるに違いない。小日向は無言で否定の意を示す。
「そうですか……じゃあしょうがねえ。こっちは困っているんだ、力づくでも連れて行かせてもらいますよ!」
男は上着の中に手を突っ込み、刃渡りの短いナイフを取り出した。他の二人も同じようにナイフを取り出して構えだす。一方で小日向は構えていた腕をおろし、息をついた。
「おう。俺の店で好き勝手やってくれたみてぇだな」
男達の後ろにコック姿の大男が立っていた。威圧感のせいか二回りも三回りも大きく見える。タイムアップだった。
あの頑固で屈強な店長なら、ホールで騒ぎが起きれば真っ先に出てくるだろう。しかしいくらウェイトレスが困っていようと、宇佐美が突き飛ばされ衝撃音が響こうと、彼は姿を見せなかった。なので、彼はちょうどタイミング悪く買い出しか何かで店を離れているのではないか、そう小日向は考えていた。つまりガラムが戻ってくる時間さえ稼げばこのいざこざは解決する。最初からそう踏んでいたのだ。
ガラムは男の一人の首根っこを掴むと、軽々と持ち上げそのまま入り口の方へと投げ飛ばす。他の二人はその光景に驚愕し身動きを取れないでいた。
「帰れ!お前らに食わせる飯は無ぇ!」
店主はドスの利いた声で言い放つ。
「くそっ!……お前ら一旦引くぞ!」
帽子の男は吹き飛ばされた男に駆け寄り、肩に担ぐ。そのまま三人は店を出ようと入り口に向かう。
「おい!どけ!」
兵士たちの進路を阻んだのはルークだった。
「まあまあ待ちたまえよ」
男の一人がルークを押しのけてドアに手をかけるその瞬間。入り口の扉が開き、勢いよく人が店に入って来た。全部で四人の男女がなだれ込み、そのままギルテリッジ兵士達を素早く押さえつける。
「エルム自警団です!あなた達を拘束します!」
皆一様に、赤色の腕章をつけていた。そして、どこからか取り出したのか、ルークもまた同じ腕章を腕につけ、兵士達に見せつける。
「ギルテリッジの兵士がこんな辺境の地でなにをやってるのか。詳しく話を聞かせてもらうよ」
連れて行ってくれ、とルークは自警団員に指示をする。腕を後ろで縛られた兵士達は立たされ、無理やり連行される。
「くそっ!放せ!」
兵士は抵抗するが、拘束を抜け出すことは叶わない。店の扉をくぐり扉が閉まるその瞬間、兵士の必死な叫びを聞いた。
「ギルテリッジはあんたたち
バタン!と扉はしまる。一瞬の静寂が店内を包む。それからルークが心底喜びを湛えた顔で両手を広げる。
「ああ、待っていた。君たちを待っていたんだ」
その熱い視線は小日向に向けられた。
「ようこそ
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