第4話 ノンフィクション

「道間違えたんじゃない?」


 榊が不安そうな顔で言う。


「いやそんなはずは……『眠らない羊』の隣!この場所、この風景!あってる!あってる、はず、なんだけど……」


 動揺と困惑で声が尻すぼむ。小日向に対して皆は軽く疑いの目を向けた。彼が最初から頓珍漢なことを言っていたという可能性が、今浮上したのだ。


「小日向くん以外誰も『スペステラ冒険記』を読んでないし、あんたの記憶だけが頼りだったけど……」


 宇佐美は口に手を当てて考えこむ。乙葉も榊も、表情に不安の色が見えた。小日向は一層焦る。


「ほ、本当なんだ!ここは『スペステラ冒険記』の世界で間違いない!ただ……」


 間違っていないはずだ。森の中で目を覚ましてからずっと『スペステラ冒険記』を、あの物語を辿ってきているんだ。なのになぜか『猫の迷い家』がない。


 俺は何を掛け違えているんだ……?


「疑ってないわ」


 宇佐美は狼狽する小日向の肩を掴み、顔を見合わせた。彼女の目はとても真っ直ぐで――――その瞳に吸い寄せられ、小日向のこんがらがった思考は一度白紙へとリセットされる。彼女は続けた。


「ただ、記憶違いの可能性もあるし小日向くん頼りとはいかなくなったわね」


 あくまで小日向の話は信じるスタンスをとった。乙葉が手を叩く。


「一旦どこか落ち着けるとこ探して、色々考え直そっか!」


 小日向をよそに話がまとまっていく。流石に仕方がない。『猫の迷い家』が見つからないとなれば、一旦振り出しに戻って考え直す必要がある。しかし。なぜ店が無かったのかがわからない。どこかで見落としがあったのかもしれない。考え事で顔が上がらないままだったが、一先ず皆思考することを中止し、歩き始めた。


「まったく、色々ありすぎてもう何が何だかさっぱりだよ」


 榊は頭の後ろで手を組む。


「こんな体験、誰かに話してもきっと信じてもらえないよねぇ」


 乙葉が何気なく発したその言葉にハッとさせられ、小日向は走り出した。


「ちょっ、小日向くん!?」


 背後から宇佐美の声が聞こえるが、無視して走る。

 ここは本当に『スペステラ冒険記』の小説の中の世界なのだろうか?白紙にした脳みそで、改めて自分に問う。目覚めた場所、四本腕の化物オースクルスに襲われたこと。そしてなによりこの街エルムとその住人。本で何回も読んだあの世界と同じだ。やはりそれは間違いない。だが、しかし、そもそもあの本が――――


 小日向は街中を走り回った。先刻の追いかけっこの分も引きずってすぐに体力が尽きてしまうが、とにかく走った。小説に少しでも描写があった、通り、店、建造物を全て、この目で確認して回った。最初の噴水の場所にへとへとの状態で戻ってきたのはおよそ二時間後だった。予想していた通り、皆は噴水にいた。小さな広場になっているので見通しも良く、この街で最初に訪れたランドマークであったから、約束無しに再び合流できるのはこの噴水広場だと踏んでいたのだ。

 三人は噴水のへりに座り、マラソンランナーのゴールを待っていた。乙葉が小日向の姿に気付き、立ち上がって手を振る。


「小日向くん!」

「ちょっと!あんたねぇ、勝手な行動しないでよ!」


 宇佐美が怒鳴ってくるが、小日向は手をあげて反応を返すのがやっとだった。全力で酸素を取り込むが、なかなか正常な呼吸に戻らない。立ち止まってしまうともう足を動かす気力が消失してしまい、噴水の縁に座ることもできずにその場で膝をついた。

 息を吸う。吐く。吸う。吐く。


「……なんとなく、わかったかもしれない」


 なんとか言葉を口にすると、宇佐美は聞く姿勢を見せた。


「どういう意味?」


 さらにたっぷりと呼吸をして、話を続ける。


「この街のあちこちをこの目で見て回ってきた。そしたら、小説の描写とは違う部分がいくつもあったんだ」


 榊は顎に手を当てる。


「つまり、結局小説の中の世界じゃなかったってこと?」


 もし小説の中の世界であるならば、小説に書かれていることは当然そのまま再現されているはずだろう。でもそうじゃなかった。『猫の迷い家』をはじめ、小説の主人公達が歩き回った街とこの街は全くの同じではなかった。

 塔の入り口の年季の入った両開きのドアが綺麗になっている、小奇麗な屋敷があった場所が空き地になっている、『ルドー青果店』の店主がやたらと髭を伸ばしている、そして新聞に記された日付が違う……。


「時系列が違う……例えば小説のストーリーの数年後の世界、とか?」


 宇佐美が推理するが、小日向はそれに反論した。


「いや、多分根本的に違うんだ。よく考えてみてくれ、仮にここが本当に小説の中の世界だとすれば、小説に書かれている範囲の時間軸じゃないとおかしくないか?」

「……別に、小説の中の世界って時点で突拍子もないんだから、何があってもおかしくはないでしょ」

「そうだそうだ!」


 榊が雑に援護する。多分まともに考えていない。


「それはまあ、その通りか。……でももっと現実的な説がある!そもそもだ。そもそも小説の中の世界ではなかったとしたら?」

「あっ……!」


 乙葉は気づいたのか口に手を当てた。


「つまりこの世界は実在していて、『スペステラ冒険記』はこの世界を訪れた作者達の実体験なんじゃないかってことだ!」


 小日向の言葉に三人はどよめく。代表するように榊が声を上げる。


「そのファンタジー小説がノンフィクションだったってこと!?」

「信じ難いけど、実際俺達は体験してるだろ?それに『スペステラ冒険記』が事実に基づいて書かれた物語だとしたら、街並みが小説の描写と違うことにも納得がいく。時間が経てばそりゃあ色んな事が変化していくはずだからな。……まあ、この説もあくまで仮説だけど」

「でもそっちの方がしっくりくるかも……」


 乙葉は頷く。宇佐美も、今度は同調してくれた。


「確かに。こうして現在進行形でこの異世界に立ってるんだから、そう考えるのが一番現実的ね」

「そうなんだよ。そもそも、小説の世界に入り込むって何だよ意味わからん!」

「いや自分で言ったんじゃん……」


 榊がツッコんでくるが気に留めない。『スペステラ冒険記』と全く同じ導入を体験したせいで小説の中の世界という思考に縛られてしまったが。宇佐美の言う通り、冷静に考えれば突拍子がなさすぎる話だ。

彼らが実際に地面を歩き、原生生物や風変わりな住民達を見て、街の空気を感じているこのリアルな体験は、異世界が実在することの証左足りうるだろう。

 今考えれば、ここまで小説と同じ道筋を辿ったことだっていくらでも説明がつけられる。守護者アイギスが召喚される場所はあの”何かの跡地”に固定されていて、あそこの森はオースクルスの縄張りで……といった様に。

 小日向は付け足した。


「そして俺の仮説を補強する方法はある。小説に書かれた出来事について、登場人物の誰かに聞くんだ。そしてもし、小説の内容と食い違う事柄があれば……」

「そっか!そしたら小説からこの世界が生まれたんじゃなくて、この世界を旅した後から書かれた創作物ってことになるかも……!」


 意外にも理解が早い乙葉。一方で榊は分かったような分かってないような顔をしていた。それで、と話を引き戻したのは宇佐美だ。


「その説を前提にするとして、結局これからどうする?」


 聞かれて少し考える。この異世界が小説の中の世界ではなく、実在している世界の可能性が高いということがわかった。そして、小説の話から年月が経過していることも。


「とにかく、当初の予定通りメイに会いに行こう。あの小説が事実に基づくなら、メイは主人公達と一緒に『災厄の崩王アドヴェルズ・ルイナ』を一度封印してる。主人公たちと同じ境遇の俺たちに協力してくれる可能性は高いと思う」


 榊は額に指をあて、頭を使っているかのようなそぶりを見せる。


「会いに行くったってさ、小説に書かれてたことが当てにならないんでしょ?どうやって見つける?」

「こればっかりは聞き込みするしかないな……。この街に住んでたのは事実だから何かしら情報は得られると思う。ひとまず、『猫の隠れ家』の場所に建っていた食事処をたずねよう」


 提案に三人ともが頷いた。ちなみにさ、と追加の質問を提示するのは榊。


「メイちゃんって何歳になってるの?」


 小日向の仮説に従えば、小説の内容は実際の出来事であり現在はそれより時間が経過していることになる。そして、小日向は先刻の街中マラソンの途中で手書新聞の日付を確認していた。ノーグ暦――――この世界で広く使われている暦である――――八百三十四年。当然の様に暗記している小説内の日付と比べると、およそ九年が経過していることになる。


「メイは小説当時で十七歳。だから今はおそらく二十六歳になってるはずだ」

「二十六歳……ゴクリ」

「なんのゴクリよ」


 榊は顔を反らし、口笛を吹いた。


 一行は再び『食事処ダリー』の前へと戻ってきた。改めて記憶の中の『猫の隠れ家』の位置と照らし合わせる。やはり、場所は合っている。年月が経過し何かしらの事情で店が入れ替わったのだろう。小日向を先頭に店の中へと入っていく。店内はそれなりに賑わっており、様々な種族がテーブルを囲み食事をしていた。決して広くはない店内に小さめの円卓がいくつも並べられ、その間を縫うようにして給仕姿をしたウェイターが走り回っている。

 キョロキョロと辺りを見回し、店主らしき人物がいないか探す。すると、おそらく厨房であろう場所から暖簾をくぐって大柄の男が出てきた。

「いらっしゃい。見ない顔だな。好きな席に座っていいぞ」

 顔に大きな傷がついているし、声もなんかドスが効いている。身体は熊の様に大きく、袖から見える筋肉質な腕には、その迫力を助長する血管が浮いている。強面の風貌にたじろぎつつも、小日向は質問した。


「実は聞きたいことがありまして、この店の前にここにあった店の……」


 その声は店主らしき男の野太い声に遮られる。


「いいか?ここは食事処だ。聞きたいことがあるなら、食べてから聞きな!」


 勢いよくフライパンを突きつけられ、怯んでしまう。あまりの威圧感に吹っ飛びそうだった。店主の言い分に納得がいかなかったのか、宇佐美は石みたいに固まった小日向を押しのけて前に出て、食ってかかった。


「あのですね、私たちは話を聞きにきただけなんですよ」

「あぁ!?この店で俺に文句をつけようってか」

「えぇ、そうです文句です。私たちは客じゃなくて、ちょーっと話を聞ければそれでいいんですよ!」

「な、棗ちゃん……!」


 あくまで抗戦態勢を崩さない宇佐美を、乙葉が慌てて止めにかかった。さらに榊もこの場を収めようと―――近くのテーブルに置いてあったメニューを手に取る。


「僕このステーキで!……いいじゃん、ちょうど腹減ってきたところさ!」

「あんたは食べたいだけでしょ!」


 宇佐美は憤慨し机を叩く。一方で店主は榊が注文するや否や、さっきまでの剣幕は嘘かのように気の良い笑みを浮かべた。


「よし、いい子だ。他の奴らは?」


 どうやらこちらに注文を聞いているらしい。なんか勝手に話が進んでいるがその前に、


「いや榊……俺たちお金持ってないだろ」

「大将ごめんなさい、帰ります」


 深々と頭を下げる榊。乙葉は困った顔をする。


「私たち話を聞きにきたんじゃ……」

「金が無ぇなら帰りな!」

「だから話を聞いてくださいってば!」


 頑固と頑固がぶつかりあい、てんやわんやである。お金があればこちらが折れて解決だったが、この世界に飛ばされたばかりの小日向たちはその選択肢を取れない。戦場から一歩引いたところでどうしたもんかと頭を悩ませていると、


「ガラムさん、五人席空いてるかい?」


 背後から現れた人物が、激しい言い争いが繰り広げられる戦場にひょいと足を踏み入れ、何でも無さそうに図体のでかい店主に声をかけた。いがみ合う二人はピタッと止まり、声の主の方を見る。


「ちょっとそこの若者たちと食事がしたくてね」


 彼が向けた手は小日向達に向いていた。

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