第3話 小説の中の世界

街の傍までは歩いて半刻ほどかかった。

今日は歩きっぱなしだ。何より先ほどの化物との追いかけっこが効いている。小日向は足に大量の乳酸がたまっているのを感じていた。強張った体での全力ダッシュは思った以上に体を酷使するらしい。他の三人も明らかに足取りが重くなっていた。

 あの崖の上からは街の風景を一望できたが、ここからでは高さ3メートルほどの壁に阻まれて中を望むことはできない。見えるのは建物の屋根と、シンボル的な建造物であろう背の高い塔だけだった。格子の上がっている門的な入り口があり、そこから街に入れるようだ。

 街の外観を改めて舐めるように眺める。一体どこの国なのか、その見て呉れからは見当もつかない。彼らは宇佐美を先頭に門をくぐり、街へと足を踏み入れた。

 通りが真っ直ぐ伸びていて、その先には噴水をしつらえた小さな広場があった。やはり異国情緒のある街並みだった。時代錯誤感があるともいえる。しかし彼らは、その風景以外のものに目を奪われる。


 「なんなのよ、一体……」


 宇佐美が四人を代表するようにポツリと呟いた。


 「私たちはどこに来てしまったっていうの……?」


 一行は一様に愕然として立ち止まり、道ゆく住民たちを目で追っていた。

 まず目に入ったのは耳。頭に獣のような耳をはやした男が、籠をぶら下げて歩いている。次に目を引いたのは肌。両生類のそれに近しい質感の青っぽい肌を持ち、頭には深い緑色で滑らかなものがまるで髪のようにぶら下がっていて、人間と同じように二足で歩行している。彼らがよく見知った人の姿をした生物も居たが、皆何食わぬ顔で道を歩いていた。


 「あ、はは……なんだ、なんかの映画の撮影かな?」


 榊が定番めいたセリフを吐く。彼の軽口が気に食わなかったのか、宇佐美は食って掛かった。


 「映画だったらCG使うでしょこんな、こんなわざわざ仮装大会なんかしないわよ!」

 「じゃあ一体なんなのさあの魚人みたいなのは!?説明してくれよ!」

 「知らないわよ!あんた聞いてきなさいよ!」

 「わー!ストップストップ!二人とも落ち着いて!」


 ヒートアップする二人を引き離すように、乙葉は体をねじ込ませて止めに入る。彼女に言われ二人はお互いに口をつぐんだ。


 「とりあえず話聞いてみよっか?私、行ってくるから!」


 乙葉はそう言うとこちらの反応も待たずに走っていってしまった。


 「え、ちょっ!?……意外に肝が据わってるなあ乙葉さん。ね、小日向……小日向?」


 榊の声かけは小日向の耳を素通りした。宇佐美と榊の喧嘩も、急に走り出した乙葉の行動も、今の彼の思考に入る余地はなかった。

 小日向はこの街の光景、人ならざる住民を見て、激しいデジャヴに襲われていた。その正体がたった今分かったのだ。そもそも先刻あの森で目が覚めたときから既視感を感じていた。崖の上からこの街を見下ろした時も、あの化物に襲われた時も。その一連の流れ自体がデジャヴだった。確信を得た彼は口を開く。


「身に覚えがあるんだ、この光景……いや、読んだことがあるんだ!」

「どういうこと?」


 宇佐美は怪訝そうな顔をする。榊も同じ様子だった。


「同じなんだよ、俺がよく読んでいる小説、『スペステラ冒険記』の内容と俺達のこの状況が、全く同じなんだよ!」


 小日向の迫真の言葉に、しかし二人はポカンとする。当然『スペステラ冒険記』のことを二人は知るはずもない。全く出回っていない本なのだから。そんな二人のことを意に介さずに小日向はブツブツと呟く。


「だからだったのか、あの赤い木の実……ハルアキがたまたま投げたやつで、確かあの魔物が苦手な木の実なんだよな。俺はその記憶を無意識下で引き出したのか……」

「ちょっとちょっと小日向、僕ら何も分かってないよ!その、なんとか冒険記?ってのは本なの?」

「『スペステラ冒険記』はファンタジー小説だ。俺がバイトしてる古本屋で偶々見つけた本なんだが……その本の主人公達は異世界に召喚されて、世界を救うために戦うんだ。その冒頭の流れが今の俺達と同じなんだよ。偶然じゃ済まないぐらい一致してるんだ!」


 説明しながらも興奮は止まない。小日向と二人の温度差は激しく開いていた。榊は宇佐美と顔を見合わせた後、苦笑しながら顔の前で手をブンブン振る。


「……いや、いやいやいやそんなわけある?ファンタジー小説って、フィクションでしょ?流石にさあ……」

「じゃあさっきの化物とここの風変わりな住民はどう説明する?」

「うぐっ……」


 榊は痛いところを刺された顔をする。彼らはその身でファンタジーな出来事を体験している。それは紛れもない事実だった。宇佐美はあくまで真面目な口調で問う。


「小日向くんの言う通りだとするなら、私たちは小説の中の世界に入り込んじゃった……ってこと?」

「恐らくな。この世界は『スペステラ冒険記』で描かれていた世界そっくりなんだよ。俺はここへくる直前まで『スペステラ冒険記』を読んでた、それも五回目だ!間違いない!」


 力強く説くと、彼女は顎に手を当てて神妙な面持ちで頷いた。


「……うん、一旦小日向くんを信じてみてもいいかもしれない」

「宇佐美……!」

「いやちょっと待ってよ!」


 制止をかけたのは榊だ。信じられないといった表情で小日向に問いただす。


「小日向さ……なんでおんなじ小説五回も読んでんの?」

「いいんだよそこには引っ掛からなくて!」


 噛みつく小日向を無視し、榊は宇佐美に耳打ちする。


「ちょっと気持ち悪いよね……?」

「まあ正直」

「おい聞こえてるぞ!誰のおかげでこの状況のヒントが得られたと思ってんだ!」


 感謝こそされどディスられる筋合いはない。というか読んだ回数にケチを付けられたくなんかなかった。そんなやりとりをしていると、勇ましくも通行人に話を聞きに行った乙葉が戻ってきた。


「おーい、聞いてきたよー!」


 駆け寄ってくる彼女を榊が迎え入れる。


「お、乙葉!大丈夫だった?変な物買わされたりしなかった?」

「全然、大丈夫だったよ!ちょっと不審がられたけど……この街はエルムって街らしくて、それで」

「やっぱりだ!」


 街の名前を聞き、小日向は乙葉の話を遮って大きな声をあげる。話の流れを知らない乙葉は目を丸くして話すのをやめてしまった。宇佐美が尋ねる。


「この街の名前も小説と同じなの?」

「そう、エルム。『スペステラ冒険記』で主人公たちが一番最初にたどり着く街だ」

「マジかぁ、ってことは本当に本の世界に来ちゃったんだ僕ら。でも……そう考えたら今の状況も悪くないっていうか、楽しそうじゃない?小説の世界なんてさ!」


 相変わらず暢気な発言をする彼を宇佐美は呆れた目で見る。この異常な状況で榊の発言はあまりに楽天的すぎる。しかし、実の所小日向は彼と全く同じ意見だった。

 だって、好きな本の世界に入れたんだぞ?本当ならば今すぐ街を走り回って観光したい。魅力的な登場人物たちに会いに行きたい。魔法だって使ってみたい。やりたいこと試したいことがとめどなく溢れ出してくる。

 しかし、と一息ついて、冷静さを脳内につなぎとめていた。楽天的に行動するにはまだ情報が足りな過ぎた。もし、さっきの化物に追いつかれて殺されてたら?果たしてどうなっていたのかわからない。

現実世界に戻れるのか、それともそのまま――――


 あくまで慎重に、状況を整理しながら動かなければならない。そう小日向は思った。


「『小説の世界』……?え、どういうこと?ちょっとついていけてないんだけど……」


 戻ってきたばかりで会話に参加していなかった乙葉は頭にハテナを浮かべていた。


「ああ、ごめんごめん」


 小日向は簡潔に、この世界が小説の中の世界である可能性が高いということを説明した。


「……そっか、『スペステラ冒険記』って小説の中に来ちゃったんだ。え、じゃあ私たちどうやって帰るの……?」


 乙葉の質問に全員が顔を合わせる。当然の疑問だった。


「そうね、小日向くん。ここが『スペステラ冒険記』の中の世界だと仮定して、帰る方法はあるの?そしてこの街は安全?」


 宇佐美が言い寄る。この世界が小説と同じ世界であるならば、その小説をシミがつくくらい読み込んだ小日向はまさにガイドのようなものだろう。彼は自分の役割を理解した。


「整理しながら話そう」


 広場の中心にある噴水の縁に腰掛け、皆の顔を見る。


「まず安全かどうかだけど……ここは安全だと思っていいと思う。小説では主人公達は最初のこの街でしばらく過ごしている。特に危ない連中も出てこない」


 乙葉は頷く。


「さっき聞いた人も優しそうだったよ」

「次に帰る方法だが……おそらく災厄獣アドヴェルズの親玉を倒すことだ」

「あど……ゔぇるず?」


 聞きなれない単語に、榊がアホっぽい声をあげる。

 小日向は説明する。


 この異世界には、定期的に災厄獣アドヴェルズという世界のバグのような化物が発生する。『バグのような』というのはほぼ言葉通りの意味で、災厄獣アドヴェルズは人や生物を襲うだけでなく、存在するだけで空間を歪ませ世界を破壊していく。そういう異質な存在である。そしてその災厄獣アドヴェルズのなかでも規格外の力と質量を持つ存在、『災厄の崩王アドヴェルズ・ルイナ』が突如として現れ世界は危機を迎える。世界の破滅を防ぐため、世界を見守る女神様が守護者アイギスとして主人公達を召喚した。


「……そして冒険の末に『災厄の崩王アドヴェルズ・ルイナ』の封印に成功した主人公たちは、女神様によって元の世界に帰ったんだ」

「うわー……僕らにそんなやばいやつ倒せる?」

「この世界に召喚された守護者アイギスだけが使える武器があるんだ。各地の遺跡に封印されているはず」


 小日向の説明に、榊はなぜかガッカリした顔をする。


「なんか……ここまで詳細に筋道が決まってるとゲンナリするなあ……初見のゲームを攻略本見ながらプレイしてるみたいだ」

「何言ってんの、これはゲームじゃないのよ。さっきも死にかけたでしょ。一刻も早く元の世界に戻らないと」


 宇佐美はピシャリと言った。彼女のいう通りだ。話の筋道を知っていたとしてもこの異世界に危険が溢れていることには変わりない。こちらの世界で死んでも何事もなかったかのように元の世界に戻れるという可能性はあるが、だとしても、わざわざ本当に死ぬかもしれないリスクを取る必要はない。

 黙って話を聞いていた乙葉が目を伏せてボソッと呟く。


「じゃあ元の世界にはしばらく帰れないのかな……何週間も、何ヶ月も」


 彼女が吐き出した不安は皆の気持ちを代弁していたのだろうか、場が沈黙する。空気が重くなったことに責任でも感じたのか、彼女は焦った様子で矢継ぎ早に言葉を紡いだ。


「あ、でもほら!榊くんも言ってたけど、小説の中の世界って聞いて私もちょっとワクワクしてるんだよね!」

「お、おお!そうだよね!」


 榊は急な話の方向転換にたじろぎつつもノリを合わせる。


「……だってこんな経験、きっと誰もできないもん!」


 両手でガッツポーズをとる彼女の顔に、真剣な感情が垣間見えた気がした。

 宇佐美は話を戻した。


「小日向くん、早速プランを用意してもらうわよ。最初はどう動く?」


 小日向は答える。


「とりあえずこの街にある『猫の迷い家』を探そう。小説の中で主人公と共に旅した、メイっていう人がいるはずだ。よしいこう、すぐ行こう」


 小日向は逸る気持ちを抑えられずに歩き始めた。

 まさかあのメイに会えるなんて……本物の猫耳……待っててくれメイ!

 グイッと肩をいきなり掴まれ体勢を崩す。犯人は宇佐美だった。


「ちょ、待ちなさいって!リアクションぐらいさせなさいよ!」


 榊はにやついた顔で言う。


「小日向、さてはそのメイちゃんとやらに早く会いたいんだね?」

「そうだけど!?」

「おおう」


 小日向の強い意志に榊は気圧されたようだった。賛同を得るために力説する。


「そりゃそうだろうよ!あのメイに会えるんだぞ!?あの猫耳獣人のメイに!」

「猫耳獣人……ゴクリ」

「一瞬で釣られてるんじゃないわよ」棗が鋭くつっこむ。

「あはは……そのメイさんってどんな人なの?」乙葉が尋ねる。


 小日向はオタク成分が出て気持ち悪くならないよう、努めて端的に答えることにした。


「あぁ……メイは獣耳人フェーリスの少女だ。年齢は俺たちと同じくらい。天真爛漫な性格で、それでいてしおらしい乙女な一面があったりするんだ。出自のせいもあってか人一倍仲間想いでさ、凄い良い子なんだよ。意外にも戦闘スタイルは近接戦闘で、得意な魔法は独自の魔法武器を作りだすアルマ」

「あっ、もう十分かなっ、うん早くいこっか!」


 話を遮り先を急ごうとする乙葉。しまった、と口を噤む。気を付けていたつもりが全然止まらなかった。熱が入ると語りすぎてしまうのは自他ともに認める悪い癖だった。宇佐美は不審そうに小日向を見る。


「ただあんたが会いたいだけじゃないでしょうね」


 小日向は答えなかった。


 一行は『猫の迷い家』を目指し街を歩いた。現代的な服装が周りから浮いているのか、たまにすれ違う人々からは奇異の目を向けられたが、特に騒がれることはなかった。それよりもこちら側の方が、見慣れない街並みや風変わりな住民たちを物珍しげにキョロキョロと見まわしては、榊が大げさに反応したり、小日向がつらつらと蘊蓄を垂れたりとうるさいくらいだった。

 開けた街道の両端には様々なお店がひしめきあっている。住民たちの容姿もまちまちだ。猫のような耳を持つ者、両生類じみた特徴を持つ者、鉱物のようなゴツゴツとした皮膚を持つ者、身の丈が小さく尖った耳を持つ者。小日向は小説を読みながら何度も思い描いた風景を目の当たりにし、感動していた。五感全てを最大限に使って異世界を堪能しては、頭の中で『スペステラ冒険記』の文章と照らし合わせていった。

 しかし……さっきから微妙な違和感が拭えない。いや、実際に目でこの世界を見たのは初めてなわけで、文字で描写された世界と違う感覚なのは当たり前のはず、なのだが……。

 違和感の正体は掴めないまま、『猫の迷い家』のすぐそこまでやって来た。


「たしかここらへんのはず……」


 『猫の迷い家』は、『酒場リッキーズ』を通り過ぎてその先にある。大きな羊を模した看板を携えた宿屋『眠らない羊』の隣だ。

 小日向は目的の場所にたどり着き、立ち止まった。


「……ない」

「え?」

「『猫の迷い家』がない……!?」


 メイが働いている雑貨屋『猫の迷い家』があるはずのその場所には、全く違う食事処らしき店があった。

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