第2話 異世界召喚
小日向は声を聞いた。声は彼を呼んでいた。聞きなれない声だ。だんだんと、かすかに聞きとれるようになる。
『
声の主は小日向のことを知っているようだった。起きろと言われていることは認識できたが、意識は覚醒しない。
『旅立つのです。さあ……この世界を……』
今度はだんだんとその声が聞き取りづらくなっていく。まるで靄がかかるように。
『救……のです……貴方達がつ……。せき……たすのです……』
「起きてください!」
声が鮮明に聞こえた。ぱちりと目が開き、空が視界に飛び込んでくる。その澄んだ青さに虚を突かれ、反射的に上半身を起こした。
「あ、目が覚めました?」
横から声をかけられる。見ると、女の子が心配そうな目でこちらを見ていた。くりっとした丸い目。淡いピンク色の髪を低い位置でツインテールに結んでいる。
「君は……?ていうか俺は何を……」
訳が分からず辺りを見回すが、全く見覚えのない景色が広がっていた。ひどく崩れ落ちた石造りの壁たち、折れた柱、苔むした石畳。昔の建造物の跡地だろうか。生い茂った植物があちこちに覆いかぶさっており、放棄されてから随分時が経ったであろうことが伺える。
「どこだ、ここ……」
「わかりません……ええと、私は、その……」
困惑する小日向に対し答えを持っているわけではないのか、彼女はおろおろとする。そんな彼女を押しのけて後ろから別の少女が身を乗り出してきた。
「いい?ひとまず自分のことを思い出しましょう。あなたは意識を失う前、何をしていたの?」
ハキハキとしたしゃべり方で質問してきた彼女は、黒髪のショートボブでつり目が特徴的な少女だった。二人とも小日向と同じぐらいの歳に見えた。
「は、はあ……」
少女の圧に気圧されながらも、記憶を思い起こす。
「俺は確か……いつものように店番をしてて、八柳が来てそれから、急に眩暈がして倒れたんだ。そこから記憶が途切れて……ます」
少女は乗り出した体を直し、小さく肩を落とした。
「なるほどね。……ここにいる私たち全員そうなのよ。突然倒れて意識失って、目が覚めたらここにいたの。私たち四人とも、この見覚えのない場所に倒れてたのよ」
四人、と少女は言った。ふと右を見ると、二人の少女の他にも一人、少年が立っているのに気が付いた。パーマがかかった少し長めの茶色い髪を後ろで短く結び、やんわりと色気を放っている。目が合うと、少年はニコッと笑う。
「そういうこと。いやーまいったね。なんか事件に巻き込まれちゃったのかな、僕ら」
少年はさわやかな雰囲気でさらっという。対照的に、ツインテールの少女は不安そうに腕を抱えた。
「何か悪い事しちゃったのかな私……」
「私は心当たりないわよ?でもまあ、妙な事件に巻き込まれたって可能性は高いわね」
事件、か……。小日向も心当たりを探るが、全く思い当たる節はなかった。あの日以来、人の恨みを買うようなことはしてないはずだ。できるだけ波風を立てないようにうまくやってきたはずだ。フラッシュバックしかけた過去の記憶を払いのけ、立ち上がった。
改めて3人の顔を見る。全員若い顔つきで、同じくらいの年齢に見える。当然知っている顔ではない。事件だとすれば、誰かが何かの目的でこの四人を集めたことになる。小日向は自分の体へと意識を向けた。手足の自由はある。体に違和感もない。服はバイトの時に着ていたのものをそのまま、店のエプロンまで着けたままだった。そして密室ではない開けた景色。誘拐だとすれば奇妙すぎる状況だ。
つり目の少女は小日向に向かって言った。
「とにかく、あなたは訳も分からない状況だと思うけど私たちもそれは同じなの。……とりあえず、お互いの素性を知るために自己紹介でもしましょう」
あなた以外は既に一回してるんだけど、と彼女は付け足した。小日向は彼女の言うことに賛同した。歳が近そうとはいえ名前も何も知らないも人間と行動を共にするのは少し不気味だ。なにより何もかもが謎であるこの状況に、何か共通点を見出せるかもしれない。
「俺は
「ってことは、宇佐美さんと同い年だね」
茶髪の少年はつり目の少女に言う。宇佐美と言われた彼女は特段反応を示さず淡々と答えた。
「私は
続いて茶髪少年が自己紹介をする。
「僕は
榊に手を差し伸べられた小日向は、よろしくお願いしますと答えつつ握手を交わした。やけにフレンドリーな男だ。しかし小日向は知っている。初対面のグループでこういう人間が一人いるだけで、コミュニケーションの潤滑具合がまるで違うのだ。
「で、こっちが……」
「あ、高校三年の
榊に自己紹介を振られたツインテール少女がぺこりとお辞儀をする。緊張からくる丁寧さか生来のものなのか、小日向には測りかねた。
ひとまず全員の名前と歳を知ることができた。現段階で共通点と言える共通点は四人とも『高校生』であることくらいだ。次の話題を切り出したのは宇佐美だった。
「自己紹介も済んだことだし、これからどうするか考えましょうか」
「待って、その前にさ」
ワントーン高い声で榊が話を断ち切った。他の三人の視線が一斉に彼に向く。
「僕たち歳近いんだし、遠慮せずタメで話そうよ。非常事態だしその方がやりやすいでしょ?」
彼の提案に宇佐美がすぐに賛成する。
「それもそうね、せっかくだしタメで話しましょ」
小日向は訝しんだ。彼女は最初からタメだったのでは?とはいえ敬語を使わなくてもいいなら楽なのは確かだし、ありがたく提案を呑むことにした。年上組である乙葉もにこやかに了承した。
「で、これからの話だけど」宇佐美は仕切り直す。「とりあえず救助を呼びたいわけだけど。小日向君、スマホはないよね?」
言われて、小日向はズボンのポケットをまさぐった。無い。店にいたときは間違いなくスマホをポケットに入れていたはずだ。どうやら他の三人も同様のようだった。
「闇雲に歩くしかないかぁ」
と榊。乙葉が思いついたように提案する。
「あの、狼煙とかはどうかな?」
「救助隊が探し回ってれば効果的だろうけど、この場合は微妙だな。あと道具がないから火をつけるだけでも日が暮れそうだ」
小日向に否定され、乙葉は残念そうに肩を落とした。
自分たちのいる場所を改めて確認してみる。植物に覆われたボロボロの建造物。何か歴史的な神殿のような趣を感じる。さらにその外には密度の高い樹林が広がっており、遠くを見通すことはできない。虫の鳴き声なのか鳥の鳴き声なのか、もしくはそれらが混ざっているのか、森の声とでも形容できそうな音が聞こえてくる。地形に高低差はあまり見られず、山岳地帯ではなさそうだった。
「ここらは特に目ぼしいものはなかったんだけどさ、そっちの方に道っぽいのはあったんだ」
榊について行き建造物の区画から出ると、森の中を道が縦に開けていた。道、と言っても舗装はされておらず、オフロードの車でもないとまともに進めなそうなデコボコ道だ。小日向は考察する。
「道があるってことは一応人通りはあるっぽいな」
「どっちを進めば人里に出れるかしら……」
考える宇佐美。そして榊は指を指した。
「僕はこっちに進むのががいいと思う」
「そう思う根拠は?」
宇佐美の問いかけに榊はフッと笑う。
「根拠があったら苦労しないよ」
「あんたね……」
「ま、当てがないのは事実だしな」
小日向はフォローに回った。言いながら地面をキョロキョロと見まわし、手ごろな石ころを見つけるとそれを拾い上げる。それから、近くの木に石で『×』印をつけた。
「ここを始点にして、何もなかったら戻ってこれるように印をつけながら進もう」
反対意見は上がらず、四人は榊が指した方向に歩き始めた。
森は随分と深いようだった。一定間隔で木に印をつけながらしばらく歩いたが、景色は全く変わらない。生い茂る植物たちはあまり見なれないものも多かった。それほど奥地の、人が立ち入らない場所なのか、どこかの島なのか、はたまた異国の地なのか……。歩いている間榊が能天気な話題を振り続けてくれていたせいか、四人はまだこの状況に対してそれほど不安感を抱いてはいなかった。
ふと榊が指をさす。
「あれ出口じゃない!?」
彼が示した先、遠くに確かに森が開けているのが見えた。彼は皆の反応を待たずして走り出す。
「ちょ、待ちなさいよ!」
宇佐美が制止の言葉をかけながら榊を追いかける。小日向は乙葉と顔を見合わせ、後を追った。
榊を先頭に走っていた彼らは森の開けた場所にたどり着いた。結構な距離を走ったので皆立ち止まり荒げた息を整える。乙葉に至っては地べたに座り込み、空気を求めてあえいでいた。どうやら意外とあっさり森を抜けることに成功したようだった。ただし道は続いていなかった。森は抜けたが、そこは切り立った崖になっていた。小日向は額の汗をぬぐい、崖際に立っている榊のそばへと歩み寄る。
「一体どこなんだここは……?」
榊が呆然と呟く。彼の横に並び、その景色を目の当たりにする。
見渡す限りの美しい丘陵に囲まれて街があった。この高い崖の上からはその全貌を見渡すことができた。その街はひときわ目立つ背の高い塔を中心に円状に広がっている。建造物はビルのような高さはなく、全て石かレンガ造りのように見えた。日本のとは明らかに違うものだ。
小日向は目に焼き付いた景色に身震いした。
俺は、この景色を知っている……?
見たことなんてないはずだった。海外に渡ったことだってない。だが……『知っている』。なぜかそう思えたのだ。遅れて宇佐美と乙葉もそばにやってきた。
「街だ!街だよ!やった、私たち帰れるんだね……!」
乙葉は宇佐美に抱き着いて喜ぶ。
そうだ。何はともあれこれで助かるはずだ。景色から視線を外し、二人の方を見る。妙な感覚を頭の空きスペースにしまい込んで。
宇佐美はまとわりつく乙葉を引きはがした。
「う、うん……だけどここはどこなの?日本とは思えないけど」
「えっ?確かに見たことない景色かも……。じゃあ私達、海外まで来ちゃったの!?うへえ、帰るの大変だよ」
「まあせっかくだし観光でもしていこうよ。こうなったらもう楽しまなきゃ損さ!」
街が見え、無事に帰れるとわかったからか榊は能天気な発言をする。そんな彼に宇佐美はジト目をくれてやり、そしてため息をついた。
「はあ……結局何だったのかな、この誘拐は」
小日向は首を捻る。誘拐事件、というには誰も見張りはおらず体も自由。人が住んでいるであろう街も見えたし切迫的な状況とは程遠い。
「趣味の悪い番組の企画とか?あの街丸ごと撮影セットかも」
「最近のテレビは大掛かりなことやるもんねぇ」と乙葉。
「だとしたら速攻そのテレビ局を訴えてやるわ」宇佐美が目に敵意を宿す。
「もしかしたらこれから死ぬほど楽しい企画があるのかもしれないじゃん」
榊はあくまで呑気だった。
話しながら小日向は周りを見渡していた。崖は暫く続いていて下に通ずる道が見当たらない。
「とりあえず街まで降りれる道を探そう……榊、次は左右どっちへ行く?」
小日向が尋ねるが、榊は茫然と乙葉の方を見ていた。
「榊くん?」
乙葉が首をかしげるが、彼はものを言わずゆっくりと乙葉の方を指差す。小日向はその指が差す先を視線で追う。
「えっ?」
思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。榊が指差したのは乙葉ではなく、いつの間にかその後ろにいた巨大な何かだった。それは肩を上下させて呼吸をしていた。猿……ではない。ゴリラのような生物。しかし、昔動物園で見たそれよりも二回りも大きい。剥き出しの巨大な牙に赤い眼。灰色の鬣と筋肉質な二対四本の腕。『化物』という安直な呼び名が頭に浮かんだ。
化物はゆったりとした動きで両腕を振り上げる。
「逃げろッ!!」
榊が叫んだ。呼応するように化物は手を組んだ両腕を振り下ろす。
小日向は思考がうまく働かず、目を瞑ってしまった。
鈍い音が響く。
恐る恐る目を開けると、ハンマーのように振り下ろされた拳は何もない地面を殴りつけていた。宇佐美が咄嗟に乙葉へ飛びついて助けたのだ。しかし化物は地面に転がる二人の方を見るや否や、当然のように二撃目を構えた。
今度こそまずい、二人が避ける暇がない。小日向の体はまだ動かなかった。
やめろ————そう思った時、拳大の石が化物の頭を直撃した。
「こっちを見やがれ化物!」
石を投げたのは榊だった。化物は少しよろめいて榊の方を向く。その隙に、宇佐美と乙葉は身体を起こしてこちらの方へ走ってきた。宇佐美は立ち尽くす小日向に叫ぶ。
「逃げるわよ!」
その声を聞いて体はやっと動いた。三人は化物と反対の方向へと走る。やや後ろから、榊が声を上げて走ってくる。
「走れ走れ走れ!!」
彼に煽られて皆必死に走る。後ろを振り向くと、化物は凄い勢いで追ってきていた。あんなにでかい図体なのに早い。まずい、このままじゃすぐに追いつかれる。
どうする。どうする!?
小日向は焦りと恐怖で手先が冷えるのを感じていた。足は必死に動かしている。今までにないくらい必死に。だが、こんなのは長く保たないだろう。彼は走りながら、祈るように周りを見渡す。
その時、小日向の視界の端に赤い何かが映った。それが何かはわからなかった。だけど、それしかないと思った。走りながら森側へ逸れ、木の根本に落ちていたその赤い球体を拾いあげる。そして振り返り後ろから迫ってくる化け物の顔へと投げつけた。それは見事に顔に当たると、弾けて大量の汁をぶちまけ、顔一面を真っ赤に染め上げる。化物は低い唸り声をあげて立ち止まった。
「き、効いた……!?」
再び全力で走り出しながら様子を伺う。化物は手で必死に顔を擦っているが中々取れないようで、不快そうに体をくねらせ悶えている。とにかく、奴に隙ができた。今のうちに距離を放そうと必死に足を動かした。
「こっちだ!」
いつの間にか先の方で待っていた榊が手招きしていた。そこは崖の方向に急な坂道になっており、下れば崖の下に出れそうだった。
一番遅れていた小日向が合流し、四人で半ば滑り落ちるように土砂崩れの後のような足場の悪い坂を下っていく。途中誰も声を上げることはなく一心不乱に降り続けた。どれくらいの間走っていたのだろうか。アドレナリンの大量分泌により、時間の感覚は麻痺してしまっていた。やがて坂道は平地に変わり、ついには森も開けた。広がった視界の遠く先に、崖から見下ろした街が見える。
「街だ!!」
誰かが叫んだ。先頭を走っていた榊が徐々に速度を落とし、ついには足を止めた。
「はぁっ……はぁ……ふぅ。あいつは追ってきてないみたいだね。みんな大丈夫!?」
それに合わせて全員が立ち止まり息をつく。乙葉はまたもや座り込んでいた。宇佐美は息を整えた後、榊に向かって礼を言う。
「……なんとか大丈夫。あんたのおかげで、助かったわ」
「いいって、それに宇佐美さんが動いてくれたから乙葉さんも無事だったんだし」
「本当にありがとう棗ちゃん……ッ!棗ちゃんが助けてくれなかったら私、私死んでた……!」
「うん、わかったからくっつかないで!」
乙葉は涙ぐみながら宇佐美に抱きついて離さない。実際命の恩人だろう。宇佐美は咄嗟に身を挺して彼女を助けたのだ。恐怖で固くなっていただけの小日向は二人から顔を背けた。
「小日向もナイスだったよ」
「え、ああ……」
榊に話しかけられハッとする。
「アイツ相当嫌がってたね。あの赤いやつ、何だったの?」
「あれは、たまたま適当に拾って投げただけで俺は……」
先刻の場面を思い返す。さっき投げた、手に収まるくらいの赤い球体。それは何かの実のようだった。それがなんなのかは全く知らない。ただ目に入ったから投げた、それだけのはずだ。
宇佐美が下って来た坂を振り返りながら言う。
「それにしても一体なんなのよあの化け物は……」
つられて全員が後ろを確認した。あの四つ腕の化物が追ってくる気配はない。それでも漠然とした不安感が後方に漂う。榊は街の方を指した。
「とにかく街に入って助けを呼ぼう。ほら、もしかしたらUMAを発見したとかで報酬金もらえるかも」
「……呑気なヤツ」
宇佐美は呆れた顔をして街へと歩きはじめた。それに続いて皆ゆっくり歩き始める。
榊と乙葉はUMA発見の報酬金を何に使うかの話で盛り上がっていた。
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