第5話 トバリ

ーーあれ?猫がいない


 マリンの視点は右往左往する。やがて晴れゆく視界に、ペロペロと優雅に毛繕いをしていた喋る猫の姿がない。


「おねいちゃん。こんなとこで寝てたら、危ないよ」


 ふと我に帰る。先程まで猫がいた場所に女の子が立っていた。まだ、あどけない容姿。小学生くらいだろうか?


(ただの勘違いよね)


 寝ぼけていたとはいえ猫がしゃべるなんて馬鹿らしい。少女は制服の襟を正した。


「ごめんなさい。お姉さん寝てたみたい。起こしてくれて、ありがとう」

「おねえちゃん、大丈夫。顔色が悪いよ。痛くない。辛くない。苦しくない」


 ゆっくりと近づく女の子。何故だろうか?心が抉られるような痛みに苛まれる。何かがオカシイ。違和感……。

 不敵に笑った?笑っているように見えた。それは微笑みに近いが冷たく静かな笑みに見てとれた。


 寒空の下、女の子の薄い濃紺のワンピースが揺れる。肌は透明より薄く、消え去りそうな程に青白い。髪は無造作にうねり、胸元まで長く垂れていた。


「痛くない。辛くない。苦しくない」


 幼子の声が自分の心を揺するように感じる。その一声、その一挙手一投足に、心が埋没されるかのように重くなる。


「大丈夫?ねぇ大丈夫、おねえちゃん。私の名前は夜野トバリ。おねえちゃんのお名前は?」

「私の名前は……」


「そう、貴女の名前を教えて欲しいの」


 私の名前?心が埋没してゆく。意識がぼやける。目の前にはワンピースの少女。夜空を閉じ込めたような漆黒の瞳をしている。


「私のな、まえは、せと、瀬戸内……」


「君達。こんな夜更けに何してんの」

「へぇ〜、姉妹で家出?」

「可哀想。お兄さん達と楽しいことしない?」


 近くの街灯がチカチカと点灯した。公園の入り口に男性が3人いる。酔っている。ガタイが良く人相が悪い。


(マズイ。こんな奴らに絡まれたら……)


 古く辛い記憶が蘇る。危険だ!すかさずに、マリンが身構えようとする。その刹那。


『チッ』


 という女の子の舌打ちが闇夜に響いた。








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