第5話 手島一族の秘密

 そんな手島一族であるが、この世襲に関しては、大いなる秘密があった。

 これは、

「手島一族が、手島一族であるがゆえん」

 といってもいいだろう。

「手島一族が行っている所業」

 というのは、

「基本的に、殺人に至らないまでのあらゆる悪行」

 というものであった。

 そして、その手始めが、時期参謀と目されている、若干二十歳の俊太が今行っていることであった。

 これまで、代々受け継がれてきた、

「先代から次代へと受け継がれるものとして、最初に手を染める犯罪を、今、俊太は行っている」

 もっといえば、

「俊太が、この儀式を行えば、さらに、伊集院一族が繁栄する」

 ということであり、

「世代交代には、どうしても必要なことであり、それこそ、手島一族にとっては、成人式のようなものだ」

 ということになるのだった。

 それが、詐欺というものであり、犯罪としては、それほど深いものではないが、ある程度頭の良さと、覚悟を持つだけの度胸がなければ務まらないということでもあったのだ。

 そんな手島一族も、

「これが世襲になっている」

 ということは、どこか過去に、大きなターニングポイントがあったということであろう。

 そして、

「伊集院一族と、手島一族の関係というものが、いつから続いているのので、どうして、ここまで関係が深いものなのか?」

 ということに掛かってくるということになるだろう。

 伊集院グループが、実際に表舞台に出てきたのは、

「第一次世界大戦」

 というものにおける、

「軍需特需」

 から恥じ合っているというのが、通説であった、

 実際のところは分からない。

 ただ、伊集院一族というのは、

「江戸時代から続いている武家の一族である」

 ということに間違いはないということであった。

 ただ、これは、

「少なくとも」

 ということであり、

「もっと昔からあった」

 とも言われている。

 ただ、そこから先は、伝説的な話もあり、諸説あるといってもいいだろう。

 その中で、一つ大きな話として、

「伊集院一族か、それとも、手島一族かは、江戸時代以前の天皇のご落胤ではなかったか?」

 というウワサである。

 あくまでも、かなり誇張しているウワサといえばそうなのだが、それも、

「伊集院グループを安泰にするため」

 ということで

「作られた伝説」

 ということだったのではないだろうか?

 それを考えると、

「伊集院一族であっても、手島一族であっても、一歩間違えれば、立場が逆になっていたのかも知れない」

 と言われるであろう。

「伊集院と手島が、二人三脚でずっと来ていたということに裏付けになるのではないだろうか?」

 ということになるが、

 江戸時代までの間に、彼らが生き残るために、実際には、

「かなりの人間を殺してきている」

 ということが書物として残っていることで、明治時代になってから、時代も政府もまったく違うものになったことで、伊集院グループの家訓のようなものが、

「なるべく殺生をしない」

 ということであった。

 これは、人間にかかわらずということであり、確かに動物を殺すのもよくはないが、

「動物を殺す」

 ということは、

「自然界の摂理」

 というものは、仕方がないものということで、それまで否定してしまえば、少なくとも、

「人間は生存できない」

 ということになる。

 生命がある程度存在してこそ、人間は生きられるというもので、それが、

「自然の摂理」

 ということで、

「循環を意味している」

 ということになるのだ。

 それを考えると、

「伊集院一族」

 そして、

「手島一族」

 そして、それ以外の人類。

 という形で分類することで、手島一族の場合は、

「自分たちも自然の摂理の一角を担っているというもので、この理論は我々か、その共存共栄で生き残ることができている伊集院一族にしか、その理屈は分からないののだ」

 ということになっているのだった。

 だから、

「伊集院一族と、手島一族」

 というものは、

「できるだけ殺生をしない」

 ということをスローガンとしているが、

「自然の摂理」

 のような存在は、仕方がないということであり、

 その自然の摂理を、

「いかに考えるかということが、その力となるのではないか?」

 ということであった。

 だから、手島一族は、

「元服してから最初に行う参謀としての儀式は、詐欺行為だ」

 ということに決まっているのであった。

 ある意味、これが、

「登竜門」

 というもので、

「詐欺ができてこその、一人前」

 ということで、

「手島一族で、一人前ということになる」

 というものであった。

 ただ、そのためには、幼少期からの英才教育は、結構厳しいものであった。

 手島一族だけでなく、伊集院一族も、一緒になって、

「手島一族の若き首領をいかに育てるか?」

 ということが、最大の課題となるのだ。

 そもそも、手島一族の問題に、伊集院一族が介入するというのは、この時だけであった。

 伊集院一族に対して、手島一族が介入することはなかった。

 というのは、

「伊集院一族にとって、普通の帝王学だけで十分だ」

 ということになるからだ。

 手島一族とは、そもそも、道が違っているのであって、

「果たしてどっちが、他の人たちと近いのだろう?」

 と考えても、簡単に答えが出るということはないのだった。

 手島一族が行う詐欺というのは、そんなに大変なことではなかった。詐欺事件を起こすということは、彼らにとって、

「大したことではない」

 ということであって、実際には、そんな単純なことではなかった。

 これは、

「政治家は、育った環境が違う」

 などという理由によって、

「どうしても、政治家と国民の法律に対しての温度差がある」

 ということに似ているのかも知れない。

 もちろん、政治家の中には、

「苦労人」

 というのもたくさんいるだろう。

 しかし、戦後すぐなどといえば、たたき上げも多かったことだろうが、今の時代は、そのほとんどが、

「世襲議員」

 というもので、今の時代は、それこそ、手島一族と同じではないか。

 政治家であったり、医者などの一種の、

「先生」

 と呼ばれる人たちは、高等な教育を受け、難関と呼ばれる試験をパスすることで、医者や法職に当たる人たちは、医者の免許取得であったり、司法試験をパスすることで、医者や法職につけるのだ。

 政治家は、さらにそこから、

「選挙」

 というものを経て、その選挙に勝つことで、やっとそこからがスタートラインとなるわけだ。

 そういう意味で、一般人から、政治家になるためには、

「先生」

 と呼ばれるような肩書を得て、そこで成功し、金を貯め、そこから選挙に出るといういくつもの難関が控えている。

 しかし、親が政治家ということであれば、もちろん、政治家になるための、

「英才教育」

 というものを、子供の頃から受けてきて、その時に、

「自分が政治家になる」

 という確固たる意識を持つことと、逆に、

「それ以外に道はない」

 ということでの、ジレンマに陥るかも知れない。

 しかし、結局は、その道にしか進むことができないことが分かると、しっかり勉強し、

「帝王学」

 というものによる洗脳で、次第に、同年代の他の友達との間に、

「温度差」

 という溝ができてくるのだった。

 もちろん、政治家の息子が皆同じだとは言えないが、そうやって政治家を目指すようになると、大学を卒業すると、

「一般の会社で一時期働くことになるのか?」

 それとも、

「父親の事務所で、私設秘書のような形で働くことになるのか」

 どちらにしても、ここからが、

「政治家としてデビューするための、研修期間のようなものである」

 そして、一般社会で一通りを学んでも、政治家になることを約束された息子は、ある程度のところで、父親のそばに来て、そこで、政治家のタマゴとしてスタートすることになる」

 そうなると、まわりの父親の支援者たちは、息子に対しても、

「いずれは、父親の地盤を引き継いで、政界に名乗りを挙げる人だ」

 という目で見ることになる。

 本人もそのつもりでいると、父親も引退を考えるようになり、

「政権地盤を息子に譲る」

 ということで、世代交代が行われ、

「新たな政治家の登場」

 ということになるのだ。

「本人の努力」

 というのもさることながら、何といっても、父親の地盤をそのまま受け継ぐというのは、

「これ以上力強いことはない」

 といえるだろう。

 いくら、自分が、それまでに、医者であったり、大学教授、さらには、弁護士などという、

「いばらの道」

 をかき分けて作り上げてきた名誉を武器にしたとしても、

「その職で、何か目立つことをして、名声を挙げてこなければ、いくら、選挙で恰好のいい公約を掲げたとしても、有権者は、肩書だけでは動かない」

 といえる。

 それよりも、

「父親が政治家で、息子がその政権地盤を受け継いだ」

 ということの方が強いのではないだろうか?

 何といっても、政権地盤を持って、今までずっとそこで活躍してきたわけだから、

「父親は自分たちのために、たくさんのことをしてくれた」

 という意識があり、そのため、

「息子も同じようにしてくれる」

 という意識があるのだ。

 やはり、いくら父親が残したことだといっても、その息子ということで、信用される。

 それが、実績というものなのかも知れない。

 さらに、大きいのは、

「息子にならできるだろう」

 と感じさせる根拠は、

「金」

 というものである。

 父親が政治家であれば、その政権地盤だけでなく、政治資金として、父親の金を当てにできると庶民は考えるだろう。

 もちろん、政治資金という公金は、勝手には使えないが、それが、

「親の金」

 という私的な金であれば、いくらでも叶えられるというものだ。

 それを考えると、

「支持者や、その団体というのは、実に強いもので、それを敵に回すわけにはいかない。何といっても、父親が築き上げ、それを自分に託してくれるのだから、政治家という世襲は、他の世界の世襲とは、やはり大きく違う」

 というものであろう。

「地方の政治家であっても、いずれは、国政に打って出る」

 という人も多いだろう。

 今の時代の政治家というのは、

「元、テレビタレントやアナウンサーと言ったような、人気が絶大で、知名度は満点という、いわゆるタレント議員」

 であるか、

「医者や弁護士などという、先生と呼ばれる肩書を持った議員」

 そして、

「政治基盤をしっかり受け継いだ、世襲議員」

 というのが、ほぼ政治家を占めているといっても過言ではないか。

 そして、この順番には、れっきとした力関係と言われる、優先順位が存在している。

 それが、後者になるほど、政治力も強いというものだ。

 確かに、今の時代に目立つというと、どうしても、

「タレント議員」

 という人たちは、結構目立っている。

 ただ、そのほとんどは、地方議員というのが多く、

「市長や、都道府県議員や知事」

 というのが、相場といってもいいだろう。

 そんなタレント議員は、いいことで目立つならいいのだが、ほとんど、失脚に繋がるようなことで、目立つようになる。

 そうなると、

「元々人気だけだった」

 ということで、転げ落ちる時は早いというものだ。

 もちろん、最初は、

「人気だけだった」

 という議員も多いことであろうが、議員になってから、自分の地道な努力で、

「立派な政治観に上り詰めていく人もいる」

 ということであるが、

 何といっても、上には、

「医者や弁護士、博士など」

 という人たちがいて、さらにその上には、

「地盤を引き継ぎ、幼少の頃より、帝王学を身に着けた人たちがいる」

 ということなのだから、そんな連中の間で揉まれることに耐えられるかどうかが問題であった。

 確かに、芸能界や、放送局などというと、のし上がっていくためには、その努力は、

「並大抵おことではない」

 といえるのだろうが、

 果たしてそれだけで、やっていける世界なのかどうかである。

 下手をすれば、海千山千の世界で、しのぎを削っている人たちに対して、挑戦するというのは、半分、命取りといってもいいかも知れない。

 それが、政治家の世界だといえるのではないだろうか。

 だから、政治家と一般庶民の温度差はひどいもので、今の国民は、

「政治家は信じられない」

 と思っている人が多いだろう。

 今の時代は、ネットの普及により、SNSなどというもので、情報に関しては、いくらでも手に入れることができる。

 その反面、手に入れられる情報が飽和状態で、その状態の中には、デマであったり、誹謗中傷などというものも多く含まれていて、それをしっかり整理できる頭を持ち合わせていないと、いくらでも、

「情報に振り回される」

 ということになりかねない。

 それを考えると、

「今の世の中において、国民も、さまようことになる」

 というものである。

 ネットの時代と言われるようになったのが、ちょうど今から、四半世紀くらい前のことであった。

 最初の頃は、

「インターネットの出現」

 であったり、それに伴っての、

「パソコンの変革」

 であったり、

「携帯電話」

 というものの普及だったりした。

「インターネットによる検索機能の充実」

 さらには、

「メール機能による、会社内においての命令系統の改革」

 というものが、社会を大いに変えたといってもいい。

 そんな時代に、そんなインターネットや、携帯電話を使った詐欺というのが表に出てきたのだ。

 いわゆる、

「サイバー詐欺」

 と言われるもので、インターネットとしては、

「コンピュータウイルス」

 なるものを送り込み、それがパソコンに入り込むことによって、

「個人情報を盗み取る」

 というものである。

「住所や氏名と言った本人を特定するもの」

 であったり、ネットの普及によって、

「ネットでの買い物が可能」

 ということになってくると、

「ネット決済」

 ができるようになった。

 ということは、

「ネットで支払うために、クレジット機能を使ったり、口座振り込みなどを使うということになるのだが、それは、ネット上に、興亜番号や名義人、さらには、パスワードまで晒すということになるのだ」

 確かに、パスワードなどは、暗号化されているので、簡単には解読できないが、しかし、盗み取ってしまえば、あとは何とかなる」

 ということである。

 これがネットでの詐欺であるが、

 この後、盗み取った個人情報を元に、個人を特定し、そこに家族構成を調べたところで、

「老人が一人暮らしをしていて、その孫も、一人暮らしをしている家族などがあった場合、しかも、老人と孫が住んでいるところが離れていて、なかなか会える環境にないということが分かっていれば、そこで、電話によっての、詐欺ということが出てくるのだ」

 というのが、いわゆる、

「オレオレ詐欺」

 と言われるものであったり、

「振り込め詐欺」

 と言われるものであった。

「ばあちゃん、俺だけど、仕事中に事故を起こして金がいる」

 などといって、老人に金を振り込ませるという手口である。

 祖父や祖母というのは、孫には弱いものだということで、

「今日中に必要」

 などと言われれば、大した確認もせずに、老人は慌てて、お金を振り込むということになるのであった。

 それが、詐欺であり、

「実に卑劣な犯行」

 ということであった。

 今の時代であれば、SNSやニュース、さらには情報番組などで、情報はあふれているのだが、いかんせん、老人ともなると、

「インターネットには疎いので、今の時代のように、テレビ時代ではなくなってしまったことに気づくことはない」

 と言ってもいい。

 そうなると、テレビも真剣に見なくなるということで、最新の情報からは、取り残されることになる。

 特に一人暮らしの老人に、誰が手を差し伸べるというのか、詐欺グループにとってはm最高の獲物ということである。

 手島一族が行う詐欺は、主に会社に対してのものだった。

 といっても、相手の会社を、

「倒産に追い込む」

 ということまではしないというもので、相手の会社には、

「詐欺に遭った」

 ということを意識させない間に、相手に対して、

「金を貸す」

 ということをして、こちらをすっかり信用させ、その会社を、

「自分たちのいいなりにする」

 という形での、表向きは、

「危機に陥った会社を立て直すためのスポンサー」

 というものであった。

 何、相手は疑うことはない。今の時代であれば、会社が倒産の危機に陥るということは日常茶飯事であり、そのために、

「民事再生手続き」

 という制度があり、その制度を使っての文字通りの、

「会社再生」

 ということになるのだった。

 そこで必要になってくるのが、

「融資をしてくれる、企業と銀行」

 であった。

 その企業が、

「伊集院グループ」

 ということであれば、銀行も無条件で金を貸してくれるというもので、それだけで、その会社は、

「疑うことを知らない」

 ということになるだろう。

 それを考えると、

「彼らの詐欺手口」

 というのは、実に巧妙である。

「これだったら、別に詐欺とは言えないのでは?」

 ともいえるが、

「相手を欺いて、最終的にこちらの傀儡としてしまう」

 ということは、

「吸収合併」

 というものよりも、厳しい状況に相手は追い込まれるということであるから、やはり、

「詐欺行為」

 と言われても仕方のないことなのかも知れない。

 それを思うと、

「許せない」

 ということではあるが、今の時代は、

「吸収合併が生き残るためには仕方のないこと」

 ということで、どちらかというと、

「悪いことではない」

 という感覚になっていることから考えると、手島一族のやっている詐欺は、

「本当に悪いことではない」

 ともいえることではないだろうか。

 実際に、

「手島一族が行った詐欺では、誰かがそれが原因で自殺をした」

 という事例が一件もないのだった。

 すなわち、彼らのモットーは。

「詐欺はしても、自殺者を出すようなことはしてはいけない」

 ということだったのだ。

 さすがに、

「裏稼業でずっと生きてきただけのことはある」

 といってもいいだろう。

 それを、今の時代に担っているのは、

若干二十歳になったばかりの、

「手島俊太」

 だったのだ。

 彼は、まだ大学生だった。

 だからこそ、その、

「大学生」

 という立場が、隠れ蓑になる。

 いくら大学生であっても、民法上は成人なので、契約などいくらでもできるというものだ。

 もっとも、時代が進めば、成人というのは、

「満18歳をもって」

 ということになる。

 それが、今の時代であり、そえがいいことなのか、悪いことなのか、まだ始まったばかりということで、その結果は出ていない。

 そもそも、

「政府に、検証などということは考えていないのではないか?」

 ということで、

「答えを出してくれるであろう歴史」

 というものを研究している人が、検証をするだけなのかも知れない。

 政府も、本当に、検証する気があるということであれば、

「一つの省庁」

 として、

「検証庁」

 のようなものを作ってもいいのではないだろうか?

 そこには、長官をおいて、しっかりと検証する。

「それを国民に公表する」

 ということでもすれば、もう少し国民から、

「少しはマシになったか?」

 ということで、

「認められる政府になりそうなもの」

 であるといえるだろう。


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