第4話 伊集院グループ

 伊集院グループというと、

「戦後最後の財閥」

 とも言われる巨大会社であった。

 この会社は、

「戦後最大の経済危機」

 と言われた、

「バブル崩壊」

 においても、他の財閥系の会社のように、

「企業合併」

 などによって生き残りをかけるなどということはなかった。

 ほとんどの財閥系のグループは、

「巨大コンツェルン同士の合併」

 を繰り返してきて、何とか生き残り、さらに、そこに、中小企業を吸収合併することで、大きくなってきたというのが現状だった。

 しかし、伊集院グループは、

「吸収合併はするが、他の財閥系と合併ということもなく、しっかりと、昔の地位を保ったまま、バブルの崩壊時期を乗り越えた」

 その理由として、

「番頭クラスに優秀な人材がいて、その人が、戦後の混乱、さらには、その息子が、今度は、バブルの崩壊という危機を乗り越えさせた」

 というのが、もっぱらの通説になっていた。

 伊集院グループには、いつも、きな臭いウワサガ絶えなかった。しかし、それも、執事が一つ一つ処理してきて、警察が捜査に乗り出すというようなこともなく、うまく時代を乗り切ってきたといってもいいだろう。

 ただ、伊集院グループは、きな臭いウワサがある中で、慈善行為にも、必ず顔を出している。

 結構たくさんの病院や、養護施設。さらには、障害者施設という、福祉関係の事業には積極的だった。

 だから、きな臭いウワサガありながら、世間では、伊集院グループに対して、反対勢力もなければ、変なウワサが立つということも少なかった。

 もっとも、それも、執事がうまく処理しているからだとも言われていて、それだけ、伊集院グループは、

「参謀クラスに優秀な人材がいる」

 ということが大きな強みだったのだ。

 執事の行動は実に迅速で、特に。日本の天変地異などにおける、災害救援チームの発足は、政府などに比べて、実に行動が早く、物資の供給、救助団体を組織しての現地入りと、素晴らしい活躍を見せた。

 もっとも、彼らが動くのは、

「国内の危機」

 に対してだけであった。

 他の土地の危機には、決して人材や、金を使うことはない。

「ジャパンファースト」

 というスローガンを掲げていて、これも、伊集院グループの人気が高い理由だった。

 なぜなら、まだパンデミックの後始末もできておらず、パンデミックの影響で、まだまだ国内が混乱していて、さらに、天変地異が相変わらず起こっていて、そこに対しての、救援も、まだまだままならない状態だというのに、

「外国で戦争が起こり、侵略された国がある」

 ということで、その国に、ポンと大金を送るなどという暴挙を行っていた。

「名目は、救援金ということであるが、実際に、戦争をしている国に金を送れば、それは、武器弾薬に化ける」

 という当たり前のことが分かっていないのだ。

「これが、お金ではなく、救援物資」

 ということであれば、まだしも、これでは、

「戦争をしろ」

 といっているようなもので、そのせいで、世界各国で物価高騰が世界経済を混乱させるということを、政府は分かっているのだろうか?

 確かに侵略された国はかわいそうなのかも知れないが、本当は、外交交渉で、戦争を辞めさせるのが、本当の貢献なのではないだろうか?

 しかも、その支援金と称する金は、

「国民の血税」

 である。

 そんな支援金を送ってしまったことで、物価上昇において、国内の企業や国民を支援しなければいけないのに、その金もなく、挙句の果てに、

「資金がないので、増税する」

 などという、本末転倒な状態になれば、さすがに、

「バカな国民」

 も、政府のバカさ加減に気づくというものだ。

 それまでは、政府が海外に支援金を送っている時は、内閣支持率が下がるわけでもなく、支援金に対しても、文句を言っていなかったが、物価高騰に、何ら政策を打ち出すこともできず、しかも、

「増税する」

 などと言い出すと、さすがに国民も、

「やっとそのバカさ加減に気が付き、内閣支持率がみるみるうちに落ち込んでいったのだった。

 それでも、内閣は、解散も総辞職もしない。ソーリは、首相の椅子にふんぞり返っているだけだ。

「いったい、いつまで居座って、亡国へと日本を誘おうというのか?」

 というものであった。

 それに比べて、

「政府がもたもたして、人気を落とせば落とすほど、伊集院グループは株を上げる」

 ということになるのであった。

 伊集院グループは、それだけ素晴らしい組織であり、

「国民にとって、政府が頼りないだけに、伊集院グループの存在は、今も昔の、政府以上の存在だ」

 といっても過言ではないだろう。

「伊集院グループは、政府の反面教師的な存在だ」

 とも言われているのであった。

 そんな伊集院グループは、番頭と言われる参謀に、手島俊三という人物がいる。

 彼が、バブル崩壊時に、何とか、伊集院グループを耐えさせたのだが、その力は、先代譲りのものであった。

 先代が、

「戦後の混乱期にも、何とか財閥を解体させず、生き残らせた手腕を、そのまま受け継いだ」

 といってもいい。

 手島家には、それなりの、

「家訓」

 のようなものがあり、それが、伊集院家に対しての忠誠と、奉公の気持ちをしっかり持ったことでの対応だったのだ。

 これは、一種の、

「封建制度」

 のようなものであるが、それは、伊集院家が、しっかりと、

「封建制度における領主」

 という立場をしっかりと示しているからだったのだ。

 ただ、手島家は、

「領主に対しての、農民」

 という立場ではなく、家老職であり、それこそ、参謀といってもいいだろう。

 しかも、これが戦になると、

「軍師」

 とも言われる立場にもなる。

 これほど頼もしい存在はないというものだ。

 この手島家というのは、

「裏表の顔を持っている」

 ある意味、

「正対」

 あるいは、

「相対的な存在」

 といってもいいかも知れない。

 表の顔は、

「参謀」

 としての活躍であったが、裏の顔は、

「実は、裏から手を回す、フィクサーのような存在」

 といってもいいだろう。

 ある意味で、国家の体制であったり、世の中の体制に対して、伊集院グループという名前を後ろ盾にして、思う存分、裏稼業を歩いているといってもいい存在だったのだ。

 普通、

「裏稼業」

 というと、暗いイメージがあるが、手島グループは、それを敢えて行うことで、逆に、

「自分たちが表で、参謀として輝くための、準備工作だ」

 ということになるのだった。

 それを考えると、

「手島番頭のような参謀の存在を、他の財閥系は、その存在の大きさを知っているから、似たような参謀を持っているのだが、裏の組織とは別のものとして考えていた。それがそもそもの、他のグループが、単独で生き残ることができなかった最大の要因となるのであった」

 ということになるのだ。

 それを、

「合併して何とか生き残った財閥系の会社が分かっているのかどうか分からない」

 と言われる。

 しかし、そういう意味でも、

「伊集院グループのような巨大コンツェルンの存在は不可欠である」

 ということである。

 今の日本が、曲がりなりにも生き残っているのは、決して、

「政府のおかげ」

 というわけではない。

「伊集院グループのようなところが、暗躍してくれているおかげなのである」

 ということであった。

 ただ、そんな手島参謀が、

「伊集院グループを、ずっと、最高の巨大コンツェルンとして君臨させておくためには、きれいごとだけでは済まされない」

 ということは、当たり前のことであった。

 ただ、これは、国家の最高機密だったが、彼らは、裏で詐欺行為を行い、その体制を維持してきた。

 それが、半分は、

「巨大コンツェルンを、巨大なままに保っておく」

 ということに繋がるのだったが、このことを、政府はもちろん知らない。

 これは、一種の、

「大日本帝国」

 に存在していた、

「旧日本軍」

 というものの体制に似ていたので、海外に対しても、もちろんその存在を知られないようにしていた。

 しかし、その存在は、すでにバレているのかも知れない。

 それでも、何事もないということは、

「戦後80年以上も経っていて、その分、日本という国は、民主国家になりすぎていて、しかも、世界情勢も変わってきていることから、外国は日本を変えたい」

 と思っているかも知れない。

 だから、伊集院グループのような存在を、

「必要な存在だ」

 と考えることで、

「見て見ぬふり」

 というものに徹しているのかも知れない。

「伊集院グループが、かつての、旧日本軍のようだ」

 というのは、あくまでも、国家体制ということであり、それは、

「大日本帝国を、戦争という亡国へと誘った体制」

 というものなのであった。

 しかし、今の、

「日本国の場合は、そんな伊集院グループのような存在がなければ、それこそ亡国に向かうかも知れない」

 ということだったのだ。

 そもそも、

「大日本帝国」

 と、

「日本国」

 というものの最大の違いというのは、

「国家体制の違い」

 といってもいいだろう。

 大日本帝国という国の国家体制は、

「立憲君主国」

 ということで、

「憲法に則った形で、主権は、君主である天皇だ」

 ということであった。

 しかし、日本国においては、

「民主国家」

 ということで、

「天皇という存在は、維持されたままであるが、主権は国民であり、天皇は、象徴として、国事を担っているだけの存在」

 ということになっているのであった。

「大日本帝国時代の天皇には、統帥権なるものがあり、今はなき軍隊というものは、その天皇の統帥権の中にあった」

 ということであった、

 つまりは、

「天皇は、陸海軍を統帥す」

 という条文があり、

「日本軍は、天皇直轄の機関」

 ということであった。

 だから、天皇は、軍において、

「大元帥」

 という存在であり、

「軍というのは、天皇の指示や、命令がなければ動けない」

 ということであり、さらには、

「政府であろうとも、軍のやることに口出しはできないどころか、守秘というのを目的として、軍の秘密を知ることもできない」

 ということであった。

 だから、大東亜戦争中における

「大本営発表」

 というものを、軍は、過大戦果を国民に公表していたが、その内容を政府も把握できていないのだ。

 それは、

「戦争を始めた責任者」

 ということである、

「内閣総理大臣」

 にも知らされていなかったということである。

 つまり、

「内閣総理大臣は、政府側の人間であり、いくら軍の出身者だったとしても、いったん政府に入ってしまうと、軍ではない」

 ということになるのであった。

 だから、この体制が、結局、

「関東軍の暴挙を許し、大陸に対しての対応を、独断専行させ、欧米列強を怒らせたことが戦争につながった」

 ということになるのだが、実際には、

「引きずり込まれた戦争」

 ということで、

「軍部が悪くない」

 とは言えないが、

「満州事変」

 というものを含めて、

「しょうがないところがあった」

 といってもいいのかも知れない。

 今の日本国は、あくまでも、

「主権は、国民にある」

 ということが憲法で決まっている以上、

「政府が日本国における最高権力者」

 ということになる。

 しかし、その政府を裏で動かしている組織があるというのも、

「国家の最高機密」

 として、

「伊集院グループが君臨している」

 というのは、

「日本国が日本国として存在できるためには必要なものだ」

 ということになるのであった。

 この話は、時々表で噂されることもあったが、すぐに立ち消えになっている。

 ウワサの元が何であるかというのはよく分からないが、そこに、

「反政府組織」

 というものが暗躍しようとしているのか、それとも、

「政府自身が、その威信を取り戻そうとして、敢えて流しているものなのか?」

 とも考えらえた。

 普通であれば、

「国家と政府というものを一緒のものと考える」

 というのが当たり前のことのように思うのだが、実際には違っている。

「政府というのは、政府そのものであり、国家というのは、政府と、その裏で暗躍する伊集院グループの存在を合わせたところでいうのである」

 ということだ。

 だから、国民がもし、伊集院グループの存在を確信し、その事実を知れば、

「伊集院グループというのは、いわゆる必要悪なのかも知れない」

 と思うのではないだろうか?

「必要悪というのは、悪と名がついているが、実際には、悪という名目で存在している善なのだ」

 ということになるだろう。

 だから、伊集院グループがその存在のためにやっているという、

「手島番頭による詐欺行為」

 というものこそが、

「日本国における必要悪の権化」

 といってもいいのではないだろうか?

 日本国の興亡は、

「今や、伊集院グループの興亡と同意語だ」

 といってもいい。

 日本の行く末は、伊集院グループにかかっているのであった。

 伊集院グループというのは、

「絶対に潰れない」

 といってもいいだろう。

 ひょっとすると、

「日本が潰れることがあっても、伊集院グループが潰れることはない」

 といってもいいだろう。

 言葉としては、不適切かも知れないが、まさに、

「国破れて山河あり」

 というのは、このことなのではないだろうか?

 それを考えると、

「日本という国は、昔から、きわどい綱渡りをしていて、それを担っているのが、伊集院グループなのではないだろうか?」

 ということになるのであろう。

 今や、日本には、

「大日本帝国における天皇陛下」

 のような、国家主権を持った、絶対勢力は存在しない。

 しいていえば、その代役になるのが、

「伊集院グループだ」

 ということだ。

「皇国の興廃この一戦にあり」

 という東郷平八郎閣下の言葉が思い出されるというものであった。

 そんな伊集院グループに、参謀の一角を担って、表に出る方ではなく、裏のフィクサーである手島家は、今では、俊三はまだまだ現役であったが、息子の俊太が、まだ、

「若干二十歳」

 という若輩ではあるが、

「二十歳と思えないほどの実力の持ち主」

 ということで、伊集院グループの中でも、

「群を抜いた天才」

 と言われている。

 彼は、幼少のころから、

「英才教育」

 を受けてきた。

 これが、グループ代表ということであれば、

「帝王学」

 ということになるのだろうが、彼の場合は、

「帝王学はもちろん、それ以外の教育をたくさん受けてきた」

 といってもいいだろう。

「だから、それらの教育というのは、すべてが、教育の一環として、生活に溶け込んでいる」

 ということであった。

 つまりは、

「教育こそがすべてだ」

 という認識から、次第に、

「教育だけではなく、実践も必要」

 ということで、ステップアップしてきた。

 それも、

「教育という土台があってこその、その次のステップ」

 ということで、彼が天才と呼ばれるゆえんであったり、さらには、

「伊集院グループを裏から一人で支える」

 という神がかりなことができるということになるのであった。

 ただ、まだ若干若すぎるということがあるので、やっていることはあくまでも、

「先代の補佐」

 ということであり、彼が一人前になるまでには、まだまだ時間が掛かるということは分かっていた。

 その手始めとして、

「世間一般常識から考えて、誰も想像ができるわけはない」

 ということを彼はやっていたのだ。

 それは、

「年齢の問題」

 というわけではなく、

「普通なら、そこから先に入るわけはない」

 ということであって、しかも、それが、

「完全に犯罪行為だ」

 ということであることが、誰にも思いつかないということなのであろう。

 しかも、これは警察などが捜査をしたとしても、

「まさか、あの伊集院グループにおける、参謀である手島氏の子息が、しかも、若干二十歳という年齢で」

 ということになるのだ。

 本来であれば、その年齢でできることではないのかも知れない。

「そこが、今まで生き抜いてきた財閥系を支えてきた一族の、才能ではないか」

 ということで、

「今までにはない考え方だったので、政府も他の組織が存在しているとしても、そちらは、まさかと思うことだろう」

 ということで、一種の、

「隠れ蓑になる」

 といってもいいだろう。

 それを考えると、

「伊集院グループが、他の財閥と違って、一本筋が通っているというのは、そういうところからなのではないか?」

 といえるだろう。

 伊集院グループの中で、手島一族がどのようなことをしてきたか?

 それは、

「汚れ役」

 であり、他の財閥系において、大きくなる過程においては、どこにでもいた存在であったのは、間違いのないことであろう。

 しかし、手島一族では、それが、さらに徹底している。

「なぜ、徹底できるのか?」

 というのは、一族の中に、

「秘密があるからだ」

 ということになるのだが、それは、実は、

「先代もそうだが、先々代もそうだ」

 ということで、このことが、

「手島一族の最大の罪であり、謎である」

 ということだったのだ。

 しかし、このおかげで、

「伊集院グループは、ずっと安泰で来られた」

 といってもいいだろう。

 これは、

「決して許される犯罪ではない」

 ということになるのだが、伊集院グループのトップは、もちろん知っていることであろうが、それ以外の人は、いくら、

「伊集院一族の人間」

 ということであっても、それを知るということはなかったのだ。

 それだけ、大きな問題だといっても過言ではなく、伊集院一族にとっても、手島一族にとっても、グループ全体として、隠さなければいけないことだったのだ。

 ただ、この問題も、少なくとも、戦後80年という長きに渡って、隠し通されてきた。

 これが、

「大日本帝国時代」

 であれば、

「天皇の権威」

 があったので、また違った様相なのだろうが、その時代の

「伊集院グループの権力」

 というのは、それほど目立つものではなかった。

 何しろ、当時の伊集院グループというのは、他の財閥系の会社と同じで、誰にとってもその力は強力なものであり、

「国家の主権者」

 である天皇であっても、踏み込むことができないほどのものであった。

 ということは、

「大異本帝国において、天皇を裏で操る」

 というほどだったのかも知れない。

 といっても、そんなことができるはずもないと思われるが、本当のところは、すでに大日本帝国が解体されてから、長い年月が経ってしまった今となっては、それを解明できるすべが存在するわけではない。

 もちろん、文書で残すというようなことがあるわけもなく、しかも、

「大日本帝国は、連合国に、無条件降伏して、敗戦したのだ」

 ということである。

 余計な文書など、存在することができるはずがないというものだ。

 もし、これが、占領国に分かってしまったとすれば、

「天皇制の維持は、いくら象徴として」

 ということであっても、不可能であっただろう。

 それを考えると

「大日本帝国は、本当に、立憲君主の国だったのか?」

 と思えてくるのであった。

 だったら、

「226事件というのも、違う見方が出てくるのではないか?」

 ということになり、そうなると、歴史が根本から変わってくるということになるので、本来なら

「触れてはいけない」

 ということになるのだろう。

 しかし、日本は戦争に負けて、まったく違った国に生まれ変わったのだから、一度リセットされたということで、

「触れてはいけない」

 とは言い切れないのかも知れない。

 日本が戦争に負けたことで、世の中は大混乱になった。

 しかも、占領軍の目的は、

「日本の民主化」

 ということで、そのために、

「武装解除、戦争放棄」

「財閥の解体」

「農地改革」

「新憲法の制定」

「戦争犯罪人の処罰」

 などが主な目的だったのではないだろうか?

 もちろん、その中に、

「天皇制の維持」

 という問題も大きかったのは間違いない。

 実際に、

「天皇制の維持」

 というのは行われ、

 大日本帝国においての天皇制ではなく、民主国家においての天皇制というものが新たに生まれたということになるのであった。

 日本という国が今日あるのは、

「占領軍のおかげ」

 ともいえるかも知れないが、

 実際に、その、

「現地の占領軍」

 というものを裏で動かしていたのが、伊集院グルーうだということは、誰も知らないことであろう。

 その時、伊集院グループの、さらに裏で暗躍していたのが、手島一族だった。

 彼らは、

「裏組織の裏」

 を牛耳っていたわけで、ただ、

「裏の裏というと表」

 ということで、

「実際には、表で暗躍していたのでは?」

 と考えるかも知れないが、そんなことはない。

「裏の裏が表だ」

 というのは、それこそ、表から見た世界ということで、実際には、

「裏を牛耳ているのは、裏でしかない」

 ということで、

「手島一族は、その、裏の裏というものを見ることができる、唯一の一族だ」

 ということになるのであろう。

 実際に、この手島一族というのは、その家系を探ってみると、

「忍者の一族だった」

 というウワサがあるくらいであるが、さすがに、

「それはあまりにも都合がいい」

 ということで、誰かが意図的に流した根も葉もないただのウワサではないかということであったのだ。

 流したとすれば、

「伊集院グループの執事グループではないか?」

 ということであった。

 彼らは、一種の、

「スポークスマン」

 でもあり、

「手島一族が、裏を一手に握っているということであれば、彼らは表であくまでも存在していて、そのくせ、暗躍をしている」

 という、ある意味、

「手島一族よりも、その存在が難しい立場にある一族だ

 といってもいいかも知れない。


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