第4話 お風呂にする?ご飯にする?それとも……
絶海の孤島。
煮三鳥居島はそう称されても仕方ない島だった。
一応四国地方に所属する島ではあるが、島で一番高い山に登っても四国の影すら見えないほどに離れている。
英人はこの小さく寂れた島の小さな港に着いた時点で後悔しはじめていた。
「英人様船酔いでも成されましたか?」
英人を支えながらそう尋ねる明日香の肩には彼のボストンバッグかかけられている。
「いや、あの揺れにはちょっと驚いたけど、三半規管は悪くないらしいのでね」
そう余裕を見せる英人の後ろから、健康的だった顔を真っ青にして百合佳がフラフラと船から下りてくる。
「さ、流石英人君。タフなのは素敵よ……」
そう言って、もたれかかろうとする彼女に明日香は英人の肩を引いて自分の方へと引き寄せた。
「あ……」
体制を崩し地面に倒れこんだ百合佳は、そのまま胃液を吐き出した。
島に来るまでに吐き倒した彼女の胃には、胃液以外何も残っていない。
「さあ、英人様。本格的に暗くなる前に本家まで行きましょう」
そう言って、英人の手を優しく引く明日香に英人は戸惑った。
「え、百合佳さんは?」
「お腹が空けばそのうち追って来ますよ」
意外と辛辣な事を言う彼女に促されるまま英人が足を進めると、百合佳も負けじと手の甲で口を拭うと彼等の後を追った。
その進む道はまともに整備もされず荒れ放題……などという事はなく、道幅こそ狭いものの意外としっかりと舗装され、まだ日も完全に暮れていない時間であれば、足をとられ転ぶような事はない。
しかし、人口も少ない絶海の孤島。
当然街灯は少なく、完全に日が暮れてしまえば足元を確かめる事すら困難であろう。
港と島の中心部より少し手前の集落、そしてそれを繋ぐ道に転々と灯る街灯以外、人工的な光は一切存在しない。
特に人里離れた山間部などは、まだ明るい時間に眺めても木に埋もれた小さな鳥居以外に人工物を確認する事すら難しく、夜の帳が降りた時、そこがどのような異境と化すか都会育ちの英人には想像もつかない。
未だ黄昏時ではあるが、山の闇は既に深く人を拒絶するかのよう。
否、人が畏れ、本能からそこが人のいるべき場所でないと本能が警告を発し拒絶する魔境。
英人達はその闇を裂けるように文明の光が示す道を進む。
中心部の集落ではポツポツと街灯と民家の軒差に吊るされた提灯の人工的な光りが小さく周囲を照らす。
たとえ寂れた寒村といえど、人の歩む道程度は、人類の英知が頼りなげに儚く光る。
その健気な光の下、闇深い山を遠めに眺めつつ、英人は二人に引っ張られ、小さな村の危うい夕暮れを歩く。
数少ない道行く人々はそんな彼をにこやかに挨拶をし、英人もそれに会釈で答える。
夜の帳が降りるのを恐れるように日が沈む直前、彼等は目的地にたどり着き英人の口からホッと安堵の息がこぼれる。
鈴藤家は港よりそれなりに離れた集落でも更に奥にあった。
それは村の有力者にふさわしく門まで備えた立派な古民家で、建築物に詳しくない人物であれば武家屋敷と評してしまいそうなほどであった。
他の民家ともそれほど離れた場所にあるわけでもないが、小さい島であれど古い名士の家である事を十二分に知らしめるにたる存在感を放つその屋敷は、軒先に家紋をあしらった立派な提灯を下げ、堂々としたた佇まいで英人達を迎えた。
「お父さん!英人君連れてきたわよ!」
鍵のかかっていないの門を抜け、玄関前に着くと多少元気が出てきた百合佳が門を開け放ち声を上げた。
英人は「お父さん」という言葉に彼女が自分にとって従妹伯母に当たる事に気付いたが、彼女の気を損ねない為にも名前にさん付けで呼ぶ方がいいだろうと思った。
少しして扉が開いた。
そこにはがっしりとした体格の厳格そうな老人が立っていた。
英人はその老人にわずかに違和感を覚えた。
いや、確かに老人なのだが、英人の亡くなった祖母の弟にあたるにしてはだいぶ若く見えた。
老人は鋭い瞳で射抜くように英人を見た。
「あ、ええと……」
その迫力に押され、何を言っていいかわからなくなった英人に、老人はその目を糸のように細くし笑いかけた。
「よく来た!まずは中に入りなさい」
そう言って招き入れる老人と背を押す百合佳に促され英人は玄関を潜る。
「お、お邪魔しま~す」
英人の後に続き明日香も家に入ると扉を閉める。鍵をしないのは田舎ゆえの大らかさだろうと英人は思った。
居間に通され厚いサブトンの上に座るように促される。
明日香もボストンバックを部屋の隅に置くと英人の横に座り、まだ僅かに顔が青い百合佳もお茶を運び、それぞれの前に置くと英人の横に座った。
容姿の優れた女性二人に挟まれ座り、その正面には厳格そうな老人。
端からはどのような光景に見えているのだろうか?英人は現実逃避気味にそんな事を考えた。
「改めようこそ。いや、初めましてと言うべきかな?君にとっては祖母の弟、大叔父にあたる鈴藤哲将だ」
そう言うと膝に手を置きしっかりと頭を下げる哲将に英人も姿勢を正し深く頭を下げた。
「こちらこそ、挨拶が遅れました。衣通子(いつこ)の孫、寺衛英人です。よろしくお願いします」
英人はそう言ってから、何をお願いするのだと心の中で自分の挨拶に突っ込みを入れるも哲将は満足そうに頷いた。
「うむ。最近の若者でありながらちゃんと挨拶が出来る。しっかりしているな!」
最近の若者にどんなイメージを抱いているのだろうか。と、英人は思いながらもしっかりしているなど、初めて言われた褒め言葉に僅かに気恥ずかしさを感じていた。
「それじゃあお姉さん(・・・・)も改めて自己紹介するわね。お父さん、哲将の娘の鈴藤百合佳よ。よろしくね♪」
向き直り年甲斐も無くウインクをする百合佳に英人は若干のキツさを感じたものの、むぎゅっと強調された胸に自然と鼻の下が伸びた。
明日香もそんな百合佳に対抗するように、英人の袖を引き自らの方を向かせると小さく息を吸い口を開いた。
「明日香と申します。改めてよろしくお願いします。英人様とは遠縁に当たります。……英人様と百合佳は従叔母(いとこおば)に当たりますね」
明日香がチラリと百合佳の方を見ると彼女は余計な事を睨んだ。
睨み合う女性二人に挟まれ、居心地の悪さを感じる英人に哲将は助け舟を出した。
「英人君を挟んではしたない。挨拶が済んだら食事の用意をしてきなさい」
哲将がそう言うと、二人は名残惜しそうに、しかし、すぐにその場を立ち部屋を後にした。
どうやら、この家では家長の地位が高いようだ。
「年甲斐も無く落ち付きのない娘ですまんな。ご覧の通り小さい村でね。男日照りの所にやっと釣り合う優良物件が来たので浮き足立っているようだ」
「あはは。またまた~」
お堅そうな外見とは裏腹に意外と気安い人なのか。哲将のそれを冗談交じりの世辞だと思った英人が、これまた冗談らしい返しをした。
しかし、哲将の瞳は冗談を言っていない。
哲将は英人の返答に黙ったままゆっくりとお茶を啜った。
流石に血が近すぎる。そう思った英人だが、周囲には何もない絶海の孤島。
近親婚に対する忌避感が弱いのでは?
いや、しかし、現代日本でそんな土地があるわけない。
そんな葛藤が脳内を走り巡った。
「ん?どうかしたのかい?
いきなり沈黙し、目を細め、難しそうに悩みだした英人を哲将は試すように声をかけた。
「え、いや何でもないです。それよりどうして突然俺を呼んだんですか?」
慌てた英人は話題をずらそうとし、ここまでずっと気になっていた核心を聞いてしまった。
閉まったと思った英人の一時が一瞬止まる。
初葉でさえ疑っていた。
当然の疑問ではあった。
英人だけではない、、姉も父も姪である母ですら、顔も見た事も無い大伯父からの突然の呼び出し。
大伯父に会った事があるのもこの島も来た事があるのも、英人が生まれる遥か前に亡くなった祖母だけ。
完全に縁の切れていた親類からの呼び出し、それもド田舎の中のド田舎、絶海の孤島の名家なんて使い古された物語の導入のような展開だ。
この意味のわからない事実に疑問を持たないのはお人よしを通り越してただのアホだと英人は思った。
絶対に何かある。
そうわかっていても、否、だからこそモラトリアムを持て余していた英人にとっては夜遊びの如く蠱惑的に感じてしまったのかもしれない。
そんな不安と期待に答えるように哲将はその岩のような口を開いた。
「当然の疑問だな」
哲将はそう言うと机にあった灰皿を引き寄せ、懐から両切りの煙草を取り出してライターのフリント・ホイールを回転させ火をつけた。
カチンッとライターのキャップを閉じ、ゆっくりと紫煙をくゆらせた。
「哲臣(てっしん)。お前の従伯父が亡くなったのは聞いているな?」
英人は黙って頷いた。
当然だ。彼がここに来る最後の一押しをしたのは、その遺産が目当てであった。
「アレが亡くなって我が家を継ぐ者がいなくなってな」
つまり、鈴藤家を継げという事か。
しかし、英人は少しだけ疑問に思った。
祖父母の実家、家系には詳しくないが、他に候補はいないのだろうか?
たとえ男系が途絶えたとしても、明日香や百合佳も親族のはずだ。
男系でしか継承できない決まりでもあるのか?
英人が悩む中、哲将は続けた。
「亡くなった哲臣以外の我が子は百合佳のみ。ワシの妹、お前にとっては大叔母にあたるこひなの子や孫も女ばかりでな」
この流れだと、こひなとは明日香の祖母だろうか?
そう考え英人が隣を向くが明日香はただ首を傾げただけだ。
親戚であるとはわかっていてもその顔は英人にとってとても魅力的に写った。
「今すぐ決めろと言うわけではない。大学もあるだろうし、若者にとっては本土の方が魅力的に思えるだろう。しかし、この島も良い所だ」
哲将は都会の魅力もわかると言いながらも、絶対にこの寂れた島の方が魅力的だと自身ありげに余裕を持って言った。
それは田舎の老人にありがちな妄信的な地元賛美のようであった。
「ええ、まぁ……」
当然英人はどうすればこの巌窟そうな老人の機嫌を損なわない返答が出来るか悩んだ。
その場しのぎの軽薄な嘘を述べるほど腐ってもいなければ、方便を駆使出来るほど秀才でもない彼に百合佳が助け舟を出した。
「ほら、お父さん。来たばかりの英人君が困ってるじゃない」
「ん?おお、こりゃすまんかった。そうだな、長旅で疲れていたな。すぐに夕食にするから、とりあえず風呂にでも入ってゆっくりしてくれ」
哲将はうっかりしたように「しまったしまった」と言って頭を掻き、立ち上がると今時珍しい黒電話──有線放送電話──をとると、何処かへ出前の電話をかけた。
英人が感謝の意を示すように百合佳の方に視線を向け小さく頭を下げると、彼女は気軽にウインクし笑って見せた。
「お姉さんが背中流してあげよっか?」
「遠慮しときます」
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