第6話〖平和な日々〗

 春といえど、朝の空気はまだ冷たい。扉を開けた瞬間から冷気が肌に吸い付いてくる。早く中に入りたくて、CLOSEと書かれた看板をさっとひっくり返して、扉を閉めた。


「ジュリー、焼きあがったからこれも陳列してちょうだい」


「はーい。今行くよ」


 お母さんから6つのチーズパンが乗ったトレーを受け取る。焦げたチーズの香ばしい香りが鼻腔をくすぐった。


「〝空は青く、花が咲く。ユーフォルビアの丘の上で踊ろう!〟」


「お嬢さんはその歌が好きなのねぇ。いっつも楽しそうに歌うもんだから、最近は私も口遊んじゃうの」


 開店早々来店してくれたらしい常連のおばあさんがにこやかに言った。無意識で歌ったのを聴かれてしまっていたらしい。まぁ、いつものことだから気にしていないけど。


「昔はおっきな声で歌えなかったから、こうして歌えるのが嬉しくてついつい口にしちゃうんです」


「あら、そういえばあっちの国の歌だったわね。あら〜、もう終戦してから5年も経つのね。時の流れって早いわぁ。あっ、それチーズパン? 焼きたて?」


「そうですよ。よろしければぜひ」


「やった〜! 家族みんな好きなのよ〜!」


 おばあさんはトレーにひょいひょいパンを載せていく。毎朝毎朝、山盛りのパンを買っていくけれど、一体どんなご家庭なのだろうか……。


 お客さんは続々やって来て、みんな笑顔でやって来ては笑顔で帰っていく。平和。本当に平和だった。


 王都に避難をしてから1年で戦争は集結した。


 荷解きやら開店やらで大忙しの時期に突然終わったから、本当にびっくりした。あまりにもあっさりしていて、戦争って終わるんだなぁってじんわり嬉しかったのを覚えてる。


 あっちの国で徴兵されてたお父さんとお兄ちゃんも無事だったようだし、何もかもが順調だ。もう少し暖かくなったら、私とお母さんはお父さん達が暮らすあっちの国へ越すことになっている。


 そしたら、壁の向こうにいる君を探しに行く。君と別れて6回目の冬が終わった。君はどこで何をしてるの?


「〝泣かないで前を見て。僕たちは再会する……〟」




* * *




 誰かとすれ違う度に、ついその声に注目してしまう。彼の声を探してしまうのだ。私たちは会話をしたことが無い。だから、あの凛とした声色がないかとついキョロキョロしてしまう。


 うちの店に彼が偶然来てくれたら、それが一番なんだけど。パン屋をしているというのは手紙で教えたはず。そもそも彼は私のことを覚えているのか……? いや、例え覚えてなくたっていい。私は、私の心の隙間を埋めてくれたお礼を一言言えたらいいんだから。


 ──できれば、〝ユーフォルビアの丘の上で〟の続きの歌詞も、教えて欲しい。



「ジュリー、いるかい?」


「はいっ、どうしたのお母さん」


「手が空いたらこれをポストに投函してきてくれない? お父さんに宛てた手紙なんだけど」


「あぁ、いいよ。今暇だし、行ってくるね」


 受け取ったのは、私が6年前に使っていた封筒だった。中身は違うけれど。ポストまで、ここから歩いて5分くらいだろうか。もしかしたら彼が私を見つけてくれるかも、なんて淡く小さい希望を胸に歌を歌う。


 ユーフォルビアの丘。どんな場所なんだろうか。あっちの国に行ったらぜひ訪れてみたい。


 あっという間にポストについて、あの壁よりもずっと広い隙間の中に手紙を入れる。踵を返そうとした時、なんだか面白そうな貼り紙を見つけて立ち止まった。


『戦争で行方がわからなくなった方を捜索いたします。ご相談はこちらへ』


 戦争で行方がわからなくなった、ならば、彼も一応は該当するんじゃないか? いやでも名前も顔も分からないんじゃ手の施しようがない……?


 いや、こうなったら藁にもすがる思いでやってみよう。ダメだったらその時考えればいいよね。


 私はその張り紙が示す事務所の位置を覚えて、帰路についた。

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